第三十章第三節<Interceptor>
第二騎士団旗艦<アレス>のブリッジでモニターを眺めているテレンス元帥は、口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
今しがた第三騎士団を葬り去った敵は、次々に手札を揃え、今やこちらの陣営に匹敵するとも劣らぬだけの兵力を見せ付けている。
<Dragon d'argent>の襲撃だけならば、なんとか返り討ちに合わせることもできただろう。しかし、絶妙のタイミングでこちらの手駒が次々と叛旗を翻したのであった。
第四、第五騎士団の離反のみならず、敵艦隊の接近を事前に察知できなかったということは、S.A.I.N.T.の一角であるニーナの裏切り行為の可能性も高い。
ここまで追い詰められていながら、テレンスはなお虚勢を張っているようには見えなかった。
「このまま逃げるならば、一度は勝利の美酒に酔わせてやろうと思ったがね……」
どうやら、相手はこちらが手薄になったこの機会を逃さぬつもりらしい。
「テレンス元帥、敵艦隊動きます……<Dragon d'argent>天叢雲剱師団、右舷より接近!」
「アルフォンス、聞こるかな」
部下の報告には返答せず、手元の通信回線を開き、テレンスは第一騎士団<真珠>のアルフォンス・カレーム大将を呼び出した。
ややあって、低い声で唸るようにアルフォンスの声が返ってくる。
「どうした」
「そちらに<Dragon d'argent>艦隊が接近している……迎撃しろ」
「確認はしている」
低い声は諾とは言わなかった。
「出撃は第一騎士団のみか」
「あれだけの手勢を持っていながら、動いたのは一個師団だけということは、これは陽動だと考えるのが普通ではないかね」
「……了解した」
回線は向こうから切られた。
満足げな笑みを湛えたままテレンスはシートの背もたれに身を預け、目の前の巨大なモニターに映し出された暗黒の空間を睥睨する。
現在、<バロール>から転送される情報は一切が沈黙しているため、モニターは艦周囲の状況を映し出す以外の役割を失っている。
「さて、君たちの探す二人は……無事助け出せるのかね?」
戦艦<吉備津彦神>を中心に組んだ隊列で加速する天叢雲剱師団隊。前衛を全て戦艦で固めた純粋な攻撃形態の隊列は、みるみる肉薄する第一騎士団に向けて砲門を開く。
邪鬼討伐としての逸話をも残る<吉備津彦神>の戦闘能力は、他の追従を許さぬものがあった。光学兵器の主砲をはじめとした各種実装兵器に特殊な形状もしくは能力は見られない。しかし、主砲のエネルギー収斂率が格段に高い数値を示していた。攻撃範囲こそ狭まるものの、防禦を施さぬ戦艦クラスであれば、たった一撃で装甲を貫いてしまうほどであった。
だが、その技術が量産し切れなかったのは、搭載できる艦に求められるキャパシティのためであった。
この<吉備津彦神>だけは高収斂を可能とするだけのスペックがあり、またそれだけのエネルギーを主砲に回すことができる。同じことを通常の艦でしようとすれば、主砲だけであっという間にエネルギー備蓄量を食い尽くしてしまうであろうし、またエネルギーに耐えられるだけの砲身を安価で開発することが必要となってくる。
現在のところ、試作機としてこの<吉備津彦神>だけが有する、恐るべき攻撃力を誇る貫通式の主砲。
距離七千キロを突破した時点で、その主砲にエネルギー装填作業が開始される。
「いいか、作戦は陽動……しかし相手に気取られんように最大戦力で攻撃を仕掛けろ!」
少将の指揮の声が轟く中、操縦士から声が飛ぶ。
「攻撃準備各艦整いました、射程範囲到達まで残り十三秒!」
ごくり、と口中の唾を飲み込み、少将が発射の号令をかけようとした矢先。
「……照準確認、目標より攻撃呪詛固着します!」
攻撃対象に強烈な呪詛を掛け、それによって命中精度を向上させる戦略的儀式。
その原理自体は非常に単純であったが、効果は絶大であった。
機動力に優れた機体であれば、呪詛圏外に離脱することでシステムコンピュータの攻撃補正自体を無効化することもできるが、何分図体の大きすぎる艦船ではそうもいかない。
かといって、航行機能自体に弊害をもたらさぬ、一過性の呪詛の祓に割く処理メモリを即座に解放できるわけがない。
「構わん、斉射しろッ!!」
一瞬の沈黙の後、暗黒の宇宙空間に光条が錯綜した。
まず天叢雲剱隊からの攻撃が空を裂くが、第一波の攻撃が着弾するよりも早く第一騎士団からの攻撃もまた開始されていた。
その差僅かに一秒にも満たぬ時間である。
だがそのため、攻撃の密度は減じられぬままに双方の艦隊へと光の槍が次々に突き立てられる。あちこちで爆発が生じる中、一際凄まじい光の奔流を生み出したのは第一騎士団の側であった。
乱戦となれど、やはり<吉備津彦神>の攻撃力の前には耐えられようはずもなかった。
着弾したのは、密集していた艦船凡そ四隻。しかも縦方向に貫通した槍に腹を抉られ、苦悶する龍の如くに巨躯をねじり、そして爆発した。
そして、天叢雲剱師団と第一騎士団とが戦闘を開始したまさにその頃、左舷より接近していた八尺瓊勾玉師団と第六騎士団とが接触を果たしていた。
あたかも巨鳥が両翼を広げるが如くに、二つの師団と騎士団が戦闘を繰り広げている。
双方に仲間を放ったテレンスは、相手の作戦をしっかりと読み取っていた。
何故なら、手元にある籠の中にこそ、相手が欲している青い鳥がいるのだから。
必ず、相手は二人の救出に来る。こちらから戦闘に馳せ参じ、敢えて救出困難な状況を作るという手もあったが、相手にとって混戦というものはやはり自分にとっても同義なのだ。
混乱すれば、必ず隙は出来る。
ならばしっかりと腰を落ち着け、本命の攻撃がやってくるまで待てばいい。不敵に微笑むテレンスの眼前で、最後に残った八咒鏡師団が、まるで眠れる獅子のように、むくりと躰を起こした。
ラーシェンを乗せた哨戒艇を搭載した八咒鏡師団は、非常にゆっくりとした速度で第二騎士団へと向かっていった。
事前の通信で、二人の乗せられている艦船は分かっている。殆ど戦闘能力のない、数世代前の老朽化の激しい護衛艦であった。
しかも、隊列では前衛に属する位置に配備されていた。常識では考えられぬこれらの処置も、騎士団頭領がテレンス元帥であることを考えれば頷けるというものだ。
恐らく、有事の際には戦闘に巻き込んで始末する算段であったのだろう。
否、この演習が、二人を偶然を装った事故に見せかけて消し去るという意味すら含めていたのではないかという邪推すらできうる。
テレンスは、そのようなことを平気でやってのける男だからだ。
眼前で静かに待ち構えるテレンスに、クレーメンスは徐々に距離を詰めていく。左右の彼方では無数の爆発と閃光が明滅している。その炸裂する生と死で彩られた回廊を静かに突き進んでいたクレーメンスは、突如加速をはじめた。
攻撃の指令はまだない。ぐんぐんと接近する両艦隊は、まるでチキンレースのように、お互いに進路を変更しようとはしない。
最早衝突するかと思われたその瞬間。
クレーメンスの指示が全軍に駆け巡り、先頭集団はその鼻先を下方へと向けた。
第二騎士団からの攻撃が師団の中腹に突き刺さるが、事前に攻撃を想定していた師団は艦上方にエネルギーフィールドを組成、その攻撃を見事に防禦している。
騎士団もまた、初撃が効果をもたらすとは考えていなかったのだろう。
擦れ違うように交錯する師団に、騎士団もついに行動を開始した。
抉りこむように下方から緩やかな弧を描いて再浮上する師団の最後尾に、騎士団の前衛が喰らい付いた。
まるで互いの尾を飲む秘教の蛇の如く、騎士団は本格的な攻撃を最後尾に向けて放った。
奇妙な行動を取るクレーメンスの指示に従い、最後尾の艦隊からの反撃はない。
目的は、第二騎士団の撃破ではない。
最後尾を構成していた艦隊は被弾直後に散開し、加速しながら腹に当たる部分の隊列に加わっていく。
次々に攻撃圏内から離脱する艦に、騎士団側は思うような戦果が上げられない。
その様子をブリッジで監視していたテレンスの表情から、ついに笑みが消えていた。
「……ふん」
クレーメンスの出方に対して、必要以上に神経質になりすぎていた自分に、テレンスはこめかみに血管を浮き立たせていた。
もし相手の策を止めるというのなら、艦隊が進路を下方修正する前に動かなければならなかったのだ。
今の状況からクレーメンスの策を妨害することは、可能ではあるが非常に難しいこととなっている。
こちらからの攻撃で注意を逸らすこともできず、逆に今、無防備な腹を曝け出しているのは自分たちのほうなのだ。
してやられたか。
やり場のない怒りに、テレンスは肘掛を力任せに拳で打ち据えた。




