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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

芳醇なる血の海の神殿にこそ横たわる屍者にあらねど

作者: 朝日奈徹

毎回秋葉原で開催される、出版社のホラー系イベント。

そこに集まったファンは、常連の作家たちのトークショーを楽しんでいる。

しかしその日だけは、いつもとは違った。

ぶつぶつと妖しい呪文を唱える編集者のアキコ。

秋葉原の空は一天にわかにかき曇り、ビルは激しい落雷を受けた。

そして……。

惨劇が幕を開ける。

 秋葉原のその書店は、いつも出版社系のイベントをする事で知られている。葬土社も、幾度となく、ここに作家を招き、読者のためのイベントを開いていた。

 本来学術書の出版で知られた葬土社だが、このところはホラーのサブジャンルに手をそめ、人気シリーズを作り上げていたのだ。

 この日も看板作家であるK血はじめ、数名の作家を壇上に据え、およそ六十名からなるファンを前にトークショーを繰り広げていた。

 しかし、いつもイベントの裏方として走り回っている編集のアキコが、この日ぶつぶつと妖しげな呪文めいた呟きを続けていた事に気付いた者はなかった。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえうがなぐるふたぐん。


 そもそもこの呪文が登場するホラーを扱った小説であり、イベントなのだから、たとい耳にした者がいても、誰も不思議に思わなかったのだろう。

 しかし、イベントも後半にさしかかった時、首都圏でも秋葉原の上だけに、いきなり黒雲が密集し始めた。稲光が走り、雷鳴が轟き始める。

 稲光の青い光に照らされた瞬間、バチッと厭な音が響いてあたりが停電した。

 悲鳴を上げた者もいる。

 しかし日中のこととて、いくら一天にわかにかき曇っている最中といえど、真っ暗になったわけではない。

 そのさなか、暗闇伯爵せつらが立ち上がった。

 両手をさしあげ、いつもの彼とは異なる高いトーンで、妖しげな文言を唱えだした。

「みんな、みんな、死にたくなぁる、死にたくなぁる、殺したくなぁる……」

 アキコがにんまりと笑む。

 青い稲光が再び室内を照らし出した。

 どぉんっ。

 落雷は近くか、それともこのビルそのものに落ちたのか、びりびりと窓も床も震えた。

 次の瞬間、一部の者には死にたくなる衝動が胸の奥からつきあげてきた。

 別の者は荒々しい殺意がわき上がってきた。

 そして、各々の手には、思い描いていた通りの凶器が、出現していたのだった。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえんがなぐるふふたぐん……


 星崎南斗は突如手の中に出現した日本刀をまじまじと見つめていた。鞘はない。抜き身の状態だ。その冴え冴えとした光には、どこか妖しいものが感じられる。

 これが妖刀、というものか。

 柄を握ると自分の体内に力がみなぎってくるのがわかった。

 星崎南斗はうっすらと笑みを浮かべた。

 顔の横に、非対称にしつらえられた、赤と金の髪房が揺れる。

 そうだ……私は殺し屋だ。優秀な殺し屋なのだ。そしてこのイベントに集まった人々を殺すのが使命だ!

 星崎南斗は立ち上がると、手にした日本刀で右隣の客にためらいなく切りつけた。

 壇上ではK血が仁王立ちとなり、哄笑していた。

 早撃ちの実演のため、持って来ていたモデルガンを目にも留まらぬ早業で引き抜くと、扇射ちに連射した。

 弾など出ないはずのモデルガンから射出された実弾が、最前列にいた数人のファンと、壇上の他の作家につきささる。

 あっと叫ぶ暇もなく、射たれた者が倒れ伏す。

 壇上では最後に射たれたもう一人の作家、K破螺が、傷口を押さえながら視線を宙に彷徨わせた。

「……なぜ実弾が発射されたのか。初歩的なことだよ。K血先生は、当然、実弾射撃を行った事があるからだ……ごふっ」

 血の塊を吐き出すと、K破螺はあえなく床に倒れた。

 後ろの方の席では、憂火が手にした注射器で、斬り殺されたばかりの屍体から血を抜いている。

「ふふふ……新鮮なうちに抜かなくちゃ……血を抜かなくちゃ……血を……」

 折りたたみ椅子に座ったまま斬り殺されている屍体に、順番にかがみ込んでいった憂火の注射器が、次の屍体に突き刺さる。

 いや、それは屍体ではなかった。

 鋭い悲鳴が上がった。

「助けてくれぇー!」

 glassphantasmは生きながら血を抜かれる恐怖に絶叫した。腕ほどの太さのある注射筒に、みるみるうちに赤黒い血が吸い上げられていく。

「やめてくれえー!」

 憂火がにんまりと笑い。再び注射針をglassphantasmに突き刺した。

 必死にスマホを耳にあてがっている者が何人もいた。

 百十番にかけているのだ。

 しかし、そのさなかにも、一人、また一人と、凶弾に、あるいは凶刃に、はたまた絞殺紐に命を絶たれていく。

 あたりには濃い血臭が立ちこめ始めていた。

 それは。仁木靖が強力な二つの武器を手に、猛威を揮っていたせいもある。高圧洗浄機の水流は刃と化して、あたりの者を滅多切りにしていた。

 これも強力な真空掃除機の筒先を、倒れた屍にめり込ませると、一気に内臓を吸い込んでいる。

「はははははははは!」

 仁木靖の哄笑が、K血の哄笑と重なり合い、室内に谺していた。

「まだだっ、まだまだあっ」

 仁木靖の足下には、次第に血だまりができ、広がりつつあった。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえんがあ……


 アキコの詠唱はほんの僅かに、前よりも高く響き初めていた。その眸は、白目がわからないくらいに黒くふくれあがり、ぎらぎらと光っている。

 最前列の端にいたとらは、ウェストバッグの影から、やおらサバイバルナイフを抜き放った。

「あるまさん、ごめんね……一緒に死んで」

 傍らに座っていたあるまの体に、そのナイフが突き立てられた。

 あるまがはっと目を見開く。

「とらさん……はい。ご一緒に死にましょう」

 どすっと重い音をたてて、再びナイフがあるまの体に突き刺さった。

 とらの手がナイフを振るう。

 あるまの胸も腹も、噴き出た血で赤く染まっていた。

 最後に、とらは自分の鳩尾にナイフを突き立て、ぐりぐりと肋の奥へ押し上げた。切っ先が心臓に届くまで、およそ八秒。

 とらの体はナイフを突き立てたまま、あるまと折り重なって倒れた。

 その後の空間を、仁木靖のはなつ水流が、ざっと横薙ぎしていく。


 ビルの下には通報を受けた警察車両が何台も、回転灯を光らせながら横付けになり、警官の小集団を吐き出した。

 警官は階段を、あるいは狭いエスカレーターを駆け上る。

「最上階は立ち入り禁止だ!」

「通して下さい、警察です」

 最上階のイベントスペースで何があったかを知らない客や店員たちが、ざわざわと警官たちを見送る。

 彼岸明警部補は、一歩イベントスペースに足を踏み入れた途端、蒼白になった。

 凄惨な事故現場や殺人現場になれた警官たちであっても、色を失い、嘔吐を催している者もいる。

 だが、彼岸明は違った。

 その耳には、アキコの呪文が届いていたのだ。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえんがあんが……


 彼岸明の唇がV字に釣り上がった。

 鋭い射撃音が幾つか響いた。

 警官たちが、凶刃を、あるいは常軌を逸した武器をふるう者たちに発砲しているのだ。

 だが、彼岸明は拳銃を抜いたりはしなかった。

 その手にはいつのまにか、皮剥ぎ用の鋭いナイフが握られている。

「我が秘密の教義に従い、屍体の皮を剥いで主に捧げなくてはならぬ……」

 彼岸明は妖しい呪文のもとで、突然、自分がとある秘儀を行う一団に属している事を思い出したのだ。

 ぷつっと皮剥ぎ用ナイフが、手近な屍体に突き刺さった。

 彼岸明の手つきは確かだった。

 面白いように、屍体の皮が剥がれていく。

 一体の処理をするのに二十分もかからなかった。

 なかには、まだ息のある者もあったが、皮を剥がれる者の悲鳴は、あたりに充ちている呻吟にまぎれ、区別もつかない。


 すぐ下の階で、台に積まれたベストセラーに手をのばしかけた客が悲鳴をあげた。

 手の甲に滴った生暖かい雫、それは妙に粘りけがあり、赤黒く……。

「血……血だあっ」

 あたりからも悲鳴が上がった。

 天井からぽたり、ぽたりと血の雫が落ち始めていたからだ。


 メイカはぐったりと折りたたみ椅子に身を預けていた。

 絞殺され、鬱血した頬に、ボブカットに揃えられた髪がはらりと乱れかかっている。

 誰とも知れぬ者の手が、椅子ごとメイカの体を運んでいた。

 めためた、ぐちゃぐちゃに切り刻まれた、みその体を跨ぎ越え、メイカは椅子事壇上に置かれた。

 その隣にはあるまが。そしてとらが。glassphantasmとみその屍も何者かに引きずられ、壇上の椅子に飾り付けられた。

 壇の中央には、ゲストの作家の一人、黒史郎が仰向けに倒れている。

 その体は中央から肉や骨が八方に開かれて、内臓が剥き出しになり、あたかも密林に咲くという黒蓮かラフレシアの花のように赤黒く、悪臭を放っていた。

 他にもこのイベントの常連が、次々に、壇上の椅子に並べられている。まるで記念写真を撮ろうとするかのように。

 何人もの殺人者や屍体損壊者が蠢くなか、真ん中にはアキコが佇立していた。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえ……


 不気味な笑いとともに両手をさしあげているアキコは、邪神の巫女。

 アキコの眸が天井を突き通して、秋葉原の空を覆う黒雲に向けられている。

「愚かな……人類とはなんと愚かな」

 人は、誰しも、ルルイエが深い海の底にあると信じていた。

 だが、ルルイエを孕む海とは、地表を覆う海ではなかった。

 地球を覆う大気の海。それこそが、ルルイエの正体だったのだ。

 雲、それこそが邪神。

 今や黒い雲からは多数の触手がビルに巻き付いている。

 イベントスペースの大きな硝子窓が、耳障りな音とともに砕かれた。

 触手が、殺人者の一人を絡め取る。

 新たな悲鳴が響き渡った。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふるるいえ……るるいえ!


 アキコの表情は晴れ晴れとしていた。

 学術書の出版社にはそぐわぬ、ホラーのシリーズを出していたのは他でもない。この日を迎えるためだ。

 ホラーに共鳴しやすい人々を集め、彼らを全員生贄とすることで、邪神を招き降ろすこと。

 それこそがアキコの究極の目的だったのだ。


 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるふ……


 今日この日から、地球をくとぅるふが支配する時代が始まったのだ。


以下の方々は、本作執筆にあたり、快く登場に応募して下さいました。

心より感謝を捧げます。


黒史郎

仁木靖

暗闇伯爵せつら

あるま

星崎南斗

みそ

glassphantasm

憂火(仮名)

彼岸明

メイカ

邪神の巫女、創土社編集

(敬称略)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何気ないイベントの風景が、呪文を契機に崩壊していく様がとっても良かったです。クトゥルフ神話の恐ろしさや凄みが綺麗に表現されていて、もう人の手ではどうにも出来ない状態となり人智を超えた邪神が…
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