グルーシエド 人間と魔族が住む街
「さてーー 質問だ 人間諸君」
静まりかえる空間。聴衆。侮蔑と怨鎖の視線に晒されながら平然と男は言い放つ。
「真実を求め滅びるか、欺瞞に浸り生き長らえるか、どちらを選ぶ?」
◆
グルーシエド。
常に薄暗くじめじめとした陰気な街である。
人間と魔族が共存して暮らすーーとは言っても、魔王グランシエドが滅び三百年経った今でも未だ魔族への偏見は根強いーー数少ない街。
街の構造は表区と裏区に分かれ、それぞれ人間と魔族が綺麗に住み分かれている。
裏区で一番大きな建物、行政の中枢を担う通称『黒棺の館』には毎日長蛇の列が並ぶ。魔族への不満と怒りをぶちまける善良なる人間市民達だ。
「おい! いつになったらお前ら塵どもはこの街から消えるんだ? とっとと出てけ!」
「なぁ、また金を貸してくれよ。この間ギャンブルで負けて大損しちまったんだよ」
「隣の家の赤ん坊の夜泣きが酷くて眠れないのよね。何とかしてよ」
魔族への非難。
金の無心。
近所付き合いの苦情。
善良なる人間市民達の要請に応えるのが魔族の仕事だ。
そうして毎日黒棺の館には人間達の長蛇の列が並ぶのである。
今日も、豪奢な椅子に腰掛けた黒いスーツの男とその取り巻き達が対応に追われている。もっとも、黒いスーツの男は部下に指示を飛ばすだけで直接対応に追われているのはその取り巻き達だけなのだが。
この街の人間達は働かない。動かない。自らの頭で考えるという事をしない。
彼等は魔族側から供給された土地に住み、家で暮らし、配給された食事を取り、日々を暮らす。彼等人間が唯一自ら考え動く事があるとすればそれは魔族への嫌がらせの為だけである。
魔族達はひたすら働く。人間達を養う為に、生かす為に、或いは彼等の欲望とその自分勝手な主張の為に。
魔族は皆勤勉で働き者。厳しい戒律で縛られており、黒いスーツの男ーー第13代魔王グラン=シードを中心によくまとまっていた。
反対に人間は自堕落でいい加減で我が儘。魔族側と違って皆をまとめる中心者もおらず、犯罪に手を染める者も多かった。
黒棺の館には毎日人間達の他に訪れるモノがある。黒い棺だ。
棺の中に入っているのは魔族の死骸だ。
過酷な労働により神経と体力を磨り減らし、倒れる者。
人間達の「正義」という名の憂さ晴らしにより直接暴力を奮われ殺される者。
グルーシエドの街で出る死者は概ねこの二通りであった。
◆
ある時、街に変化が起きた。
人間達を取りまとめる中心者が現れたのだ。
中心者、といっても彼が人間達を取りまとめているというよりかは彼が人間達の御輿として担ぎ上げられた、の方が正しい表現だったのかもしれないが。
人間達は魔王の子孫であるシードが街の代表であるという事実に前々から腹を立てていた。さりとてじゃあ彼の代わりに街の代表として自ら行政を執り行おうという殊勝な心持ちを持つ者も居なかったのだ。
しかし、今は違う。
魔王を滅ぼし世界に平和をもたらした英雄ーー『勇者』の子孫が街にやってきたのだ。
そして今シードは法廷に立たされている。
聴衆、人間。
検事、人間。
裁判官、人間。
弁護士、不在。
数の暴力によって無理矢理シードを取り囲んだ人間達は法廷の場へと彼を拉致したのだ。日々人間達への過酷な奉仕、暴力に晒されその数を減らしていた魔族達には成す術がなかった。裁判は坦々と進められ予定調和に終了した。
「判決ーー有罪。第13代魔王グラン=シードは絞首刑とし、他の魔族は街から追放とする」
裁判長の無慈悲な声が法廷の場に響いた。用意のいい事にシードを吊り絞め殺す為の絞首台が予め用意されており、後は刑を執行するのみだった。
「最後に、被告人は何か言い残す事はあるかね?」
シードに集まる視線。
「さてーー 質問だ 人間諸君」
静まりかえる空間。聴衆。侮蔑と怨鎖の視線に晒されながら平然と男は言い放つ。
「真実を求め滅びるか、欺瞞に浸り生き長らえるか、どちらを選ぶ?」
シードの質問に答える者は誰も居なかった。ただ、冷たい視線が注がれるのみだった。
シードも何も言わなかった。ただ、下を向き俯くのみだった。
人間達はシードを絞首台へと移動させ、首に縄をかける。
そして、執行人がスイッチを押すと床が抜け、シードの体は勢いよく下に投げ出された。
慣性の法則に従って揺れ動いていた縄が徐々にその動きを小さくしていき、やがて静寂が訪れた。
「やったあ! シードの奴くたばりやがったぜ!!」
「ざまあみろ!!」
「これでこの街は俺達人間のもんだ!」
歓声が沸き上がった。人間達は興奮し、お祭り騒ぎだった。
これから己の身に降りかかる事態も知らずに。
「く……ククク」
誰かの笑い声が場に響き渡った。それは、我慢しきれないといった様子で思わず漏れ出たものだった。
「くくくくく、クハハハハハ……。ハアーッハッハッハッハッ!!」
「お、おい……!」
「あれを見ろ……! シードだ」
「あいつ、生きてやがるぞ!!」
ざわめきが聴衆に広がり始めるのを、シードは首に縄が食い込んだ状態でニヤニヤと見つめている。
「仮にも魔王の血を引くこの私が、絞首刑などで滅びると本気で思っていたのか?」
「………………!」
熱気と狂騒に包まれていた人間達の瞳に、少しずつ別のものが広がっていく。
それは恐怖だ。
彼等にとってシードが絞首刑で死ななかったという事実は、全くもって予想だにしないものだったのだ。たちまち恐怖は伝染していくが、パニック状態になる事はかろうじてなかった。こういう時の為に彼等人間達には切り札があったからだ。
人間達の視線が勇者に集まる。
たが、勇者は悲しそうな顔をするばかりで全く動く気配がない。
「お、おい! 何ボーっと突っ立ってやがる!」
「早く奴を何とかしろ! それがお前の役目だろうが!!」
「さっさとしろよ! この愚図が!」
焦った人間達が勇者に声を荒げるが、やはり勇者は動かない。
「残念だったな。その男は動かない。何故なら、勇者とは『正義』の味方であって、必ずしも人間の味方という訳ではないからだ」
「な、何を訳の分からねー事を……!」
シードを首にかけられた縄を引きちぎると地面に着地した。そして、実に愉快そうに種明かしを始めた。
「三百年前……初代魔王が勇者に倒された時の話だ。グランシエドは勇者に嘆願した。魔族の延命をな」
要約するとこういう事になる。
元々魔族は大人しく知性の高い生き物で人間よりも余程進んだ高次元な知的生命体だった。だが、ある日突然生まれた魔王という特異個体によって無理矢理力で従わされ人間に戦争を仕掛けたのだ。
魔王は、死に際に魔族の延命を勇者に嘆願した。魔族を戦いに向かわせたのは自分であり、彼等に罪はない。命だけは助けてやってほしいと。
心優しい勇者は、条件付きでそれを受け入れた。生き残った魔族達を一ヶ所に集め、人間と共存生活をさせる。そして、特定の時期が過ぎた後に自分の子孫を監査役として向かわせると。
魔族が人間と共存出来ず暴れまわっているようなら滅ぼす。しかし、上手く共存出来ているのなら解放すると。
そして、勇者の血を引く監査役がこの街に訪れたのだ。
長い間人間達に蔑まれ迫害されてきた魔族達の、文字通り『救世主』となって。
「「「……………………!!!」」」
誰も彼もが黙り込む他はなかった。誰もシードに声をかける事が出来なかった。何故なら今や彼の体は膨れ上がり、10メートルはあろうかという凶悪な魔族本来の姿に立ち返っていたのだから。
そして、裁判の成り行きを遠くから見守っていた他の魔族達も、また……。
そうして、狂乱の宴が開かれた。血と肉と臓物と骨と皮と、ありとあらゆる『食材』を貪る魔族達の宴が。
◆
全てが終わった後、そこに生きている人間は勇者のみとなった。
「感謝するよ勇者。止めないでいてくれて」
「止めたら君達は種の存続を捨ててでも抵抗しただろう」
「否定はしないよ。だが、さっきはああ言ったが勇者よ、人間である君が同じ人間を庇うのはごく自然な事だろう?」
「人間じゃない」
勇者はシードの言葉を即座に切って捨てた。
「ここに居たのは人間じゃない。あれは、あいつらは……人間なんかじゃない」
「勇者……」
「僕は知ってたんだ。この街の実態を。何年も前から。けれど、信じられなかった……。人間の愚かさを。信じていたかった。人間の気高さを」
「………………」
「僕がもっと早くに動いていれば……もっと早くに解放されていた筈なんだ。僕のせいで……済まない」
「この街に監査役が来るのは三百年後と定められていた。君のせいではない」
勇者は魔王に頭を下げた。そして魔王もまた、魔族を救ってくれた救世主に頭を下げた。
「これから、君達は自由だ。だけど……街の外の人間には手出ししないでくれ。そうしたら僕は君達に手を下さなくちゃならなくなる」
「分かっているよ。人間と同じ過ちを魔族に繰り返させる気はない」
「……済まない。僕はまだ、人間の可能性を捨てられない。出来れば君達の力になってあげたかったけど、それは許されない」
「充分力になって貰ったよ。ありがとう、勇者。君のように私達を思いやってくれる者がいるのなら、私達もまだ人間を見捨てないでいられる」
そう言うと、シードは魔族達を率いて街を去っていった。新天地を求めて旅立っていったのだ。
そうして、グルーシエドの街から人間という種は途絶え消えた。その後の魔族達がとうなったのかを知る者は誰もいない……。