第9話 騎士団の宿舎が汚部屋すぎたので実家のような安心感にリフォームします
「頼む! どうか我が騎士団を救ってくれ!」
王城の廊下で、国の重鎮であるアイゼルシュタイン公爵(騎士団長)が、私の手をガシッと握りしめていました。
その鬼のような形相には、悲痛な色が浮かんでいます。
「父上、ミラベルを困らせないでください。彼女は私の専属管理人です」
ルーカス様が私の腰を引き寄せ、父親から引き剥がそうとします。
しかし、公爵様も必死でした。
「ルーカス、お前だけズルイぞ! 自分だけあんなツヤツヤになりおって! 部下たちを見てみろ、魔力中毒と疲労で死んだ魚のような目をしているのだぞ!」
言われてみれば、謁見の間にいた護衛の騎士たちは、どことなく顔色が悪く、肌も荒れていました。
この国の「攻撃至上主義」の弊害です。
戦うことばかりにリソースを割き、休む技術が未発達なのです。
「……はぁ。分かりました」
私は小さく溜息をつきました。
「現場を見せていただけますか? ルーカス様の職場が不潔なのは、私も我慢なりませんから」
「おお、やってくれるか! 恩に着る!」
公爵様がパァッと顔を輝かせました。
ルーカス様は不満げに唇を尖らせましたが、「君がそう言うなら」と渋々承諾してくれました。
◇
案内された「王立騎士団宿舎」。
その扉を開けた瞬間、私は回れ右をして帰りたくなりました。
「……なんですか、このバイオハザードな空間は」
ムワッ、とした熱気。
汗と、革の油と、カビと、男臭さが混じり合った、暴力的な異臭。
廊下には泥だらけのブーツが散乱し、脱ぎ捨てられた訓練着が山になっています。
壁は煤け、窓ガラスは汚れで曇り、日光すら遠慮して入ってこない薄暗さ。
「こ、これでも片付けた方なのだが……」
公爵様がバツが悪そうに頬をかきました。
「男所帯なものでな。訓練で疲れ果てて帰ってくると、掃除や洗濯まで手が回らんのだ。食事も、固いパンと干し肉を齧るのが精一杯で……」
「言い訳は結構です」
私はハンカチで鼻を覆い、鋭い視線を向けました。
「環境の乱れは心の乱れ。こんな豚小屋のような場所で、命を守る英気が養えると本気でお思いですか?」
「ぐうっ……!」
「ルーカス様、窓を全て開けてください。換気です!」
私は腕まくりをしました。
スイッチが入りました。
これは掃除ではありません。
戦争です。
「殲滅します。――『広域・完全洗浄』!」
私の身体から放たれた光の波動が、宿舎の廊下を駆け抜けました。
シュババババッ!
積み上げられた洗濯物が空中に舞い上がり、光の中で汚れが分解されていきます。
床にこびりついた泥汚れが消滅し、黒ずんでいた壁板が新築のような飴色を取り戻します。
「な、なんだこれは……!」
すれ違った騎士たちが、目を丸くして壁に張り付きました。
彼らの目の前で、カビだらけだった天井が真っ白になり、曇っていた窓ガラスが透明度を取り戻していきます。
「次は大浴場です! 案内なさい!」
私はズカズカと男子更衣室(今は無人です)へ侵入しました。
浴槽には、何日変えていないのか分からない濁ったお湯……いいえ、ぬるま湯が溜まっています。
「汚い! 排水!」
指を鳴らすと、汚水が渦を巻いて消えました。
浴槽のヌメリを『殺菌』し、蛇口の錆を『還元』。
そして、私の特製ブレンドである「疲労回復ハーブ」の概念を溶かし込んだ、熱々の適温湯を注ぎ込みます。
「食堂へ行きますよ! 調理場の衛生状態を確認します!」
厨房はさらに悲惨でした。
焦げ付いた鍋、しなびた野菜。
私は在庫の食材すべてに『鮮度再生』をかけ、毒素とエグみを抜き去りました。
「いいですか、料理長! 肉は焼く前にこの魔法水に漬け込むこと! 野菜は五〇度洗い! これだけで味も栄養価も三倍になります!」
「は、はいぃぃっ!」
強面の料理長が、私の剣幕に押されて直立不動で敬礼しました。
掃除、洗濯、設備改修。
三階建ての宿舎すべてをリフォームするのに、要した時間はわずか三〇分。
嵐のように駆け抜けた後、そこには光り輝く「最高級ホテル並み」の宿舎が誕生していました。
◇
夕刻。
過酷な訓練を終えた騎士たちが、ゾンビのような足取りで帰還しました。
「あー、疲れた……。またあの臭い部屋に戻るのか……」
「飯も不味いし、風呂もぬるいし、生きてる心地がしねぇ……」
彼らが重い扉を開けた、その時です。
「……は?」
先頭の騎士が固まりました。
いつもなら鼻を突く汗臭さがありません。
代わりに漂ってくるのは、ラベンダーの芳香と、磨き上げられた木の香り。
そして奥からは、胃袋を鷲掴みにするような、濃厚なシチューの匂い。
「なんだこれ……? 俺たち、場所を間違えたか?」
「いや、表札は騎士団だぞ……?」
恐る恐る中に入った彼らは、ピカピカに磨かれた床に自分の顔が映るのを見て、悲鳴を上げました。
「ゆ、床が光ってるうぅぅ!?」
「おい! 大浴場を見てこい! お湯が透明だぞ! しかも適温だ!」
「食堂! 食堂に行け! パンがふわふわだ!」
宿舎は大騒ぎになりました。
私はルーカス様と共に、階段の上からその様子を眺めていました。
「……母さん……」
一人の若い騎士が、スープを一口飲んで泣き崩れました。
それを皮切りに、屈強な男たちが次々と「美味い、美味い」と号泣しながら食事を貪り始めます。
大浴場からは「あ゛あ゛あ゛〜〜生き返るぅ〜〜」という、魔獣の断末魔のような(しかし幸せそうな)野太い声が響いてきます。
「……効果は覿面のようですね」
私が満足げに頷くと、隣で公爵様が震えていました。
「信じられん……。騎士たちの魔力値が、食事と風呂だけで回復している……。これなら、明日の訓練効率は倍になるぞ……」
「ええ。休息とは、次の戦いのための装填ですから」
私が淡々と言うと、公爵様は私に向き直り、深々と頭を下げました。
「ミラベル殿。……いや、聖女ミラベル殿。我が騎士団は、貴女に一生ついていく」
「やめてください、重いです」
すると、今まで黙っていたルーカス様が、私の前に立ちはだかりました。
公爵様を睨みつけています。
「父上、勘違いしないでいただきたい」
「む?」
「彼女は騎士団の聖女ではありません。あくまで『私の』管理人です。掃除が終わったなら、さっさと連れて帰りますよ」
ルーカス様は私の腰を抱き寄せ、独占欲を隠そうともしません。
「これ以上、彼女の料理を他の男に食わせたくない」
「お前なぁ、ケチくさいことを……。国の戦力強化だぞ?」
「知ったことですか。ミラベルが疲れてしまいます」
親子喧嘩が始まりそうになった時、食堂から騎士たちが駆け上がってきました。
全員、肌ツヤが良くなり、目の下のクマが消えています。
「ミラベル様ァァッ! ありがとうございます!」
「貴女は俺たちの女神だ!」
「一生ついていきます! 靴を舐めさせてください!」
男たちの熱狂的なコール。
ルーカス様は舌打ちをし、私の顔を胸に押し付けて隠しました。
「……帰るぞ、ミラベル。ここは男臭くてかなわん」
「え、あ、はい。でもまだトイレの消臭が……」
「そんなものは父上にやらせればいい!」
ルーカス様は私を半ば担ぎ上げるようにして、宿舎を後にしました。
背後からは、なおも「ミラベル様バンザイ!」の声が響いています。
こうして、私は意図せずして「騎士団の裏番長」……いえ、「兵站の女神」としての地位を確立してしまいました。
後日談ですが。
この日を境に、我が国の騎士団は「世界一清潔で、世界一回復が早い不死身の軍団」として、周辺諸国から恐れられるようになったそうです。
すべては、私の「汚いのは許せない」というエゴの結果なのですが。




