番外編 奇跡への期待
トレイ先生視点です。
人の心情とか書くのって難しい…。
目の前に突き付けられた光景に私はただただ後悔していた。
今目の前にいるのは、私を慕ってくれていた少女ではない。ただ命令に従うだけの人形だ。
私の事を見つめるその瞳は以前と変わらず美しく、その視線は私を責めているようにも、助けを求めているようにも思えた。
「…お嬢様。恨むなら…、どうか私を。」
「あ?何か言ったか?」
ポツリと意図せず放たれた言葉。
「…いえ、何も…。」
どうして、こんな事をしてしまったのだろう。
取り返しがつかないのは分かっていた筈だ。
妹を救いたかった?
違う。本当はどこかで気がついていた。
こんな事をしてまできっと彼女は喜ばない。それに…、救われずとも彼女は死を受け入れただろう。
私はただ口実が欲しかっただけだ。
そしてやっとこの感情に気付いた。
昔こんな事を考えた事があった。もし、クロノス公爵がいなかったら。
学院を出た者が受ける扱いの首席と次席『以降』の明確な差。
彼がいなければ私が首席だった。そうすれば少しでも違ったであろう地位。
もしかしたらもっと早期でより良い治療で妹を治せたかもしれない、と。
全てを持っている。それでなお才のあるクロノス公爵。
届きそうで届かない光。
…そうか。私は…、私は嫉妬していたんだ。
やっと自分の感情と向き合った。
そして自分が如何に愚かで醜い存在かを自覚した。
テーブルに肘を付き頭を抱える。
全て自分が招いた結果だ。
消え去りたい。全てを無かった事にしたい。
しかし、もう取り戻す事は出来ない。
目の前の少女は二度と自らの意思で動く事は無い。
自分の、愚かな選択のせいで。
そんな時だった。
「…トレイ先生?」
「…!」
幻聴だと思った。失われた筈のその声は確かに自分の元へと届いた。
「どう…して…ですか?」
一つだけ残された希望。
「それは…私にもわかりません…。」
こんな自分にも差し込む一筋の光。許されなくても良い。まだ、私には償いが出来る。
「…お嬢様。お嬢様は私を恨んでいますか…?」
恨んでいない筈が無いだろう。
「今更許して貰おうなどむしの良い話でしょうね…。もし、私の事が憎くて堪らないならそこの棚にある物で私を殺してください。」
私は棚より拳銃を取り出し、手渡す。
せめて、彼女の手で全てを終わらせて欲しかった。
「あぁ…、使い方がわかりませんか。」
突然の事に戸惑っているようだ。無理も無い。
「さあ、どうぞ。」
両手を広げる。全てを受け入れよう。それが私の罪に対する償いとなるなら。
しかしいつまで待ってそのも引き金が引かれる様子は無い。
そして私はやっとこれが償いではなく、ただ罪を重ね逃げようとしているだけだという事に気がついた。
私はこの少女にまた消えない傷を負わせようとしていた事に。
自らの肩に銃口を当て、引き金を引く。
爆音とともに激痛が走る。
苦痛に顔が歪み、歯を食いしばり叫びを堪える。
驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
「どうして…ですか…?」
これが私が彼女に与えた痛み。改めて自分の罪の深さを知る。
「さあ、これでおあいこです。何故か術が掛かっていなかった貴女に、偶然武器を取られ、偶然油断して撃たれた、ただそれだけですよ?」
そう、『偶然』。いや、この際偶然だろうが必然だろうが構わない。
せめてこの少女には元の幸せな世界へと戻って欲しい。こんな薄汚れた日陰などではなく、日向の世界へと。
「おい!何の音だよ!?」
リードと呼ばれていた共犯者が今の音に目を覚ました。
ニコッと笑って
「さあ、行きなさい。私にも私の事情があるのです。」
元々自由の身にはもうなれない。
あのボスとの契約はそういうモノだった。
「クッ、油断しましたっ!あの娘はまだ術に掛かりきっていませんっ!」
私はもう、彼女と同じ側に立つことは出来ない。
「はぁっ!?何やってんだ!?てめぇっ!!さっさと捕まえろ!!」
コイツさえ動かなければこの娘は捕まる事は無い。
「当然です。さあ、次の『偶然』はありませんよ!」
この素晴らしき『偶然』を無駄にはしない。
あくまで威嚇として再び彼女に向け、引き金を引く。
放たれた弾丸は彼女の横をすり抜け、後ろの木の壁に穴を空ける。
そしてハッとしたようにして逃げ出した。
これで良かったのだろう。
これでお別れだ。もう、会うことは無いだろう。後は彼女の無事を祈るしかない。
これで償いが出来たなんて微塵も思わない。
結局これも自己満足なんだろう。
それでも何となくすっきりした。
「…おい、何考えてみすみす見送ってんだ?あァ?」
「だったら貴方が捕まえれば良かったじゃないですか。」
「こっちは魔力だいぶ使ってあんま動けねぇんだよ!」
「そもそも貴方があの娘に呪いをしっかり掛けていれば…。」
本心は呪いが失敗したおかげで実に嬉々としている。
「ちっ、うっせぇな!過程は成功してたんだよ!あぁ、クソッ!納得いかねぇ!」
彼は苛立ちを吐き出す様にテーブルに当たった。
「ここは一度ボスに相談しましょう。」
少しでも時間を稼ごう。この奇跡が長く続く事を願って。
「んな悠長な事してられっか!!追うぞ!!」
「まだ全快じゃないんでしょう?なら今から追いかけても追い付けないでしょうね。」
「ちっ…。分かったよっ!」
どうやら受け入れたようだった。あとは彼女が出来るだけ遠くへ逃げてくれる事を祈るのみだ。
奇跡が潰えないように…。ただその一心に期待を込めて。