第1話プチリメイク うつりしは誰?
昔から、大人たちが説教をする時に毎回のように持ち出しては語る、そのおとぎ話に惹かれていた。
事あるごとに母にその話をせがんでみては、母は珍しく少し怯えたようにいい話ではないからと断ってしまう。
しかし今思えば、そこまで特異性のある話でも無かった。神隠しが地域でアレンジされたような、そんな話だ。忽然と人が消えてしまう。
そう思っていたのだけれど、別にその地に伝わる七不思議と言う訳でも無いらしく、他県から来た転校生がその話を知っていた時はそれは驚いたものだ。
誰も詳細を知らないその話は辿ってみれども友人や母、そのまた母とやはり誰しもが又聞きで、意味も由来も知ることは無く、謎に包まれたままだった。もしかしたら誰かが面白がって作った話で、意味すらも無いのかもしれない。
実際最近は人が消える事件が少なくなかったし、結局最後は噂に尾ひれが付いて広まった話だとその話は終わるのだ。
それから私が調べ出したのは、純粋にその話に興味を持っていたからじゃない。
きっと、どこかその「誰も詳細を知らない話」の謎を解き明かし、ヒーローになりたいというチンケな願望があったのだと、今の私は思うのだ。
別にゲームの中の勇者のように表立って称えられる訳でも、褒美が貰える訳でも無い。ほんの少しだけ注目を浴びて、凄いと思われたいのだ。最後に魔王を倒してハッピーエンド、誰もが一度は考えそうな事。
今ではそんな小さな願望も、叶いそうにないけれど。
全ては自分で引き起こした事象だ。……いや、全部とは言い切れないかもしれない。
でも、大体はそうだとも言えてしまうのも事実。これもまた、何かの因果かもしれない。
そう思えてしまうのだから、適応力と言うものは末恐ろしい。
少し前の私だったら、どう思うだろう? なんて、意味の無い想像をして全く見当が付かない事に思い当たって、笑いがこみ上げてくる。今の自分はやはり、昔とは別人なのだと今更に実感するのだ。
今までの推測から仮説を立てた。周りまわって結局辿り着いたのは、至極単純な答え。
間違えていればいいと思いつつ、これしか無いと、これであって欲しいと願ってもしまう。
そんな矛盾した思いを抱えて、まるで今の自分の心象を表すかのような不自然に染まった空を見上げた。
世界の終わりも近い。
*
「おーい! 楓っ!」
「っく」
挨拶がてらに人の背をバシッと思い切り叩いて来た友人は、存外に力が強い。会った度に注意をしているのだけども、やめてはくれないのだろうか。
言葉では伝えなくとも意思表示として睨み付けてやると、彼女はからからと未だ痛む背を擦りながら笑い飛ばした。そんな快活な彼女に呆れて溜め息が漏れそうになる。
「ははっ、ごめんって。それより待った?」
「……いや? 色々巡ってたし、暇はしてなかったけど」
そうやって手元を見せると、今更私が手に持っていた携帯に気が付いたのか、肩口から覗き込んでは興味深そうに液晶に表示されている画面を見つめる。
しかし、内容に特別興味がある訳でも無い彼女は、ひょいと一度離れて机越しに向き合った。
「何々、また探してるの? 飽きないね~。で、どうどう? 何か見つかった?」
「進展があれば真っ先に話のタネにしてるよ」
「それもそうかぁ」
ぐん、と勝手に借りた椅子で伸びをしている友人は、大口妃和の名に恥じない程の大口を開けて欠伸をした。見ていたらつられて欠伸が出そうだったが、素直にしてしまえばコイツの事だ、盛大にからかわれそうなので必死に噛み殺す。
「終わったんでしょ? なら長居も無用だし、そろそろ帰ろう」
何となくあれから開かれたままだったサイトを閉じて画面を落とすと、黒い画面にぼんやりと自分の顔が映り込む。黒髪黒目、平々凡々。じっと見つめている用もないので、携帯をしまおうかと考えて、やめた。
「オッケー! あ、でもその前にちょっといい?」
頷いた妃和も、ちらりと横に視線を移して鈍い動作で立ち上がる。流石に幼馴染、考える事は同じか。私も続いて、重いブレザーの掛かった椅子をガタと音を出して立つ。
しまいかけた携帯をもう一度握り直して窓の外を見る。いつもは大きい窓ガラスに映り込む自分を恨めしく思っていたのだが、今日はそんな些細なことには目が行かない。
「凄い……」
隣から溜息のように零れ落ちた言葉に、横を見るとぽかんと口を開けた間抜け面の妃和が空に見とれていた。かく言う私もさっきまでは同じような間抜け面を晒していたのだろうけど。
燃えるような赤と、夜へ向かう青の間が紫に染まり、雲が煙のように影を作る。
「確かに凄い夕焼けだ」
教室からの眺めも悪くないし、帰る前に写真を撮りたくなるのは自然な事かもしれない。生憎他のクラスメイトは教室内に居なかったので、皆がどうしていたのかは分からないが、私たちがそうだったので、多分そうなのだろうと、強引に考える。
窓を開けて撮りたい所だが、鍵もかかっていて立てつけも悪い窓を開ける気にはならなかったので、窓ガラス越しに携帯のカメラを向けた。
「こういう空を見るとさー、『世界の終わりだ……』って絶望したくなるんだよね」
「気持ちは分からなくはないけどさ」
もしも世界の終わりが来るとしたら、こんな空なのだろう。
そう思わせる何かが、この夕焼けにはあった。
普段ならば燃えるような夕日を見てもそんな気分にはならないが、今日は二人しかいない教室というシチュエーションという事もあってか、何だかセンチメンタルな気分になってしまっているのだろうと勝手に結論付けた。
初期設定のままのシャッター音が鳴る。二、三枚撮って満足し、出来を確かめようと画面をスクロール
させる。隣では珍しく凝っているらしく、シャッター音が中々鳴り止まない。凝り性の妃和らしいっちゃらしいか。
顔を画面に戻して、写真をスクロールさせる指がふと止まる。
「……? 何、これ」
幽霊でも見つけるように、その写真を目を凝らして見てみると、より一層の違和感が浮き彫りになる。
確かめるように写真をスライドさせてみるが、異常が起こっているのはその一枚だけだった。
反射しているというよりも、鏡のようにくっきりと窓ガラスに映る私。存在感がありすぎて、見つめていると自撮りでもしたかのような錯覚に陥りそうだ。まだはっきり写っているだけなら首を傾げながらも「変な写真」と消しただろう。お祓いには行ったかもしれない。
だけど写真の中の私はどうして、笑っているのだろうか。
あの時空を見上げて無意識に顔が緩んでいたのだとしても、腑に落ちないがそうだったのだと納得は行く。しかしこの写真は、今の私を嘲笑うかのように真っ直ぐこちらを向いて微笑んでいる。それだけは、あり得ない。
「いいの撮れたぁ?」
「…………」
ようやく撮り終わったらしい妃和の声にどう反応していいのか迷って、しばらくの沈黙の後に何とか「まぁまぁ」と付け加えた。
妃和は私の遅い対応にちらりとこちらを見たが、撮りまくった写真の整理で忙しいのかすぐに自分の手元の画面に目を戻す。
こちらとしてもあまり見られたくはないので、放っておいてくれると助かる。
会話をして、時間を置いたら消えないかなと淡い期待を抱いて自分も画面を見たが、やはり変わらない笑顔と目が合った。
何の変哲も無い窓、の筈だ。幽霊の噂も聞いたことが無い。
ほぼ無意識的に携帯を握りしめ、窓に恐る恐る近づき冷えたガラスに触れる。
外は更に紫色が濃くなって、日が完全に沈んでしまったのが分かる。反射する自分もいつも通りで、何の手がかりもないままに少し温くなったガラスから手を離した。
踵を返して、さて帰ろうかと声かけしようとした時、腕がぐいと誰かに強く取られた。その拍子に携帯がカシャンと音を立てて床に転がる。
「……っ、は」
ぐんと思い切り後ろに引っ張られ、掴まれた腕はブラウス越しでも分かるほどに冷え切っている。
訳も分からず必死に踏ん張る中、首だけ振り向いた先。窓ガラスには、その剛腕で私を捕らえてにっこりと禍々しい笑みを浮かべる『私』が居た。
「ちょっ、か、楓!」
少し遅れて事態を把握したのか、妃和が慌てた声を出す。その足が痙攣したように震えている。私だって怖い。
「ひ、より……!」
助けてくれと腕を伸ばそうとしても、ぎりぎりと痛いほどに掴まれた腕は動いてくれない。それどころか徐々に引っ張られていく。痣になったら恨んでやる。
盗み見た窓であったそこは、今や水のようにぐねぐねとうねり私を歓迎するかのように引きずり込む。
ああ、ダメだ、ダメだ。飲み込まれる。
徐々に頭が真っ白になっていく。いつの間にか腕は私の体に巻き付いて、抱き着くように密着している。ラストスパートだというのか、急に腕の力が強くなり体が後ろへ引っ張られる。解放された腕を伸ばしても、もう届きそうにない。
必死に友が名前を呼ぶ声が遠くで聞こえる。彼女は無事なのか。
まるで海の底に沈むように意識が、体が重い。完全に飲み込まれたのだと気が付く前に、私の意識は途切れた。
*
頭が痛い。
割れるようだ、とか言うよりも、ぎりぎりと締め付けられる感じがとても不快で、思わず米神に手を当てる。
目を開けたと思ったのに、真っ暗なままな視界を眺めて、痛みのせいでぼんやりとした頭が動き出す。
「……さっき、の」
嘘じゃない? そもそもここは一体。何が。
『普通』ではあり得ない出来事のオンパレードに処理が追いつかない。ああ、混乱している。
そもそも夢? しかし頭痛がそれを否が応でも否定させてくる。現実なのは分かったからやめてほしい。
天井も壁も分からない真っ暗な所に居る自分は一体何なのだろう。まさかあれで死んだという事もあるまい。死因が窓ガラスに飲み込まれるなんて、死んでも死にきれない。
……引きずり込んだアレは何だったんだろう。ドッペルゲンガーの一種か何かだとしたら、今頃私に成り代わっているのかもしれない。
だとしたら一生このまま? それは勘弁願いたい。まだやり残したこともある。
「…………」
案外こんな奇怪な出来事が起こっても、冷静でいられるんだ。いや、むしろ楽観的なのか。
窮地に陥ると人の本性が出るとは言うけれど、自分の意外な一面を垣間見た気がした。
大分頭痛も引いてきて、そろそろ退屈だなと思い始めた頃に突如目の前の空間に亀裂が走った。
窓ガラスより驚きは少ないものの、非現実的な光景にやはり驚きは隠せない。
もしかしたら戻れる? なんて淡い期待を抱いてみるが、自らの勘がそれを否定する。きっと違う。
まじまじと見ようとしたものの、瞬く間にその亀裂は広がり、やがて空間が割れると目に痛い程の眩い光に包まれる。
反射的に顔を覆い、目を瞑って光から身を守る。急な光は凄く目に痛い、涙が出そうだ。今度は何だと身構えても、腕が掴まれる様子も無く、明るくなっただけで音もしない。
目が慣れた頃に腕を恐る恐る下ろすと、そこは知らない町だった。
「……ここ、どこ?」
ぱちぱちとわざとらしく瞬きをしてみても、変わった景色は戻りはしない。
まるでゲームの中に迷い込んでしまったかのような、どこか懐かしさを感じる町並みに、私の頭上にはハテナマークが飛び交っている事だろう。
広場らしき場所に突っ立っている自分は一体どうしてしまったのか、背後から噴水だろう水音がバシャバシャとやけにうるさく聞こえた。
まずは何か情報を探そうと一歩踏み出そうとしたところで、近くで大きな声が上がった。
「っああ!? 勇者様!」
「!?」
大声の方を振り向くと、そこには果物が入ったバスケットを落として信じられない、という顔をした女性が一人立っていた。
一体何の事だと首をひねったものの、彼女の声をきっかけにぞろぞろと人が集まってくる。
そして私を見た人は口を揃えて「勇者様」と言う。
「ちょ、ちょっと……、すみません。私が勇者という確証はどこに?」
私はぽっと出だ。勇者の要素なんてどこにも無いし、何の情報も無いままにこうして称えられるのは正直複雑だ。
私を囲んでいる数人の内、中でも一番年を取っている老人が喜びを抑えきれないと言った風に声を掛ける。
「その格好です! 正しく貴方様が神より遣わされし勇者様である事の何よりの証拠!」
「は……格好?」
神はあんな風には勇者を遣わさない、と思いつつ自らの恰好を確認してみると、それはそれはヘンテコな事になっていた。
「何だこれ!?」
ブラウスはそのままだったが、その上に身に纏っているものがおかしい。むしろ何で今まで気が付かなかったんだろう。思ったよりも気が動転しているんだろうか。
まず日常ではお目にかかれない、見事な銀色の鎧。靴もローファーではなく金属製のブーツ。ご丁寧に手甲まであって、フル装備じゃん。腰元にちょこんと携えられている短剣に全く違和感が無くて、そこに違和感を覚えた。
アクセサリ枠には、鎧と同じ素材で出来ているであろうチェーンのネックレス。初期装備には程遠い。
────確かに、光に満ち溢れている勇者様といった装備で。
そこで急にぞっと怖くなった。一瞬であんなにも明るかった視界が、太陽が濃い雲に隠れてしまったような錯覚に陥る。視界全てが日蔭のように暗く曇っている。
背筋に虫が這うような、氷を飲んだような。とにかく身の毛のよだつような感覚に襲われたのだ。
周りでは相変わらず勇者様と、私ではない私を呼ぶ声と、私の知らない話が進んでいる。
ふる、と身体が震え、鳥肌が立ち嫌な汗が滲む。今すぐここから逃げ出したいと思った時にはすでに駆け出していた。
「……はぁっ」
今までと違う速度に驚いた時には既に息が上がっていて、どれ程自分が混乱しているのかが良く分かる。痛いほどに突き刺さっていた向かい風が頭を冷やしてくれる。
ぜえぜえと手ごろな壁に手を付き息を整えている途中、ふと隣に自分の姿が写っているのが分かった。
意外と文明が発達しているのか、ショーウィンドウのようなもののようだ。
そしてそれに反射して写った自分の姿を見なければよかったと後悔した。
染めたとしてもあり得ないような不自然なほどの銀色の髪。空を切り取ったような真っ青な目。身に纏う金属鎧。
どれを取ってもいつもの私とは似つかない色と姿で、元居た場所の繋がりを全て断ち切られたような気がして、何だかとても泣きたい気分だ。もうお前は戻ることは出来ないと言われているような気がして。
折れそうな心を必死に誤魔化して、余計な考えを払うように頭を振る。
いつも変に考えて無駄に悪い方向に向かうのは私の悪い癖だ。さっきみたいに、楽観的に考えよう。
「……ああ、そうだ。せっかくの異世界なんだし、魔法とか、ないのかな」
その声に呼応するように、私の目の前にふわりと空間が開く。開いた空間は丸く、何だか水晶玉のようにも見える。使い道が分からなくて、今はいいやと心の中で思うと、開いた時と同じように音も無くそれは閉じていった。
何だ、使えるんじゃん。
笑ったはずの顔はばっちりショーウィンドウに写っていて、何だか不恰好な笑みにも満たない苦い表情だった。
つい、手が滑ったが故に。