【十話◑◐姉と妹】
影祈は夢を見ていた。自分でも分かる永久の夢。影祈はそこで、もう一人の自分に出会った。
「こんにちわ」
そう言う声は影祈の声にそっくりだった。影祈が声の方を向けば、自分によく似た人を見つけた。でも、どこか違う。どちらかといえば大人しい印象を受けやすい影祈とは違って、強気な印象を受ける顔立ちだ。しかも体格が影祈よりも大人っぽく、服装が籐矢が着ていたものによく似ていた。
「……お姉さん?」
「そうだよ」
彼女はくるりと影祈の後ろに回って、背中越しに抱きしめた。夢の中だからか、彼女は浮いていて重いとは感じなかった。
「あたし、陽望。あたしの名前ってあんまり可愛くないから、陽[よう]って読んでくれると嬉しいな」
耳元で囁かれる声はとても優しげなものだった。
陽望。この神殿の女神の名前であり、本来の淋家の一の姫の名前。しかし、彼女はある理由で淋家にいられなかった。
「父さんから聞いてると思うけど、あたし、輝人の血が濃いからそっちの世界で過ごしにくいのよねー。だから、影ちゃんとは今まで一緒に過ごせなかったの。ごめんね。……まあ、それが今回の原因なんだけどさ。影ちゃん、幽君の暴走は止められた? 念の為に、籐矢君をそっちに向かわせたんだけど……」
影祈は少し驚いた。籐矢が言っていた人物はやはり陽望だったのだ。
影祈は首を振った。
それだけで、陽望は幽の暴走が止められていないことが分かった。陽望は大袈裟に溜め息をつく。
「もう。あたしなんかを好きになっても仕方ないのにね」
「そんなこと無いです。陽姉様はとても魅力的な女性だわ」
姉様、という言葉に少し戸惑いながら口を開いた。すると、陽望は口を尖らせた。何が不満なのだろう?
「姉様、姉様……。うーん、言われなれてないから、なんかくすぐったいわ」
唸っている陽望に、影祈は邪魔だろうかと思いながらも聞きたいことがあったので、思い切って聞いてみた。
「ねえ、陽姉様はどうして幽様と知り合ったの?」
影祈がちょっと首を上に上げて、陽望の顔を見ながら言えば、あまりの可愛さに陽望は上機嫌で話してくれた。
「幽君はね、昔、影ちゃんの世界から迷子になって籐矢君とかあたしとかの世界に来ちゃったの。その時、幽君を助けて世話をしたのがあたし。それから懐かれちゃって、エスカレートして、恋心まで発展しちゃったみたい。でも闇人の幽君はあたし達の世界じゃ住みにくいから、元の世界に送り返したのよ」
「えすかれーと?」
「ひどくなるって意味。たぶん」
ころころと一通り笑ってから、陽望は真顔になった。
「そもそもさ、お兄ちゃんがちゃんとしてれば良かったのよ。そうすれば、影ちゃんが幽君の事で悩む羽目にならなかったのに。なのに、弱腰になってこっちの世界に来て馴染むとか……。男のくせに聞いて呆れる上に、世界の常識としてありえないわ」
影祈は陽望の言葉に、え? となる。今、陽望は何と言った? 兄様が何だって?
「陽姉様、今、何て……?」
「ん? お兄ちゃんは男のくせに弱腰ねって」
「その前その前」
「お兄ちゃんがこっちの世界に来てって言ったけど?」
───そうだったんだ。
影祈はもう一度その言葉を聞いて安堵した。
───兄様、陽姉様と一緒にいるんだ。
それを理解した瞬間、涙が溢れた。自分の今までの苦労は一体なんだったんだろう。
「え、ちょっと、影ちゃん……? もしかしてお兄ちゃん、何も言わずにそっちの世界からこっちに来たの?」
こくり、と影祈が頷くと陽望は呆れ果てた。弱気な兄だが、こんなに可愛い妹を心配させるなんて絶対に許さない、後でシバくと心に固く誓う。
二人は暫くその格好でぼーっと、空間を見つめる。
「綺麗だね」
「……うん」
星雲のような紫色のもやもやが向こうの方で見えれば、きらきらと宝石のような輝きがこちらで瞬く。暗黒の空間には、光源となる物があちこちにあって華やかだった。
「ここは夢なの。夢の世界は色んなものと繋がりやすいのよ。お兄ちゃんに頼んでね、夢の中で影ちゃんに会えるようにして貰ったんだ。“交わりの神殿”があまりにも騒々しかったから」 神殿が騒々しい。あまり言わない言い方だ。それを指摘すれば、陽望は再びころころと笑った。
「比喩よ、比喩。気配がね、幽君のものが凄く強く感じてさ。影ちゃんの気配もお兄ちゃんが察知したし。二人して心配になってね」
そうなんだ、と影祈が言うと陽望は頬をすり寄せてきた。
「もう、影ちゃんったら可愛いん……」
そこで陽望がはっとしたように前方を見つめる。
「影ちゃん、そっちって今、何時?」
唐突に問われて一瞬、戸惑ったが、ちゃんと酉の刻を過ぎた頃だと答えた。
「……寝るのには、早い時間よね。故意に眠らされたんでしょ?」
影祈は一瞬考えて、眠る前の自分の行動を思い出す。
幽を追いかけ、追いついて。召喚獣術を使おうとして、幽の術に嵌まった。一度、術にあらがったが、三重に術をかけられた。籐矢がかなり激昂していたのが思い出される。
影祈はそこまで思い出すと、幽に眠らされたことを陽望に話した。陽望は難しい顔になると、影祈を自分の背に隠すような体勢になる。その動作に影祈が戸惑うと、陽望は簡潔に話してくれた。
「影ちゃんを封じ込めようとしてる術が編まれてるみたい。あたしが囮になるから影ちゃんは行きなさい」
「だめ! 陽姉様!」
「駄目じゃありません。妹は大人しくお姉ちゃんに護られなさいよ」
影祈は陽望の袖を引きながら、顔をくしゃりとさせる。
───嫌だ、せっかく会えたのに。
阿月に姉の存在を聞かされたのは昨日のこと。でも、兄が不在で寂しかった影祈の心は、家族だからか、この短い出会いでも温められていたのだ。
影祈がだだをこねるように泣き始めると、陽望の見つめる先から、うねうねとうねりながら赫色の紐状の光が幾本もこちらへ接近してきた。
「影ちゃん、大丈夫よ。泣かないの。年下の従姉妹がいるのでしょ? 影ちゃんは末っ子でも、従姉妹がいるならお姉ちゃんじゃない。しっかりしないと、ね?」
言いながら術の位置を確認する。
───まずいわ。術がもうそこまで来てる。あたしが囮になれば、お兄ちゃんが異変に気付くから問題無しとして……。影ちゃんが捕まれば、あっちの世界で術を解ける人はいない。せめて、幽君以上に術に長けている人が一人くらいいればよかったんだけど。
影祈をきちんと諭したかったが、それは叶わないようだ。影祈をとん、と突き放す。
「姉様!」
陽望は自分から術に触れた。そしてほっとする。
「良かった、貴女に会えて」
赫色の紐は陽望に絡みつくと、誘うように彼女を引いた。首に、腕に、腰に、足に。しゅるしゅるとゆらゆらと絡みつく。
術に引っ張られてどんどん影祈から引き剥がされていく。もう一度、影祈の顔を見ようと顔を上げたとき、再びはっとした。
───別の術!?
影祈の後ろに碧い光がゆらゆらと近づいていた。こちらは紐状ではなく、布のような形状をしている。
「影ちゃん、後ろっ……!」
陽望は幽の準備の良さ、否、思慮深さに舌を巻く。きっとこの術は囮を兼ねていて、あっちこそが本物の封印の術なのだろう。形状的に封印にはうってつけだ。影祈の精神を隠してしまえば、封印と同じ意味を持つ。そして、陽望に巻き付いている術は。
「あたしを影祈の精神の代わりとして据え置くつもりね……!」
───幽君、貴方はそこまでして私に会いたいの?
影祈がもう一つの術に気づいて逃げ出す。それで正解。だが追いつかれる。ああ、捕まる。
「影ちゃん!!」
影祈は陽望へ手を伸ばしたが、虚しく宙を掻いただけだった。陽望は赫色の紐に繋がれていて身動きがとれない。下手に動くと余計に絡みつく。
布状の光は影祈を包み込み、なめらかな球体を形作った。
陽望「あら、ランキングなんて楽しそうじゃない! 皆、やっていてね~! ふふ、あたしへのファンレターが楽しみだわ! ん、何よ作者。あたしにファンレターが来るはずがないって? ……失礼ね!」




