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8.

「大切なお知らせがあります」


 放送があり、校舎のなかで一番大きな講堂に全生徒が集められたのは、修学旅行の話題も落ち着いてきた、七月を過ぎた夏のことだった。


「みなさん、突然の呼び出しに応じてくれてありがとう」


 毎月行われる全校集会とは違い、臨時の集会。学園長はどんなときも、集まった生徒にお礼を伝えることから始める。冷房で温度調節がなされているが、真夏といえる気温のなか、全生徒が集められた講堂は見た目だけで暑さを感じさせる。それでも学園長は涼しい顔だ。


「ここに呼び出したのは、今までなかった新たな取り組みを伝えるため」


 新たなと取り組みという言葉に、なんだろうと思いつつも大げさに反応する生徒はいない。静かに続きを待つ。その様子をゆったりと見回した学園長は、よろしいとでも言うようにうっすらと微笑を浮かべてから、またゆっくりとうなずいた。


「みなさん生徒に、期間限定で執事をつけることになった」


 ざわっ


 この言葉には、大きな反応があった。“執事”という単語。ついこの間の修学旅行の話題としての一つで、一番盛り上がったものだ。

 歓喜する生徒、驚く生徒。近くの友人と話し始める生徒、真偽の確認に先生に目を向ける生徒。普段ならありえない声のあがりように、(ふい)は驚いた。講堂が突然熱を帯びたように燃え上がる。気温まで高くなる錯覚をおぼえた。仕方がないかもしれない。想像でどんどん憧れが膨らんでいたのだ。

たしか秘書の専門学校という話だったが、執事なのは、秘書というよりも執事というほうが、ここ清水(せいすい)女学園、お嬢様学園にとって性質としては合っているからだろう。

 学園長もこの反応は想像していたらしく、特に叱ることも窘めることもない。ただ静まるのを待っていた。少しずつ、ざわざわという音が小さくなっていく。


「みなさんすでに聞いているだろう。二年生の修学旅行で、一部の生徒が秘書の教育を専門とした学校の生徒とかかわりを持ったことについて」


 知らない生徒はいないはず。あれだけ話題になったのだ。詳しくは知らなくても、耳に入っていないとは考えにくい。


「わが学園には嬉しいことに、格式高い生徒が集まっている。巷ではお嬢様学園と呼ばれるね。それを鑑みて、社会に出て恥ずかしくないよう、一般の学校では教えないようなマナーも教えている」


 一般的な学校とは違うんだ、ということを学園長は誇らしく思っていると同時に、一緒にするなと遠回しに告げているように思う。


「そのマナーを、一時的に執事をつけることにより審査し、今後の教育に活かしたいというのが私の考えだ」


 執事として向こうの生徒に審査してもらう。足りない部分を先生と個人に伝え、今後の授業にてより強化してもらう。そういった方針だ。

 逆にこちらも執事に対し審査をする。向こうの執事も同じように不足部分に力を入れて教育を進めるとのことだ。お互いにメリットがある。


「相手の学校は秘書教育を専門としている。執事の勉強もさせてはいるそうだが、そちらの方面はまだわからないことも多いとのこと。一緒になって学びあい、力をつけるのが目的だ」


 生徒のうち、少人数にはすでに執事がついている。学校内には入れていない。独り立ちするための昔からの方針だそうだ。麗華もそのひとり。


「ちなみにこれは決定事項」


 息をのむ音がする。恐怖でも、驚愕でもない。嬉しさと高揚が大きいだろう。

 噂がよりハードルを上げているな、となんだか悪いことをした気持ちになってしまう。あちらではきっと、お嬢様に会った、くらいの話題にしかなっていないだろうに。申し訳ない。そんなことを考えているのは(ふい)だけだろうか。


「では詳しく話そう」


 期間は五週間。

 一週間ずつ順番に、違う生徒に執事の仕事を担ってもらう。五週間のうち、すべての学年に対応できるように配置するとのこと。だが担当してもらうのは四人。どこかの一週間で休みが入る。


「すでに実家で執事のいる生徒もいるね」


 そういった生徒だけは五週間すべてに担当をふりわけるそうだ。比較してもらい、より良い意見を与えるためらしい。たしかに現在勉強中の執事に対しより良い意見を与えられるのは、日常的に執事がそばにいる生徒である。効率がいいと言える。


「先に話した通り、向こう側にもこちらの審査をしてもらう。そのつもりで行動するように」


 恥ずかしいことをするな、とまたも釘を刺される。お嬢様学校と呼ばれるこの学園生徒が実際そうでなければ、面子がたたない。それはそうだなと思いつつ、吹は自分がうまくできるか心底不安になってきた。一般的な常識はあっても、いわゆる社交のほうは自信がない。


「今後、それまでの間、マナー教育はいつもより時間を多くとり、力を入れていく。そのつもりで」


 希望制にすればいいのに、執事なんていらないのに。ひとりが訴えても聞いてもらえないのは確かだ。執事とは憧れらしい。嫌がる生徒なんて他にいないだろう。

 土曜と日曜は本来休日だが、土曜日だけは執事あり。過ごしかたは好きにしていいらしい。日曜は執事のほうにもこちらにも休息が必要なため、お休みだ。とはいえこの日も好きに過ごしていいという。


「ひとりの女子高生と男子高生として過ごしてよろしい」


 これは向こうとも話し合いが済んでいる、と学園長が話すと、きゃぁ、とまた声があがった。つまり、日曜のみは、主人と従者ではなく、友人として一緒に遊びに行くことも可能ということだ。


「今回の取り組みは全員参加。それでも家族の了承を得て、署名をもらうように」


 署名が必要な理由は理解できるが、吹は誰に署名をもらおうか、面倒だ嫌だと暗い気持ちになった。ひとりだけこんな気持ちになっていても、熱を和らげることは不可能で、そもそも決定事項のこの取り組みはどうにもできない。

 ただし、一線を超えること、相手に迷惑をかける行為は禁ずるとこれまた釘を刺され、さらに詳しい内容は配布される通知を読むように言われて集会は終わったのだった。





 解散となり、教室にて。


「麗華様たちのかかわりがあったおかげで、この取り組みがあるのですね!」

「嬉しいです!」


 間違っていない。彼女が勇気を出してあのとき声をかけていなければ、今回の取り組みもなかっただろう。

 学園長たちはどこで見ていたのやら。興奮したクラスメイトたちを尻目に、なんてことをしたのだと責めたくなる気持ちが込みあがる。しかしその場に自分もいたのだから、彼女たちを責めることはできない。それが自分の意に反していたとしても。


「はいみなさん、静粛に」


 ぱんぱん、と手が打たれる。授業の時間がすでに始まっていることに気づいた生徒たちは、しんと静かにおしとやかに、席へ戻っていく。お嬢様モードに切り替えだ。溜息をつきたくなるのを抑える。


「臨時集会で学園長がお話しになったとおりです。今後、マナー講義以外の時間帯も、講義の時間と同じように行動してください」


 一般の高校生と同じ内容の授業の時間、休み時間、放課後などは度を越えていなければ許された言動も、その取り組みまでの期間はマナー講義の時間と思って行動しろ、ということだ。普段の行動はぽろりと出るもの。仕方ないと見逃されてきた部分もしばらくは許されず、堅苦しい時間がずっと続くとなると辛いと思う。

 とにかく、これから取り組みまでの間、生徒たちは誰もが本物のお嬢様としての行動を強いられることになったのだ。それでも生徒たちは取り組みを楽しみにしているため、大変とは思っていなない様子だ。教室のなかに光が舞うように見える。


 吹としては話す相手などいないに等しいため、会話の心配はほぼしていない。あとはおとなしく行動していれば指摘されることも少ないと思っていた。だが他の生徒は違う。楽しく友達とおしゃべりし、行動する彼女たちは、近いうちにその縛られた言動を苦しく思うときがくるだろう。




 最初は問題なかった。

 だんだんと疲れが見えてきたのは、約一週間経った頃。わたしの考えは間違っていなかったと、実感した吹だった。







 新しい取り組みについて、学園で臨時集会があった同日、秘書の専門授業を行うあちらの高校でも、通知があった。


「え、うそ」

「マジ?」

「そんなことがあるんですね」


 ぽろぽろと秘書らしからぬ会話が交わされたが、当の通知はデジタルで行われているため校長の耳に届くことはない。この会話は吹たちが出会ったあの五人の会話だ。


「これは秘書より執事の講義がスパルタになるな」

 これは班長、三年の孝支の台詞だ。どちらの学校でも同じことが行われるのは想像に難くない。

「またあの子たちに会えるんすかね?」

 わくわくを抑えられない二年のイチは、講義がスパルタになるなんて気にも留めていない。

「僕たちがあっちに行くんだね」

「近くのホテルに滞在ですか」

 二年のサトシと一年のタクミは滞在場所を確認し、すでに心の準備をしている。

「よかったな」

 孝支が幸にかけた言葉は誰にも聞こえていなかったかもしれないし、みんなが聞いていたかもしれない。ただ、幸はその言葉になにも返さなかった。


「えーっと、一週間後に担当相手を発表。え、それだけ?!」

「自分で調べろ、ってことだね」

「五人分調べるのに、時間短くありませんか?」


 お嬢様たちは一部を除き、担当してもらうのは四人。それは人数の違いからである。したがって執事を務める男子たちは五人を相手にしなければならないのだ。情報収集をすべて自分でするとなると、なかなか厳しいスケジュール。


 彼女たちと会ったのは六月中旬。現在七月に入ってもうすぐ夏休み。相手が発表されるのは八月にさしかかる頃になるだろう。が、夏休みも何度か研修がある。あちらでの研修が始まるのは、女学園の夏休み明けすぐの九月からだ。一か月あるではないかと思うかもしれないが、情報収集は難しい。麗華のような有名お嬢様ならまだしも、名の知れない生徒も多数。秘書研修も日程がばらばらで行われる夏休みに顔を合わせて情報のすり合わせもしにくい。


「うちの校長は鬼なんですかね」

 タクミがぼそりとつぶやいた。それには全員賛成だ。

「恥ずかしいところを見せないようにするぞ」

 孝支の言葉に「はい」と返事をして、他の班との共同作業を交渉すべく校舎を歩き始めた。


 彼らの学校は東京。コネを作って使って、情報を集めろという意味はあるが、鬼というたとえは間違っていない。がんばれと応援してくれる者もいない。お嬢様たちも同じく、スパルタ講義に心すり減らしていたのだった。


 この取り組みは、双方にメリットもデメリットもある。うまくやれば、お嬢様は良い秘書または執事を見極めその親、つまり大元のどこぞのトップが有能なその相手を採用しやすくなる。秘書は良い雇用先を、お嬢様のもとではよい秘書を手に入れられる。執事としても然り。

 逆に失敗すれば、秘書は名前を知られて未来の可能性を狭めることになる。お嬢様がしっかりしていなければその親はどんな教育をしているのかと疑われ、良い秘書は採用の候補から外すだろう。

 学園長と校長はそれぞれ、それらを理解した上でメリットを重視し選択したのだ。生徒を信頼してのことか、今後の入学人数を考えてのことか、そこまではわからない。ただ、現在の生徒である者たちがテストとして使われるかたちになるのは間違いない。せっかく手に入れた機会を手放すことはしない。それが両方の長の考え方で、一致していたのだった。






 一般的に必要とされる学習の授業内容は、お嬢様として教養は必要なため、一般の高校のなかで進学校といわれる偏差値より高いクラスの難しい授業だ。丸暗記でどうにかなる現代文、古文、英語の一部分や歴史はさておき、それではどうにもできない数学と化学が吹にとって大変なことになっていた。マナーや立ち居振る舞いの授業が増えたうえ、本来自由に使えるはずの放課後の時間にもレッスンが入ってしまっている。遅れている理系の勉強もなかなか進められず、次の試験が心配でならない。


 夏休み中、独学はできるが先生がいない。正しく言えば、先生はいるものの守衛の仕事があるときのみ。守衛の仕事があるため、申し訳なさがあって尋ねに行きにくいのだ。寮の当番に理系の先生が来ているときだけ、質問に行くことはできる。夏休み中、一週間分くらい理系の先生がいるとして、なかでも教えてもらえるとしたら一日一時間くらいだろうか。マンツーマンと思えば特別授業ともいえるが、吹にはもの足りないでは収まらない時間だ。お嬢様になりたいとは思わないが、個別で教えてくれる先生がいる生徒、例えば麗華をうらやましく思うのはこういったときである。


 マナーレッスンのほうは、もとからしずしずと暮らし、なるべく話さず目立たず過ごしてきた吹にとってはそれほど苦ではない。立ち居振る舞いは麗華たちをまねしていればどうにかなると思いたいし、言葉遣いは先生を見習い、小説で読むような雰囲気を醸し出していればそれもどうにかなると思いたい。今回の取り組みの結果なんて、正直なところ気にしていない。


 卒業後は奨学金を得て大学へ進学するつもりの吹にとって、社交マナーレッスンはたいして必要がないのに、こんなことになってしまったのはなぜだろう。あの人たちに会えたことを不幸であったとは不思議と思わない。麗華たちが混浴で助けられ、あの夜歓談する機会を得たことも仕方のないことだ。双方の長が陰でこそこそ話をしていたことさえ知らないが、新たな取り組みを決めてしまった学園長と向こうの校長に対し、余計なことを、と思うしかない。


 最初こそ浮かれていた生徒たちも、すぐに夏休みが来てしまうこともあって、マナーレッスンは生徒たちにとって辛いものとなった。夏休み前には試験が行われることになっており、通らないと夏休みの最初の期間を使って、追試が行われることに決まったという。せっかくの夏休み、別荘へ避暑に行ったり友人のそういったところへ招かれたりするのがここの生徒の慣例だ。その楽しい夏休みを一部分でもマナーレッスンに取られてしまってはかなわない。そして追試が必要なほどの成績だと知られてしまうのは、本人にとっても親にとっても喜ばしいことではない。ということで生徒たちはがんばって勉強し、結果、誰も追試を受けずに夏休みを迎えることができたのだった。


 ただし夏休み中にせっかく叩き込んだマナーが抜けてしまっても大変だ。オンラインレッスンは夏休み中も行われ、新学期を迎えたときにそういった言動がみられる場合、取り組みには不参加となると後日通知が来ている。ならわざと不参加にさせてもらおうと思ったが、吹もそれができる事情ではない。参加の通知はきちんと書類で届いていて、きちんと送られるべき相手へと届いている。


 しかし追試の件も新学期の件もどこからか流れてきた噂だった。情報の早いお嬢様たちにとって、噂は大切な情報源。本来ならその情本源を調べ、本当か嘘かを調べるのだが、今回に限ってはそういったことをしなかったらしい。もしかしたら、マナーをしっかり体に叩き込むために、学園長の手の平で転がされたのでは、と思っている。実際、吹の期末試験の成績は芳しくなかったのだが追試の通知は届いていない。


 修学旅行であの五人と話す機会を得ていた吹を除く麗華たちは、夏休みの半分を麗華の別荘にお邪魔して過ごしている。麗華の執事と教育者からマナーをしっかり学んでいたことは、秘密のお話。





 真夏、暑さが辛い八月。吹は寮の居残り組だ。正式には組ではない。帰省しない生徒は吹だけだった。吹がいなければ寮の守衛室に先生がいる必要もない。吹は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。その気持ちをどうにか返したくて、一年のときから長期休暇の期間は食事を自分で作っている。その他の家事もすべて自分で行い、他個人の部屋を除いた廊下などの共用部分の掃除も担っている。一日を過ごすための家事時間には、ちょうどいい広さかもしれない。

 食材だけは学校が用意してくれている。守衛室に理系の先生がいるときは数時間勉強を教えてもらうこともあるが、夏休みの毎日を、家事と勉強に費やしている。まったく女子高生ならぬ夏休みだ。


 お盆といわれる日が訪れた。朝からもち米を炊いて、小豆から餡子を作っていた。ひとりしかいないこともあり、欲しい食材はそこまで高級品でなければ希望のものを用意してくれる。とはいえ、吹が食材を希望するのはこのときだけだ。


 もち米が炊けたらすり鉢で半殺しにする。お米の形を保っているくらいが好みだ。餡子がくつくつといい音を立ててきたら味見をし、冷めたときに甘さが足りないと思わないよう熱いときには少し甘味が強いと思うくらいの甘さ加減で餡子を作る。自然な触感が好みで、ねっとりとしないように気を付けながら俵型にまるめたもち米を餡子で包んでいく。

 今度は、小さく丸めた餡子をもち米で包む。すった胡麻に白砂糖を混ぜたものを、餡子を包んだもち米にまぶす。胡麻がまた良い香りを立てる。

 最後は餡子ではなくきなこ。たっぷりときなこをまぶす。これに餡子は入っていない。金色になったきなこが他の二種類にくっつかないよう細心の注意を払う。

 これらを百均で買ったプラスチック製の小さなお重に詰める。風呂敷で包むと、守衛室へ向かった。


「先生、出かけます」

「えーっと、申請はあるな。門限までに帰ってくるんだぞ」

「はい」


 よかったらこれ、召し上がってください、と透明のパックにひとつずつ詰めたおはぎを渡すと、ありがとうと受け取ってもらえた。


「熱中症にも気を付けるように」

「はい」


 寮内は快適な気温湿度で保たれている。暑さなど気にする必要もなかったが、外に出るとすぐ、じっとりと汗ばんできた。真上から降り注ぐ太陽の熱。自分がグリルに入っているようだ。黒い日傘をさしていても、日差しだけ遮れるだけで熱ばかりはどうにもできない。

 ありがたいことにバスは五分も待たず、ほぼ時間通りにバス停に到着してくれた。無事に目的地へ出発することができた。今年も、無事。







 夏休み中、情報収集という名の事前確認で、秘書兼執事の彼らは女学園前に訪れていた。平日や長期休暇以外に女学園前に来ていたら、覗くことをしていてもしていなくても、不審者とみなされて捕らえられるか事情を聴かれるかしていただろう。

 ただし現在は夏休み。生徒たちは帰省し、華やかな雰囲気を発する源がない。丘の上にあるこの女学園は、周囲に木々がありちょっとした森林だ。散歩や避暑を目的として来てもおかしくないシチュエーションといえなくもない。実際、お嬢様学校を一目見るため、こういった期間に近くまで来る人間もいると聞く。ちょうどいい機会ということで、情報収集代行のために孝支たちは女学園まで来ていた。


 おまえたちがきっかけだろ、なにかあっても理由ができると、多くの生徒から願われて、わざわざここまでやってきたのだ。ここまで来て、写真を撮って雰囲気を細かく感じ、洩れることなく学内の造りをなんとなく把握し戻って報告するだけで、自分たちと同じ担当のやつらから相手の情報をもらえ、同じでなくても知っている情報を交換できる。なかなか悪くない、というより条件の良い取引でここまでやってきた五人。


「うわぁ、中が全然見えませんね」

 見えるのは校舎などの建物の屋根くらいだ。

「あの形からすると、ここが校舎だろう、それで……」

 歩きやすさからして講堂やら寮やらの位置を判定していく。違っても仕方ない。見えないことを写真で証明する。今はインターネットで衛星写真が見られる。そのあたりもぬかりなく調べていく。

「どんだけ広いんすか」

 学園の周りを一周歩いてみると、いくら小高い丘とはいえ暑さがより辛くなった。ねっとりと汗が気持ち悪さを増していく。広さを気にする言葉は無視して、懸命に調査を進める。いくら取引とはいえ、これは自分たちのためにもなる事前調査なのだ。


「あそこが通学組の門だな」

「だとすると、みなさんここを通って合流して……あそこあたりが玄関ですね」

「とすると、あの入り口はサロンか?」

「大講堂はあれで間違いないな」

「図書室は校舎とつながっていますね」


 衛星写真と本物とを擦り合わせ、だいたい把握した彼らは、小さな門を発見した。

 お嬢様学校と言われるこの学園に、中への入り口は少ない。正面入り口と通学組の車の入り口。正面入り口は先生も同じく使うようだ。だとすれば、もうひとつのあれはなんだろう。

 見ていたら、人が出てきた。黒い服に身を包み、黒い日傘をさしている。


「先生ですかね?」


 スーツに見えるその服だが、ストッキングまで黒い。この真夏に季節感を大切にするお貴族様が色付きストッキングを履くだろうか。


「喪服じゃないか」


 ちょうどお盆に入った。喪服と言われるとそうにしか見えない。学校から出てくる人が喪服なんてあり得るだろうか。ここの生徒たちが長期休暇に学校に居座るとは考えにくい。


 女性は風呂敷と保冷バックを抱えている。和風の生地である風呂敷には立方体のなにかが包んである。肩にはエナメル質に見える保冷バック。なんともちぐはぐな持ち物だ。

 その人はバス停に向かい、長く待たないうちにバスに乗ってどこかへ向かった。彼らが帰る方向と逆方向だ。どちらに行っても駅があるが、大きい駅がある方向ではない。


「んんん~?」

「どうした」

「なんかあの子、見たことありません?」

 ほら、とスマートフォンを見せられる。

「おい、他人を勝手に写真撮るな」

「すんませーん、でも、ほら」

 全員が画面を覗く。

「ぶれぶれじゃん」

 二年サトシに呆れ顔をされてぺろっと舌を出すイチ。たしかにぶれていて誰だか判別はできないが、

「若いな」

 何人も研修で相手にしてきた彼らには、それが若い人だと分かった。同年代の可能性が高い。それでも顔の判別はできない。日傘をさして陰になっているのも原因だ。


「あの門は臨時の出入口なのかもな」


 長期休暇は正面の門も送り迎え用も鍵がされていた。とすると、こういうときのために臨時で使用する門が必要だ。私立とはいえ、先生に長期休暇は関係ないだろうと男たちは考える。

 だがそれは誤りである。実際は先生たちも長期休暇期間だ。公立ではないため、ここの先生は公務員ではない。吹のような生徒や悪いことを考える人間のため、順番に学校へ来る担当がまわってくる。守衛室以外に人はいないのだ。あの小さな門が彼らの言うとおり、臨時の門であることは間違っていない。図書室と寮が、居残り組の入れる場所に限られる。


 それはさておき、二年イチはやっぱり見たことあるなぁと思っていた。実はサトシも。バスの中で、見たことある人を脳内でピックアップする。この学園で見たことあるとすれば、ホームページにアップされている一部の先生の写真。感じたほどに若い人はいなかった。ではあとは誰か。あの宿に泊まっていたここの修学旅行生たちしかいない。会ったのは二年生。廊下ですれ違った生徒、混浴で会った生徒、朝食どころで見かけた生徒、あとは……


「あ」


 いた。あの子だ。


「そうだろうな」


 漏れた「あ」の一言の意味を理解したのが一人いた。理解とともに、口にするなと牽制された気がして、声を出してしまったサトシと、最初に気づいたイチは、名前をそのまま飲み込んだ。だんだん駅に近づきながら町の景色に代わっていく窓の外を眺める。


 なぜあの子は今ここにいて、喪服で出かけるのだろうか。個人を探りすぎてはいけない。残念ながら、彼女の担当はこの五人のなかにはいなかった。考えるのはきっぱりやめた。気づいている。五人とも。うち一人は、じっとり二年を見つめている。体に染みだした汗みたいだ。


 もうすぐ、新学期がやってくる。


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