第1話 役立たずと追放された令嬢はダンジョンの廃屋を修繕する
「ミラベル。お前のような役立たず、もう連れて行けん。ここで婚約破棄だ」
Sランクダンジョン『アビス』の前線基地。
魔導テントの中で、婚約者であるセリウス様の声が響きました。
彼の隣には、露出の多いローブを纏った赤髪の女性が張り付くように寄り添っています。
彼女は攻撃魔法を得意とする男爵令嬢。
勝ち誇ったような瞳で、私を見下ろしていました。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は努めて冷静に問い返します。
内心では「やっと来たか」と安堵の息を吐きそうになるのを、必死にこらえながら。
「理由だと? そんなことも分からないから『無能』なんだ!」
セリウス様が苛ただしげに、卓上の地図を叩きます。
「いいか? 俺たち『紅蓮の牙』は、この国の英雄となる選ばれしパーティーだ。求められるのは圧倒的な攻撃力、魔物を殲滅する火力なんだよ!」
彼は炎の刺繍が入ったマントを翻し、私を指さしました。
「だのにお前はどうだ? 使えるのは『火種出し』に『水出し』、あとは『そよ風』程度。攻撃魔法が一つも使えない魔導師なんて、荷物持ち以下のゴミだ!」
「ですが、野営の準備や食事の管理、装備のメンテナンスは私が……」
「だーかーら! そういう雑用は、誰でもできるんだよ!」
セリウス様が大声で私の言葉を遮ります。
隣の女性が、くすくすと意地悪く笑いました。
「そうよぉ、ミラベル様。私たちは命がけで戦っているんですもの。お茶を淹れることしか能がないお嬢様には、これ以上の階層は無理じゃなくて?」
「……」
ああ、なるほど。
彼らにとって、毎晩ふかふかのベッドで眠れることも、泥だらけの服が翌朝には新品同様になっていることも、温かくて美味しい食事が自動的に出てくることも。
すべて「勝手に湧いてくるもの」だと思っているのですね。
この国、魔導大国アルテッツァは、攻撃魔法至上主義。
派手な爆発を起こせる者が偉く、生活を支える地味な魔法は評価されません。
私は小さく息を吸い、頭を下げました。
「承知いたしました。今までお世話になりました」
「ふん、やっと分かったか。手切れ金代わりに、これをやる」
投げつけられたのは、羊皮紙の束でした。
床に落ちたそれを拾い上げると、どうやら土地の権利書のようです。
「ここの近くにある『旧管理小屋』だ。ボロだが、雨風くらいは凌げるだろう。そこで残りの人生、せいぜい得意な『おままごと』でもして暮らすんだな」
「……ありがとうございます」
私は権利書を胸に抱き、テントを出て行きました。
背後から、彼らの高笑いが聞こえてきます。
けれど、私の心は不思議と晴れやかでした。
だって、もう二度と。
あの汗臭い洗濯物を手洗いしなくていいのですから!
◇
基地から歩くこと、一時間。
私はダンジョンの入り口から少し外れた、「廃棄エリア」と呼ばれる森の中にいました。
かつて、始祖の魔女アルカナが隠れ住んだと言われる場所。
ですが、私の目の前にあるのは……。
「……うわぁ」
思わず、素の声が出てしまいました。
そこに建っていたのは、小屋というより「粗大ゴミの集合体」でした。
屋根は半分崩れ落ち、壁は蔦と苔に覆われています。
窓ガラスは割れ、そこから不気味な紫色の瘴気が漂い出ているのが見えました。
ギギィ……。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉が傾きます。
私は恐る恐る、中を覗き込みました。
「ひっ……!」
瞬間、背筋に寒気が走りました。
床には得体の知れない粘液がこびりつき、部屋の隅には埃の塊が山積みになっています。
さらに、天井からは巨大な蜘蛛の巣が垂れ下がり、その奥で何かが蠢いている気配が……。
不潔。
圧倒的、不潔。
その瞬間、私の頭の中で何かが弾けました。
前世の記憶――日本のコンクリートジャングルで働き詰め、清潔なワンルームマンションだけを心の拠り所にしていた、あの感覚が蘇ります。
(許せない……!)
生理的な嫌悪感が、私の魔力を爆発的に活性化させました。
貴族として、いえ、一人の人間として。
この「汚染」を見過ごすことはできません。
「駆逐します。一粒たりとも、残しません」
私は無意識に右手を掲げました。
詠唱など必要ありません。
私の生活魔法は、教科書通りの理論ではなく、「こうあるべき」という強いイメージによって発動するのですから。
イメージするのは、新築のモデルルーム。
塵一つないフローリング。
光を反射する磨き上げられた窓。
そして、深呼吸したくなるほど澄んだ空気。
「――『清浄化』!」
私の掌から、純白の光が放たれました。
それは波紋のように広がり、廃屋を飲み込んでいきます。
バシュッ! と音がしました。
床にへばりついていた粘液が、光に触れた瞬間に蒸発します。
積み上がった埃やゴミは、まるで最初から存在しなかったかのように粒子となって消滅しました。
それだけではありません。
腐りかけていた床板は、汚れという概念が抜けたことで、切り出したばかりのような美しい木目を取り戻します。
錆びついた金属は銀色に輝き、割れていたガラス窓は、そこに付着していた「破損」という概念ごと修復されていきます。
魔法は建物全体を駆け巡り、屋根の穴を塞ぎ、壁の苔を緑のアクセントに変え、ついには室内の空気さえも入れ替えました。
数秒後。
光が収まったそこには、森の中にひっそりと佇む、童話に出てくるような可愛らしいコテージが建っていました。
「……ふう」
私は額の汗を拭い、満足げに頷きます。
扉を開けると、木のいい香りが漂ってきました。
瘴気など微塵もありません。
床は頬ずりできそうなくらいピカピカです。
「これです。これが、私の求めていた『生活』です」
私は持っていた魔法の鞄から、愛用のティーセットと椅子を取り出しました。
セリウス様のテントでは、いつも彼らが飲み終わった酒瓶の片付けに追われ、自分でお茶を淹れる時間すらありませんでした。
窓辺に椅子を置き、腰を下ろします。
生活魔法で沸かした適温のお湯を注ぐと、アールグレイの優雅な香りが立ち上りました。
「……美味しい」
一口飲むと、体の芯から緊張が解けていきます。
静かです。
誰かの怒鳴り声も、不快な自慢話も聞こえません。
窓の外には、ダンジョンの鬱蒼とした森が広がっています。
けれど、私の結界の内側だけは、別世界のように平和でした。
「追放、感謝いたしますわ。セリウス様」
私はカップを傾け、どこかにいる元婚約者に感謝の祈りを捧げました。
もう二度と、あんな不潔な生活には戻りません。
この最高に快適なマイホームで、私は一生ダラダラと引きこもるのです。
――その時の私は、まだ知りませんでした。
この森の奥で、国を揺るがすほどの「厄介な拾い物」をしてしまうことを。
そして、私のこの『清浄化』が、単なるお掃除魔法の域を遥かに超えているということを。




