間章ⅩⅩⅨ<眠りし騎士>
はらり、と闇に紙片が散った。
はらり、はらり。
散っては揺れ、散っては凝り。それはまるで牡丹雪のように、しかし冷気を纏わぬそれは、次第に増えていく。
もしそれを掌で受ける者がいたとすれば、その者は恐怖のあまり動けなくなるに違いない。もしくは、意味を成さぬ叫びを上げながら、偽りの雪景色の中で踊り狂っていたであろうか。
雪ではないそれは、呪符であった。
一枚一枚に常人では決して読み解けぬ文字と記号を綴られたそれは、少なくともこの世界では斯様に大量には存在せぬものであるはずであった。
力のない、そして触れるほどの資格のない者が呪符に触れれば、一つ一つに封じられた悪鬼に魂を貪り食われるとさえ言われた、禍品。
降り積もる紙片の中、不意に白吹雪が動きを変えた。
渦を巻くように、風に巻かれるように。
その中央に、白い長衣に身を包んだ、矮躯の男が出現した。男はゆっくりと闇の中を歩き、機材の間を縫い、そして屹立するシリンダーに近寄る。
そこには、かつてジェルバールが兄と呼んだ少年がいた場所。今もなお、緑色の燐光に照らされながら、一糸纏わぬ少年が満たされた液体の中で眠っている。
男はそれを見上げ、唇を歪め。
「ヴォードロウ……目覚めなさい」
少年の瞼が動く。
唇の端から、気泡が立ち上る。
「目覚めなさい……今、雄牛の脇腹を龍は引き裂いた……その臓腑を食い散らし、狂ったように打ち振るわれる双角はいまだ無力……」
男は指先をシリンダーに触れさせ、見上げ。
「ヴォードロウ、稀代のChevalier……汝の力は、雄牛にも龍にも渡さぬよ……」
ぴしり、と一条の亀裂が入り。
「我が名はノルベルト・ナターニエル、その名を口にせよ、眠りし騎士……ヴォードロウ、我が名は」
「ノルベルト・ナターニエル……呪によって編まれし写本の軍勢が一人、白き衣の殺戮者……」
少年の唇が、男の言葉を復唱した瞬間。
凄まじい音を立てて、シリンダーは砕け散った。
ぐらりと傾ぐ少年は、ふらつく両足で己の躰を支え、そして瞼を開け。
髪からぽたぽたと水滴を垂らしつつ、夢から覚めた者のように、虚ろな視線を彷徨わせていた。
その日、王家の守護結界が一時的な解呪をされたことについて、感知した者はいなかった。
ニーナが離席していたことにより、王宮はL.E.G.I.O.N.の侵入をいとも容易に許してしまっていたのであった。