第三十章第二節<Operation Rescue>
完璧な奇襲を成功させ、<Taureau d'or>第三騎士団を撃破した混成軍は、迅速な行動で隊列を整え終えていた。
<Taureau d'or>からは第四、第五騎士団が。
<Dragon d'argent>からは天叢雲剱師団、八咒鏡師団、八尺瓊勾玉師団が。
凄まじい量の艦船が空間にひしめき合い、また完璧な統制のもとで陣形を組む。
五つの軍隊から成る隊列は、まるで海神に挑む帝国の海軍のように、剣呑な武器を構えつつも対峙していたのだ。
現時点までで、奇襲作戦からなる第一段階までの作戦行動は、ほぼ成功していると言ってもよかった。奇襲時に何より警戒しなければならないのは、事前に発見され、また各個撃破の対象にされることであった。
もとより手駒の数が揃っていないからこその奇襲なのだ。少ない手勢で大きな成果を上げるための利点を損なわれてしまうことだけは、避けねばならない。八尺瓊勾玉師団における、正宗師団隊の抵抗という想定外の事件はあったものの、それでも何とか危機的状況だけは回避できた。
そして、彼らの目的は双方の国家機構への抵抗と離脱。
当初、想定していた目的は果たし、かつ第三騎士団を壊滅に追い込んだという付録までついている。
結果を見れば、大成功とも言えるだけの成果を残しているはずであった。
しかし。
ここに来て、大きな試練が彼らに課せられることになった。
先発隊である八咒鏡師団に第四、第五騎士団が追従する形となり、およそ総力戦を展開してもなお被害甚大と予想されるだけの戦力となった彼らは、さらに二つの師団と合流することで、実質上の戦闘行為を封印する状態に移行していた。
さすがに、少し戦術を理解している軍師であれば、この状況で攻撃を仕掛けてくることは無いだろう。このまま攻撃態勢を維持しつつ、戦場を離脱すれば、作戦は成功だ。誰もがそう思った矢先。
制止の通信が天叢雲剱師団より入る。
曰く、ニーナ・ジュエルロックの解析により、第二騎士団艦隊に拘束中の軍人二人の救出をしたい、という内容であった。
セシリア・フォレスティア中将ならびにカルヴィス・ウーゲル中将。両名共にヴェイリーズに関連する一連の行動に深く関与しており、また軍部にとって二人は邪魔な存在でしかない。
そんな立場の人間を手元に置く<Taureau d'or>軍部が、二人を生かしておくとは思えない。その可能性は、ヴェイリーズに下した判断を見れば誰の目にも明らかであった。
このままにしておけば殺される。だが、目の前に拡がる茫漠たる宇宙空間に組まれた、三騎士団による布陣を破るのは容易ではない。
相手の攻撃を封印したのと同じくらい、こちらから打って出るのは愚策といえた。
通信の内容に、居合わせた者は皆顔を見合わせた。
打開策はあるにはある。しかしそれは、今までの自分たちの作戦行動のほとんどを否定してしまう内容のものであった。
今の反体制組織には、<Taureau d'or>の残る軍力を相手に勝利を収めるだけの力はない。だからこその奇襲攻撃であったのであり、だからこその一撃離脱を旨とする作戦であったはずだ。
それなのに、再びあの戦場に舞い戻ろうというのは、如何なものか。
だが同時に、二人を無視した離脱が自分たちの矜持に反するものである、という認識もまた存在していた。第二のヴェイリーズを出さぬがための、自分たちの意志は、今この瞬間に早くも折れ砕けてしまうほどに脆弱なものであったのか。自分たちの命惜しさに、弱者に背を向けてしまうような、偽善者であったのか。
時間は刻一刻と削られていく。そしてそれだけ、眼前の布陣は厚く、突破は困難なものへと変わっていく。
誰一人、賛同者の現れぬモニターの前で、ジークルドは唇を噛み締めていた。
彼らの気持ちは痛いほどに分かっている。もし自分が一介の兵士であり、上官からこの状況で二人を騎士団より救出せよ、という命令が下ったとすれば、諾とは言えないであろう。
そうなのだ。あまりに無謀であり、かつ馬鹿げた提案なのだ。
指を握りこみ、そしていまだに逡巡する自分に嘆息をついた、そのとき。
「俺が行こう」
ジークルドの背後から、男の声がした。彼が振り向くのと、周囲にいた操縦士らもまた驚愕の視線を向けるのとは同時であった。
声の主は、ラーシェン。それらの無数の視線を静かに受け止め、ラーシェンは今一度、繰り返した。
「ジークルド、俺が行く。艇を出してくれ」
「……お前」
自分の言っていることが分かっているのか、と言いかけたジークルドは、慌てて言葉の続きを飲み込んだ。
指揮官たるもの、己すら迷っている命令を下せばどうなるか。
その一言は、脳裏を掠めることこそあれど、決して口に出してはならぬものであった。
二対の視線が交錯する。
ラーシェンの瞳からは、唯一つの感情しかなかった。否、ジークルドは唯一つしか読み取れなかった、というほうが正しいか。
それは、覚悟であった。決意でも躍動でもなく、ただ静謐たる覚悟。
それが正しいのであれば、俺が出来ることは一つだ。無言で頷いたジークルドは回線を開く。
「整備兵、哨戒艇を一つ、九十秒で準備しろ。」
「り、了解!」
引き攣った声がスピーカーから漏れてくると同時に回線を切る。そして背を向けたまま、ジークルドは小さく命じた。
「ラーシェン……頼んだ」
その一言を待っていたのか、ラーシェンは何も口にすることなく、踵を返すとブリッジを後にした。
まるで鯨の群れが、愚かな漁師に牙を剥くかのように、<Taureau d'or>艦隊はゆっくりと迎撃の準備を行っている。
逃げようと思えば充分に逃亡できるだけの時間を、自分たちは与えられているのだ。それでもなお、この戦域に留まり続けているということは、相手の行動は唯一つ。
騎士団一つを壊滅に追いやってもなお、剱を交える覚悟があるということを、相手に公言していることと同義であった。
「どうすんだよ」
「現時点で考えうる作戦は少ない」
ラーシェンが立ち去った後のブリッジでは、ジークルドはクレーメンス及びマティルデの両師団長と回線を開いていた。
画像、ならびに音声は公開してある。つまりは、天叢雲剱師団の操縦士たちもまた、その作戦の内容を耳にしていた。
「ニーナからの報告が入ったわよ」
画面の向こうで、マティルデが手元のコンピュータから情報を読み出す。
「セシリア中将、ならびにカルヴィス中将は第二騎士団陣営最前列の艦にいるわ」
「なるほど」
腕を組んだまま、ジークルドは眉間に皺を寄せたまま黙考する。
「俺とマティルデの艦隊で、奴等を左右から叩く。如何に狙いが二人だと分かっていても、本気で攻撃すれば無視はできまい」
「こっちはどうすんだよ」
不満げ、というよりもジークルドを試すような微笑を浮かべつつ、クレーメンスは画面に顔を寄せる。
「お前はラーシェンの哨戒艇の援護をしろ……目的の艦に近づけるだけの時間を稼げばいい」
哨戒艇は武器の類は一切装備されていない。また、装甲は衝撃に耐え得る中で最も軽装なものを選んで作られている。
これはつまり、機動力のみに重点を置いた設計を意味するものなのであり、哨戒という戦略目的を達成するためには武器、装甲その他の事項の全ては犠牲となってしかるべきものであったからだ。
そのため、今回の艇の任務は、本来の使用目的から大きく逸脱したものであった。どんなに熟練の操縦士であれ、この戦場で武器も持たぬ哨戒艇一つで艦に接近するなどという芸当を喜んで行う命知らずなどいない。
「簡単に言ってくれるじゃねえか」
「莫迦をするのはこっちも同じだよ」
もし相手が攻撃対象を絞り、全軍で一師団を叩きに来た場合は、今度はこちらが危うくなる。一対三の彼我戦力差を覆せるだけの発想も、切り札も、こちらにはまだない。
「これが現時点での俺の提案だ。もしこれよりもいい策があれば教えてくれ」
ややあって、二人から返答があった。
首を横に振り、また無言のままの対応は、先刻のジークルドの策を採用するという意思表示だ。
「では……貴公らの武勲を祈る」
ジークルドの言葉に敬礼で返礼し、二人の通信は切れた。