嘘と耳かきと草鳥頭
フランス料理店 “エスポワール” 操舵輪を模したロゴが特徴的なこの店は数年前に本国フランスから銀座に進出してきた、ミシュランの二つ星を獲得している名店だ。
グラスに注がれた赤ワインは口に含む。華やかな香りと滑らかな口当たり。しっかりしたボディと繊細さを備えた味わい。 タンニンとのバランスの取れた酸味と渋みは年月を重ねるほど深みと芳醇さを増していく。シャトーマルゴーはその変化の豊富さから、美しく年齢を重ねていく貴婦人のように表現されるワインだ。
「美味しいわね」
「そうだな。昔は酒って言ったらビール一択だったけどな」
「そうなんだ。ちょっと意外」
「年を取ってこういうのが段々分かるようになってきたんだ」
「なんてワインだっけ?」
「シャトーマルゴー」
「聞いたことあるわね」
「五大シャトーって言って、有名なワインだからね」
「ふぅん、そうなんだ。私が知ってるのは、再放送のドラマか何かでてたからだわ」
「へぇ、そうなんだ」
言いながらカバンからスマートフォンを取り出し「シャトーマルゴー」「ドラマ」で検索する。出てきたドラマのタイトルを見て俺は思わず苦笑した。
ああ、なるほど。見たことはないが、このドラマのタイトルは何となく聞いたことがある。そう考えればまさに今日の夜にふさわしいワインだ。
そう思い、再びワインを口に含む。
メインの肉料理にもよく合う味だ。
ジビエーー蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼きだ。サクリとした食感のパイをかみ砕いた後、フォアグラの濃厚な旨味が舌を包み、噛んでいる内に鹿肉の野趣溢れる味わいが広がっていく。最後に赤ワインをひと口。馥郁たる葡萄の香りに心も舌も満たされながら、この後の予定を考え俺は悦に入る。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
グラスがカチンと鳴る。
腹も心も満たされたら、あとは互いに身体を満たし合うだけだ。テーブルに置かれた互いの左手の薬指には、それぞれデザインの違う指輪が嵌められていた。
◆
「ただいま」
「おかえりなさい」
家に帰った俺は妻はいつものように迎えてくれた。9月になったとはいえ、外はまだ暑い。脱いだジャケットを雑にソファに置くと、そのままどっかりと腰を下ろした。
「ああ、そうだ。来月の結婚記念日だけど、いい店を予約しておいたよ。銀座のフランス料理屋」
「銀座の? 凄そうな所ね」
「凄いよ。ミシュランの二つ星だからね。うちは子どもがいない分、イベント事がないからね。こういう時くらいは気合をいれないと」
「7年目だもんね」
妻が左手の薬指を見る。飾り気のない金色の指輪だ。俺の指に通された同じ色の指輪を見ながら妻は尋ねた。
「こういうの何婚式っていうんだっけ?」
「ああ、金婚式とか銀婚式とかのヤツ」
「そうそう」
「7年ね……えっと、銅婚式だって」
スマートフォンで調べて答える。同じ画面をのぞき込み妻は呟いた。
「銅か……ちょうどいいわね」
「いいか?」
「うん、だって10周年だったら錫になっちゃうじゃない」
「ああ……うん?」
錫だと何か都合が悪いんだろうか? 意味がよく分からないが、妻が良いというのなら別に文句はない。スマートフォンから視線を妻の横顔に向けたその時だ。
「―――――!」
真正面から妻と目が合った。
彼女が俺の横顔を無表情で凝視していたのだ。
「えっと…………」
「ねぇ、アナタ」
突然、表情が笑顔に変わる。見慣れているはずの妻の貌。だというのに酷く違和感を感じた。そんな妻が囁くように言った。
「耳垢が溜まってるわ」
「そ、そうなの?」
「ええ、すごく。耳掃除してあげるわ」
「耳掃除か……何だか久しぶりだね」
「そうね、嫌かしら?」
笑顔だというのに声は酷く冷えていた。
「嫌なの?」
「あ、いや……じゃあ、お願いしようかな」
「うん、してあげる」
◆
ソファの上にごろりと横になる。頭の下には妻の膝枕。
「こういうの久しぶりね」
「そうだね。付き合い始めた頃はよくしてもらったけど」
「あら、新婚の頃もやってあげてたわよ」
「そうだっけ。ごめん、ごめん」
「……………………」
頭は妻の膝の上に固定されているために、彼女の顔は見えない。
耳朶にそっと指が触れた。
「じゃあ、始めるわね」
「ああ、うん」
耳朶を摘まむ指に少しだけ力が籠る。耳の穴に何かが侵入する気配がした。
「ほら、こんなに溜まってる」
「痛っ!!!!」
「あら、ごめんなさい。久しぶりだったから、ちょっと力が入っちゃったわね」
声音に変化はない。スカート越しに感じる妻の太ももは妙に冷たく感じた。
「これくらいならどうかしら?」
再び耳の穴に何かが侵入する。垢の塊が引っかかったのか、カリッ、と音がする。
「大きいのがあるわ。取るわね」
「ああ、頼むよ」
耳孔の中で、グッ、と力が籠る。先ほどと違い痛みはない。同時にガリっと音がした後、ズルズルとした感覚とともに耳垢が排出されていくのを感じた。
「大丈夫そうね」
「うん、そうだね……!?」
耳の中から棒状の何かが引き出される。その一部が視界の一部を過った時金属のような光沢が視界に映る。
「今のは?」
「今の?」
「耳の中に入れたヤツ。耳かきじゃないよね」
「ああ、コレ。この前買ったのよ。チタン製の耳かきでよく取れるのよ」
そう言いながら、耳の中で金属製の何かが動く。当然、耳の中に入っているので俺には全く見ることは叶わない。
「ちょっと見せてくれるかな」
「良いわよ。終わったら見せてあげる」
「今、見せてくれないか」
「ダメよ。今、集中してるの。後でね」
断定の口調。妻の言葉に妥協する気配は一切ない。
耳の中ではカリカリと子気味の良い音。妻の声はどこか冷たい。それと同じくらい冷たいものが背中を流れるのを感じた。
今、俺の耳の穴に入っているものは本当に耳かきなんだろうか?
バレている? いや、まさか???
「レストラン楽しみね」
「あ、ああ……」
耳の中では相変わらずカリカリと子気味良く耳垢が削られている。
妻はひと言も話さない。
耳の中の音だけが、いやに大きく聞こえている。
気まずい。何か喋らないと
掌に汗を掻く。
天気の話でも何でもいい。今はとにかくこの沈黙が怖い。じゃないと、無防備な耳の穴に無造作に長いものが突き入れられて――
「き、綺麗な花だね」
無理やりに目の前に置いてあった花を見て話題を振った。
机の上に置かれたガラス製の一輪挿し。耳を人質に取られ、頭を固定された視界にはそれくらいしか入らなかった。
「ああ、そのお花。隣の奥さんがよく山歩きしてるでしょ。お花を採ってもいい所があって、お土産にもらったのよ」
「そうなんだ」
「キンポウゲの一種らしいわ」
「へぇ~、そうなんだ」
キンポウゲ……聞いたことがあるような、ないような花だ。紫色の花弁が袋の様に垂れ下がっている。透けて中身が見えるガラスの一輪挿しの中では、茎の部分から下がスッパリと切り取られていた。
「はい、おしまい」
片耳だけなのだが、妻は突然終わりを告げた。
「片耳だけだけど……」
「だってアナタ、何だかすごく緊張してるでしょ」
「まぁ…………ね」
「だから今日はこれでおしまい。また明日やってあげるわ」
そう言って耳かきを机の上に置く。一輪挿しの隣に置かれたそれは金属製の細い耳かき棒だった。
「はは……そうだよな」
安堵感に包まれる。
どっかりとソファに腰を下ろす。
一輪挿しと耳かき棒を眺めた後、スマートフォンに手を伸ばそうとして――
「あれ?」
スマートフォンが見当たらない。さっき検索してから、どこに置いたかな?
「はい、アナタ。お茶」
「ああ、ありがとう」
一輪挿しと、耳かき棒、その隣に並んだ二つのティーカップ。中身は赤金色の液体で満たされていた。
普段、俺はコーヒーしか飲まないのだが――
「最近、ハーブティーに凝っててね」
「そうなんだ」
「アナタにも飲んで欲しくって」
「そう、じゃあ、いただこうか」
別に紅茶が飲めない訳ではない。それにこの流れで断るのもばつが悪い。
そうしてティーカップを手に取った。
ふわりと甘い香りが鼻孔を擽った。
「美味しそうだね」
「ええ、きっと痺れるくらいに美味しいわ」
<了>
今回は初めてホラーに挑戦してみました。
幽霊とかとは違うベクトルで怖いお話ですが、色々捻りすぎて、ちょっと分かりにくかったかもしれません。
ホラー映画とかは苦手なのですが、また機会があったら挑戦してみたいジャンルですね。




