33.
一年がとおり過ぎるのは早かった。あれやってこれやって、と時間はどんどん過ぎていく。本来なら、充実した時間というのは長く感じるものらしい。だが、残念ながら吹の場合は早く終わってしまった。
去年の今頃は修学旅行に行っていたな、と思っていたら、進路の希望を確定にされる。二年のときは早く独り立ちしたくて就職を希望としていたが、三年になったらもっと学びたくなった。歴史について。執事についても学べそうな西洋史学にしようかと思っていたら、幸に相談したところ、日本史学にしたらと提案された。自分の力を知るのには日本の昔の文化を知っておくとよいのではないか、という提案だった。西洋学なら幸が教えるからと、そういった提案を受けて叔父と叔母と相談し、結果自ら日本史学を選択。容量の少ない頭に歴史やらなにやらを詰め込むことになる。苦手な理系でなくてよかったとは思った。
気が付けば秘書の学校との共同研修が始まり、神宮司家のためにまた講義をみっちり受けることになる。麗華と幸と恵一と、たくさんの人の協力のおかげで研修の結果は去年より良い成績になった。ちなみに、研修の三年のトップは仁志が一位、恵一が二位。二年では巧が一位でこの三人のグループは変わらないが、なんとあのときの一年生、現二年生がどんどん成績を上げてきて、今や巧に届こうとしているそうだ。巧は今の地位を守るため、がんばっている。無意識の言霊を発してしまったのではないかと心配にはなったが、これは本人の努力がないと叶わない結果である。巧もあの方もがんばれと心の中で応援する。
それが終わる前に、麗華と恵一のお披露目があった。ここには学園の三人と高校のときの四人も招待され、お祝いだ。あとは恵一の頑張り次第。まだ紹介がなかった吹の養子入りも、麗華が今こそとサプライズを考えていたらしく、知れ渡っていることではあったがここで正式に公表となったのだった。
共同研修の前に行ったのは、研修があったからそういう結果になったのではないかと噂されるのを防ぐためだ。変な噂がたっては大変だ。良い意味では、そのために学園に入る人もいるかもしれないが、麗華がいやな思いをするかもしれない。叔父はもともとそう考えていたが、恵一からの提案もあったらしい。麗華のことを一番に考える恵一に、家族たちはとても好印象を持っている。
気が付けば秋は過ぎていて、残念ながら推薦の枠をもらえなかった吹は、勉強をがんばった。大学はたまたま、幸の大学とそう遠くない位置にある。会える機会が増えると思うと、絶対に合格しなくてはと燃えてきた。
麗華は女子大学に通うことになった。家柄は関係なく、推薦を受けてすぐにするりと進学を決めてしまう麗華を尊敬する。恵一は残念半分、安心半分だという。残念なのは、同じ大学に通えないこと。安心なのは、麗華をほかの男に取られる可能性が少なくなることだ。恵一も経営の勉強を進めたいらしく、そっち方面に行くという。
「仁志さんは就職よ」
仁志は意外にも就職を選んだ。家の警備会社を手伝うのだろうか。
巧は進学を考えているが、まだ一年高校生活がある。もう少し先の話。他の女性三人も進学だ。進学を止められることはなかった。
冬に試験を受けて、結果を見に行くのは幸と麗華と一緒だった。番号を握りしめて、発表されるのを待つ。
「あったー!」
麗華と抱き合った。このときばかりは幸も不満な顔をしなかった。奨学金をもらおうと思っていたが、もう我が家の娘だから奨学金など許さん、と叔父にきっぱりと言われてそれは叶わなかった。いつか、どういった形かでこの恩はお返します。
幸のことは何度か家に招待していた。一回目は叔父と叔母からの招待で、その回こそぴりぴりとしていた空気はすでになくなっている。家族に認められていると考えていいだろうか。吹の相手をしっかり見極めようと思っていた叔父と叔母は、すでに結果を下している。
さてその何度目かのご招待。食事中のこと。
「幸君」
叔父から呼ばれた幸。
「はい」
「よかったら吹と同棲してみないかね」
「?!」
驚きで声にならない声をあげたのは吹のほうだ。
「よろしいのですか」
謙虚な姿勢ではなく、受け入れる姿勢の幸。
色々と心配なはずだ。だが、
「こちらから持ちかけているのに、よろしいもよろしくないもないだろう」
「そうよ」
「しっかりお守りします」
「うむ」
にこにこしている三人、冷静さを失わない幸。少なくとも、家族三人はもう決めていたことだ。吹はひとりであわあわしている。吹の意見は聞いてくれないのだろうか。一人暮らしの準備をわくわくと考えていたのに。
「ではさっそく家を探そう。引っ越しはいつでもいいね?」
「はい」
「いくつか候補をあげてあるわ。二人でよく考えてちょうだいね」
吹のことはその場にいないかのように話が進んでいく。これはもう決定事項だ。幸は現在暮らしている一人暮らしの部屋があるというのに、いいのだろうか。
「れいちゃん……」
心の準備ができていない吹は、麗華に助けを求める。が、麗華は手を貸してくれない。麗華としては、両親は決定事項を曲げないとわかっているからで、幸を認めているからでもあり、同棲の件に口を出すべきではないと考えていた。
「ここに恵一さんが来ることになったら、わたし邪魔だもんね」
それなら自分から意地悪をしてやろうと、麗華にぶつぶつ言うと、麗華が赤くなる。まだ恵一の成績は決まっていないが、来ることになったら吹と恵一が入れ替えで四人暮らしだ。
そんな様子もほほえましく見ている親二人。今まで見られなかった娘の表情を、吹が引き出してくれているのが嬉しいのだと思う。
「春樹さん」
麗華の父である相手であり、吹と結婚していない幸は、麗華の父をお義父さんとは呼べず、名前で叔父を呼ぶ。
「なんだね」
「もし恵一さんがここへ来るとしたら、執事はどうするのでしょう」
もともと大企業の娘の麗華。上り調子の企業の次男がそこへ婿入り。すると役目も危険も増える。二人のことを支える人間も必要になる。
「ああ、それなら相談してあるから心配ない」
「出過ぎたことを申しました」
「いやいや、ありがとうね」
「そう、幸さんはあとであたくしと春樹さんと三人でお話しましょう」
「承知しました」
なにを話すのかは同棲のことだろう。そこに吹がなぜ呼ばれないのが不思議だが、なんで何も教えてくれないのだのなんだの、騒ぐのがわかっているからだと思う。
「早く結果決まるといいね」
「ええ」
麗華はすっかり恋する乙女になっている。いつのまに、とは思わない。恵一が二人の自撮り写真や麗華のかわいい顔をしょっちゅう送ってくれる。そのときの麗華は女の子の顔だ。素直に答えてくれるところを見るに、麗華は恵一がここへくることを願っている。
そんな話をしている間、幸は両親と客間に移動していた。
「さて幸君」
姿勢を正す。
「吹との同棲だが」
「あなた、あたくしからお話しますわ」
同棲の話は前にこの二人から聞いていた。どうかと尋ねられて、お二人がよろしいのであれば、ぜひ、と答えた。
「もうすぐ吹も大学生になります。立派な大人ですが、まだ心配なことはあります。隣にあなたがいてくれるだけで安心だから、これを提案しました」
これというのはもちろん、同棲の件だ。
「しっかり守ってください」
「はい」
「守るのは、あなた自身もです」
その言葉には幸もすぐに「はい」とは言えずにいた。
「あなたが自分を守れなければ、吹が悲しみます。そもそも自分を守れない人間が吹を守れるはずがありません」
そのとおりだ。今度こそ、「はい」と力強く答える。
「では、これから決め事を伝えます」
また姿勢を正す。
「浮気は厳禁」
「はい」
当然。
「吹を悲しませたら即退場」
「はい」
退場とは、お付き合いや同棲を許可しないという意味だ。
「月に一度は二人で帰ってくること」
「はい」
はい、とは言ったが、帰ってくる、という言葉がどこか嬉しい。もうこの人たちは、自分を家族として受け入れてくれている。帰省の一環だ。
「以上」
追加があれば足していく、とのことだ。
「それで、同棲だからいろいろあるでしょうけど」
「はい」
「さきほどお話したことと重複しますけど、吹はもう大人だから、守ることを守ってくれれば、吹のことは煮るなり焼くなりなんでもしていいですわ」
語尾にハートマークが付きそうな言いかたに、幸は初めて冷静さを失った。その意味をすぐに悟った。体が熱い。はい、とは答えられずにいた。にこにこと幸を観察する二人は、にこにこというよりにやにやだ。しゅぅ、と頭から湯気が立っているのを知っているのはこの二人だけ。
「では解散」
最後が一番重要な内容だったと幸は思う。この二人には勝てない気がする。
「お父様!」
ばん、と扉が開いた。
「お行儀が悪いね麗華」
さっきのにやけ顔はどこへ行ったのか、父は呆れ顔で麗華を注意する。
「申し訳ありませんが、大変ですわ!」
「なんだい麗華、落ち着きなさい」
れいちゃんれいちゃん、おちついて、ね、と後ろで麗華の背中をとんとん叩く吹は、麗華に集中していて、まだ顔がほこほこしている幸の様子には気づかなかった。
「恵一さんが!」
ぴくりと父の眉が動く。母は目を据わらせた。
「主席で卒業です!」
「なんと!」
スマートフォンを父に見せる麗華。そこには、主席がつけるバッジをじゃーんと持った恵一が映っている。もちろん、任命されたことを示す通知と一緒だ。後ろに小さく、悔しそうな仁志の姿があった。
「お、お許し、いただけますか」
何度も瞬きをして、体を固くして、堂々としたいつもの姿をなくした麗華。条件に主席で卒業と作っていたが、まずは親の許可が必要だ。両親はお互いに目を合わせる。
「幸せになりなさい」
母もにっこりとうなずいた。
麗華は目を潤ませて、手を口に当てている。このお顔を恵一に見せたかったが、残念ながら今、手元にスマートフォンはない。
「ありがとうございます」
麗華は大きく腰を曲げて頭を下げた。吹と幸は二人で拍手。
「結婚式はどうしましょうか、あら」
涙を流しているのは父だ。娘がお嫁に行くことを嬉しく悲しく思っている。
「もう、春樹さんったら。麗華はずっとこの家にいるのよ」
大切にされていることを改めて感じた麗華。
「結婚はもう少し、待ってほしいのです」
「なぜだ」
もしかして嫌になったか、と父が前のめりになる。それならすぐに婚約は白紙に、と思っていた。
「今の状況をもう少し、楽しみたいというか、味わいたいというか」
そのぉ、と指を絡ませる麗華は、婚約の時間が、恋人としての時間が楽しいのだ。
「ええー」
幼い子供のように、不満そうな父が口に出す。父としては悲しいのはあるが、娘のドレス姿を早く見たいのだった。
「恵一さんはきっと、麗華の意見を尊重しますわ。父親として負けてますわよ」
それを聞いた父は、しゃきっとして麗華に、仕方ないな、と許可を出した。吹としても、かわいい麗華をもう少し観察していたかったため、麗華の申し出は嬉しい。いいニュースを聞けて親子三人の様子を一歩後ろから眺めていたら、幸がそっと、腕を肩にまわしてきた。斜め上を見ると、嬉しそうな光が、瞳にきらんとまわったのだった。
「やばい! オレ! 麗華ちゃんと結婚!」
わーわーと体でも言葉でも嬉しさを隠さない恵一。学校内ではただ主席の座をもらったことを嬉しいとだけ見せていた。条件について知っているものは少ない。だが巧と仁志と三人で外に出て、仮の家に帰ると、このありさまだ。
「僕がとても悔しい思いをしているの、わかってるのかなあいつ」
「わかっていませんね」
神宮司家の圧力もなく、吹の言霊もなく、恵一は自分の力で主席の座を勝ち取った。今まで一位を譲ることのなかった仁志はとても悔しい。が、この嬉しさを目の前で見せる恵一を見ると、毒気も抜けてどうでもよくなりそうだ。
「僕もあいつに負けないようにしないと」
代わりに主席とります! と巧は誓った。
「あとで吠え面かかせるから安心して」
もういつもどおりの柔和な笑みに戻った仁志。なにかありそうだが、巧は聞かないことにした。
「きっとあいつ、もううきうきだよ。今の喜びかたじゃ足りないくらい」
「そうなんですか」
さすが幼馴染、わかるんだな、と巧は感心する。
「いつ神宮司家に行くんですかね」
それについて仁志は答えない。
「幸さんと吹さんが同棲するより後なんじゃない?」
「同棲?!」
巧はその情報を知らなった。孝支からの情報らしい。
「幸さん、幸せだねぇ」
「あの二人、どんどん先に行ってしまいますね」
恵一も麗華も、先輩の仁志も。自分が置いて行かれる気分で、悔しいとさみしいが同居する。
「巧は自分のペースでいいんだよ。まずは僕のかわりに、主席卒業、頼んだよ」
「はい!」
巧は元気よく返事した。
恵一と麗華は正式にお互いの家に挨拶をし、恵一は結婚こそしていないが神宮司家の次期当主としてすでに麗華父の手伝いを始めた。当主という表現は少し間違っている。現当主は麗華父の兄だ。麗華父の後を継ぐ、準備を始める。学校もあるのに忙しい毎日。麗華は恵一との時間が少し減った気がして、どこかさみしい。
やっととれた二人に時間。そのとき。
「イチさん」
麗華はこの呼び方を変えない。
「ん?」
「わたくしたちに従者をつけることになったのよ」
「そうなん? オレがいるからいらないのにぃ」
秘書と執事と、専門的な勉強をしてきて、しかも首席で卒業した恵一に、必要はないようには思う。
「学校にも通って、父の手伝いもするのに、秘書までやっていたら体を壊してしまいますわ」
「え、なに、オレの心配してくれてるの?」
ソファに座る麗華を後ろからそっと抱きしめる。おちついた声を出して、麗華にどきっとさせるのが婚約した時から恵一の戦略だ。
「心配するに決まっているでしょう!」
否定されない。恵一はくぅ、と幸せをかみしめ麗華を少し強く抱きしめた。かわいい。この手を払われないのがまた嬉しい。
「もう、決めているのですわ」
「え、オレの知らないところで勝手に?」
「使える人材のスカウトは早くからしておかないといけませんから」
ということは、恵一がここへ来る、つまり主席を仁志から奪うことを信じていてくれたのだ。この家は。
「では紹介しますわね」
「え、もしかしてもういるの?」
恵一としては、歳のいったベテラン老紳士くらいが嬉しい。同い年くらいだったら、嫉妬してしまいそうだ。
ぱんぱん、と麗華が手を叩くと、返事ではなく部屋にノックがあった。
「どうぞ」
音もなく扉が開く。
「!!」
ぴょんと体が麗華から飛びのく。
「お久しぶりでございます、麗華お嬢様、恵一様」
やわらかい声。胸に手をあてて礼をし、あげられた顔には声と同じくやわらかい笑みがある。
「今後お世話させていただきます。よろしくお願いいたします」
名乗らないのは、なぜか。
「なんでここにいんだよ、仁志!!」
それは二人がよく知る相手だったからだ。
そこにいるのはあの、よく知った、切磋琢磨した、首席を競った、幼馴染の、仁志だった。
「声が大きいですよ、恵一様。本当に主席で卒業できたのが嘘のようですね」
嫌味たらしく言う仁志。楽しそうに笑う麗華。そして顔を青くする恵一。
大きな声で様子を察した両親は、これから楽しくなりそうだ、と思っていた。
幸から警備などの心配をされる前から、誰かを雇おうと思っていた。そこに麗華が提案したのが、仁志だ。
「仁志さんはイチさんの幼馴染で、イチさんが企業の次男ということを知っていたそうよ」
「ほう」
「とても優秀だそうね。今恵一さんが主席の座を奪おうとしているのが彼なのよね」
「ええ」
「ほう」
「しかも警備会社ということで、体術が身についていて、とても強いの。あの幸さんのパンチを止めるくらいに」
「それはすごい」
現場を見たわけではないが、仁志に幸が勝てないのは体術だという。
「で、麗華はなにが言いたい?」
「仁志さんをわたくしたちのボディガード兼秘書にしたらどうかと思うのです」
「うん」
父が悩む。歳が近い。というか同年齢だ。長くずっと一緒にいられるという意味では、今後にメリットがある。が、そんな優秀な男が麗華の近くにいたら麗華はどうか。もしものことが考えられなくもない。逆もありうる。悩む父に、麗華が小声で後押しする。
「イチさん、仁志さんの圧は苦手みたいですわ」
いつもにっこりと笑っている仁志。声を荒らげることも、その笑みを絶やすこともほとんどない。相手への気遣いも忘れず、恵一と違う面で人とうまく仲良くなる。
そんな仁志は、怒ると怖い。顔は笑っているが、心が、目が笑っていない。背後からのぼりだす黒いオーラは、恵一を怯えさせる。主人に意見をする必要もある秘書としては、間違ったことをする主人をとめる技能も必要だ。恵一はたまにはめをはずす。いきすぎなことはしないが、それを止められる一人が仁志だ。
「ほぉう」
「実家の会社は大丈夫なの?」
仁志の家は地域を大切にする警備会社。最近は手を広げている。家を継ぐ人間はいるのか、母は心配している。
「もともと継ぐつもりはなかったみたい」
誰かの支えをするのが性に合っていると早いうちに気づいた仁志。やるとしたら社長の補佐くらいだと悟ったときから家に伝えていた。早くに伝えていたため、父は後継者の準備もばっちり進められて、いとこを教育中だ。支えは、幼いころから恵一と一緒だったからかもしれない。
「というわけでご実家の心配はいらないようです」
必要な時にアドバイスくらいはできるよう、臨機応変な契約をしたらどうかと麗華は考えていたが、優秀なコンサルタントがついたらしく、それも必要なさそうだ。
「そうか、ではさっそく連絡とってくれるか」
父はすぐに連絡、会って話して、成績の聴取をして、さらりと決まってしまったのだった。
「なんのいやがらせだよ!」
二人でラブラブな日常を過ごしたいのに、やりにくくなってしまった。知り合い以上で仲良しの幼馴染が近くにいたら、やりたいこともやりにくい。
「お気になさらず」
ぺこりと礼をする仁志は、もう秘書兼従者兼警備員である。嫌な顔ひとつ見せない彼は、首席で卒業したはずの恵一よりよっぽど優秀に見える。
「このやろー!!」
仁志はここで、吠え面かかせることができたのだった。




