間章ⅩⅩⅩⅠ<従順なる背徳者>
非常に緩慢な間隔で、靴底が床を打つ音が聞こえてくる。
眠気を誘うように、しかし確実に時を刻む大時計のように。
天蓋近くにあるステンドグラスからは、微かな光さえも舞い降りては来ない。天空に輝く星々の光明は、まるで不吉な気配を感じて隠れてしまったかのように、失われている。卓上のランプの放つ微弱な光だけを光源として、その黒曜石の敷き詰められた尖塔ラオデキアの断罪の間は、冷え切った空気に満ちていた。
空隙だけが目立つその中、席についている将軍は二人。
第一騎士団<真珠>アルフォンス・カレーム大将と、第六騎士団<翡翠硬玉>ゴーティエ・デュガ元帥。
二人ともに、ただじっと腕を組み、あるいは俯いたまま黙考するだけで、言葉を発することは愚か微動だにせぬ。
かつん。幾度めかに響いた靴音が、一際大きく響いた。
「……到着したようだね」
闇の中から、第二騎士団<琥珀>元帥テレンス・アダムズの声がした。
ぞわりと闇が蠕動する動きを見せ、彼の背後で波打つ。やがてそれは人型を孕み、三度分かたれ、そして三つの人影を生んだ。
何処からこの広間に入ったのか、それとも最初から物陰に姿を隠していたのか。
もしそうならば、テレンスがこうして無駄に時間を費やすだけの演技をした意味がないし、また今しがた入室したのだとすれば、どのように物音も立てずに扉を抜けたというのか。
いずれにせよ、三つの人影がただならぬ者たちであることは確かであった。
一人は総重量が数十キロはあろうかという武骨な紅の大鎧を纏った大男であった。頬当てまでを降ろしているせいで、僅かな隙間からその瞳を伺うしか顔を見ることはできない。背には身の丈以上の大剱を背負い、一歩ごとに派手な音を立てながら、大股でこちらに向かってきている。
大男よりやや遅れる形で、二人の人影が順番に視界に入ってきた。
一人は男、一人は女。
まるで大海の雫で染め上げたような、美しい瑠璃色の髪を持つ男は、先頭の大男と比べると子どもにも見えそうなほどの華奢な体躯であった。貴族が好んで身につける、上質の絹をふんだんに使った、ゆったりした襟ぐりの上着で、腰の辺りできつく裾を締め上げている。
しかし驚くべきは、彼の背後にて打ち振るわれる一対の翼であった。青年が人外の存在なのか、それとも遺伝子融合手術の結果なのか、彼の背からは天使のような紺碧の翼が二枚、力強く生え出ていた。
最後の女は、二人の男に比べると何の変哲もない姿をしていた。
強いてあげれば、長い射干玉の髪によって顔の左半分を隠しているというところだろうか。だがそれも、大きく分け隔てられていることにはならず、身につけている衣服も取り立てて異常なところはない。
俯いたまま、ただならぬ気配を宿しながら、女もまた大男について闇から抜け出してくる。その中の一人、翼を持った青年だけが一歩前に進み出、背を向けたままのテレンスに向かって頭を垂れた。
「マランジェ・カミュ、ここに参上致しました……ジャンヌ・アッケルマンならびにリュシアン・ヴァディム、いずれも私に劣らぬ腕の持ち主にございます」
「聞いたかね」
マランジェと名乗った青年には振り向くこともなく、テレンスは後ろで腕を組んだまま二人の将軍に声を掛ける。
「壊滅した第三、第七、そして離反した第四、第五の騎士団……四つの軍勢の孔を埋めるに、これほど相応しい人選があるかね」
「莫迦を言うな」
野太い声で抗議を訴えたのはゴーティエ元帥であった。
「何処の馬の骨とも分からん、こんな道化のような輩が三人で、どうやって軍を再編するというのだ」
「分かっておらんな」
テレンスは呆れたように溜息をつき。
そこでやっと、テレンスは膝をつくマランジェに向き直った。とはいえ、ただ半身だけを逸らし、姿勢をそのままに頭を垂れるマランジェを見下ろしただけではあったが。
「彼等がL.E.G.I.O.N.の一角を担う者たち……だとしたら、同じようなことが言えるかね?」
落雷に打たれたように硬直する二人。
この緊急時に、何故L.E.G.I.O.N.がここにいる。そして、何故テレンスに向かって膝をつく。
にわかに、アルフォンスは目の前にいる男が、ただの騎士団の元帥ではないという認識に躰が震え始めた。
テレンスは、一体何者なのだ。
「お前たちに命ずる……即座に離反した第四、第五騎士団及び<Dragon d'argent>の三師団の行方を洗い出せ」
「御意」
面を伏せ、呼気と共に言葉を吐き出すマランジェ。
だが、俯かれたその口元には、はっきりと笑みが浮かび上がっていた。