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31.

 挨拶と自己紹介を簡単に済ませると、先に食事になった。会話するのは相手とその父親と、麗華の母。麗華は食事に箸をつけながら、ただ会話に相槌を打つだけだった。

 美しい所作に感動している相手の父。たまに笑いながら母と話す見合いの相手。麗華としては、勝手に話が進んでくれることをありがたく思った。ただ、口に運ぶ食事の味はまったく入ってこない。自分はなにに対してこんなに動揺しているのだろうか、麗華としては理由がわからない。


 麗華以外の三人が歓談しているため、食事にかける時間は長かった。人に合わせながら食事をするのには慣れていても、今回ばかりは早く終わってほしいと願ってしまう。


「では、あとは二人でお話してね」


 母の言葉でやっと、二人だけでの会話が始まることを知る。こちらからの質問も、相手にされるだろう質問の答えもばっちり準備はしてきた。だが抑えられないこの気持ちは何だろうか。

「はい」

 にっこりと母を見送り、相手の父親に頭を下げる。足音が消えていった。そして、貼り付けていた笑顔を消し去る。もう仮面はいらない。



「なぜあなたがいるのかしら」



 ぎん、と音がするよう睨むと、相手はさっきまでのその見合い相手とはまったく違う人間になった。頭の後ろに両手を組んで、足は正座からあぐらに。そして口角を上げる微笑みは、にかっと歯を出した笑いに。


「聞いているのかしら、イチさん?!」


 目の前にいるのは恵一だった。なぜ、よいところの会社の次男坊が、見合いの相手と聞いていたその男が、何度も会って、メッセージを交わしてきた、お見合いの相談までした相手として目の前にいるのだろう。

 ずっと心のなかで燃えていた、ゆらゆらした感情。それは怒りだ。


 ずっとにかにかしている恵一。とても楽しそうだ。怒っている自分が負けた気分になる。

「説明なさい」

 静かに言った。怒りはそのままだが、あまり表に出してしまえば隣の部屋にいる母親たちにばれる。

「てへ」

 やっと声を出したと思えば、ケーキチェーン店の女の子キャラクターをそのまま男の子にしたように、ぺろりと舌を出して笑う。軽い。麗華の怒りなどどうでもいい、とでも言っているようだ。チャラい、というのはこういうのを言うのか、と実感した。


 何も言わず、立とうと腰を上げると、

「待て待て待て待って!!」

 焦って恵一がやっとまともな返事を返した。まともかどうかはさておき、手をぶんぶん振って止めるこの慌てよう。

「では説明しなさいな」

「はーい」

 腰を下ろしてくれた麗華に安心するというよりも、楽しそうに見ていた。


「お見合いの相手は、何度もお会いしているオレ、でーっす!」

「それは見ればわかりますわ!」


 なるべく声を小さくする。でなければ、荒らげた声が筒抜けだ。もし相手の、恵一の父に通ってしまえば、神宮司家の家紋に傷がつく。もうこちらから質問するしかないと麗華は諦めた。


「なぜあなたがここにいますの? 業績を伸ばしている企業の次男と聞いておりますわ」

「だってそれ、ほんとだし」

「専門学校に通っていると書いてありましたわ」

 てっきり、会社の関係の学校かと思っていた。

「いや、専門学校で間違いないのはれいかちゃんも知ってるでしょ」

 そうですけれど。

「冷静かつ柔和で、行動力のある方と書いてありましたわ」

「いやぁ、照れるなぁ。そのとおりでしょ」

 そのとおりだろうか。冷静さは秘書のときはたしかにあった。柔和というのはコミュニケーション能力を言うのならそのとおりで、行動力はたしかにある。だが、麗華の知っている恵一とは違う。


「ご自宅は都心ではないと」

「ああ、あそこは学校通いやすいように、借りてたんだよね。れいかちゃんは気にならなかったと思うけど、生活感のない家だったでしょ。なほちゃんとかふいちゃんはどっか違和感ありそうだったよ」

 生活感の意味はわかるが、どんなかんじなのかは正直わからない。そういうところに住んできた。


 もういい。聞きたいことをまっすぐに聞いてやる。


「なぜ、相談した時に教えてくださらなかったの?!」


 本人を相手に、恋愛したいだの本当は気が乗らないだの、吹が実はうらやましいだの、いろいろと書いてしまった。

「いや、わかってるんかと思って」

「わかっていたらそんな相談しませんわ!」

「ってか知っててオレ選んでくれたんじゃないの?」

 写真付いてるじゃん、と恵一が言う。名前だって。

「写真は見ないようにしておりますの」

 第一印象は実際に会うことで受けておきたい。名前も、目の前の相手と同姓同名だと思っただけでまったくかすりもしなかった。逆にこの名前だからくじに当たったのかと思ったくらい。

「え、じゃぁオレ、なんで選ばれたの?」

「適当に手紙をとっただけですわ」

「え、ってことはオレ、ラッキーで選ばれた?」

 がーん、と口に出す恵一。だがすぐに笑顔になった。

「じゃぁオレ、相当運いい! 運命じゃん!」

「どこがですの?!」

「まぁ、聞いてよ」

 お茶を一口飲む恵一。麗華も落ち着こうと同じくした。


 恵一は、本当に業績を伸ばしている企業の次男だった。これは間違いない事実。長男が継ぐことは決まっている。年上で、大学卒業する前から仕事にかかわり、その人柄と聡明さで人望を集めていた兄。父親からも認められ、継ぐのは長男と早い段階で決まった。その手伝いをできるのはなにかと考えて、秘書の専門学校に行くことにしたらしい。


「女の子にモテると思ったのもあるけどね」

 このほうがよっぽど恵一らしい。だが成績から考えると、本気でやっているのはたしかだ。


「オレ、初恋をずっとひきずっててさ」

 いきなり初恋の話題。引きずっているならなぜお見合いなど申し出たのか。もう長男が継ぐことが決まっているなら、自由にすることもできたのではないかと思う。

「昔、オレを叱咤してくれた女の子がいるんだよね」


 やはりそういう家の子供たちは、小さいころから社交の場に出ている。だが兄と比べられて落ち込んで、輪から飛び出てこっそりと泣いていた。それを慰めてくれたのが、

「れいかちゃんだよ」

「え?」

「前にさ、一人だけ自分から手を出した相手がいるって話してたじゃん。あれ、オレ」

 驚きなのか、固まる麗華。


 思い出す。泣いていた男の子。その子は兄に比べられ、からかわれる始末。いたたまれなくなって、庭の生垣の向こうで泣いていたその子。そこへ来てくれたのが麗華だった。


「泣くほど悔しいなら、お兄さまより上になればいいのですわ」


 そう言ったんだよ、と。

 麗華はだんだん思い出してきた。


 実は、泣いていたのは悔しかったのではなく、悲しかったから。自分ではなく、あの優秀な兄の弟としてしか、誰も見てくれなかったことに。

「あなたはあなたでいいのですわ。からかうような相手なんか、見返してやればいいのです!」

 ふん、堂々と言い切った幼い麗華。自分がそれをできるのか。だが、今までその努力をしてこなかった。やってみなければわからない。やってみよう、という気持ちにさせてくれた。

 単純だったとは思う。だが、あの堂々としていて綺麗な女の子を見て、自分もこうなりたいと思った。この子の隣に並べるくらい、優秀になろうと。兄など関係ない。


「もし、見返せたら」


 きれいな髪。まっすぐ前を見据える瞳は輝いていて強い。そしてやさしさの明かりもある。今日参加している人を記憶していて、そんなことをうじうじ思っていた間に説明してくれるやさしさ。駆け出した自分のもとに来てくれたのは彼女一人。


「ぼくと、結婚してくれる?」


 このときばかりは、麗華がぽかんと間の抜けた顔になった。だがすぐに引き締まった。


「一番になれば、考えてあげないでもないですわ」


 それから恵一は、どんどん成長した。外観も中身も。そして高校生、秘書の学校へ入学。一位をとってみせる。そしたらあの子に求婚する。その決意は変わらぬまま。


 そして研修先の宿で、麗華と再会。すぐにわかった。しかし麗華は自分のことを覚えていなかった。残念であり、運が良いとも思った。印象を変えられる。そして出会う機会を作れる。

 実際に会う機会が多くできて、知らない顔を見られて、そして中身は実は純粋で乙女なことを知って、あのときよりずっと好きになった。初恋ではない。幼心の誤りでもない。本物の恋をした。


 残念ながら、現状ではトップには立てないでいる。三年になっても、ずっと一位は仁志なのだ。こいつを超えて、孝支のように主席で卒業してやる。


「そんな、ことが」


 そのときの会とは、(ふい)が徳人に出会ったあのときであり、実は麗華と恵一も顔を会わせていたことを、二人とも覚えていない。なぜかそのときの境遇は、吹と徳人と酷似していることも。


「なぜ、言ってくれなかったの」

「話してたら、オレのプロポーズ、受けてくれた?」

 ふわわ、と麗華が赤くなる。こういうところがかわいい。

「一位になったら、というお約束でしたわ」

「オレ、一位になるから」


 主席で卒業する。あいつを越す。


「だから」


 するりと立ち上がり、麗華のとなりに恵一は膝をつく。プリンセスの手をとった。


「オレと、婚約してください」


 とった手の甲に、ちゅ、と紳士のキスをする。

 柔らかい手。あたたかい。幸が吹を抱きしめたいと言っていたが、気持ちがやっとわかった。一度触れてしまうと、もう離したくなくなる。


「あ、あ、あ、」


 顔を上げると、どんどん顔を朱に染めていく麗華がいる。


 麗華は考えていた。恵一との出会いはたった今思い出した。そんなことを言ったことも、なんとなく思い出した。今までたくさん話して、メッセージを交わしたのも恵一が一番多い。話しやすくて、いつも笑顔で、一緒にいると楽しい相手で、心が軽くなった。


 吹は“好き”について、前に三人と話した内容を簡単に教えてくれた。それに該当している気がする。いや、関係ないだろう。好きの定義はひとそれぞれ。わたくしは、この人を、好き? 好きでなくても、今後好きになれる? 恋をできる?


 しゅっと手をほどき、反対側を向く。両手で頬を抑えると、熱い。手も熱い。顔が熱い。いつもの軽いあの人はどこへ行ったのかしら。


「オレは、れいかちゃんが好きだ」


 顔と反対の向きから飛んできた。まるで、自分は漫画のヒロインではないか。


「れいかちゃんがオレを好きになれなかったら、婚約は白紙に戻してもらってもかまわない。でも、誰かに持っていかれるのはいやだ」


 運よく、適当で選ばれたこのチャンスを逃せないと、恵一は思っていた。今回が破断で終われば、次の相手とお見合いがある。その人となんとなくでも義務感でも一緒になってしまえば、恵一の入る隙間はなくなってしまう。


「婚約、してください」


 プロポーズはあとでする。まずは婚約しておいて、その間に好きになってもらう。落としてみせる。


「れいかちゃん」


 恐る恐る振り向いた麗華に、高さと視線を合わせる。


「オレのこと、嫌い?」


「……いいえ」


 麗華はこの気持ちが好きなのかなんなのか、わからないでいる。最初にその顔を見たときのゆらゆらした感情は、怒りではなく、動揺なのか。恋した相手がお見合いの相手だという、驚きと運命を感じたのだろうか。


「お願いします」


 (こうべ)をたれる恵一。


「……婚約、ですからね」

「へっ」


 顔を上げた恵一が、今度は間の抜けた顔をしていた。


「なんて顔をしているの? もっと喜びなさい。婚約して差し上げますわ。自分のためでもありま」


 恋の相手を見つけるまでの猶予にもなる、という意味を伝えようと思った。が、途中で遮られる。


「やった」


 小さな声だった。独り言なのだろうか。


「れいかちゃん、予約完了!!!」

「予約ですって?!」


 麗華はその言い方にむっとする。人をなんだと思っているのだ。さっきまでの誠実さはどこへ消えた。


「絶対落として見せるから」


 うっ、と今度は麗華が喉をつまらせた。自信に満ちた目だった。横顔がかっこいい。いつもにこやかで、重い空気をさらりと変えてしまうあの笑顔。


「報告行ってくる!」


 ひゅんと隣の部屋へ駆けていく恵一を、ぽかんと見ていた。ご子息があんな落ち着かない人間でいいのか。

 隣から怒号が聞こえたのは言うまでもない。


 くすりと笑いが漏れた。あの約二か月間の憂鬱はどこへ行ったのかしら。


 落ちるのか、落ちているのか。

 落とせるのか、落とせないのか。

 そもそも一位になれるのか。

 麗華はこれからが楽しみになったのだった。


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