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溺愛してくる辺境伯様の日記には、私が死ぬ日が書かれていた。

作者: ひらめ
掲載日:2026/09/04

 ***王国暦233年6月10日

「ガノス子爵令嬢フリア。今宵、お前との婚約破棄を申し渡す!」


 パーティー会場の扉を潜ったところで、主賓席にいた婚約者のサンバルク伯爵令息ビフレストは高らかに宣言した。


 ブラウンの髪の毛を後ろへ撫で付けた小太りの男は、勝ち誇るように鼻を鳴らしている。その傍らにはかわいらしい金髪のクリクリ頭に、赤の派手なドレスをまとった少女を侍らせていた。


 重たい黒髪と、彼が送ってくれた紺のドレスを着た私とは、ずいぶんと趣が違う子を選んだようだ。

 背も胸も小さく、発育が良いとは言えなさそうだけど。


 私が2人を観察していると、会場に集まった人たちは好奇の目で私と主賓席を交互に見る。ご親切に間に立っていた人たちも場所を開けて目の前に道ができる。


「それは、どういう意図でしょうか。ビフレスト様」

「どうもこうもあるか! この恩知らずめ」


 感情的な怒鳴り声にわずかに身が怯む。

 喉に重たい蓋がされそうになるのを、唾を飲み込んでこじ開ける。


「恩知らずになることはしておりません。私はサンバルク伯爵領を思い」

「黙るが良い。よくも私の商売を潰し、損害を与えてくれたな」


「それは」

 あなたが貰う袖の下のために、領民が痩せ細っていたのだと反論しようとして、ぐっと言葉を飲み込む。


 怒りに血の昇った頭には火に油で、酷い結果しか見えない。


「いつも私のやることなすことに口出しし、思うことを全て否定するお前はうんざりなんだよ」


 肩で息をするほど興奮するビフレスト様を、隣の少女は少し心配そうに見上げ、彼の胸を押さえた。


「ああ、すまないメアリー」

 気付いて急に表情を和らげる。


「あんな女と違い、お前は本当に優しいな」

「大丈夫ですか。ビフレスト様」


 メアリーと呼ばれた少女は甲斐甲斐しくビフレスト様を心配した。


 社交界でも見たことのない顔だった。


「優しいお前に報いるためにも、お前のお父さんのことはちゃんと父に伝えるからね」


 猫を撫でるように彼女を撫でるビフレスト様に、彼女自身は困ったように眉を寄せた。


 そうか、そうやって手に入れたのですね。

 根回ししてお金を使って。

 私のように。


「私は改めて、このメアリーを迎えようと思う。フリア嬢、お前との関係はここまでだ。我が伯爵家や領地には金輪際関わらないでもらおうか!」


 言われるがまま、グッと押し黙る。


 このままでも『婚約者の邪魔をして婚約破棄をされた女』と言われるだけで済む。


 でも私の領地はどうなるの?


 ガノス子爵領は内地にあり、安定してるとは言え大きな産業もない。サンバルク伯爵領に隣り合っていて、融通してもらっていた交易路がある。


 あの商人たちが子爵領を、迂回するようになれば立ち行かなくなる村もある。実家も私の結納金を当てにしていたはず。


 私はいつの間にかドレスの裾を握りしめていた。顔の筋肉がこわばり、一体どんな表情をしていたのだろう。


 ビフレスト様はニヤニヤと嬉しそうに見下ろしてくる。


「とはいえ、俺も悪魔ではない。お前次第で破棄を取りやめてやっても良い」


 その言葉にハッとする。


「俺たちの婚約はサンバルク領とガノス領を繋ぐ大事なものだった。それを婚約者の不忠で失くすのは惜しい」


 周りにいる貴族たちも趣旨を理解したようにヒソヒソと小声で囁き合い、潜ませた笑い声を漏らしている。

 ビフレスト様は私など構わず上機嫌に続けた。


「俺の前にひざまずき、謝罪するならば受け入れて考えを改めないこともないだろう」


 つまりこれは私の価値を下げ、上下を見せつけるためのパーティーだった。

 子爵家の私が、伯爵家に楯突いたという事実を周知し、頭を下げ2度と逆らわぬように。


 歯噛みする。


 領民のためを思ったことすら、彼らの癪に障るというだけでここまで屈辱を与えてくるのかと。


 しかし、謝らなければ帰る家や領民に迷惑がかかる。

 折れるしかないの?

 こんな幼稚なことしかしない男に!


 それでも私は自身の責任を胸に、ゆっくりと膝を突こうとして


「おっと、それ以上はいけないな」


 急に肩を掴まれて抱き起こされる。


 端正な顔立ちをした黒髪の男性に肩を掴まれ、その胸の中に抱き寄せられた。

 硬い胸板と力強い腕に思わず目に熱がこもる。


「お、お前は!」


 ビフレスト様の声にハッとしたように口を押さえた。


 ドレスから出た素肌の肩に触れる男の手に気付き、腰に回された男の腕を押し退ける。

「失礼ですよ!」

「はは、気丈なことだ」


 男は力強さとは裏腹にあっさりと解放してくれた。

 改めて見ても見覚えのない顔だった。


 切れ長な目に端正な顔立ちで涼やかに笑っている。抱き締められた時に感じた体はがっしりと硬かったが、細く見える服の上からは想像もできない。


 しかしその身なりは、ここに集まったどの貴族よりも立派な物だった。紺を基調としたマントに、きっちりと着こなした軍服には金の刺繍に磨かれた装飾が光っている。

 

 この場に集まった子爵や男爵の私たち下級貴族とは何もかも違う世界の人のように思えた。


 ドスドスと重い足音でビフレスト様が近寄ってくる。


「閣下、どうしてこちらに?」


 近くまで来ると汗をかきながら愛想笑いを貼り付けていた。


 閣下? 伯爵家よりも上位ってこと?


「やあ、ビフレスト。お邪魔しているよ」

「いやいや、こちらこそお迎えもせず」


 アタフタするビフレスト様は、隣で閣下に不審者を見る目を向けていた私に気づいて睨んできた。


「こら、フリア。そんな目で見るんじゃない! わかっているのか?」


 いや、わからないんだけど。

 と思っても子爵令嬢が偉そうにするわけにはいかない。

 サッとドレスの裾を持ち上げ、頭を下げる。


「失礼しました。私はガノス子爵家の長女、フリアです。お名前を伺えますでしょうか?」

「お前、閣下を知らないのか?」

「良い。私も出不精であるからな」


 閣下はそう言ってビフレスト様を半ば押しどけ、私の正面に立つ。


「私は、ミシャール・アガレスト。我らの王国の西南を領地に持つ辺境伯だ」

「アガレスト……辺境伯」


 彼の名乗りを自身の中に落とし込む。


「アガレスト辺境伯閣下!?」


 思わず大きな声が出た。

 周りにいた貴族たちも一気にザワザワと騒がしくなる。


 それは国の中で1番領地が広い領主の名前だった。

 海に面した外国との交易もあり、陸続きの他国からの侵攻を防ぎ、魔物のいる森から危険な悪魔が溢れないように抑えている。


「あの、アガレスト辺境伯、閣下……」

 再度名前を呼んで噛み締める。

 国王から任命された辺境伯にも関わらず、その戦績豊かな貴族の名前は、私たち下級貴族の中でさえ憧れを持って呼ばれる名前だった。


 ただそれでも辺境伯領は遠く、見たことある貴族は少なかった。

 その名声以上に、素敵な男性だと思った。


「やれやれ、あまり長居はできなそうだな」

 呆れたように周りを見渡すと、そっと私の手を取った。


「単刀直入に申し上げる。フリア嬢、私と結婚してもらえますか?」

「ええっ!?」

「はあっ!?」


 私とビフレスト様から同時に声が上がる。


「君は婚約者は居たが未婚だ。その婚約も破棄されたばかりだろう? 是非とも我が辺境伯領に来てほしい」

 辺境伯様の目は真剣で、とても熱がこもっていた。


「必ず君を幸せにしてみせるよ」


 優しい笑顔で甘い声がささやいてくる。


「ですが、いきなり、そんな」


 顔中が熱くなる。嫌ではない。悩むことすら必要ない。

 それなのに、考えとは裏腹に心の中が落ち着かない。


「私たち初対面ですよね?」

「そうだ。だが私は間違いなく、君を愛している」


 辺境伯様の目には嘘やからかいは感じられない。こんな思いは婚約者からも向けられたことはなかった。


「困りますよ、閣下。人の婚約者を奪われてわ」


 ビフレスト様が割って入ろうとする。

 どの口が言うのか。


「だが、君は先刻、彼女に婚約破棄を申し渡しただろう?」


「それは、そうですが」

 ビフレスト様はバツが悪そうに表情を歪めながら食い下がる。


「では彼女は私の婚約者に迎えても問題なかろう」

 そう言って、私の肩を抱き寄せるとマントをひるがえす。


「ああ、言い忘れたが」


 オロオロと目に見えてうろたえるビフレスト様に向け、辺境伯様は肩越しに声をかける。


「フリア嬢に止められた商売について、近々審問官が来る。それとフリア嬢自身へ行った今回のことも然るべき対応するため、身を綺麗にしておくように」


 そう言い残すと辺境伯様はもう振り返らなかった。

 後ろで誰かが崩れ落ちる音がしたけど、もう私には関係なかった。


「さあ、私のお姫様。我が領地へ案内しよう」



 ***王国暦233年7月17日

 私が辺境伯邸に着いてから1週間が過ぎた頃、私は庭園横の東屋で優雅な午後の軽食を頂いていた。


 夏が本格化して日差しも強くなっているのに、辺境伯様がかけた魔法により、この東屋はひんやりと感じて過ごし易い。


 サンバルク邸で辺境伯様と出会って、ここに来るまでの一月以上の間に、私と彼の婚約はつつがなく進んでいた。


 あの事件の裏で、父のガノス子爵とは概ね話が付いていて、領内の交易路整備や結納金のこともまるで心配いらなかった。


 ここに届いた父の手紙に喜びの言葉が何枚も綴られていたのに、ビフレスト様……いや、もう様と呼ぶ必要もないのかもしれないけれど、彼のことは1行しか書かれていないのは流石に笑ってしまった。


 まさか、私の婚約破棄で廃嫡されるなんて。

 今となっては同情する。


 それはそうと、この状況はなんなのだろう?


「さあ、最近王都で流行りのタルトだ。口に合うと思うよ」

 そう言って辺境伯様が自らお菓子を取り分けてくれた。


 食べ物はいつも私の好みに合わせたものばかりが出された。アプリコットのタルトなんて食べたこともなかったけど、信じられないくらい美味しい。


「ははは、気に入ってくれてそうだ」


 彼に笑われて気恥ずかしくなる。

 頬の緩みを自覚し、目を伏せて口元を隠す。


 サンバルク邸から辺境伯邸に来る道中も私の好きなドレスやアクセサリーも大量に買ってくれた。


 心遣いは大変うれしいのだけど。


「辺境伯様、ありがとうございます。ですが自分で取りますので」

 努めて笑顔を作り、何度目かの遠慮を申し出る。


「いやいや、私が好きでしていることだ。やらせてくれないか。それに」


 目を細め、優しい微笑みを使ってこちらを見る。

「ミーシャ、と」

 これも何度目かわからないやり取りだ。

 愛称で呼んでほしい。ということなのだけど。


「申し訳ありません。辺境伯様、まだ恐れ多く」

 テーブルに座ったまま頭を下げる。


 いつものやり取りに辺境伯様も気にせず、ふむと鼻を鳴らして口元を緩める。

「全く君はお堅いね」


 何故か満足げな視線を向けられて居心地が悪い。


「謙虚でいられるのは美徳だけど、少し寂しいな」

 眉を寄せながら微笑んでいる。

 辺境伯様は紅茶を飲み干すと静かに立ち上がる。


「今日の所はこの辺にしておくよ」

 私も追いかけるように立ち上がる。

「またお仕事ですか」

「夏から秋に掛けては仕方ない。人も魔物も活発に動ける季節だからね」


 私がこの屋敷に来てからも、辺境伯様は毎日通信魔法室に引きこもり、西の戦場に指示を飛ばし、北の魔物の森から報告を受け、夜遅くまで命令を下していた。


「それではまた明日。明日は商人が来る。ドレスも仕立てさせるから楽しみにね」

 気さくな笑顔を見せ、私の手を取りキスをする。

 それから私に背を向けた途端、笑顔は消えて端正な顔立ちが剣のように固く鋭さを持った。


 私には向けない彼の仕事の顔だった。

 1人残され、座り直す。


「奥様」

 遠巻きに控えていた私付きの侍女、シャティマが声をかけてきた。クリクリの黒い癖毛にまんまるの目がとても可愛らしい。


「お茶を入れ直しましょうか?」

 言われてカップに目を落とす。

 まだ一口貰っただけでたっぷり入っている。


 この琥珀色の紅茶でさえ、実家では見たことなくサンバルク伯爵邸に呼ばれた時に2度ほどいただいた程度だ。


 一回の軽食で実家での何回分の食事代になるのだろうかと、思わず貧乏性を発症する。

「いえ、このままで十分です」


 温くなったカップに口を付ける。

 紅茶の香りを鼻腔で楽しみ、ゆっくりと飲む。


 辺境伯様が取り分けてくれたタルトに手を伸ばす。

 一口食べるだけで砂糖で煮詰めたアプリコットの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。

 生地の方にも砂糖やバターが惜しげなく使われていて甘く香ばしい。

 

 なんて贅沢なんだろう……


 悔しいことに彼が選ぶものはドレスにアクセサリー、食べ物に至るまで私の好みを把握して、まるで客人のように扱われ、喜ばせるための手を緩めなかった。


 何故、ここまでもてなされるのか。

 私には思い付く理由は見つけられなかった。

 会ったことは本当にない。


 助けられて、甘やかされて、辺境伯様は私に何を求めているのだろう。

 若い妻がほしいなら、彼も若いしいくらでも居ただろう。


 辺境伯領が外国や魔物の森や脅威に晒されてるとはいえ、アガレストの騎士団は国内随一だ。

 家督を継がれているとは言え、前辺境伯様もご健在で王都に居られると聞くし、これほど安心して送り出せる嫁ぎ先はないと思えた。


 もう一口、紅茶を含む。

 アーモンドペーストとタルト生地に混ぜられた砂糖の甘さを、紅茶の苦味が綺麗さっぱり洗い流す。


 彼が私を妻とするなら、辺境伯様の妻として私は彼の勤めを助けなければ。

 母がやっていたように、主人を支える女主人としての責任を果たすために。


「ねえ、シャティマ」

「はい、奥様」

 茶器を片付ける手を止め、シャティマはこちらに向き直る。


 恭しい態度を取られると少し寂しさを感じる。私としては同じ黒髪なのもあり、一方的に親近感を持っていて、できれば仲良くなりたい。


「良いのよ。手を止めなくて。同じ子爵家の出ですもの。仲良くしましょ」

「いえ奥様。同じ貴族であっても、恐れ多く思います」


 さっきの私の言葉とは、中々手厳しい。


「それもそうよね。同じ子爵令嬢でも、私は辺境伯夫人。私が同じ侍女の立場なら畏って当然だわ」


 シャティマもその通りとばかりにうなずく。


「でもね。私は辺境伯邸に来て1週間になるけど、正直まだ右も左もわからないの」

 しゃべりながら新しいお皿にタルトを取り分ける。シャティマの表情が固くなり、視線はタルトに向けられていた。


「できれば、一緒にタルトを食べて、話し相手になってくれる人が欲しいのだけと」

 タルトを乗せたお皿にフォークも乗せ、ゆっくりとシャティマの前に差し出した。

「どうかしら?」


 シャティマは視線をタルトから外さず、手を伸ばそうとして引っ込める。

「いけません! 主人が使用人と一緒に食事するなど!」

 あら、意外といけるかしら。

「私はもう食べ終わったわ。紅茶もいただいたし。あとは下げるだけでしょう?」

「ですが……」

「貴女が食べなくても、下げに来た他の侍女や料理長が食べるのなら、私は専属の貴女に食べて欲しい」


 私の言葉に流されてシャティマは皿を受け取ると立ったまま食べ始める。

 これは椅子が辺境伯様の椅子と私の物しかないからだ。

 次はもう少し椅子を増やしましょう。



 シャティマからタルトで聞き出した情報から侍女長のマルガレーテを訪ねて、邸内の執務室に向かった。

「若奥様、このような場所にいかがしました?」

 ドアをくぐると机に帳面を広げて書き仕事をしていたマルガレーテが顔を上げた。


 他の侍女とは違い、室内帽を被って深い緑色のしっかりしたドレスをまとっていた。

 シャティマや私と比べても年は倍くらい離れており、仕事をする姿はなんとも頼もしい。


「マルガレーテ様、少し教えて欲しいのだけど」

 シャティマの話では彼女は子爵夫人である。この家でも長年勤めているらしいので敬意を持って損はないだろう。


「おや若奥様。女主人となろう者が、使用人に様付けはいけません」

「確かに貴女の言う通りです。ですが、私は貴女に教わる身。今まで辺境伯様をお支えした方に、失礼な態度は取れません」

 マルガレーテは鼻の皺を寄せてふんと鳴らした。


「いけませんよ。それは示しがつきません。侍女の中には伯爵家の令嬢だっております。貴女が上に立たねば、家が貶められるのです」


 確かにそれはその通りだ。


「わかりました。無理を言ってしまい」

 頭を下げようとした私を、マルガレーテは手を振って遮る。

「簡単に謝るものではありません。私の言葉はただ、受け入れてくれれば良いのです」


 彼女の理想は私より随分と高いように思えた。


「わかったわ。マルガレーテ」

 ニヤリと笑顔が返ってくる。

 スッと立ち上がり、頭を下げてドレスの裾を持ち上げる。

「こちらこそよろしくお願いします。若奥様」


「それで教えて欲しいのだけど」

「はい、なんでしょうか」


 それからマルガレーテに教わりながら領地内の記録と帳簿に目を通す。


 広い土地による農業や畜産に加え、南方との交易でかなり多くのお金を動かしていた。そのおかげでお茶も砂糖だけでなく、様々な高級品が王都より安価で手に入っている。


 更に西側の国境線では今も敵国と戦争するために国から支援金が入ってきており、子爵家では見ることのない金額ばかりが飛び交っている。


 あれ?


「マルガレーテ。教えて欲しいのだけど」

 数年前分から順に年間の交易品の目録を眺めていて、気になるものを見つけた。


「なんでしょう、若奥様」

「ここなのだけど」


 辺境伯領では夏の終わりに毎年保存食を多く買い込み、冬季休戦期の国境警備隊向けの食糧問題に備えていた。


「去年だけかなり増やしているわ。軍の増員は続いてますが、そこまで増やしたわけでもないのにどうして?」

「ああ、それは若旦那様の先読みですよ」


 マルガレーテは本棚から領内の記録簿を持ってくる。開いて見せてくれたのは去年の秋に起きた水害で農地がかなりの被害を受けていた。

 それによると食糧不足に保存食を配ってしのいだそうだ。


「辺境伯様はどうして事前にわかったのでしょう?」

「それは、聞いておりませんが、今となっては先見の明があったとしか」

 一緒に記録簿を見ていても、水害を予見できるような情報があるのかどうか。私には判断がつかなかった。


「聞いてみてはいかがですか?」

「そうですね……」


 そこからも去年辺りから不思議な会計がいくつもあった。その違和感を記録と照らし合わせると、必ず何か事故が起き、結果的に対応が早く被害を少なく抑えていた。

 マルガレーテに聞いても、全て若旦那様の指示通りですというばかりだった。


 しばらくそうして帳簿と記録を見比べ、見方を聞いた後、火が陰り始めた頃にマルガレーテに連れられて別邸にある司令室の前に来ていた。


 扉は開かれ、中央の大きな地図を広げた机に辺境伯様と数人の男性が立って会話していた。

 広い部屋だったが、さっき10人以上が出ていくのを見たばかりだったからか、部屋の中にはその少数しか居なかった。

 辺境伯様は周りの会話を聞きながら、地図に向けた目を細めて厳しい顔をしていた。


 不意に顔が上がり、こちらを見つけてパッと笑顔になる。

「フリア、よく来てくれた」

 短鞭を置いて歩み寄ってくる。

「辺境伯様、お忙しいところ失礼します」

 私とマルガレーテはドレスの裾を持ち上げ頭を下げる。

「大丈夫だよ。もう終わる」

 そう言って部屋の奥へ目を向けた。視線を追いかけた先には、壁に立てかけた人の背丈と同じくらい巨大な石碑に手を当てている士官が1人、体を光らせ魔力を送っていた。


「連絡きました。3番基地の偵察隊より潜伏中の敵中隊発見です」

 壁の士官が読み上げ、地図側の士官が地図を見る。机の時間が筆記具を手に取り、帳面に向かう。

「予定通り陽動し、後続部隊で対応させろ」

 報告の声に地図の士官が短く指令を出す。

 壁の士官は石碑に手を添えたまま司令を復唱する。


 あれは何をしてるのだろう。


「フリアは見たことあるかな?」

 不思議そうな顔をしていたのだろうか。辺境伯様が楽しそうに聞いてくる。


「いえ、申し訳ありません。魔法に疎くて、何か軍にかかわるものでしょうか?」

「ああ、通信魔法だよ。この司令室で遠くの報告を聞いたり、指示を出したりするんだ」


 少し得意げな辺境伯様は壁にいくつも並ぶ石碑を指差し、次々につながる場所を教えてくれた。

 どれもかなり遠く、1番近くても馬車で10日はかかる距離だった。


 壁の士官が壁と会話を終えて手を離す。

「さすがアガレスト閣下です。潜伏していた部隊は早々に降参したそうです」

「よし。本日の特別警戒は終わりだ。短い残業ご苦労」

 そう言うと壁や地図のところにいた士官は他の士官と交代して退室した。


「早めに見つかって良かった」

 ふうと一息付き、私の肩に手を置くと外へと促した。

 その顔から厳しさは消え、嬉しそうに綻んでいる。

「今日も無事に夕食を食べられる。さあマルガレーテ、準備させてきてくれ」



 ***王国暦233年7月20日

 今日も執務室にやってきて、辺境伯家と交流のある貴族名簿に目を通していた。かなりの数があり、覚えるのにかなり苦労していた。

 郵便物にまで目を通して辺境伯様の交友関係を頭に入れるようとしていた。

 そこでここ数ヶ月のものがないのに気付く。


 執務室で最近の帳簿を付けていたマルガレーテに声をかける。


「マルガレーテ、最近の手紙はないのかしら?」

「でしたら、若旦那様の書斎かと。返事を書いていらしたのかもしれません」


 なるほど。

 それであれば返事を書けていないのであれば代筆は私の仕事ね。


「マルガレーテ様、そろそろ午後の軽食の時間かと」

 シャティマが声をかけると、マルガレーテは一息付いて部屋を出ていく。

 軽食となれば辺境伯様に会えるなら手紙の状況くらい見ておくべきね。


「シャティマ、ここを片付けておいて貰える?」

「かしこまりました。奥様は?」

 手に持っていた交際記録と手紙を置いて立ち上がる。

「私は少し辺境伯様の書斎に行ってくるわ」

「え、奥様、お待ちを」

 何か言いかけてシャティマが机の手紙束を崩し、驚いた拍子に他の書類も床に落とす。


「後で整理するから、机の上に並べといてね」

「待ってください! 奥様ー!」

 慌てるシャティマを1人残して執務室を出る。


 以前マルガレーテに教えてもらった辺境伯様の書斎にやってきた。使用人も滅多に入らないと聞いている。

 念のためノックしてから扉を開ける。

 辺境伯様は軍務中で、当然のように中は誰もいなかった。書斎机に立派な椅子が真ん中に待ち受けている。

 机の上には用意されたように手紙がいくつも散らかっていた。


 しっかりしているようで、こう言うところは散らかしているのは、少し安心した。

 椅子側に回ると、これまた雑に引き出しに差し込まれた封書まであった。

 一覧を作って辺境伯様に確認しましょう。


 引き出しを開けて折れ曲がった封書を綺麗に直し、机の上の手紙と一緒に整頓する。

 片付けていると、手紙の下に1冊の本が置いてあった。

 ふと気になり、手に取る。

 金の装具が付いた立派な本だったが、紙を後から追加しているのか、ページの端がガタついていて、少し年季が入っている。

 開こうとして紙の張り付いていて、勝手にページが開かれた。


ーーー

 王国暦234年11月3日

 フリアが死んだ。

ーーー


「え」

 思わず声が出た。

「なに、これ」


 日付は来年?

 意味がわからない。


 他のページを開いてみる。


ーーー

 王国暦234年9月5日

 一昨年と同じ場所で水害の報告があった。

 影響は更に広く、物資の補給は難しい。

 私は軍務で離れられないため、フリアが自ら現地へ赴くことを希望した。

 心配だが復興だけではなく、新たな農地開墾も考えなくてはならない。彼女なら現地で正しく判断できるだろう。

ーーー


 ガチャリと音を立てて扉が開く。

 飛び跳ねるように本を閉じて顔を上げる。


「奥様ー、いらっしゃいませんか?」

 薄く開けた扉からシャティマが顔を小さくのぞかせてくる。

「シャティマ、ノックぐらいなさい」

「しましたよ?」


 どうやら動揺していて気付かなかったようだ。


「奥様、旦那様の書斎には許可なく入らないように言われているのですよ」

「なぜそれを言わないの!」


 慌てて立ち上がり、机の上を見返す。

 もう手紙がどのように置いてあったかもわからない。


 しばらくうなりを上げて悩んだ末、

「仕方ないわね」

 ちゃんと辺境伯様に謝ろう。


 諦めて手紙の束を取り、本を机の端に置いて部屋を出る。


「それでシャティマ、何か用?」

「はい、軽食の準備ができています。庭園で旦那様がお待ちです」


 ドクンと胸が跳ねる。

 辺境伯様が、待っている。


 できるだけ平静を装い、シャティマに着いていく。


 さっきの本、手記のような、日記?

 234年というと来年の日付?

 来年の11月、私が死ぬ?


 あれは、一体何?


 なぜだかわからないけど、あの日記については、誰にも言ってはいけない気がした。

 秘密にしなくてはいけない。



 ***王国暦233年10月30日

 夏の国境線の慌ただしさと比べ、冬支度が始まっていた。


 外に冷たい風が吹き始めていて、少し前から午後の軽食をミシャール様と共に食堂でいただいていた。


 採れたばかりの新鮮なリンゴをたくさん使ったパイに、蜂蜜たっぷりの温かい紅茶が用意され、身体の中からほぐしてくれるようだった。


「満足してくれたようだね」

 ミシャール様も嬉しそうに紅茶の香りを楽しんでいる。私も口いっぱいの甘みに自然と顔がほころんだ。

「はい、とても美味しいです」


 冬季休戦に入り軍務はほぼなくなり、ミシャール様もずいぶんとゆっくりされていた。


 辺境伯邸に来て早3ヶ月の間、無事に結婚式も終わって、私もずいぶんとミシャール様と打ち解けたと思う。

 社交界についても私に任せてくれていて、ずいぶんと信頼されていた。


「ミシャール様、今度軍所属の婦人会で晩餐会を開きたいのですけど?」

 すでに婦人会の名簿を用意しており、それぞれの家の主人が帰っているかも含めて記しておいた。


「良い考えだ。軍の休みが始まる時に皆を労える」

 差し出した名簿を受け取ると、上から目を通し始める。

「とは言え、全員は難しいな」

「はい、ですからせめて」

 ミシャール様の横から名簿をのぞき込み、配備中の名前を指差す。


「雪で道が埋まる前に、できれば家族と合わせてあげたいのですが」

「……そうだな」

 ふむ、と考えるように口元に手を当てる。

「ですので、前線中継基地での家族会を交代で段取りしたいのです。お許しいただけますか?」

「なるほどな」

 名簿から顔を上げ、嬉しそうに微笑みかけられる。

「さすがはフリアだ。進めてくれ」


 頬を緩めて彼の頬に口付ける。

「ありがとうございます。ミシャール様」

「私も君が誇らしいよ」

 そう言って腰に回された手で引き寄せられ、唇を重ねて小さく音を立てた。それから頬を重ねて強く抱き寄せられる。

「愛してるよ、フリア」

「ええ、私もです。ミシャール様」


 彼の肩にアゴを乗せ、両手をその大きな背中に回した。


 ミシャール様は大変良くしてくれた。

 私の提案には口は挟みつつも無下に扱うことは決してなかった。


「そうだ」


 何かを思い付いてミシャール様は私を剥がす。


「今年は12月の雪が深くなるかもしれない。遠方の家族がいたら宿泊場所を手配するか」


「さすがミシャール様。とてもお優しいです」


 目を細めて微笑むと、ミシャール様も口元を緩めて嬉しそうな顔をした。


 彼の予感めいた発言は、恐ろしいことによく当たる。以前、帳簿にあった食糧の買い込みや、軍での奇襲部隊の発見だけでなく、魔物の森の異常繁殖も未然に食い止めた。


 そして軍務だけではなく、夫としても私をとても愛してくれていた。私も、私を喜ばせようと趣向を凝らし、うまく行くと嬉しそうに抱き付く彼を愛していた。


 それでもまだ、私の脳裏には私の死を記した日記が焼きついていた、



 ***王国暦233年12月30日

 年の瀬を前に、久々の晴れ間が見えていた。


 一階の窓の外は雪で埋まり、邸内にいた人は総出で雪掻きを行うこととなった。ミシャール様も軍用の離れの雪かきに向かった。

 残っているのは雪掻きを免除された私と、雪掻き後に温かい料理を用意している料理人たちだけとなった。


 私はここに来て初めて、邸内にいて誰にも見られない時間を手に入れた。


 足早にミシャール様の書斎へ行き、机の引き出しを開ける。

 それはすぐに見つかった。

 1番大きな引き出しを開けたところに金の装具が付いた立派な本、日記帳は置いてあった。


 早速中を開いて唖然とした。

「え、なんで」

 以前のように張り付いたページはなく、1番新しい日記すら、昨日のものであった。


ーーー

 王国暦233年12月29日

 今日も雪が降り続き、屋敷は雪に覆われる。

ーーー


 以前見た来年の日記はどこにもなかった。


「どういうこと……」


 見間違いや他のページかと思い、パラパラとめくる。


ーーー

 王国暦233年7月11日

 ついにフリアを連れて帰って来れた。

 これから新しい生活の始まりだ。

ーーー


 私が辺境伯邸に来た日の日記。

 そこからいくらめくっても、私の名前はそこからしか登場しなかった。


 本当に見間違いだったのだろうか。


 日記帳を閉じてよく見る。

 装飾は同じように見えるが、挟んだ紙はガタ付いていないし、張り付いたページもない。


 これは違う、もう一冊あるんじゃ……


 そして引き出しの奥まで探してようやく目的のものを見つける。

 全く同じ装飾でも少しくすんでいて、表紙が痛んだり挟んだ紙もガタガタな日記帳が、奥の方に隠されていた。


 張り付いたページを起点に開くと、あの日見た文字が出てくる。


ーーー

 王国暦234年11月3日

 フリアが死んだ。

ーーー


 よく見るとページは濡れて歪み、字も少し霞んでいた。

 何かに胸が押された気がした。


 これがなんなのか、もっと遡ってみることにした。


ーーー

 王国暦233年7月11日

 農村から収穫予測が届く。

 今年はまだ天気が良くて順調だが、昨年の水害で農地が減っていて収穫量に不安がある。

 今年は冬の買い入れを増やす必要がありそうだ。

ーーー


 私が屋敷に来た日に、私の名前はなかった。


 しばらくめくってみる。ついに私の名前が出てきたところで、3ヶ月経過していた。


ーーー

 王国暦233年10月20日

 魔物の森警備で戦死した、ギャラド男爵の婚約者フリアを保護する。

 行き場を失った彼女のため、マルガレーテの後任として仕事を与えることにした。

ーーー


 ギャラド男爵……知らない人ね。


 読み進めてもまたしばらく私の名前は出てこなかった。しかし、唐突に日付の飛ぶところを見つけて目が止まる。


ーーー

 王国暦233年12月29日

 今日も雪が降り続き、屋敷は雪に覆われる。


 王国暦234年1月10日

 私は生死の狭間をさまよい、無事に生還することができた。タチの悪い風邪だと侮ったツケとは言え、今後は雪掻き後の体調管理を屋敷中に徹底しよう。

 それ以上に病床の私を支えてくれた彼女に感謝を忘れてはいけない。


 王国暦234年1月12日

 彼女の働きを見ると実に献身的であった。

 男女問わず愛想良く、自ら仕事を探して動き続ける。使用人の立場であっても貴族の女性として責任を果たすべく背筋を正している彼女を大変好ましく思う。


 王国暦234年1月13日

 彼女の姿を目で追ってしまう。

 まだ雪も多く、離れとの間の雪をかいていた時だ。

 温かい飲み物を用意してくれる彼女の手に触れ、私は胸の高鳴りを感じていた。

 彼女も同じであってくれると嬉しい。


 王国暦234年1月15日

 フリアに結婚を申し込む。

 病床に施された献身だけではない。

 彼女の所作や貴族としての責任を果たそうとするあり方、そして雪解けのようにほどける笑顔、そのどれもが好ましかった。

 私の隣には彼女しかいない。

 私のそばを任せられるのは彼女しかいない。

ーーー


 自身のことが他の人の日記で褒められているとどうも気恥ずかしい。


 日記の私も道は違えど、ミシャール様と結婚する道に繋がっていたらしい。


 それからしばらくは彼の私に対する惚気が続いている。読むと口元がムズムズして見てられず、流すように視線を滑らせた。


ーーー

 王国暦234年9月5日

 一昨年と同じ場所で水害の報告があった。

 影響は更に広く、物資の補給は難しい。

 私は軍務で離れられないため、フリアが自ら現地へ赴くことを希望した。

 心配だが復興だけではなく、新たな農地開墾も考えなくてはならない。彼女なら現地で正しく判断できるだろう。


 王国暦234年9月6日

 フリアの向かっている災害地からの連絡が途絶える。何が起きているか、向かわせていて大丈夫か、心配でならない。

ーーー


 また私の心配が続いていたが、無事に帰るまで続いており、余計な心配ではと少し呆れてしまう。

 しかし、それも杞憂ではなかったようだ。


ーーー

 王国暦234年10月23日

 フリアが疲れを口にして寝室から出なくなる。

 マルガレーテも疲れが出たのだろうとしばらく休んでもらうこととする。

 心配のため医者の手配を済ませる。


 王国暦234年10月25日

 災害地で伝染病の発生報告が上がる。

 報告症状とフリアを診察した医者の説明が重なったため、マルガレーテの判断でフリアが隔離される。

ーーー


 そこから先はミシャールの後悔が綴られていた。

 その後悔を追い込むように、記された私の容態はどんどん悪くなっていってしまった。

 

 ページのでこぼこや文字のにじみは、彼の涙の跡に思えた。辛く重く、筆者のミシャールは追い詰められていったようだった。

 そして……


ーーー

 王国暦234年11月3日

 フリアが死んだ。

ーーー


 短く、簡潔に、決定的な一文だった。

 その少ない文字に、彼の心は押し潰されているように思えた。


 次のページが張り付いたページをそっと開く。

 インクが乾く前に閉じたのか、パリパリと割れるような音を立てて少しずつ剥がれていく。


 でもそこにあったのは読むことも憚られるほどの悔しさと悲しさだった。

 私を失ったミシャール様が、辛く苦しく行き場のない言葉を綴ったページだった。


 私はそっと日記帳を閉じた。


 目尻ににじむ涙を拭う。


 この話が本当にあったかはわからない。


 それでも少なくとも、この日記を書いた人の悲しみは本物に感じられた。


「フリア……」


 いつの間にか、部屋の扉を開けてミシャール様が立っていた。


「見てしまったんだね」


 近づいて来ると、そっと優しく日記帳に手を伸ばして来る。私は抵抗せずに差し出した。


「気持ち悪いだろう? 以前の私は」


 申し訳なさそうにミシャール様が俯いた。


「それは、一体何ですか?」

「何、と言えば良いのか。日記だよ」


 眉を寄せて少し笑い、日記を机の上に置く。


「これを書いた私も君を愛していた。それにも関わらず、君を守ることができなかったんだ」


「それでも、病気なら仕方ないのでは」


「これを信じてくれるのかい?」


「私にはわかりません」


 小さく首を振る。

 彼の目は私を見ないように落ち込んでいた。

 その目に映るように、日記の上に置かれた彼の手に私の手を重ねた。


「でも、日記を書かれたミシャール様の悲しみはわかります」


 強く、はっきりと言い切った。

 ミシャール様の顔がパッと上がり、瞳に私を映す。


「今もあなたは私に良くしてくれていますし、ここに書かれた悲劇を抑えるため、行動していたのもわかりました」


 ミシャール様の手を両手で包み胸の前に抱く。


「この日記はわかりません。でも、私はあなたを信じます」


 彼は空いた手で私の頬に触れる。

 先ほど拭ったはずの、またにじんだ涙を拭ってくれる。


「私を幸せにしてくれますか?」

 彼が初めて会った日の言葉を確認する。

「ああ、もちろんだ」


 頬を撫でた手が、私のあごを持ち上げる。


「今度こそ、君を幸せにするよ」


 そして彼は強く、深く、熱い口付けに誓ってくれた。

 雪解けにはまだ早い12月、私たちは熱く愛し合った。


 *


 **


 ***王国暦234年7月30日

 外は鋭い日差しが降り注いでいる中、私はミシャールの書斎で、彼のかけた空調魔法のおかげで快適な午後を過ごしていた。


 最近王都から取り寄せたロッキングチェアに身体を預け、大きくなったお腹を撫でる。


 彼と愛を確かめ合ってから、あの日記について2人で話し合った。

 記された内容や彼の話では後3ヶ月ほどの事件や事故はすでに対策し、私は安心して日々を過ごしている。


 急に扉が開かれ、ミシャールが飛び込んできた。

「フリア!」

 勢いそのままに座っていた私を抱き上げる。


「ミシャール、一体どうしましたか?」


 抱き上げた私を軽々と立たせ、机を背にして改めて抱きしめて来る。驚いた私の目に、机の日記が映る。


 昨日も書いていた綺麗な日記帳。

 少し歪になった未来を書いた日記帳。

 そして……


「ああ、すまない。私の力が足りなかった」


 嬉しそうに顔を綻ばせている。


「また会えて良かった。今度こそダメかと思った」


 緩んだ表情に力を込め、強い口調で私に告げる。


 私の視線は机の方に釘付けだった。

 そこには、黒く汚れ、傷付いた3冊目の日記帳が置かれていた。

 あんな日記帳は今までなかったのに。


「何があったのですか?」


 落ち着かせようと彼の背を叩く。


「ああすまない」


 口では謝っても彼は抱きしめる手を緩めなかった。


「帰ってきた。未来から帰ってきたんだ」

 うわずった彼の声に不安がよぎる。


 強引に彼の胸の前に肘をねじ込んで距離を取る。彼の顔を両手で掴んで見つめ合う。

 悲しみに下がった目尻に涙が滲んでいた。


「本当に、何が起きたのですか?」

「ああ……ああ、フリア。このままでは君は殺される」


 不吉な言葉に顔から熱が引いていく。

 力が抜けそうになる膝にグッと力を込め、キツく目に力を込める。


「そんなこと、許したりしません」


 胸の奥の不安をかき消すように、彼をつかむ手を強くする。


「負けないでミシャール。あなたは私を助けてくれた。今度も約束を守ってくれるのでしょう?」


「当然だ」


 私を抱く彼の手に力強さを取り戻す。


「今度の未来からも、私が君を守ってみせる」


「いいえ、私たちで一緒に未来を守りましょう」


 そうして2人、熱い視線を交わし合う。


 私たちは悲惨な未来に抗い続ける。


 そう、何度だって。

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