肆話 発我
北へ向かう道中、街が一つあった。
ワシとアリシアは、面倒を避けるためにローブを纏い、フードを深く被る。
「なんか忍者みたいで、ワクワクするね」
「忍にそれを言うのか?」
「へへ、洒落てるでしょ?」
洒落ている、という感覚が分からず、返答はしなかった。
街はそれなりに栄えており、人の行き交いも多い。
隣から、微かな音がした。
――ぐぅ。
常人には聞こえないほど小さな音だったが、ワシにははっきりと聞こえた。
「腹が減ったのか?」
「えっ、聞こえてた!? 恥ずかし……」
少し頬を赤らめる。
忍は空腹を気にしないが、普通は違うらしい。
「何か食べるか?」
金はある。仕事柄、必要な物をいつでも買えるだけの資金は持っていた。
「やった! あれ食べたい!」
彼女が指さしたのは、「クレープ」と書かれた看板の店だった。
甘い匂いが鼻をくすぐる。
買ったクレープを、アリシアは嬉しそうに頬張った。
「おいしー! 君は食べないの?」
「腹は減っていない」
そう言った直後、クレープが口に押し込まれた。
「食べ物ってね、一人より二人で食べた方が美味しいんだよ。もっと美味しく食べたいから、君も食べて」
……そう言われてしまえば、食べるしかない。
甘ったるいだけで、何が良いのかは分からなかった。
だが、主人がそれで良いなら、それでいいのだろう。
⸻
日が傾き、宿を探し始めた、その時だった。
「……聖女?」
誰かが、そう呟いた。
アリシアは、反射的に振り向いてしまった。
そこからは、酷かった。
「裏切り者」
「聖女失格」
小さな声の罵倒。
後ろ指をさされ、石が投げられる。
ワシが前に立ち、石を受けた。
先の尖ったそれは、少し刺さった。
相当な敵意だ。
路地裏へ逃げ込み、人々の声が届かない場所まで離れる。
「……ごめん」
一息ついた後、アリシアはそう言った。
誰に向けた謝罪かは、分からない。
いつも明るく、冗談を言う彼女からは想像できないほど、落ち込んでいた。
目から伝わってくるのは、強い自責と自虐。
何か言うべきなのだろう。
だが、ワシには分からない。
忍は、人が望む言葉を知らない。
だから――
感情に従うことにした。
「アリシア」
名を呼ぶ。
「お主が命令してくれるのであれば、ワシはあいつらをぶん殴りに行こうと思う。無論、殺さない程度に。命令してくれないか?」
胸の奥から、不快な何かが湧いていた。
なぜ、彼女がこんな顔をしなければならないのか。
聖女の命令は「魔王を倒すこと」。
彼女は、それを果たそうとしている。
ならば、何をしても構わないだろう。
「……ふっ、はははっ」
アリシアは、腹を抱えて笑い出した。
「面白いこと言うね。君は、それを命令してほしいの?」
「無論だ。奴らを不快に思っている」
再び、彼女は笑った。
「ごめんごめん。そんな顔しないで」
そして、言う。
「いいよ。命令。あいつら、ぶん殴ってきて。私も、むかつく」
「御意」
陰口は本人に届かない声量だったため見逃す。
殴るのは、直接言った者だけだ。
「裏切り者の仲間が何の――」
最後まで言わせない。
殴る。
殴る。
殴る。
警備兵が来る前に、その場を離脱した。
戦えという命令は受けていない。
⸻
街を出て、追手を撒いたところで、ようやく一息つく。
「いやー、本当に殴っちゃったね」
「命令だったからな」
「それだと、私が悪いみたいじゃない?」
「忍の行動の責任は、主が持つものだ。血判にもそう書いてある」
「まぁ……そうだけど」
どこか、距離がある。
「どうした?」
「んー……ありがとね。色々、気遣ってくれたんでしょ?」
「何のことだか分からない。忍は、命令以外のことはしない」
「……そう言うことにしといてあげる!」
思いっきり、アリシアがぶつかってきた。
この程度で体が揺らぐことはない。
しかし、彼女が逆に吹っ飛ぶのが目に見えていた。
仕方なく体感を崩し、受け止める。
想定よりずっと、痛かった。
アリシアの弱さを知った。
彼女は聖女だが、普通の人間であり、人よりちょっと強い。
そんな彼女を、守っていこうと、思った。
伽藍堂の忍は、命令を再度認識して、北へ歩き続ける。




