終話 命令
ようやくたどり着いた魔王城は、奇妙なほど静かだった。
想像していたような瘴気も、血の匂いもない。
崩れかけた城壁はあるが、手入れはされており、
人の――いや、魔族の生活の気配が残っている。
玉座の間に入っても、状況は変わらなかった。
玉座に座る魔王は、武器を持っていない。
威圧するような魔力も放っていない。
「……聖女か」
魔王は、アリシアを見てそう言った。
「そうだけど、今日は倒しに来たわけじゃないよ」
アリシアは、はっきりと答える。
「話をしに来たの」
魔王は少しだけ目を細めた。
「人間は、いつも話をせずに攻めてくる」
「知ってる。だから私が来た」
沈黙。
その間、ワシは一歩前に出て、アリシアの横に立つ。
「……そちらの忍は?」
「護衛。私の」
魔王は一瞬、ワシを見たが、すぐに興味を失ったようだった。
「なら、話は早い。
こちらから人間を襲う理由はない。
境界を越えてくるから、迎撃しているだけだ」
「人間側が攻めなければ?」
「争わぬ」
それだけだった。
難しい理屈も、裏切りもない。
ただの、当たり前の話。
アリシアは、ほっとしたように息を吐いた。
「じゃあ、私の仕事は終わりだね」
「……そうなるな」
魔王は立ち上がり、頭を下げた。
「聖女。無用な血を流させなかったこと、感謝する」
それで、全てが終わった。
⸻
帰り道。
山を下る途中、アリシアは急に立ち止まった。
「ねぇ、カゲマル」
「どうした」
しばらく、何かを考えているようだった。
やがて、意を決したように口を開く。
「あのさ……
“魔王を倒すまで”って命令、あったでしょ?」
「……ああ」
「それ、無しにしていい?」
問いかけだが、拒否される前提ではない。
ワシは、少し考えてから答えた。
「構わん」
即答ではなかったことに、アリシアは気づいたらしい。
「……じゃあ」
一歩近づいて、言う。
「命令」
その言葉に、体が自然と正される。
「これからも、一緒にいて」
縛りはない。
期限もない。
だが、命令だ。
「……了解した」
そう答えると、アリシアは満足そうに笑った。
「よし!」
それだけで、全部済んだらしい。
⸻
二人は、どこか遠くへは行かなかった。
人の少ない土地に小さな家を建て、
畑を耕し、静かに暮らした。
行商人を助けて菓子をもらい、
苦いのと甘いのを間違えなくなった。
「カゲマルー」
呼ばれる。
「なんだ」
それに答える。
伽藍堂でも、番号でもない。
ただの名前。
命令ではなく、呼びかけ。
ワシは今日も北へも南へも行かない。
彼女の隣に立っている。
それで、十分だった。




