番外編 最悪の出会い
今日もお嬢様達の授業が終わり、町中の借り家へと帰ろうとしていた。
私は子爵家の者『だった』。
私がいたのは爵位があると言っても近頃は大した功績も成さず、下る一方の名ばかりの貴族。
歳ばかりでのさばる兄、社交界ばかりにしか目の向かない母、現状維持しか能の無い父。
そして他に流され、そんな父の言いなりの自分自身。
私はあの家が嫌いだった。
そんな中でも私の希望がいた。病を抱えながらも健気な妹。
嫌いな家族たちの中で作り上げられた表面上だけの笑顔も彼女の前では真に自然な笑顔となった。
しかし、妹の病状は日を増して悪くなる。
それを見て父は
「コレはもう駄目だな。治療はもういらないだろう。」
無情にもそう言い捨てた。
その時初めて父に反発した。
妹を連れ、家を飛び出した。その時の何とも言えぬ、背徳感と高揚感は今も覚えている。
妹と今まで見られなかった世界を見よう。偽りの世界を抜け、眼前に広がる近くて遠かった世界を。
そんな希望がその時はあった。
しかし短絡的過ぎた。
行く当ても住む場所も金も無い。
飼い馴らされた動物に社会はあまりに過酷だった。
仕方なく昔の友人を訪ねた。すると娘の教育係がちょうど欲しかったそうだ。
私は喜んで引き受けた。
友人に頼るというのも情けない話だが、他に道は無かった。
教えるという事にはいくらか自信があった。
学院では常にクラス次席の成績を残していたからだ(その友人というのが常に首席だったのだが)。
それなりに良い報酬も出してもらった。
そしてそのほとんどを妹の治療費に当てている、しかし妹は日に日に目に見えて弱っていく。
最近では寝たきりで起きている時間の方が少ない。
貧しい暮らしだ。しかしあの家での暮らしより余程充足している。
そして今日も薬を買って帰ろうとしていた。
ふと黒い小さなテント小屋が目に止まった。いつもなら気にも留めないだろう。
しかし今日に限って目が離せない。それどころか入ろうかという気にまでなっている自分がいる。
既にこの時私の「運命」は決まっていたのだろう。
「よく来たわね、トレイさん。」
中にいたのは過度なまでにフリルをあしらった黒いドレスを着た女性。
いや、そんな事より、
「どうして私の名前を知っているんでしょう?」
警戒した態勢に入る。
「酷ーい!私の事忘れたの?」
なっ…、学院で?社交界で?一体どこで?
必死に記憶を辿る。
「嘘よ。私と貴方は初対面。だから思い出せ無くて当然。」
しかしそれなら結局疑問が残る。
「「ならば実家からの差し金か?」…かしら?」
言おうとしていた事を先取りして言われる。
「…!」
「良いわねぇ。そういう素直に驚く表情。この付近に住居を構えている事、公爵家の御令嬢方の教育係だってのも、それに妹さんが大変だってのも他にも沢山知ってるわ。」
言葉にならなかった。
「つまり連れ戻しに来たのですね…。」
むしろ遅かったぐらいだ。居場所は突き止められ、妹が枷となり、これ以上逃げられないのも知られている。
「フフッ、この細腕にそんな事が出来ると思う?」
そう言って腕を見せてくる。
「力技じゃなくても魔法なりいくらでも方法はあるでしょう。」
「そういえばこの世界は魔法があったわね。」
この世界?変な事を言う。
「でもとにかく貴方が此処に来ることも、貴方がどんな人間かもお見通しよ?」
「…で、目的は何なんですか?」
そこまで調べているからには何かあるはずだ。
「私に協力してくれないかしら?もちろん相応の見返りも用意してあげる。」
「気味が悪い。そんな話受けませんよ。」
「ま、そこまでは予想済みよ。さて、報酬が妹さんの病気の完治だとしても?」
ピクッと少し反応してしまう。
「…妹は、もう治りません。それは私も、妹自身も分かっていることです…。」
そんな事はありえない。誰よりも自分が分かっている。
治ったらどんなに良いものか。互いにずっと笑顔で過ごせたら…。そして妹の苦痛に歪む顔を幾度と無く見てきた。
「ふぅん…。じゃ、報酬は先払いだって構わないわ。」
「そんな都合の良い話有る訳…!」
自分をおちょくっているようにしか思えなかった。
「少なくともこの世界で私に出来ない事なんて無いわ。本当は貴方を力ずくで従わせる事だって可能よ?」
「それなら何の為に?」
「何で、ねぇ…。単純に面白いからかしら?」
確証は無いがこの女の言葉に偽りは無い気がした。
選択は与えられていても選択の余地が無いことも分かっていた。
断ろうと実力行使に出るのだろう。
ならば…、
「その話、聞きましょう。」
せめて妹だけでも幸せになってくれるなら。
「ふふっ、賢いわね。好きよ、そういう合理的な選択。」
私は無言だった。
目の前を覆い尽くし、避けようの無い悪意を感じた。
とりあえず次回分はほぼ完成しているのでわりと近いうちに投稿出来そうです。