第三十二章第一節<Crown of Ancient>
第一活動可能領域<Kether>。
その存在は、<Jardin d'ordre>を観想する数々の瞑想師、魔術師たちによって存在が仮定されていた場所である。活動可能領域全てが、カバラ思想における「生命の木」の配列と酷似していることから、四つの活動可能領域が確認した時点で、その他の部位においても予測、探知は加速度的に進んでいた。
しかし、この第一活動可能領域だけは、一切の事前調査が不可能な領域であった。
まず、遠隔地からの瞑想による幻視、また呪術的な視点操作の一切が無効化されていた。全域を強力な対呪術用結界が敷かれていると予想されていることから、当初はここに何等かの知的生命体の存在があるとさえ言われていた。
また、<Kether>に続くとされている三つの回廊全てにおいて、回廊転送が不可能な事態が発生していた。
最初に転送を試みたのは、<Tiphreth>と<Kether>を結ぶギメル回廊。五百を超える転送実験を繰り返すものの、その一切が失敗に終わる。古代秘教学的には三つの回廊があると言われており、またそれまでの<Jardin d'ordre>の構造が全て、この生命の木と一致していたことに、魔術師たちは落胆の色を隠せなかった。
しかし技術者は諦めず、残り二つの回廊からの転送実験を開始。
前段階として、それぞれの活動可能領域である、<Binah>と<Cochma>と呼ばれる二つの活動可能領域への転移を計画する。
そして、彼等は我が目を疑う光景を、前にしたのであった。
第四艦隊所属呪的戦略艦<ペルセポネー>会議室に格納庫での演説を終えたジークルドとセヴランが到着したとき、残りの出席者は全て着席していた。
小さく頭を下げ、遅延の非礼を詫びる彼等に頷くと、それまで無言のまま座っていたマティルデが立ち上がった。
「それでは、ここに軍議を開催したいと思います。議題は、今後我々がどのように活動を進めるか、ということに集約されますが」
「<Kether>への道は閉ざされてるんだろうが」
クレーメンスは頬杖をつきながら、溜息と共に吐き出した。
以前の<Jardin d'ordre>の構造報告によれば、第二、第三の活動可能領域に相当する<Binah>及び<Cochma>からの転送実験もまた、悉くが失敗しているのだ。
これにより、生命の木に充当させた場合の、<Kether>へと接続されている回廊の全ては、存在していないのだという結論に達した。しかし、<Kether>が仮定されたポイントにおいて、一切の呪術的干渉を撥ね退ける存在があることだけは、全ての観測結果からはじき出されていた。
全ての回廊による接続がない、完全孤立空間。それこそが、まさに<Kether>に冠せられた認識像なのであった。
「閉ざされている……が、存在自体が否定されたわけではあるまい?」
クレーメンスの言葉を受け、バルダザール元帥が口を開いた。
「なんだよ、じゃあ<Kether>があるって言いてぇのかよ、爺さん」
「口を慎め」
バルダザールへの敬意に欠ける発言だとジークルドは制する。
「確かに、存在自体が否定されたわけではありません。しかし、その宙域に何があるにせよ、侵入経路としての回廊がないのであれば……」
「可能性は二つだ」
バルダザールは人差し指と中指を立てて見せた。
「一つ、<Kether>に存在する何等かの存在が、人為的な手段として回廊を閉鎖した」
説明しつつ、バルダザールは中指を動かしてみせる。
「この場合、わからないことがある……彼等は何の目的で回廊を閉鎖したのか。<Kether>観測が開始したのは今から百年以上も前だ……あちらの集団はそれだけの時間、そしていまだ回廊を閉鎖してまで、何をしようとしているのか、だ」
「L.E.G.I.O.N.が関係している可能性もあるな」
それまで黙っていたセヴランは、腕を組んだままぼそりと呟いた。
「これは、今まで公表していなかった資料なんだが」
テーブルの上に投げ出された紙には、騎士団一つの軍備の内訳が細かく記された一覧表があった。
「……これは、何?」
「第七騎士団……<Taureau d'or>で、最初にL.E.G.I.O.N.に襲撃され、壊滅した騎士団の記録だ……」
マティルデの問いに、バルダザールが答える。
「これがどうしたというんだ……セヴラン?」
「こちらを見てくれ」
取り出したもう一枚の紙には、回収記録と題された一覧があった。
「これは、襲撃後、当該宙域で回収された第七騎士団の記録だ……幾分の損傷はあれど、回収率は三割に満たなかった。これがどういうことか、お分かりか」
「……拉致、か?」
クレーメンスの一言に、一堂がざわりと動揺した。
「俺もそう考えた。何等かの意図で、奴等は壊滅した第七騎士団の軍備を持ち去った……そう考えるのが妥当だな」
「なるほど、<Kether>にこそ、L.E.G.I.O.N.の本拠地があると……そう言いたいのだな」
「ああ」
セヴランはジークルドに頷き、そして。
「済まない……話の腰を折ったな」
「では、もう一つの可能性を」
バルダザールは残った人差し指を動かしながら、説明を再開する。
「もう一つは、私たちの知らない魔術が、<Kether>にはあるということだ……もしくは<Kether>それ自体が、強力な魔術を帯びた何か、ということもありうる」
これまでの探査結果では、魔力を確認できただけで、その規模、大きさ、内部構造までを把握することはできなかった。つまり、反応があったというだけで、それを活動可能領域であると断定することはできないのだ。
「どちらにしろ」
一音ずつを伸ばす話し方で、クレーメンスは一度大きく伸びをした。
「どうすんだ? 結局、<Kether>行きは決定か?」
「それしかあるまいな」
「ならば、編成は俺がやろう」
申し出たのはジークルドであった。
<Kether>に行くには、その前の活動可能領域に向かわねばならない。かといって、<Tiphreth>にいたままでは回廊転送が不可能であることは、過去の実験からも明らかだ。
鍵は二つ、<Binah>と<Cochma>にあるということを、誰もが疑わなかった。
何故ならば。
過去の転送実験において、実験部隊は、二つの活動可能領域に到達することができなかったからだ。
「それでは」
マティルデが立ち上がり、軍議を閉じようとしたときであった。
会議室のドアを、慌てた様子で激しくノックする音が聞こえた。数名が腰を上げる中、一番ドアに近いクレーメンスが立ち上がると、やおらドアを開ける。
「莫迦野郎、中はまだ……」
「申し訳、ございませんッ……緊急伝令ですっ……」
<Taureau d'or>の制服に身を包んだ下士官は、荒い息を整えようともせず、クレーメンスに向かって話を続けた。
「今より七分前、距離三万キロのポイントを接近中の質量甚大物体を確認……」
「……何?」
「識別信号により、判別が終了しております! 目標、王家第一移動要塞<聖教典>!」