間章ⅩⅩⅩⅢ<要塞天鳥船神>
天鳥船神。
その名は一般的に知れ渡ってはいるものの、文献の中に見出すのは難しい。「古事記」において、建御雷之男神の乗る船として、鳥之石楠船神という名が記されているだけだ。
しかしどちらにせよ、軍神を乗せた船の名は、艦船の名とするよりは、それよりも巨大かつ戦局を大きく左右する要塞の名に相応しいものであった。
よって、正宗師団長セクト・ハーレィフォンはその名を<Dragon d'argent>の誇る戦略的要塞の名に冠することにした。
前後が鋭い紡錘形をした本体の表面には特殊鏡加工を施してあり、生半可な光学兵器は完璧に跳ね返してしまう。戦艦主砲クラスの収斂度を持った光学兵器でないと外壁の貫通はできぬ、という新素材であったが、同様に弱点もあった。
物理的衝撃には、通常の装甲以下の耐久度しか持たず、一端衝撃を伝達されれば、すぐにでも粉微塵に砕け散ってしまう代物であった。
その素材を本体の全面に使用してあるのだが、弱点をカバーするだけの装備も忘れてはいなかった。
本体上部二箇所から大きく迫り出した一対の兵器塊。まるで鳥の翼を模したようなそれは、一機につき三十六の砲門を備えた、通称「布都剱」と呼ばれる、全方位攻撃型の総合砲台であった。
これがあるために、ほぼ全方位から要塞を射程範囲に捉えることが困難になってくる。
「布都剱」はどちらも手動、自動制御が可能であり、攻撃管理システムの人工知能によって統括支配されているその砲台群は、十キロの距離照準誤差数ミリという高精度を誇る逸品であった。
<Taureau d'or>第一要塞<聖教典>にも匹敵するその鋼鉄の猛禽が、今絶対零度の虚空の海を静かに突き進んでいた。
「セクト艦長、<Taureau d'or>第二騎士団元帥、テレンス様より入電です」
「うむ」
ブリッジで腕を組んだまま座るセクトは、まるでサイズの合わぬ制服に身を包んでいる獣のようであった。はちきれんばかりの筋肉に膨れ上がった体躯は、一番大きな支給品でも小さいらしく、特に襟元から胸へかけてのホックは留めることすら出来ない。そのため、肉腫のように肥大した大胸筋を殊更に見せ付けるようなセクトの風貌は、人というよりも猿人にすら見えた。
加えて、見事なまでに剃り上げられた禿頭と、脳天から左眼にかけて走る刀傷。常人であれば致命傷、否絶命に至ってもおかしくはないほどの傷であったが、セクトの命脈を断つにはいささか深さが足りなかったようであった。
セクトは手元のコンソールに指を伸ばし、映像通信の回線を開く。
程なくメインのモニターの中央に、口元に薄ら笑いを浮かべたテレンスの顔が映し出された。
「遠路遥々、ご苦労だったな」
「ふん」
鼻を鳴らしただけで答えるセクトは、テレンスの形ばかりの社交辞令をいとも容易く退けた。
「お前たちが要塞を出せというから、我が<天鳥船神>を出動させた。無論、貴様等も同じ覚悟であろうな」
「言われずとも」
この相手に上辺だけの言葉は必要ないと感じたのか。声のトーンをがらりと変え、テレンスは単刀直入に続けた。
「既に<Taureau d'or>の移動要塞<ユグドラシル>は整備を終えている。お前たちの到着を確認したのち、叛乱軍の駐留地を叩く」
「了解した」
獲物を追い込んだ肉食獣の出す声のように低く、セクトは唸った。
「艦隊のほとんどは師団長についていったが、戦場ではこの要塞で呪的支援をしてやろう……約束は違えるなよ」
「わかっている」
テレンスを筆頭に再編成される新国家機構における、幹部待遇の取り決めを今一度確認するセクト。
「そもそも、貴様等はどうやって、叛乱軍の所在を突き止めたのだ」
「こちらには切り札があるのだよ……<天鳥船神>など、問題にならぬほどの切り札がな」
流石のセクトも、その言葉からはいささかなりといえども侮蔑の色を捉えることができた。
「せいぜい、今のうちに吼えておれ」
だん、とコンソールに拳を叩きつけるようにして、セクトは通信を切断。その所業に驚きを隠せぬ部下たちを一瞥し、セクトは轟音の如き号令を下した。
「これより我等<<Dragon d'argent>は、敵陣へと向かう……己は死すとも絶対の勝利のため、礎となるべし!!」