第三十六章第一節<King of Desert>
艦船周辺に索敵結界を最大領域にまで拡張した艦船群が、音もなく隕石帯へと侵入して来る。
所属は<Taureau d'or>第一騎士団<真珠>。中央に呪的戦略艦、その周囲に三隻の戦艦を配した小規模の陣営だ。
殆どの航行システムを解除してあるのは、周囲に散りばめられている無数の岩石群のせいであった。人の手による目視に頼った操縦でなければ、これだけの障害物の密集した地域の移動は不可能である。レーダーに抵触する異物の数は搭載されたコンピューターのメモリをあっという間に食い尽くし、システムは瞬時に混乱するであろう。
それを避けるため、そして咄嗟の行動を可能にするため、四隻全ての艦船は手動操縦に切り替えられていた。
船窓のすぐ近くを巨大な岩塊が通り過ぎていく。普段なら気にも留めぬそれらを、操縦士たちは異常なまでに緊張した面持ちで見つめながら、病的なまでに神経質な視線を落ち着きなく彷徨わせている。
何故なら同じ場所で、これまでに二度、襲撃が行われていたからであった。
<Taureau d'or>、<Dragon d'argent>双方の軍事国家機構へ叛旗を翻し、非合法的脱隊を行った叛乱軍の残留部隊が、この隕石群の中央に身を隠しているのだ。
だが、それにはこの隕石帯を突破しなくてはならない。無視して通り過ぎられるほど、この環状隕石帯の直径は狭くはないし、かといって限りなく二次元的構造をした隕石群を避け、直下あるいは真上からの接近、攻撃行動をすれば、相手にもまたこちらの意図を容易に掴ませることになるため、自然と消耗戦になる。
篭城する相手が最も恐れるのは資源の浪費である。
だがしかし、今回は叛乱軍相手に消耗戦を仕掛け、兵力の減耗と疲弊を狙うことはこちらの矜持が許さなかった。たかが叛乱軍ごときに、こちらもまた血を流すことを覚悟し想定に入れた作戦など、納得できるはずがなかった。
そのようなテレンス元帥の決断により、これまでに二度突入が行われたが、そのどちらもが失敗に終わっていた。
相手の戦法はゲリラであった。隕石の陰に身を隠すことができる、兵器を搭載した小型機を配置し、設定ポイントを通過してきた艦船に対し、砲撃の死角からの一斉攻撃を繰り出すのであった。
ただでさえ不規則な配列の隕石が移動を続ける宙域である。急速な行動は隕石の動きを乱し、また不用意に動けば外壁は大きく傷つくことになる。身動きの取れぬまま、そして不特定多数からの攻撃点に対応することもできずに、ほとんど成果を上げられずにエネルギーの渦に引き裂かれていったのであった。
三度目の接近と進軍。四隻の戦艦と呪的戦略艦が通過できるだけの間隙が生まれた隙に、推進孔に点火の光が生まれた瞬間であった。
操縦士の悲鳴と外殻の爆裂と、どちらが先であったか。
至近距離から対呪術結界用の弾頭を打ち込まれ、探査結界が大きく軋み、一瞬ののちに四散した。
弾頭部分に対抗呪式を高速擬似詠唱するプログラムが組み込まれたコンピュータが内蔵された特殊弾頭は、物理的な破壊よりもまず、呪的破壊を目的としたものであった。
不意打ちを想定して展開されていた探査結界が失われた瞬間。どこに隠れていたのか、兵器を搭載した小型機がまるで雲霞の如くに殺到し、戦艦に光の槍を投じ始めた。
通常の光学兵器であれば、戦艦クラスの外殻に使用されている反射式の強化水晶鋼を貫通するのは容易ではない。打ち抜くには高精度の収斂装置が必要となり、小型機に搭載できる機体限界を超えるため、小型機で戦艦を撃墜するのは事実上不可能であるはずであった。
しかし、叛乱軍はその慢心を見事に打ち砕く秘策を繰り出したのだ。
確かに強化水晶鋼の防禦力は凄まじいが、稼動部や砲台など、防禦力や耐久性に乏しい部位を狙い撃ちすることで、戦艦をいくつも葬ってきたのであった。見る間に戦艦のうちの一隻が無数の光の槍に貫かれ、まるで悪意ある妖精の襲撃を受ける巨鬼のような咆哮を上げる。
中央に護られた呪的戦略艦のブリッジから、緊急要請信号が<ユグドラシル>に飛ぶ。
刃を突きつけられ、その外から弓矢で狙い撃ちをされる部隊のように、自分たちでは最早成す術がなかった。
そのとき、二隻目の戦艦の胴から白色の炎が吹き上がった。燃料系統に引火したのか、空気の存在しない宇宙空間に鮮烈な光が散り、弾け、そして艦内の僅かな酸素を食い尽くすように幾度も致死の鼓動を脈打ち続ける。
群がる叛乱軍の小型機は、その機動性を最大限に活かし、攻撃が着弾するときには、既に遠く間合いを離してしまっている。理想的な一撃離脱戦法の態勢に、隕石帯の要塞を陥落させることは不可能ではないか、と思われたときであった。
<ユグドラシル>の発艦ゲートが音もなく開き、そして巨大な呪的戦略艦<セト>が姿を現した。
第二騎士団<琥珀>が誇る、最大級の呪的戦略艦であった。漆黒の艦体は、セシリアの旗艦<ニュクス>のそれよりも、さらに禍々しい印象を見るものに与えるものであった。曲線のみで構成されたデザインの艦は、まるで闇の満ちた虚空から引き摺り出された、冥府の魂を喰らう悪蛇のようでもある。
頭部に相当する艦の先端部分は、まさに盲目の蛇。装飾部位が全くなく、ただ唯一、横一文字に大きく迫り出した部分に亀裂のような裂け目があった。裂け目の奥には数十の強化水晶鋼によって守護された呪式詠唱用の液晶が並び、それを常時起動することで、艦船の周囲には常に何等かの守護呪式を発動展開させてあるのであった。
その裂け目のせいで、蛇は不気味な笑いを浮かべているようにも見える。異形を目の当たりにした叛乱軍の小型機は、蜘蛛の子を散らすようにして散開した。
指揮を取っているのは、ジークルドの部隊に所属する少将の男であった。定石通り、堅実な性格の少将は想定ラインまでの撤退を命令。小型機は持ち場を離れ、満身創痍の戦艦たちを残し、内側の隕石群に身を隠す。少将もまた、付近の隕石の陰に母船となる戦艦を駐留させ、事態を把握すべく監視を継続。
大物が要塞から姿を現したとの情報に、少将はより一層気を引き締めた。武勲を挙げるより、より被害の少ない方法で呪的戦略艦<セト>を葬る戦略を脳裏に巡らせていたときであった。
「キース少将、呪的戦略艦<セト>周囲にて因果律改竄、呪術兵器発動予兆です!」
狼狽したのは、少将よりも救援信号を発信した第一騎士団の者であった。
叛乱軍の探査結界が<セト>の攻撃を察知したのと同じくして、第一騎士団もまた<セト>の行動を逐一把握していた。異相を表した<セト>を確認したときには、自分たちの援護に駆けつけてくれるものと信じていた。
しかし、<セト>との距離は現在八百キロ。如何なる攻撃で叛乱軍を追い払うのかと考える以前に、その間合いで攻撃態勢に入ること自体が不自然だ。しかも、その手段が呪術兵器であると判明した瞬間に、第一騎士団は凄まじい混乱に陥った。
「解析結果出ました、擬似神族の顕現余波を利用した広範囲の攻撃です!」
キース少将の母艦へと接続された回線の向こうで、操縦士が悲痛な叫びを上げた。
「影響範囲、指向方角へ最大一千キロです!!」
悲鳴と同時に、<セト>の口中に光が灯る。赤い文字で綴られているのは、古代埃及で悪神セトを讃える神聖文字。嵐と暴虐の王として讃えられ、そして混迷期にはその力があまりに大きいため、邪神と知りつつもセトの神力を得る儀式が数多く行われていたという。
王位簒奪のため、実兄オシリスすらも手にかけた、その無秩序な暴君の力。
<セト>の舳先の中空に、鈍く脈打つ赤い神聖文字が投影される。そして次の瞬間、第一騎士団の四隻の艦は、周囲の隕石、岩塊、そして逃げ遅れたキース少将の部隊と共に、暗黒の奔流の中で蒸発した。
「貴様!」
第一騎士団大将のアルフォンスは、感情の起伏を抑えきることができなかった。
軍律が頭の中から消えたと思った瞬間、彼の太い両腕は第二騎士団元帥のテレンスの胸倉を掴み、横の壁に叩きつけていた。
「自分が何をしたのか、分かっているのか!」
「ほう」
苦しげに顔を歪めつつも、冷ややかな視線で見下ろすテレンスは、視線をアルフォンスの肩の先へと向けた。
「どうでもいいが、今すぐにその手を離したまえ……さもなくば、騎士団の頭領がまた一つ、失われることになるが?」
アルフォンスの神経を、まるで冷水を頭からかぶせられたような悪寒が襲う。
首筋に当てられているのは、一条の刃。凄まじい殺気が自分に向けて放たれているのを感じ、アルフォンスはテレンスの戒めを解いた。
数歩下がると、幽鬼のようにブリッジの床に蹲るL.E.G.I.O.N.の一人の姿があった。身の丈を倍しても足りぬほどの巨大な鎌を持つ、死刑執行人。
「君は何をそんなに怒っているというのだね」
「貴様は、あの攻撃で俺の部下を……」
「あれを助けろと?」
最早塵一つ残らぬ空隙に、無数の戦艦が殺到しているモニターを見やり、テレンスは嘲笑にも似た声を上げた。
「あの時点での被害率は60%を超えていた、とすれば攻撃から護ってやってもこれ以上の航行は不可能、敵陣深くに入り込んだ彼等がこちらへと戻ってこられる可能性はあまりに低い」
軍靴を鳴らし、テレンスはモニターに向き直った。<セト>の神力顕現で薙ぎ払い、身を隠す障害物を一掃したその空間に、第二騎士団の艦隊が叛乱軍に反撃の槌を振り上げつつ、前線を浸食していた。
「見たまえ、あの攻撃で隕石帯が断絶したよ。回転運動による修復までにかかる時間は三千二百秒……こちらから攻勢を仕掛けるには充分過ぎると思うがね?」