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攻撃魔法至上主義の世界で、生活魔法を極めます!  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 呪いすら洗い流す極上の風呂と解毒のスープ


 翌朝。

 キッチンでトーストが焼ける香ばしい匂いが漂い始めた頃、客室からガタッという大きな音が響きました。


「……お目覚めですね」


 私はエプロンで手を拭き、トレイを持って客室へ向かいます。

 扉をノックしようとした、その瞬間でした。


 キィンッ!

 空気が凍りつくような鋭い音がして、扉の内側から冷気が漏れ出してきました。

 ドアノブが白く霜で覆われていきます。


(まあ、なんてこと!)


 私は慌てて扉を開けました。


「ちょっと! やめてください! 結露でカビが生えたらどうするんですか!」


 叫びながら部屋に飛び込むと、ベッドの上でルーカス様が身構えていました。

 右手には鋭利な氷の剣が生成され、殺気立ったアイスブルーの瞳が私を射抜いています。


「貴様……何者だ」


 地を這うような低い声。

 さすがは王国最強の魔導師、寝起きでも圧力プレッシャーが凄まじいです。

 ですが、私にとっては殺人鬼よりも、湿気の方が強敵です。


「何者と聞かれれば、ただの通りすがりの家主です。それより、その氷をしまってください。布団が湿ります」

「……は?」


 ルーカス様が呆気にとられたように瞬きをしました。

 私が殺気など意に介さず、ズカズカと部屋に入って窓を開け放ったからでしょう。

 朝の新鮮な空気が流れ込み、部屋の冷気を追い出していきます。


「昨晩、ゴミのように捨てられていた貴方を拾ったんです。怪我はもう大丈夫そうですね」

「拾った、だと……?」


 彼は怪訝そうに自分の体を見下ろしました。

 傷一つない肌。

 清潔なパジャマ(私の父が置き忘れていったものです)。

 そして、ズキズキと彼を苛んでいた頭痛が消えていることに気づいたのでしょう。

 彼の瞳から、険しい色が少しだけ薄れました。


「……助けられた、のか」

「ええ。洗濯機……いえ、魔法で綺麗に洗いましたから」

「洗った?」

「細かいことはいいのです。それより、朝食にしましょう。顔を洗ってきてください」


 私は強引に会話を切り上げ、サイドテーブルにトレイを置きました。

 今日のメニューは、焼き立てのトーストと、森で採れたポトフです。


 ルーカス様が氷の剣を消し、警戒心を残しつつもベッドから降ります。

 そして、トレイの上のスープを見た瞬間、彼の顔が曇りました。


「……すまないが、食欲がない」

「ダメです。病み上がりなんですから、栄養を摂ってください」

「……いらないと言っている」


 彼は頑なです。

 まるで毒でも盛られているかのように、スープを忌避しています。

 その横顔には、疲労と諦めが滲んでいました。


(ああ、なるほど)


 私は気づきました。

 魔導師特有の職業病、「魔力中毒」による味覚障害ですね。

 高位の魔導師ほど、体内の魔素が舌の神経を狂わせ、何を食べても砂や灰の味しかしないと聞いたことがあります。

 彼ほどの使い手なら、その症状も重いのでしょう。


「……私の料理は、少し特別ですよ」


 私はスプーンを手に取り、彼に差し出しました。


「毒素も、雑味も、貴方が恐れている『嫌な味』も。すべて取り除いてあります」

「……」

「一口でいいですから。私がせっかく作ったんです、残飯にするのは許しません」


 最後は少し脅すように言うと、彼は観念したように溜息をつきました。

 渋々といった手つきでスプーンを受け取ります。


 彼は、まるで処刑台に向かう囚人のような顔で、スープを口に運びました。

 どうせ砂の味だ、そう思っている目です。


 とぷん、と黄金色の液体が彼の唇に触れ――。


 カチャン。

 彼の手からスプーンが滑り落ち、皿にぶつかる音がしました。


「――――」


 ルーカス様が、目を見開いて固まっています。


「……あ、じが……する……?」


 震える声が漏れました。


 このスープに使ったのは、ダンジョンの猪肉と根菜です。

 本来なら魔物の肉は泥臭く、中毒者はその臭みに敏感に反応して吐き気を催すはず。

 ですが、私の『下処理プレパレーション』は完璧です。

 肉の細胞一つ一つから臭みの原因物質を消去し、野菜のエグみだけを抽出して消し去りました。

 残っているのは、素材が持つ純粋な「旨味」だけ。


「野菜が……甘い。肉が、美味い……」


 彼はもう一度スプーンを握り直し、今度は貪るように口に運びました。

 二口、三口。

 止まりません。


「味がする……俺は、味が分かるぞ……!」


 大の大人が、それも「氷の貴公子」と呼ばれる男が。

 ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、スープを啜っています。

 数年ぶりに感じる「食事の喜び」に、魂が震えているようでした。


「……よかったですね」


 私はその様子を見ながら、そっと新しいティッシュを箱ごと置きました。

 泣きながら食べるのは行儀が悪いですが、今日だけは大目に見ましょう。

 彼が完食し、最後の一滴までパンで拭って食べるのを、私は静かに見守りました。


   ◇


 食後、少し落ち着いたルーカス様は、バツが悪そうに目を逸らしていました。

 泣き腫らした目が少し赤くなっています。


「……取り乱した。忘れてくれ」

「ええ、記憶から消去しておきます」

「それで、俺は……礼をしなければならないな。王都に戻れば、いくらでも金を用意するが」


 彼はすぐに立ち去ろうとしました。

 真面目な人です。

 ですが、その体からはまだ「薄汚れた疲労の気配」が漂っています。


「帰るのは構いませんが、その前にもう一つだけ」

「?」

「お風呂、沸いてますよ」


 私は親指で浴室を指しました。


「昨日洗ったとはいえ、寝汗をかいたでしょう。さっぱりしてからお帰りください」

「風呂……? こんなダンジョンの廃屋にか?」


 彼は半信半疑でしたが、私の「不潔なまま外出するのは許しません」という無言の圧力に負け、浴室へと向かいました。


 数分後。

 浴室から「……っ!?」という短い絶句が聞こえてきました。

 ふふん、驚いているようですね。


 我が家の浴室は、ただのお湯ではありません。

 『全自動温度管理オート・テンプ』により、常に人体が最もリラックスできる41度に保たれています。

 さらに、お湯そのものに『疲労回復』の概念を付与したバスソルト(自家製)を溶かしてあるのです。


 私は扉越しに声をかけました。


「どうですか、湯加減は」

「……信じられない」


 心底、呆れたような、それでいて蕩けたような声が返ってきました。


「魔力回路の詰まりが……溶けていくようだ。王城の大浴場ですら、これほどではない……」

「肩まで浸かってくださいね。一〇〇数えるまで出ちゃダメですよ」


 チャポン、とお湯が揺れる音がします。

 おそらく彼は今、浴槽の縁に頭を預け、生まれて初めての「完全な脱力」を味わっていることでしょう。

 こびりついた緊張も、責任も、呪いのような魔力中毒も。

 すべてお湯に溶けて、排水溝へと流れていくのです。


 しばらくして、風呂から上がってきたルーカス様は、別人のようになっていました。

 肌は血色よく艶めき、目の下のクマは消滅し、険しかった表情は憑き物が落ちたように穏やかです。

 湯上がりの濡れた髪をかき上げる仕草は、悔しいですが絵になります。


「……君は、何者なんだ」


 彼はリビングのソファに深く沈み込み、私を見つめました。

 その瞳にもはや殺気はなく、あるのは深い畏敬と、そして――縋るような熱量。


「ただの追放された令嬢ですよ。家事が少し得意なだけの」

「家事、か。これが……」


 彼は自身の掌を見つめ、握りしめました。


「ここには、俺が失ったすべてがある。味も、眠りも、安らぎも」


 彼は決意を秘めた目で、私に向き直りました。


「……頼む。しばらくここに置いてくれないか」

「はい?」

「金は払う。護衛もする。魔物が出れば俺がすべて凍らせよう。だから――」


 氷の貴公子が、必死な顔で頭を下げました。


「この家の『雑用係』として、俺を雇ってくれ」


 ……どうしてそうなりますか?

 まあ、力仕事をしてくれる人がいるのは助かりますが。

 この時の私は、彼が言う「しばらく」が「一生」という意味だとは、気づいていなかったのです。

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