第4話 快適な同棲生活と、すれ違う元婚約者たち
ルーカス様が我が家の「雑用係」として就職してから、数日が経過しました。
結論から申し上げますと。
「……ルーカス様、力が強すぎます」
私は裏庭で頬を引きつらせました。
目の前には、無惨な姿になった「元・薪」たちが散らばっています。
いえ、薪というより、もはやオガクズと呼ぶべきでしょう。
彼が斧を振るうたびに、丸太がパァン! という破裂音とともに粉砕されていくのです。
「す、すまない……。これでも手加減したつもりなんだが」
ルーカス様がしょんぼりと肩を落としています。
手にはひしゃげた斧(私の父の形見ですが、まあいいでしょう)。
王国最強の魔導師にとって、丸太を割るというのは、豆腐を包丁で切るよりも繊細な作業なのかもしれません。
「俺は、こんなこともできないのか。やはり戦うことしか能がない欠陥品だ……」
彼のアイスブルーの瞳が、急速に光を失っていきます。
ネガティブモード突入です。
彼は見た目に反して、自己肯定感が深海よりも低いのです。
私は慌てて首を振りました。
「いいえ! 素晴らしいです! ちょうど着火剤用の細かい木屑が欲しかったんですよ。助かりました!」
「……本当か?」
「ええ、本当です。それに、貴方にお願いしたい『大仕事』がありますし」
私は彼の手を引き、キッチンの勝手口へと案内しました。
そこには、今朝彼が狩ってきてくれた大量の魔物肉(オークの上ロース)が積まれています。
「これだけあると、今の季節ではすぐに腐ってしまいます。そこで、貴方の出番です」
「俺の?」
「はい。このお肉たちを、カチコチに凍らせてほしいのです。鮮度を保ったまま、瞬間冷凍で!」
そう言うと、ルーカス様は驚いたように目を見開きました。
「凍らせる……? 敵を殺すためではなく、肉を保存するために魔法を使うのか?」
「ええ。貴方の氷魔法なら、細胞を壊さずに冷凍できるでしょう? そうすれば、一ヶ月後でも美味しくステーキが食べられます」
「……なるほど」
彼は真剣な顔で頷き、肉の山に向かって手をかざしました。
「極低温、展開。『氷棺』」
パキパキパキッ!
美しい音色とともに、オーク肉が透明な氷の結晶に包まれていきます。
その制御は見事なものでした。
余計な冷気を漏らさず、対象物だけを瞬時に凍結させる神業。
本来なら国宝級の魔導書に載るような高等魔法を、食肉加工に使うなんて贅沢の極みです。
「完璧です! これなら解凍してもドリップが出ませんわ!」
私が拍手すると、ルーカス様は口元を少し緩め、満足げに氷の山を見つめました。
「……悪くない気分だ。俺の魔法が、誰かを傷つけるためではなく、君の明日の食事を守るために役立つというのは」
「ふふ、これからは『歩く冷蔵庫』様とお呼びしますね」
「甘んじて受け入れよう」
私たちは顔を見合わせ、小さく笑い合いました。
平和です。
ここが危険なSランクダンジョンの中だとは、思えないほどに。
◇
その日の夕食時。
私は特製のホワイトソースで作ったクリームシチューをテーブルに並べました。
具材はもちろん、先ほどルーカス様が凍らせてくれたオーク肉と、裏の畑で採れたホクホクのジャガイモです。
「いただきます」
ルーカス様は食前の祈りを捧げると、スプーンを口に運びました。
数日前まで食事を恐れていた姿はもうありません。
今では、私の料理を一番楽しみにしている食いしん坊さんです。
「……美味い。体が芯から温まる」
「それはよかったです。ところで、今日の狩りの成果はどうでした?」
私が何気なく尋ねると、彼の表情が少し曇りました。
「獲物は十分だった。だが……森の向こうで、妙な連中を見かけた」
「妙な連中?」
「ああ。『紅蓮の牙』とかいうパーティーだ。君の元婚約者が率いていると言っていたな」
私のスプーンが止まりました。
セリウス様たち。
まだこの近くにいたのですね。
「彼ら、どうしていました?」
「……酷い有様だったよ」
ルーカス様は淡々と、しかし軽蔑を隠さずに報告しました。
「結界の維持ができていないらしく、野営地は泥だらけだ。隊員たちは目の下に濃いクマを作って、互いに罵り合っていた。装備の手入れもされていない。あの状態でダンジョンに潜るのは自殺行為だ」
私は心の中で「やっぱり」と呟きました。
私がいた頃は、彼らが寝ている間に結界のメンテナンスをし、装備を洗浄し、魔除けの香を焚いていました。
その「見えない下準備」がなくなった今、彼らのキャンプはただの「魔物の餌場」になり下がっているのでしょう。
ドォォォォン……!
その時、窓の外、はるか遠くから爆発音が響きました。
続いて、風に乗って微かに怒鳴り声が聞こえてきます。
『おい! なんで火がつかないんだ!』
『湿気ってるのよ! 誰か乾かして!』
『ふざけるな、俺の魔力は戦闘用だぞ!』
……聞こえます。
セリウス様と、あの女性の喚き声が。
おそらく、濡れた薪に火をつけようとして、火力調整をミスして爆発させたのでしょう。
私がいた時は、薪の一本一本まで乾燥魔法をかけておいたのですが。
「……騒がしいな」
ルーカス様が不快そうに眉をひそめます。
「もし君が望むなら、静かにさせてこようか? 氷漬けにして」
「いえ、放っておきましょう。自滅するのも時間の問題ですから」
私はにっこりと微笑み、パンをちぎってシチューに浸しました。
外は寒く、彼らのテントは冷たく湿っていることでしょう。
泥のようなスープを啜り、硬いパンを齧りながら、責任を押し付け合っている姿が目に浮かびます。
それに引き換え、ここはなんて快適なのでしょう。
暖炉の火はパチパチと心地よい音を立て、部屋は清浄な空気に満ち、目の前には湯気の立つ絶品シチューと、目の保養になる美男子。
(これぞ、格差社会ですね)
私は優越感という名のスパイスを噛み締めながら、シチューを口に運びました。
濃厚なミルクの味わいが広がります。
ああ、美味しい。
人の不幸……いえ、自業自得な元同僚たちの声をBGMに食べるご飯は、格別の味です。
「……ミラベル」
ふと、ルーカス様が真剣な瞳で私を見つめていました。
「なんだか、帰りたくなくなってきたな」
「公爵家のお仕事があるでしょう?」
「あんな家、誰かにくれてやる。俺はずっと、このシチューを食べていたい」
彼は冗談めかして言いましたが、その目は笑っていませんでした。
少し切実な響きが含まれています。
「……ふふ、お代わりならたくさんありますよ。食べて、明日も薪割りを頑張ってくださいね、『歩く冷蔵庫』さん」
「ああ、任せてくれ」
私たちは穏やかに笑い合いました。
窓の外では、またドカンという爆発音と悲鳴が聞こえました。
どうやら今度は、夕食の鍋をひっくり返したようです。
お気の毒に。
せいぜい、泥味のスープを楽しんでくださいませ。
けれど、そんな平和な時間は長くは続きませんでした。
彼らの無能さは、私の予想を遥かに超えていたのです。
まさか、自分たちの失敗を棚に上げて、あんな暴挙に出るなんて――。




