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攻撃魔法至上主義の世界で、生活魔法を極めます!  作者: 秋月 もみじ


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5/10

第5話 限界を迎えた元婚約者は楽園の扉を叩く


 その夜、リビングの暖炉の前で、ルーカス様が珍しく弱音を吐きました。


「……怖いな」


 彼はマグカップを両手で包み込み、揺れる炎を見つめています。


「ここでの生活は、まるで夢のようだ。温かい食事、柔らかいベッド、そして君がいる。……だが、体が治れば俺は王都へ戻らなければならない。またあの、味のない砂を噛むような日々に戻るのかと思うと」


 彼の声が震えていました。

 魔力中毒の後遺症でしょう。

 体は回復しても、精神に染み付いた「苦痛の記憶」は簡単には消えません。

 氷の貴公子と呼ばれた彼も、鎧を脱げば、痛みと孤独に怯える一人の青年なのです。


(……仕方ありませんね)


 私は読みかけの本を閉じ、立ち上がりました。

 彼の背後に回り、そっと肩に手を置きます。


「ルーカス様、少し力を抜いてください」

「え?」

「私のとっておきの魔法をかけますから」


 私は目を閉じ、イメージします。

 それは洗濯機を回した後の、柔軟剤の香り。

 あるいは、天日干ししたばかりの布団のぬくもり。

 こわばった神経のシワを伸ばし、心の奥底に溜まったおりを漂白するイメージ。


「生活魔法――『精神・防ダニ加工リラックス・コート』」


 ふわり、と私の掌から淡いピンク色の光が降り注ぎました。

 本来は、寝具にダニを寄せ付けず、安眠効果を付与するための魔法です。

 ですが、人間にも応用できます。

 心のダニ(悩みや不安)を追い払うのです。


「……っ」


 ルーカス様が息を呑みました。

 彼の体から力が抜け、背もたれに深く身を預けます。


「……温かい。頭の芯にあった、氷の棘が……溶けていく……」

「どうですか? これで今夜はぐっすり眠れますよ」

「ああ……凄いな、ミラベル。君の魔法は」


 彼は虚ろな目で天井を見上げ、夢見心地で呟きました。


「これは、国中の神官が束になっても成し得なかった『完全浄化』だ。俺の体の中にあった、どす黒い魔力の残り滓が……一掃された」

「大袈裟ですよ。ただのリラックス効果です」

「いいや、違う。これは……」


 彼はゆっくりと振り返り、私の手首を掴みました。

 その瞳は、熱っぽい輝きを帯びています。

 とろけるような、それでいて決して獲物を逃がさない捕食者の目。


「俺はもう、君なしでは生きていけない体になってしまったようだ」

「はいはい、明日も美味しい朝食を作りますから。もう寝てください」


 私は彼の手を優しく振りほどき(内心ドキッとしましたが)、寝室へと促しました。

 彼が大袈裟に感謝するのはいつものことです。

 まさか本当に、不治の病とされた魔力中毒を完治させてしまったとは、この時の私は露ほども思っていませんでした。


   ◇


 そして翌朝。

 私の「優雅な引きこもり計画」最大の危機が訪れました。


 ジリリリリリリッ!!


 早朝のリビングに、けたたましい警報音が鳴り響きました。

 私が設置した「不法投棄監視システム(防犯ブザー)」です。


「敵襲か!?」


 ルーカス様がすごい速さで寝室から飛び出してきました。

 まだパジャマ姿で、寝癖がぴょんと立っていますが、その手にはすでに冷気が渦巻いています。


「落ち着いてください。モニターを確認します」


 私は壁に埋め込んだ水晶板に触れました。

 そこに映し出された映像を見て、私は心底げんなりとした溜息をつきました。


「……最悪です。生ゴミの方がまだマシかもしれません」


 モニターに映っていたのは、魔物ではありませんでした。

 結界の外で、必死の形相で透明な壁を叩いている薄汚れた集団。

 見覚えのある、赤い髪の男。


「セリウス様……」


 元婚約者のセリウス様と、そのパーティー「紅蓮の牙」のメンバーたちでした。

 ですが、私の記憶にある彼らとは随分と様相が違います。


 セリウス様の自慢の赤髪は脂でベタつき、顔はすすと泥で真っ黒。

 着ている高級ローブはあちこちが裂け、焼け焦げています。

 後ろにいる女性魔導師に至っては、化粧が崩れてパンダのようになり、ヒステリックに叫んでいました。


『開けろ! ここにお前がいるのは分かっているんだ!』

『いい匂いがするのよ! パンを焼いているでしょう!?』

『水だ! 風呂に入らせろ! 痒くて死にそうだ!』


 ……地獄絵図です。

 音声魔法を通じて聞こえてくる声は、品性のかけらもありません。


「どうやら、こちらの煙突の煙と、朝食の匂いを嗅ぎつけて来たようですね」


 私は冷ややかに分析しました。

 我が家の換気扇は高性能ですから、美味しい匂いが外に漏れてしまったのでしょう。


「追い払おうか?」


 ルーカス様が低い声で言いました。

 その瞳は絶対零度の冷たさを湛えています。

 彼にとって、私との安息を邪魔する者は万死に値するようです。


「いえ、まずは私が対応します。敷地内に入られる前に、お引き取り願いましょう」


 私はインターホン(拡声魔法)のスイッチを入れました。

 靴を履き替えるのも面倒だったので、玄関からではなく、スピーカー越しに対応します。


「おはようございます、セリウス様。朝から騒々しいですが、何の御用でしょうか?」


『ミラベル! やっと出やがったな!』


 セリウス様が結界に顔を押し付けました。

 脂ぎった頬が透明な壁にムギュッと潰れ、脂汚れが付着します。

 ……うわぁ、あとでアルコール消毒しなきゃ。


『見ての通りだ! 俺たちは限界なんだ! 野営地が魔物に襲われて全壊した! 食料も水もない! 今すぐ結界を解除して俺たちを中に入れろ!』


 彼は命令口調でした。

 自分が捨てた相手に助けを求めているという自覚が、欠片もないようです。


「お断りします」


 私は即答しました。


「ここは私の私有地です。貴方方のような不潔な集団を入れるわけにはいきません」


『ふ、不潔だと!? 誰のせいでこうなったと思っている! お前が仕事を放り出して逃げたからだろうが!』

「追放したのは貴方ですよ。それに、雑用は『誰でもできる』とおっしゃいましたよね? ご自分でなさったらどうです?」

『ぐぬっ……!』


 正論を突きつけると、彼は言葉に詰まりました。

 すると、後ろから女性魔導師が割り込んできました。


『そんなのどうでもいいわよ! ちょっと、あんた! 元婚約者なんでしょ!? 私たちを殺す気!? 貴族として恥ずかしくないの!?』


 彼女は半狂乱で喚いています。

 痒いのか、しきりに腕をボリボリと掻きむしりながら。

 その爪の間に詰まった垢を見て、私は鳥肌が立ちました。


(……生理的に、無理です)


 怒りよりも先に、強烈な拒絶感が湧き上がります。

 あんなバイ菌の塊みたいな人たちを、私のピカピカのフローリングに上げるなんて。

 絶対に嫌です。

 たとえ一億円積まれても、全力でお断りします。


「ここは貴族の屋敷ではありません。ただの民家です。そして私は、衛生管理の責任者として、汚染源の持ち込みを固く禁じております」


 私が冷淡に告げると、セリウス様が逆上しました。


『ふざけるな! たかが生活魔法使いの分際で! いいか、これは命令だ! 開けないなら、力尽くでこじ開けてやる!』


 彼は杖を構え、詠唱を始めました。

 火属性の上級魔法。

 本気で結界を壊すつもりです。

 恩を仇で返すとはこのことですね。


「……やれやれ」


 私は溜息をつき、チラリと横を見ました。

 そこには、パジャマ姿のまま、しかし全身から青白い闘気を立ち上らせている「最強の用心棒」が控えています。


「ルーカス様。私の大切なお庭が、燃やされそうです」

「……理解した」


 ルーカス様が一歩、前に出ました。

 彼の手の中で、空気がパキパキと凍りついていきます。


「俺の至福の朝食時間を邪魔した罪、万死に値する。……ゴミ掃除の時間だ」


 彼が玄関のドアを開け放ちました。

 外の空気とともに、圧倒的な魔力の暴風が吹き荒れます。


 さあ、セリウス様。

 ご存知ですか?

 今の貴方たちが喧嘩を売っているのは、単なる元婚約者ではありません。

 完全復活した「氷の貴公子」と、その彼を骨抜きにした「生活魔法の魔女」の最強タッグなのですよ?

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