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30.

 今夜は寮ではなく神宮司家で休む。せっかくの連休だから帰ってきなさいとのお達しがあり、麗華とおしゃべりの後、部屋にいた。麗華の執事がハーブティーを入れてくれて、心落ち着く。が、ふとしたときにあれを思い出してどきどきする。そんな繰り返し。麗華は訊かないでくれたが、なにかを感じ取っているかもしれない。

 おかげで数日、電話ではなくメッセージだけで済ませているいつもの連絡。


 そんなとき、スマートフォンが震えた。ずっとマナーモードにしていたのを忘れていた。この時間帯だと、幸だ。どうしよう、とるべきなのはわかっているが、まともに話せるだろうか。

『もしもし』

 これだけで心臓が爆発しそうに胸を叩く。

「こんばんは」

『こんばんは』


 それからお互いに黙ってしまう。今まではどんな会話をしていたかさえ頭から抜け落ちてしまった。あれ、こんなこと前にもあったような。

『聞きたいことがある』

「はい」

 先に沈黙を破ったのは幸だった。

『この間は、嫌だったか』

「そんな、楽しかったです」

 お買い物は自分のためで、ごはんまで作ってもらい、洋服は褒めてもらい、プレゼントしたケーキにはおいしいという感想をもらい、それから。

 回想の最後でぎゃっと映像が止まる。


『いや、その、それではなく』

 いつもまっすぐ短く言葉を済ませる幸が口ごもっているのは珍しい。どうしたのだろう。


『キス、してしまったことだ』


 どっと心臓が跳ねる。やっぱりあれはキスだった。そうじゃないと自分に言い聞かせようとしていたが、そうじゃないのではない。


 いやだったか。


 あの、やさしいぬくもりを思い出す。無意識に手が唇に触っている。


 いやだった?


「いや、じゃ、なかった、です」

 たぶん今の(ふい)は顔が首まで真っ赤だ。幸に見せずに済んで安心だ。

『そうか』

 ほっとした声。それを聞きたかったのか。

「ちょっと、びっくりしてしまって、はずかしくて、その……」

『うん』

「話すと思い出してしまって、うまく話せない気がして、どきどきして、あの」

『うん』

「電話しなくて、すみませんでした」

『それはいい』


 避けられてしまったのではないかと気にしていた幸は、そうでなかったことを本人の口から聞けて心底安心していた。恥ずかしかったからということ、多分それは、相談したみんな気づいていただろうに教えてくれなかったのは意地悪だ。だがそれをわからなかった幸のほうが、悪くはないが一般的とは言えない。


「あの、よかったら、次は、心の準備をしたいので、合図か言葉をほしい、です」

『次があっていいのか』

「!」

 次がある前提で話している自分の顔から火が出る。

『善処する。が、了解はしかねる』

 つい体が動いてしまったのだ、次のとき、先に合図ができるかわからない。

『抱きしめるときは、そうするようにしよう』


 小さなあの体を抱えるときは、せめて言葉を交わしてからにしようと決めた。今伝えておけば、まちがったまねはしない。……と、思う。かわいらしい身体は身長が頭一つ以上違う。すっぽりと腕のなかに収まってしまう。つい力を入れてしまえば折れてしまいそうだ。なのにやわらかくてあたたかい。そのままでいたかった。


 やっと言葉を交わせて、二人はほっとしていた。吹のどきどきは収まらないが、気にかけてくれたことは嬉しい。そして無意識に、次があると思っていた自分に驚きつつ、人とのかかわりに、ぬくもりに、慣れてきていることを喜ぶ。


「あの、みんなが、その、報告を、わくわく待っているんですけど」

『うん』

 みんなというのは麗華を含めた四人だ。

「これはお伝えすべきでしょうか」

『任せる』


 ということは、伝えてしまっても幸には問題ないということ。吹にとっては爆発するくらい恥ずかしいのに。報告の前に、先にみんなの様子を聞いてからにしよう。そんなことを聞けば、そういうことがあったのだと言っているのと同じなのだと、まだそこまで会話に慣れていない吹は気づいていなかった。幸はとっくにあのみなさんに相談していたことも。




 ゴールデンウイークを開け、サロンではなく吹の部屋でおしゃべり会が始まった。本当はアクセサリーの着用は許されていないが、あのネックレスはこっそりと制服の下に忍ばせている。

「みんなはさ、その、彼氏さん? 婚約者さん? と、その、えっと」

 この部分だけでぴん! と三人はなにを聞きたいかわかった。

「そりゃ、ねぇ」

「経験は、ありだよ」

 てへへ、と照れ笑いの二人に、菜穂がきゃーっと明るく笑う。ということは、澄子はうまくいったと理解。

「え、まだわたし、なにも」

 話していないのに。

「キスでしょ?」

「!」

 なぜわかったのか。わからないほうがおかしいと言いたいところだが、麗華はわかっていないのでそうでない人もいるのかもしれない。


「そうかそうか、幸さんもやるねぇ」

「意外!」

「ファーストキスだね!」

「なんですって!」

 最後に叫んだのは麗華だ。

「き、き、キスなんて、そんなに簡単にするものなのかしら? もちろん漫画でも小説でもそういうシーンはありますけど、現実で…… って、なぜ教えてくれないの?」

 一番に聞きたかった、と悔しそうな麗華。

「で、どうだった?」

 どうだったと聞かれても。にやにやと聞いてくる三人。

「黙秘します」

 真っ赤になっているだろう。握りしめた手も、熱くなっている。


「恋って、いいわね……」

「?」

 麗華がどこかさみしそうに言うのを、四人とも聞こえていたが、その意味は尋ねることができなかった。麗華はとてもさみしそうで、遠くを見ていた。


 いつもなら食いつきそうな話題なのに、なんだかしんとしてしまう。一応部屋の主人としてお茶のおかわりをふるまうことで時間を稼ぐ。ちらと三人に目をやるも、小さく首をかしげるだけだ。


「れいちゃん、あのさ、今度、お買い物、つきあってくれる?」

 買いたいものがあった。またお手伝いをして、お金を貯めよう。

「なにかほしいものがあるんですの?」

「うん」


 それはアクセサリーを飾るためのツリーだ。身に着けておくことができないときも、見えるところにきれいに置いておきたい。イヤリングとペンダント、両方が見えるように。ひっかけることができるものがほしいと思ったのだ。


「それはいいですわね!」

「あたしたちも行きたい!」

「商店街にも雑貨屋さんあったよね」

「ショッピングモールもいいし」

「大通りにもあのチェーン店できたんだよ」


 こうしてなんとか空気を取り戻した。よかった。

 だがあとで、麗華のうつむいた理由を確認せねばならない。そんな気がした。




「よかったじゃないっすかー」

 よかったと本当に思っているのかわからない言い方の恵一。

「そりゃ嫌なわけないですよね」

 巧もよくわかっている。

「でもさ、たまに接触を嫌う人もいるから」

 全員がそうではないと言い回しながらも、仁志は吹と幸ならばそうではないと思っている。

「確認出来てよかったな」

 グループのメッセージで報告をしたところ、全員から返事があった。わかっていたような雰囲気がある。

「幸さん、今まで言われるがままに行動してきたっしょ」

 異性との交際は数回してきた。告白してきた相手とお付き合いして、なんか違うとかつまらないとかよくわからない理由で別れてきた。頼まれればキスもした。

「それじゃわかんなくて当然ですよね」

 こちらから行動を起こすことがなかった。相手が求めるように動いていたのはたしかだと思う。“察し”の能力値が高かったのだ。

「お相手さんの気持ちが気になるくらいになってよかったです」

 吹については気になる。

「次もうまくやれよ」

 再び出てくる次の言葉に、おう、とだけ答える。それを読んだ全員は、あ、やるんだな、と思っていた。吹のことになるとどこか強引で前向きに、またはとてつもなく後ろ向きになる幸。

「みんな、ありがとな」

 お礼の言葉も出てきたことに、吹の幸への教育を褒めた全員だった。




「おじさま、お尋ねしたいことがあるのですが」

「いいよ」

 座りなさいと手で示されて、許可を得た吹は置いてあるスツールに腰掛けた。

「れいちゃんの様子がおかしいのです」

 というと? と目で続きを促される。

「遠くを見ているというか、明日が楽しみでなさそうで、悩み事がありそうなのですが」


 なにかあったのか聞いても、なんでもありませんわ、とかわされてしまうのだ。三人も気づいているが、麗華が離さない以上、あまりに追及するのは避けている。ならそれをできるのは、麗華の家族になった吹なのだ。


「なにかご存じありませんか」

 教えられないならそれでいいと思った。本人から聞き出す。人を頼るのが苦手な麗華。言い出せない理由があるのだろう。


 しばらく叔父は黙っていた。吹は叔父と目を合わせたまま、逸らさない。逸らしたら教えてくれない気がした。


「あたくしが伝えます」


 そこへ叔母が入ってきた。任せた、とでもいうように、うなずいた叔父。叔母が部屋へ案内してくれた。紅茶のいい香りがしている

 音をたてないように気を付けながら、いただいた紅茶を飲む。ふぅと息をつきたいところだが、そうもできない。これから大事な話を聞くのだ。張本人である麗華のいないところで。わざわざ叔母が出てきたことも、なにか事情がある。


「麗華が、お見合いすることになりました」

「お見合い」


 よいところのお嬢さんとよいところのご子息の間では、今の時代もあることらしい。麗華は仲の良い友達の話を聞いたり、あの漫画を読んだりして、恋愛に興味を持っている。青春をしたい。そう思うのは、思春期の女の子としては大多数が思うことではないか。だが、自分の立場をよくわかっている麗華は、恋を諦めていたのだ。


「政略結婚なんて、嬉しくないわよね」

 ちなみにご両親はお互いに心惹かれて恋愛結婚をしている。なぜ自分だけ、と思うところもあるかもしれないが、それを口に出さずにお見合いをすることにした麗華。


「今までもたくさんお見合いの話があったのよ」

 でも断ってきた。高校生を満喫したい。だからもう少し待ってほしい。お見合いは卒業後にきちんとするから。両親は麗華の希望を聞いた。


 そこで問題になったのは、悔しくも吹の存在だ。吹には恋人ができた。相手は一般人。とすると、誕生日としては吹のほうが早いが、この家を継ぐのはやはり麗華のほうが適任となる。吹が養子であることもひとつの理由だ。なら、早いうちにお見合いをしてよい相手を捕まえておかなければ。それが麗華を決心させた。お見合いをしよう。


「たくさんあったお見合いの手紙から、適当にひとつ選んでこれにするって」

 ぽい、と渡されたそうだ。吟味したのではなく、くじのように引いたのではあったが、最近伸びている会社の次男だという。次男ならば、婿に来てもらうことも可能だろう。神宮司家としては、言い方は悪いが都合のいい相手だ。


「きっと、友人の幸せな恋愛の話を聞いて、複雑な気持ちになったのね」

 悲しそうな顔をする叔母。同じく原因となってしまった吹も、悲しくなる。自分のせいで、麗華が恋愛を諦めてしまった。自分のせいで。

「吹のせいではないわ。勘違いしないでね」

 いつかは必ず通る道。学園は女子高だし、恋愛の可能性は小さかった。

「一回で決まらなくても、お相手と恋ができれば嬉しいわ」

 お見合いをしている、という事実があるだけで、今後の神宮司家は変わってくる。

「もう一か月後にお会いするのよ」

 準備は始まっている。


「あのね、吹」

「はい」

「どう思う?」


 どう、というのは、麗華に関することではない。相手がどうかのことで、吹の力を頼っている。なるべく干渉しないという話を受けていたが、大切な一人娘だ。気になるのが母親だ。


 手紙を受け取る。個人情報なので中は見ない。


「いやな感じはしないです」

「そう」


 それだけはほっとした表情を見せてくれた。いやなかんじはしない。それは本当だが、どこか気になるところがある。既視感と同じ感じで、手紙の雰囲気というかそういうものが、慣れたものだった。それは言わないでおく。


「麗華を気にしてくれてありがとう」

「いえ、その、家族、ですので」

 気にして当たり前だ。それを聞いた叔母は、にっこりとほほ笑んだのだった。



 叔母に、これを友達に話していいのか尋ねた。もうすぐ噂になるだろうから、先に伝えておいて、と言われ、こっそり三人に伝えた。そっか、とどこか悲しそうになる。麗華がお見合いをよく思っていないのは、あの表情でわかるのだ。


 自分たちだけでも明るく振る舞おう、なるべく麗華を笑顔にしようと、みんなで目標を立てて恋愛っぽい話題を避ける。だが噂がどうやったのか広まり、麗華を見学にくる目が絶えなくなった。いつもどおりにふるまう麗華だが、ふとしたときに溜息をつきそうになる顔。なにもできないことを歯がゆく思った。



「なにかできないでしょうか」

 吹は幸に相談した。

『近くにいてやればいい』

 それだけで安心するものだ、と幸は言う。吹としては、こうして幸と恋人同士になった今、そんな人間が隣にいたら嫌味になるのではないかと心配していた。

『麗華様はそんなふうに考えるおかたではない』

 幸の言葉にはっとする。そうだ。麗華はそんな人ではない。

「これから休日はなるべく一緒にいるようにします」

『うん』

 心のつかえをなくしてくれる幸。幸のほうがよっぽど言霊の力を持っていると、吹は思った。



 休日、神宮寺家はわらわらとしていた。準備が進んでいる。振袖、飾り。見栄えのするものだけではなく、おつきの人間が相手のことを知っておくための教育まで。

 運転手も車をぴかぴかにしている。普段の様子を見に、相手先がこっそりやってきていることも考えられるからだとか。大きな家はそんなことまでするのか、と吹は驚くとともに、同情する。


「れいちゃん」

「なにかしら?」

 いつもの笑顔だが、作った顔であることはすぐにわかる。来週に近づいている。

「一緒に行けないけど、わたし、近くにいるよ」

「ええ、ありがとう」

 悲しそうに笑う。ここで、がんばって踏み入れる。


「恋愛、したい?」


 はっとする麗華。


「……もちろん、したいですわ」


 今まで素敵なエピソードを聞いてきた。読んできた。憧れてしまう。でも自分は、求めてはいけないと思っている。

「いいのです、この家がなくならないようにするのが、わたくしの務めです」

 しゃきっと言う麗華は、いつでも当主になれる顔をしている。相手が誰でも? そこまで踏み込む勇気はない。


「イチさんにこっそり相談したの」


 麗華はよく恵一と連絡をとっているのは知っていた。話しやすいらしい。

「一回でもお見合いした事実作って、本当に好きな人を側室に据えちゃえ、あとは駆け落ちしちゃえって」

 くすくす、と笑う麗華。恵一はすごい。麗華を笑わせてくれる。これは本物の笑顔だった。

「もう、いつの時代かしら」

 ねぇ、と吹を見た。

「オレでよかったら手伝うから! だそうよ」

 あの学校はそんな教育までしているのだろうか。やろうと思えばなんでもできそうと思ってしまう。

「家のことは心配いらないって。オレがいるから、ですって。なにを根拠に。うち執事にでもなるのかしら。でも、そんな言葉がわたくしをあたためてくれるのよ」

「わたしよりイチさんのほうがよっぽど優秀で、なんか悔しい」

「あら、吹、嫉妬の対象は幸さん関係だけにしておきなさい」

 なんとなく明るくなった。よかった。




 そして当日。麗華は美しくかつ清楚になっていた。あの長い髪をどうやったのか、きれいにまとまっている。成人式の写真を広告で見たことがあるが、これは広告のように華やかさだけを求めているのではない。相手に好印象を与えるようになっている。


「では、行ってくるわね」

「行ってらっしゃい」


 送り出した。行先は、以前行ったあの料亭だそうだ。庭園もきれいに見える部屋で、開かれた雰囲気で執り行われるという。重い空気になりませんように、と心の中でだけ唱えた。




 履歴書も読んである。なんというか、会社の次男としては一般的というより自由な印象を受けた。趣味なども書いてあったから、話題を作るための質問などをできるように準備してある。あとは見なかった相手の写真。どんな相手なのか、最近は写真の加工などどうにでもできてしまうのであえて見なかった。


 部屋に入ると、先に到着したのは相手だった。だが、そこにいるのは相手の父親だった。相手は同い年と聞いている。この人が相手ということはまずない。というと、相手はお手洗いにでも行っているのだろうか。挨拶を済ませて座る。母を隣に、すました顔で。集合時間ではないため、ここにいない相手に失礼はない。先に到着していたのは相手のほうだ。だがいないというのもそわそわする。


 とんとん、と襖が叩かれた。襖に吸い込まれる鈍い音。戦いが始まる前のゴングに聞こえる。


「遅いぞ」


 父親が襖の向こうにいるであろう相手に注意した。もしかしたら、ここに麗華がいなければもっと強い言い方だったかもしれない。


「申し訳ありません」


 落ち着いた声だ。


「失礼します」


 襖が開く。スーツ姿の男性が姿を現した。なにも言わない麗華に、相手は口を開けないまま微笑んだ。


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