タイムカプセル±16
欠伸を噛み殺しながら蒸し暑い夏の夜をたらたらと歩く。
じっとりと汗がシャツを肌に貼りつけて酷く不快だ。最近は運動もしていないからか疲れやすい。
冷たいプリンが食べたい。ひんやり蕩けるプリンを喉に流し込みたい。
家に戻ろうかと少しだけ思ったが、家にもプリンは無かったはずだ。
自分で買うにも財布を持ってきていないので、そのへんで入手することも出来ない。
溜め息をついて足取りも重く昔通っていた小学校を目指す。
こんな時間に衝動的に家を飛び出してしまった。
行く宛ても無かったのだが、思い出したのは小学校の同窓会だった。
久しぶりに集まって夜から飲み会があると呼ばれていたのを、金が無いから断ったのだ。
時間はもうすぐ22時、飲み会の終わった後で16年前に埋めたタイムカプセルを掘りだすと言うのを思い出した。
今から行けば丁度、掘りだすところに合流できるだろう。
16年も前に埋めたものなんて覚えていないが、時間つぶしにはなりそうだ。
開いている校門を通って照明に照らされた校庭へと出て行くと、隅の方に十数人の大人たちが集まっているのが見えた。
何人かは見覚えのある顔もある。
歩くペースを速めるわけでもなく近づいて行くと、向こうも気付いたようで「早く来いよー」と声をかけてきた。
その呼び方が小学校に戻ったようで少しくすぐったい。
人によっては小学校を卒業以来、一回も合っていない奴、今も頻繁に会っている奴もいるが懐かしい顔が揃っていた。大人の顔になっているが、面影は変わらない。
タイムカプセルはもう掘りだしてあるようで、金属製の球が校庭の土の上に出されていた。
すっかりチャラくなったお調子者のクラスメイトが蓋を開けると、中には手紙が沢山入っていた。
「何だこれ」
「お前、覚えて無いのか。手紙書かされただろ。大人になった自分へって」
そう言われると道徳か何かの授業でそんなことをやったような気がする。
しかし大人の自分にあてる手紙になんて何を書いたのだろうか。思い入れが全くなかったのか本当に思い出せない。
「お、俺の手紙だ。えーサッカー選手になってますか、だってよ。なってねー! ごめんな!」
「アイドルになれましたかだって! 鏡を見てから手紙を書いてね!」
教師から指定があったのか、未来の職業を想定して書いてあるのが多いらしい。
酒が入っているからか、皆テンション高く自分の手紙を開封している。
次々と取り出される手紙から、最後の一枚が俺に向けられた。
「ほら、お前のだろ」
手渡された封筒には汚い字で俺の名前が書いてある。まるで覚えていないが、きっと俺が書いたのだろう。
のりづけされた封筒を破り、無造作にそれを取り出した。
黄ばんだ紙を広げてみると、そこに違和感を覚える。
子供の字にしては整っている。汚い字には違いないのだが、大人びた字の書き方だ。
それでいて、どこか見覚えのあるような字の書き方なのは。
「これ、俺の字か?」
昔の担任が埋めたのを間違えて受け取ってしまったのかと封筒をもう一度見てみたが、そこには俺の名前が書いてある。
手紙へ目を戻して内容を読んでみると、鼻で笑うような冗談が書かれていた。
『16年前の俺へ』
子供の頃の俺が書き間違えたのかと思ったが、文字が子供らしくも無いことを考えるとイタズラかもしれない。
何かの冗談かと思い周囲のクラスメイト達を見てみたが、皆自分の手紙を読んで苦笑いしたり涙を流したりして忙しそうだ。
俺の様子を見てほくそ笑んでいる仕掛け人が居るようには見えない。
手紙に視線を落として文字を追う。
『きっと信じられないとは思うが、22歳の俺から見て16年後から手紙を書いている。今の俺は38歳だ。
この手紙は同窓会のタイムカプセルから出てきたものを読んでいると思う。
クラスメイトだった藤岡は漫画家になっていて、吉野は結婚して子供がいたはずだ』
見渡すと吉野はすぐに見つかった。赤ん坊を連れてきてクラスメイト達と話し込んでいる。
どこから持ってきたのか頼まれて色紙にサインを掻いている藤岡はガリガリに痩せて不健康そうだ。
慌てて手紙に戻る。
『次に書いてあることをよく読んでほしい。とても大事なことだ。
今すぐに、走って実家の近所にあるコンビニに走れ』
その続きを読むと、手紙を握りつぶしてポケットに突っ込んだ。
「悪い、急用が出来たから帰る!」
「え、おい。お前ニートだろ、用事なんか」
「あるんだよ!」
校門から抜け出て赤信号を無視して走り続ける。30秒もしないうちに息が上がってきた。
それでも足だけは止めずに動かし続ける。
大通りに差し掛かったところで赤信号に引っかかった。車が多くて突っ切ることはできそうにない。
立ち止まる時間も惜しく、ポケットに入れた手紙を取り出してもう一度読み返した。
『23時17分、セブンマート鳥岡町店にナイフを持った強盗が現れる。
たまたまそこに居合わせた主婦が刺され、病院に運ばれるが死亡を確認。
被害者は、母さんだ』
読み間違いではない。
しっかりと、母さんが殺されると書いてある。
『働きもしないでゴロゴロしていると、母さんと喧嘩して家を飛び出しただろう。
金も無く、行く場所も無くて同窓会に顔を出したんだろう。
俺のことだ。そんなことは誰よりも知っている。急いでくれ、頼む』
信号が青になった。ひきつりそうな太ももを上げて全力で駆け抜ける。
息が上がる、呼吸がつらい、空気が肺に刺さる。背中の汗が気持ち悪い。
さっきの手紙の続きを思い出す。
『俺が同窓会でクラスメイトと遊んでいる間に、母さんはコンビニに買い物に行ったんだ。
別にどうしても必要なものがあったわけじゃない。行く必要なんかなかった。
俺が家を衝動的に飛びだしたりしなければ、こんなことにならなかった』
運動不足が祟ったのか、足の勢いが止まった。
もう歩く程度にしか進むことが出来ない。情けない、全身が辛い。
携帯電話を取り出して時間を見ると、23時11分。
あと6分でコンビニに強盗がやってくるらしい。
「お、何してんの? もうタイムカプセルおわっちゃった?」
ブルブルと震える足で惨めったらしく歩いている横に、自転車が止まる音がした。
声をかけてきたのは近所に住んでいる友人だ。小学校も一緒で、家が近いから今でも遊ぶことがある。
「じ、自転車貸してくれ!」
「え、お、おう。トイレか? 急げよ」
有無を言わさずに自転車を奪い取って一目散にこぎ出す。
さっきまで止まりそうだった足が油を差されたゼンマイのように良く回る。
このままならギリギリ間に合うはずだ。
『母さんは、コンビニでプリンを買っていた。俺が帰ってきたら食べると思って。
刺されて殺されたのは俺のせいだ。俺が働いていれば母さんは刺されなかった。死ななかった。
頼む。母さんを助けてくれ、俺だけなんだ、16年前のこの日をどうにかしたくて研究者になった。
16年前に手紙を来る方法を実現する為に沢山勉強した。頼む頼む。
母さんを助けたい、もっと親孝行したい、出来るのは俺だけなんだ。
16年前の夢をかなえてくれ』
コンビニが見えた。
暗闇に浮かぶ店内の明かりの中に家を飛び出した時のままの服装のままの母さんが見える。
そして、その横にはフルフェイスのヘルメットを被った悪漢がナイフを手に。
「ふざけんじゃねぇええええええ!」
ガゴシャン、と自動ドアに自転車ごとぶつかった。
強化ガラスは自転車でぶつかったくらいでは壊れずに、俺を勢いそのままにはね返してグイーンと開く。
呆気にとられたレジにいる店員、母さんがこちらを見ている。フルフェイスのヘルメットで見えないが強盗もこちらを見ている。
間に合った。
「うぉおおおおおおお!!!」
自転車を掴み、高く振り上げて強盗に叩きつけた。
母さんは床に這いつくばって逃げ出している。自転車で犯人を抑えつけていると、店員が一緒になって抑えてくれた。
「もうすぐ警察きますから! 助かりました! ありがとうございます!」
気が高ぶっているか、叫ぶような声で感謝された。
やがてサイレンと共にパトカーがやってきて無事に犯人は逮捕された。
「無事でよかったけど、だいぶ無茶しますね」
若い警察官に笑いながら言われると、今になって涙が出来た。
恐怖が遅れてきたのか筋肉痛なのか、足がガクガクと震えている。
ブルブルと震える手を握りしめる。手の甲で涙を拭って、いつの間にか手に握っている物に気付いた。
ポケットに入れていたタイムカプセルの手紙だ。いつの間にか握りしめていたらしい。
それを広げてもう一度読む。そこに書いてあったのは、さっきまで俺が見ていた大人の字じゃない。
ぐちゃぐちゃに汚い子供の字に入れ換わっている。
握り締めてしまったから、汚い文字が更に酷い有様になってしまいる。とても読めたものではないが、昔俺が書いた字なのは間違いない。
だから読めなくても問題は無い。思い出した。確かに書いた。
ぎゅっと、16年前に描いた未来の職業を握りしめている。
涙は相変わらず止まらない、それでも口元は歪めて不格好な笑顔を作って呟いた。
「なれたよ、ヒーロー」