第三十五章第一節<Falsification>
閃光が弾け、その中からさらに鋭い裂光が生まれる。矢継ぎ早に繰り出されるそれは、S.A.I.N.T.たるリルヴェラルザの剱技であった。
細い刀身の切っ先が、まるで弓矢のような速度で刺突を仕掛けてくる。一つ一つの攻撃の速度は、常人には視認が不可能なほどに早い。たとえ一撃目を弾けたとしても、一秒にも満たぬ時間に再び攻撃態勢を快復させ、初撃と同程度の速度で繰り出されるのだ。
普通の相手であれば、弾いた隙を突かれ、急所を貫かれ、即死も免れぬであろう。
高速で放たれる針の如き無慈悲なる剱。それを阻むように出現したのは、赤く光る魔法陣を虚空から召喚する青年の魔術障壁であった。
秒速七発の密集刺突でさえも、青年とリルヴェラルザとを隔てる障壁を破れはせぬ。鏡面強化した外壁装甲でさえも突き破るだけの威力のそれを、全発完璧に防禦するとは。
だがリルヴェラルザは攻撃の手を休めない。さらに攻撃速度が上がり、弾かれる際に剱が響かせる清んだ音は連続する一連の音楽のように奏でられ。
そして、リルヴェラルザの動きが止まった。障壁の向こうで、青年が微笑む。
「そこまでですか」
手に持った錫を回転させ、リルヴェラルザに神速の雷撃を打ちつけようとしたときであった。
「そこまで……なるほど、そう見えますか」
リルヴェラルザは、白亜の仮面の向こうでふわりと微笑む。
白い長衣の裾が残像として残るほどの瞬間的な加速で、リルヴェラルザは青年の眼前から姿を消す。
入れ替わるように出現したのは、黒きSchwertMeister。青年の視覚がSchwertMeisterを認識したときには、既にラーシェンは攻撃態勢に入っていた。
恐るべき神速の踏み込みと抜刀術で、容赦のない横薙ぎの一閃を叩き込む。
そのとき、初めて青年の顔に焦燥の色が浮かんだ。
太刀と障壁とが接触し、赤い魔法陣が浮かび上がる。障壁の強度自体に変化はない。だが攻撃を防がれてもなお、ラーシェンは笑っていた。
「……なるほどな」
打ち込みつつ、青年を見つめるラーシェンは勝利を確信した呟きを漏らす。
「お前の護りの欠点がわかった……次に見せた隙が最後だと思え」
「では」
青年は、錫杖から手を離す。だが見えぬ糸で縫いとめられたかのように、錫杖は中空で静止したまま。
「見せていただきましょう……我が鉄壁の護りの、欠点とやらを」
静止したままの錫杖がほのかに光り、その粒子が青年の頭上に収斂する。
それがあの雷撃を呼ぶ動作だと感じた瞬間。
青年の頭上から、直下へ叩きつけるような衝撃波が襲い掛かった。龍牙炎帝の、分厚い呪錬鋼鉄製の艦船をも両断するほどの威力を秘めた一撃が降り注いだのだ。しかしその刃も、青年に届くことはない。脈打つ赤く光る魔法陣が生まれ、受け流されたのだが―先刻生じた雷撃の光は、何処へかと消え去っていた。
「それが、お前の弱点だ」
呪術攻撃と、呪術防禦を両立させることはできぬ。
前もって仕掛けていた、任意発動式の迎撃呪術であれば、初撃を仕掛けた龍牙炎帝のときのように同時の発動は可能。しかし、あの巨大な錫杖を用いた致死の雷撃を放つには、あの絶対防禦の障壁を解除する必要がある。
そして、さらに。
絶対防禦の障壁に阻まれ、刀が火花を散らしながら障壁表面を擦過していく。軌跡が白く光を放ち、一直線の傷跡のようにして残ったその瞬間。
「みなかたの 神の御力 授かれば 祈らむことの 叶わぬはなし 野辺に住む けだものまでも縁あれば 暗き闇路も 迷わざらまし 我身守り給え幸給え」
流れるような祝詞がクレーメンスの唇から紡がれた。神力によって生み出された輝く杭は、障壁をやすやすと突き破ると、青年の躰を大地に縫いとめる。
一本、さらにもう一本。二本の杭が交差するように打ち込まれ、青年の自由が奪われた。
直接攻撃には絶対の防禦を誇っても、魔術相手には防禦能力は薄い、と推理したクレーメンスの策であった。
最初、相手を魔術師だと認識した上で、魔術行使を妨害する付加魔術ばかりに意識を向けてしまったことが敗因であった。
この男は、自分たちの相手をする際、何と行ったか。
<Kether>への鍵を守る守護者たるものが、生身の人間であるはずがない。恐らくは封印されている、大きすぎる力の漏洩と防衛本能によって生み出された、擬似人格を与えた式神であったのだろう。
そのため、五官および神経を妨害するクレーメンスの能力が通じなかったのだ。
二本の杭に躰を貫かれ、青年の首ががくりと項垂れる。それまで静止していた錫杖が、ゆらりと陽炎のようなものに包まれ、そして空中に溶けるように消える。
今までの戦闘からして、あの杖を失った青年に、攻撃の手段は残されてはいない。だが念のため、三人のSchwert・Meisterが青年を包囲し、抜き身の刃をつきつけ、いつでも追撃が出来る態勢を作り上げる。
そして、長い沈黙の後、青年の首が持ち上がり。
「……見事、です……」
下手をすれば命にも関わるほどの傷を負っていながら、青年は一滴の血も流してはいない。震える右手を持ち上げると、その掌には淡く光る玉があった。
物体ではないそれに、居合わせた者たちの視線が集まる。
「お約束どおり、<Kether>への鍵を……」
差し出されたそれに、一番近くにいたラーシェンが足を踏み出す。
青年には、最早戦う意志も気配もない。これ以上の危険はない、そう判断し、ラーシェンは光を受け取るべく、青年に手を伸ばした。
その先で、黒いコートの青年の表情が、歪む。
「……写本自己防衛プログラム、介入しました」
バイザータイプのプライベートモニターを装備したL.E.G.I.O.N.オルガが無表情な声色で報告を読み上げ、手元を見ることなくキーボードを叩き続ける。
「霊体構成組織に改竄、各上位活動可能領域に設定された守護者の制御機構を破壊、リミッター解除します」
「……下がれッ!」
最初に異変に気づいたのはアンジェリークであった。
盲目故の、他の感覚器官の冴えが、青年に生じた僅かな変調を見逃さぬ。苦悶に顔を歪める青年の躰を貫通する、輝く杭の傷口から、どろりとした黒い粘液が溢れた。それが血液に類するものではないことは明白であった。見る間にそれは青年の全身を覆い尽くし、脈打ち、まるで巨大な軟体生物であるかのような蠕動を繰り返す。
爆発的に膨れ上がる殺意と霊力。先刻までの、緻密な青年の戦闘とはまるで違う、そして桁外れな力を宿した存在が、目の前でぐんぐんと膨れ上がっていく。
天を求めてのたうつ無数の大蛇のような光景を繰り広げるそれは、いつしか身長を倍しても足りぬほどに成長し。
そして頂点から生まれた、鳥のような嘴を持ち、悪夢にしか存在せぬような鋭く赤い眼差しをした悪鬼が、耳をつんざくような咆哮を上げた。