24.
「いいですねこのツヤ! フリマサイトで売れそう~! 盗まれたら大変です! こちらも隠しましょう!」
和服の使用人姿の恵一は、同じ服の別の男性にそれをひょいと渡す。
「お食事に毒でも盛られていたら大変です、お姉さまがた、体調はいかがですか?」
女性たちに体調を尋ねてまわって虜にしているのは、巧。まぁ、お優しいこと、ととろりとした目になっている。逆に澄子といづみまで男性を相手にしている。
式のかたちが少しずつ崩れ始めているのがわかる。
「侵入者などあとでよい! 捕まえることは吹の一言で――」
「おまえの尻ぬぐいを吹にすべてやらせるのか?」
「なにもの――」
ごっ
「そもそも尻ぬぐいではないな」
望まぬ場所にいる大切な人を、取り返しに来ただけだ。
拳が顎の下からしっかりとはまった。あちゃー、という目で恵一と巧が頭を抱える。
なぜ、この人たちが屋敷に入っているのに気付かなかったのだろう。そうか、自分は自分を殺していたから。心を閉ざしたから。
やっと手がかりをつかんだのは土曜日のことだった。
「見つけた!」
「この藤原家は家系図がおかしい」
「この家を探せ」
「はい」
「というわけで、ここを調べたら」
「このお屋敷でした!」
「まあ、どこの日本家屋?」
「まるで旅館だよ」
「で、この家は、来週月曜に大きななにかを控えてる」
「といいますと」
「たくさんの警備員とか、使用人を雇ってるんだ」
「言いたくないけど、結婚式の可能性が高い」
「え!」
「二日後じゃない!」
「すぐに計画を練る」
「この二日で終える?」
「もちろん!」
「やるのよ!」
やれるかどうかではない。やるのだ。
まずはどうやって入るかが問題になった。だがそれは、うちでなんとかできると、するりと突破できた。仁志が警備会社にコネがあったのだ。内部の人間も調べられるため、使用人もすぐにわかる。
「まずは眠らせて、入れ替わろう」
仕入で外へ出入りする人間が多い。その者になりすまし、屋敷の中へ、という計画だった。実際、警備会社の名のもとにするりと侵入可能だった。
「簡単すぎる」
逆に心配にさせられるくらいだった。
それは実は、吹が幸のサングラスにかけたおまじないがあったからでもある。悪いものを引き寄せないようにと願ったそれは、彼らのことを悪いと扱うものも寄せ付けなかった。さらに、吹が強化した結界は吹にとって悪いものが入らないためにかけたのだ。彼らは悪いものではない。入れるのも当然のことだった。
そんなわけでまずは侵入成功、そして使用人に眠っていただき、身ぐるみを剥がしていただき男たちは入れ替わった。もちろん顔と仕事はばっちり記憶していた。自分がなりかわった相手がどこでなにをすべきかわかっている。
女三人は最初から和装をしていき、雇われたが着る服がわからないと泣きついた。麗華は顔が割れているからと引き止められ、指示者という立場をもらって外で待機している。
倉庫での侵入者は入れ替わった男たちがやったことにする。実際はなにも盗んでいないし入り込んだのは間違いということで処理してもらう手筈だ。罪に問われないよう配慮は最後まで。
「急いで! 当主が式を始めたわ。盃を交わせばおしまいよ!」
神前式は流れこそ多いが、三々九度の零杯がいわゆる契りだ。ここまでに終わらせなければならない。
ドローンで他人様の屋根に盗聴器をしかけ、聞いている麗華が指示を出す。
「侵入者だぞ!」
最初に声を出したのは恵一だ。だがそれに反応し確認に行った本物の警備員が、倉庫となっている離れが開いていることを確認。侵入者があったと式場の間へと報告した。本来は混乱を防ぐため、いきなり式の間へ入ることはないが、彼はまだ経験が少ない若者だった。そういう人を狙って気づかせたのだ。
契りが終わる前にぎりぎり間に合った。吹が躊躇っていたのが大きいが、その手から盃を奪うことに成功したのだった。
会場の間がどよめく。当主が知れない男に殴られるなど考えてもいないのだから。
「吹は! おまえの人形ではない!」
「貴様ぁ!」
怒りで顔を真っ赤にした当主が、今度は幸へ殴り込む。だがそれはいつのまにか現れた仁志が衝撃を吸収する形で受け止めた。
「ご当主様、そんなことされては、家名に泥を塗ることになります」
声はとてもやさしい。声色だけならにこりと笑った顔が想像できる。が、仁志は人間として当主を捉えていない、汚いものでも見るような目をしていた。
とん、と後ろへ押し返された当主は尻餅をつく。どしんと鈍い音がして、恥ずかしいくらい無様に転げ落ちた。
「吹は俺たちがつれていく。望まない結婚なんてさせない」
そう言い切る幸の瞳には、怒りが燃えている。
しばらく巧や恵一、澄子といづみに意識をとられていた親族たちも、ここでやっと目が覚める。これはおかしいと気づいた。
「吹」
幸は吹を見る。
「帰るぞ」
手が差し出される。その手は、隣にいる男のそれより、ずっと頼もしくてあたたかさに満ちている。恐る恐る見上げた顔は、優しい。
でも、一度拒んでしまった。嫌われる言葉を言い捨てた。なのに、この手をとっていいのか。
「はっ」
徳人が吐き捨てた。
「吹はおれの婚約者。おめぇの手なんて取りたかねぇよ。おれのもんになるんだよ。その証拠じゃねぇか」
膝の上でぎゅっと握る吹の手が震えている。ここでしゃべったら、なにか行動を起こしたら、彼らに悪いことが起こるだろう。
でもちがう、あなたのものになんてならない。なりたくない。
この手をとる資格が、わたしにあるのか。
それに自信が、なくて。
「帰ろう」
幸がしゃがむ。目線を合わせてくれる。見られなくて再び下を向いている吹の震える手を、ゆっくりと包み込む。どうして、こんなに心安らぐのだろう。どうして。
「帰ろう」
涙が滑り落ちた。帰る。帰りたい。みんなのところに。
「お、おい!」
だんだん流れが変わってきたのを感じ取った徳人は幸につかみかかろうとしたが、仁志に止められる。
「言葉より先に手が出る男に、女の子を任せることはできません」
徳人が柱にちょうど飛ばされた。
「……る」
「うん」
「かえ、る」
「うん」
「かえり、ます」
「うん」
「帰りたい!」
「うん」
もう止められなかった。
「ここなんかにいたくない! この人に嫁ぎたくない! この家から離れたい! わたしは! 好きに生きたい!」
大切な、みんながいるところで。
「うん。そうだ」
幸は吹の顔を片手で包むと、流れた涙を親指でぬぐう。今度は、わたしが勇気を出す。
大きく吸って、細く長く、息を吐く。
「みなさま」
しっかりと前を見据えて。
「お聞きください」
きん、と空気が水面に落ちた雫のように広がる。これが、吹の力。
「わたしは、このかたとの結婚を拒みます」
「な」
当主がどしりと足を出す。今にも殴りかからんばかりの勢いだ。
「おやめください、大叔父様」
「う」
手をあげた当主が固まる。吹の力を認識している当主は、その力にかかりやすい。親族もそう。聞きたくなくても、聞くしかできず、当主を助けに出る者もいない。
「わたし、南指原吹は、この一族との縁を切ります」
目の前に人差し指と中指を立てる。自分たちの間にある一本の線を想像する。
ちょきん
はさみで、切った。
「な、な……」
この意味は、当主もよく知っている。こういった風習は、その道の人間にとっては大切なことであり、大きな意味があり、事実になる。
「両親亡きあと、ここまで育てていただいたこと、心より感謝いたします」
どんな理由があれど、幼い自分が生きてこられたことに感謝を示す。孤児院でもなんでも、行く先はあっただろう。だが、ここにいなければ、みんなに会えなかった。
「申し上げます」
空気に、波紋が乗る。
「今後わたしの大切な人に、わたしにかかわる人に、わたしに少しでも関係ある人に、関係なくても。わたしを理由として、害をなした方」
相手が誰でも、ものであっても、なんであっても、なにかしたら。
「ただではすみません」
済まさない。絶対に。
言い切ることは、それが事実になることを示す。なにが起こるか。それは吹でさえ、わからない。
親族はぞっとしている。吹の力を認識しているから。本物とわかっているから。顔を青くしたり、体をへなへなと腰をぬかしたり。
「縁が切れたなら、結べばいい」
それでも当主だけはがんばった。
「わしのもとには、婚約の書がある。あれがある限り、おまえは結婚しないだけで徳人の婚約者。ここに戻ってくるほかない」
ぬはははは、と悪役さながらに笑う。
考え方は人それぞれだ。自分にとって利益のある考え方で捉えて、それを信じ込むことで、事実を歪める。
「それ……婚約の書とは、こちらのことですか?」
ぺらりと出された上質な和紙。そこには、婚約のあの契りが書いてあった。
「侵入して止めた後は」
「吹ちゃんが結婚を拒んでー」
「あのおうちから逃げる」
「でも、そういう人って、契約書があるとかなんとか、ごねるんだよね」
「あー、あるある」
「それなら見つけて持ち出して、燃やせばいいんじゃね?」
侵入した男五人のうち、孝支と仁志は当主の部屋へと向かった。使いを頼まれたと当主の名を出しただけで、会場から離れた部屋へといとも簡単に向かうことができた。
だが残念なことに、当主の部屋の前にはひとりだけ護衛が立っていた。それは逆に、そこが重要な場所とも示している。
「おまえたち、用は」
「ご当主様より、使いを頼まれました」
「私は聞いていない」
「急用でして」
「そうか」
これで入れると思いきや、
「偽物だな!」
男が襲い掛かってきた。仁志が引き下がる。孝支が構えのポーズをとると、そちらへ向かった。
びりりり
電撃が走る。男が大きな音を立てて崩れ落ちた。
「おまえ、あいつが俺に触れてたら俺も倒れちまうだろ」
「すみません、あの人ちょっと強敵だったので」
答えになっていないが、仁志が強敵というなら仕方ない。さっさと仕事をする。
男を部屋の中へ引きずり、寝かせておく。縛る必要はない。こちらの用は一件だけだ。その間、仁志が守衛の代わりとして立っていた。
「ああいうおっさんって、大切なもの、こういうところにしまうんだよな」
こういう、と思ったところを探っていく。いくつか見た後、次は机の上にある飾り棚。それを持ち上げると、隠し扉があった。有名アニメのお人好し泥棒になった気分で鍵を開ける。実際やっていることは泥棒等しいが、罪悪感はない。鍵のあとにはさらに回転式の鍵がついた金庫。鍵開けは難なく終わった。
「これか」
外へ出る。
「早いですね。まるでルパ」
「行くぞ」
仁志の言葉を遮り、気色悪いが大事なそれをしっかりと胸ポケットに隠し、二人は会場へ急いだ。
会場近くにつくと、幸の怒声。これはやっちまったなと思った。さきに仁志が入った。逆に掴みかかろうとしているのは当主のほう。これはやりかえすやつだ。するりと間に入って、仁志が拳を受け止める。おじいさんにしては、力があるなと思った。
孝支はさすがと思いながら、巧と恵一の様子をうかがい、自分もそこに交じっていた。
そして契約書の話は想像通り出された。
「それ……婚約の書とは、こちらのことですか?」
「な」
なんでそれがここに、と掴み取ろうとするところをすっと上へ持ち上げる。当主の手は空をつかんだ。これで合っているのがよくわかる。
「では吹ちゃん、どうぞこちらを」
「ありがとうございます」
吹の動きを止めようとじたばたする当主を、仁志がしっかりと抑えこんでいる。
受け取った吹は、自分の人差し指をがりっと噛む。血が滲んだ。
動揺したのは幸で、手を出そうとしたところを止める。意味がある。
吹は自分の血文字の名前に、今の血でばってんを書いた。
罰のマークは、日本的には否定として使われる。それが現在普及しており、誰もが知る意味。つまり吹は、自分の契約の名前を否定した。
そのうえに、自分の血を親指につけて印を押す。契約書は、文字を削除する場合、二重線を書き、“〇文字削除”と書いたりする。そのうえに捨て印を押す。吹はそれを、ばつ印と自分の親指の印で代わりにした。
「これで、よろしいですね」
吹は目の前で当主へ見せつける。
「こちらの契約は無に還します」
「あ、それならこれ、使う?」
ぽんと投げられたのは、鍋物に火をつけるために用意されていたライターだった。
「ありがとうございます」
縁側から外へ向かい、カチ、と引き金を引くと一回で火が付く。これはきっと、すぐに燃やせと両親が言っているのだと思った。
めらめらと書が燃えていく。最後には灰になって、風にとばされていった。
「好きにしろ」
当主は捨て台詞を吐いて、式の間から出ていった。柱にぶつけられた徳人は、まだその場にしりもちをついたままだ。吹はその前に正座した。
「なんだよ」
不機嫌に吐かれた。
「徳人さん、あなたなら、今後のこの一族を変えられると、信じております」
吹は深々と頭を下げたのだった。
差し出されている手を迷わずにとる。するりと重力がなくなったように浮かぶ気分だ。
「さようなら」
これは徳人だけでなく、この一族全員へ。
手を取り合った二人は、さっそうと玄関へと向かっていった。
「ねーねー徳人くん」
「なんだよ」
もう演技はとっくに切れていた。
「これ飲むとさ、縁ができるんだよね、そういうことだよね」
「そうだな、女じゃねぇならこの国は結婚になんねぇし、縁はできるんじゃねぇの」
けっと吐き捨てる徳人は、バレンタインデーの商店街で会ったあの男とまるで別人だ。
「じゃ、オレ、君とのご縁ほしいから飲んじゃおーっと」
おいちょっと待て、という前に、ぐびっと彼は飲み干してしまった。
「あ」
縁ができてしまった、と彼は思った。その思った瞬間に、縁ができた。
「よし、今後もオレとはご贔屓に」
「え、それなら僕もほしい」
残っていない盃をぺろりと舐める。
「な」
なにやってんだこいつら。吹を助けに来たのに、相手である婚約者と縁結びってなんだよ。
吹の友達はおかしなやつらばかりだ。ほぼ無知で知られていないはずのこの一族を調べあげるわ、他人の結婚式に乗り込んでくるわ、隠してあるはずの契約書盗むわ。なんなんだ。
「巧もいる?」
「遠慮します」
まともなやつもいたか、とへんなところで安心した。
「徳人さんは、吹のことを好きだったのよ。もう少し優しくしてさしあげて?」
孝支のスマートフォンから声が聞こえてくる。わざとスピーカーにしてあった。
「なっ」
顔が赤くなったのを見て、これはほんとだと全員が納得するほどだ。
「わたくし思い出しましたの。昔の小さなパーティーで、彼が泣いていたのを。それを慰めていたのが、吹よ」
よくそんな昔のことを覚えているものだ。
徳人は力が足りないと幼い頃から親戚に馬鹿にされていた。力は受け継がれていたが、まだまだだった。嘲笑されているのが子供でもわかるほどの嫌な言葉と視線。両親はもっとできる、やれる、おまえなら当主になれると、自分たちが手にできなかった座を求めて自分へプレッシャーを与えてきた。
もう嫌だ、ぼくにはなれない。そんな期待に応えられないとめそめそ泣いていた。そんなときに、たまたま南指原一家は当主に会いに来ていた。隠すことがいやで、遅ればせながらと自ら結婚と娘の報告に来たのだ。とっくに知っていた当主ではあるが、そこで二人は出会ったのだ。
大丈夫、優しいのりとくんなら、りっぱなおとのさまになれる。吹の一言で、徳人の心は救われた。なにが大丈夫だよ、といつもなら反論してかみついていたはずなのに、彼女の言葉は透き通っていた。自分自身が否定する気持ちで固められた氷を、じわじわと溶かしていった。信じてくれる人がいるのはこんなにも頼もしいとは思っていなかった。
彼女に立派になったといつの日か伝えるために、訓練をがんばった。
好きだった。初恋だった。笑ったときの、揺らめくのにまっすぐであたたかい瞳と、プレッシャーを与えるのではない信頼の言葉。
監視からの連絡は絶えず受け取って、どんな形でも一緒になるのを楽しみにしていた。まさか自分が次期当主として認められ、婚約者の名に吹の名があるとは夢にも思わなかった。一緒になるのを結婚するに意味を置き換えた。たとえ自分が悪役になろうとも。
「でも、もう想い人がいるとはな」
バレンタインのあの日の姿が脳に映った。知らない男と笑っていた。これはまずいと思い行動した。自分のもとに置いておくために。あそこに行ったのは、先見の明が自分にとって悪いことを示したからだった。
「うまく、当主様に利用されたのか」
「そうでしょうね」
当主も先見の明があるが、それよりも心を使われたのだ。
「吹の言葉を忘れないで。あなたは、ここを変えられるわ」
わたくしも信じます、と麗華の声がする。
「やってやりますよ」
それで電話が切れる。
「で、今回のことですが徳人様」
「全部不問! じゃねぇと吹の呪いがかかるからな」
呪いという単語に怒るものはいない。どう考えても、吹のためだからだ。言霊を怖がっているようには見えない。実際にその後なにも咎めはこなかった。親族が吹の言葉を怖がって、誰もなにもできなかった。
「さて、お外はどんなかんじかな~」
「ちょっと先輩、覗き見するつもりですか?」
「そりゃそうでしょ」
全員にげんこつをくらうが、女三人が興味深々で見に行っちゃおー、と言ったのを止めることはできなかったのだった。ついでに恵一もついていってしまい、その場をどうにか丸めて帰ることに専念した。




