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23.

「お義父様、失礼いたします」

 さっきまでの態度はどこへ行ったのか、慎ましく襖を開ける徳人。室内は和風と言うよりも、言い換えれば昭和レトロな板の間だ。

「お連れしました」

「よくやった」

 手を掴んでいた(ふい)をやっと解放する。吹はずっとどこも見ていなかった。小さく震えたまま、ただ息だけをしていた。


「吹」


 びくりと肩が跳び上がる。

「おまえはこいつの婚約者だ」

「こいつじゃなくて、徳人と呼んでください」

 ふん、と当主である藤原が鼻を鳴らす。


 藤原家は、昔から先見の明があった。

 先見の明といえば聞こえがいいが、良い悪いに対する勘が鋭いのだ。その昔、占術で妖怪払いなどに役に立ったということで、藤原の名をいただいた。その力は受け継がれ、いくつか分家もあるほどだ。

 その“勘”の力は続いている。分家も含めたそのなかで、一番力があると当主が見抜いた者が、次の時代の当主となる。養子ではなく、本当の子か孫として、書き換えられるのだ。その勘の力は代々薄まっているというが、徳人にもその力が宿っていた。

 占術など信じられない時代になり、“勘”の力は現代では株取引、デイトレードや経営コンサルティングとして会社を設立することにより、一部の人間、会社とだけ取引をしている。もちろんコンサルティングは名目で、今後取引すべき相手、場所、事業運営などをアドバイスするのだ。それを知っている人間は少ない。が、うまくいった企業は間接的なものも含め数知れないという。先日吹と出会ったのも、徳人が言い当てたものだった。


「その力を、この家のために活かせ。あいつの代わりに」

 当主が言うあいつとは、吹の父のことだ。堅苦しく、争い絶えない家を嫌った父は、この家を去った。多分、自身の持つ力で息子が去ることを知っていただろう現当主もそれを止めなかったのは、吹の父が力を受け継いでいなかったからだ。戸籍からも抹消されている。藤原から離れた者に、高貴なものと考えられている藤の名は与えられない。藤を無くした、南指原(なしはら)という苗字だけを残して生きることが許される。


 だが、誤算が生じた。吹が生まれたのだ。その娘には、この家の力とは違う力が宿っていた。


 言霊。


 言葉を操る力。口にした言葉がそのとおりになる。これは当主でも見抜けなかった。わかったのは、分家に命じて行っていた監視からの報告があったからだ。監視の本当の目的は、家から抹消した吹の父が本家に害をなすことをしないか、たまに確認することだった。そのおかげで吹の力を知ったのは、家にとっては幸運といえるだろう。


 吹が小学生低学年のとき。吹について噂が流れていた。危ないと言えば危ないことが起こり、近づくなと言えばそこへなにかが起こる。先見の明の一部が与えられたのかと思ったが、そうではなかった。彼女が言った言葉が、本当に成る、ということだった。

 きっと大丈夫、こうなるといいね。そう言った相手は、成功する。先生に怒られろ、お母さんに叱られろ、そう言ったことも本当に。ただの偶然かと思ったが、調査は続けられた。友達をいじめた相手に、罰が当たるんだから、と言ったそのあと、罰が下ったように家族は病気になり、事故に遭う。そんな事態が続いた。


 良いことよりも悪いことのほうが大きな噂になるものだ。それから吹は話さなくなった。両親は吹のせいではない、噂なんて気にするなとなぐさめた。なにもわからないくせに、お父さんたちに会いたくない。吹がそう言った日に二人が出かけてから、二人は本当に帰らぬ人になった。


 当主はこれを知り、自らの力を認識しつつある吹を、家に引き取った。苗字はそのままに。力は時代を重ねるにつれ薄くなりやすい。だが、なにかあったときのために手元に置いておくことにした。監視しやすいよう、高校は寮のある学園に行かせた。


 引き取ってから当主は吹を見ると怒りがこみあがり、爆発した。おまえのせいで死んだ、おまえがそんなことを言ったから、と両親を失ったばかりの子供に対するものでない言葉を浴びせ続けた。

 吹は両親の愛をたっぷりと受けて育った。罵声など浴びたこともない。怒鳴られる恐怖だけでなく、自分が責められていることに対し、ごめんなさい、ごめんなさい、と畳に正座して、下を向き、手をそっと膝の前に合わせて額をこすりつけるほどにひたすらに謝り続けた。


 なにかあるごとに当主は、あのくだらない男の娘のくせに、これだからあいつの娘は、と彼女を叱る。責める。吹のせいでと最初こそ怒った当主が、勘当した吹の父をまだ息子とみなしていたと、恐怖と自責でいっぱいの幼い吹はまだ気づけない。ただわたしのせいだと、吹の心にずぶずぶとなにかが刺さっていく。自分の言動のせいでだんだんと自分ではなく父親が、母親が罵られることが胸に突き刺さる。それからはだんだんと人とのかかわりさえ避けるようになった。


 そして今に至る。避けてきた人とのかかわり。なのに高校で、なぜかできてしまった友人。半強制的ではあったが、楽しい半年間だった。別れのときの言葉はすべて、警告だ。嘘は言っていない、と思う。実際、友達と思わないようにしていた。かかわってほしくない。結婚で着たいのは、両親が神社で行った結婚式の写真にあったような、黒い着物。大丈夫、麗華になら、伝わっている。吹の言った意味も。もう、かかわらないでくれる。


「おい、聞いているのか」

 怒声が浴びせられる。大声を上げるのではなく、空気を切り裂くように。きゅっと身が縮こまる。「ばーか」と徳人の口が動いた。


「名を書け」


 名とは、占術においては重要である。相手を縛り、呪うこともできる。

 婚約について書かれているだろうそれに、手が出せない。

「お友だちごっこの相手が、どうなってもいいのか」

 その一言が、吹の手を動かした。この人ならやりかねない。麗華さえ知らない一族の生態。なにかあったとしても、知られずに終わる。


 人差し指を、机に置かれていた懐刀で切る。血文字で、震える手で、名前を書いた。これで、たったこれだけ。二人は本当に婚約者になった。


 当主がほしいのは吹ではなく、吹の口。声。言葉。本人の心など必要ない。操り人形のように、使い果たされて捨てられる運命だ。でも、みんなが無事ならいい。それでいい。

「話は聞いた。さすが、吹聴の吹だな」

 はっと笑う当主。昔から囁かれてきた二つ名は、全然嬉しくない。何度も吹を刺した。夢に出てくるほどに。

「では」

 声が、嘲りから厳格になる。

「式は来週だ」

 このときだけは、当主の顔を見た。その顔を見て、当主はおもしろそうに嗤う。

「早いほうがいい」

「準備は」

「とうに始まっている」


 徳人が吹と出会うあの日のことを予言したときから、当主は動き始めていた。吹の力をすぐにでも自分のもとにおけるように。

「吹」

 びくりとまた体が震え、硬くなる。


「これから一言も発するな」


 しゃべってはいけない、との命令だ。無意識でも言霊になっていることがある。特にこの状況。当主はこの計画すべてが無になることを恐れている。

「いいな」

 これから、はもう始まっている。吹は小さく返事をした。もし嫌がるようなら、どこか特別な場所へ軟禁される。誰も手を差し伸べてくれない場所へ。


 それから吹は、空いていた離れへと通された。次期当主となる男の婚約者とは考えられない、他の部屋から離れた場所。簡素な和室。寮のように、布団と文机、箪笥、押し入れだけがあるのみ。水場はそう遠くない場所にあるのだろう、使用人らしき女性が出ていくとき、「お手洗いに行く際は鈴を鳴らしてください」と残して目を合わすこともなく出ていった。きっと食事は時間に出されるか連れ出され、風呂も同じだろう。


 なにもせずに時間が過ぎていく。みんな、大丈夫かな。ひどいことを言った。傷ついているだろうか。

 そんなことを考えるようになってしまった。かかわりを避けてきたのは、自分ではないか。



 気が付けば夜、きっと声はかけられていたのだろうが気づかなかった。食事が襖の中に置かれていて、風呂は明日という内容の書置きがあった。

 もう寝るだけ。ずっとこのまま過ごすのだと思うと、心を殺してしまいたい。感情なんてらないと思う。でもずっとこみあげてくるなにか。


 会いたい。会いたい。

 わたしの心が届いてほしい。

 だれか、


 歌いたくなる。音痴だな、とあの声で言ってほしいが、望んではならない。そして声を出すことを禁じられている。もしなにか発するようなら、あのときのように怒声が降ってくる。そして会ったこともないような他の親族にも、嗤われる。


 布団に横になり丸くなって、涙が流れるのをぐっと抑えた。これは自分で選んだ道だ。堂々を進むのだ。自分を失っても。


 とんとん、と小さく襖が叩かれた。風呂に入れという使用人からの命令か。身を清めるのも必要なことだ。でもこの気配は、あの人だ。開けたくない。でも、開けないことは許されない。

 ずる、と少し開けると、一気に襖が開けられた。音がするほど乱暴に。


 なんですか、なにか御用ですか。


「しゃべっていいぞ。おれの、婚約者の命令だ」

 聞いていいのかわからない。だがここで話さなければ、それも怒りの原因になるかもしれない。

「こんな夜更けに、なんのご用でしょうか」

「そんなの、決まってるだろ」

 後ろ手で襖が閉まる。

「正式に婚約者になったんだ。夜に女の部屋に行くとしたら、やることなんてひとつだろ」

 その意味にはっと気が付いて後ずさるも、既に両手を掴まれていた。離して、と言おうとしたら「もうしゃべるなよ」と冷たい目と口が言った。


 冷たい。


 反抗したくて、怖くて、足はどんどん後ろへ下がる。でも手はほどけない。敷かれた布団にかかとがひっかかって、バランスを崩した途端に突き押された。どん、と音がした。

「いった」

 これは徳人の声だ。吹の背中には腕が回されている。それでも腰や肩が傷みを訴える。痛みに気を取られていたら、両手首は頭の上に、徳人の片手で簡単に拘束されてしまっていた。男の人の手は、こんなのではない。こんなに強さをこじつけるものではない。あの人の手は。


「喘ぎ声なら聞いてやる」


 ひゅ、と恐怖で喉が鳴った。楽しそうに見る目。なんて冷徹なんだろう。

 帯に手がかかる。ずる、ずる、と音がする。身をよじるも、なんの抵抗にならなかった。逆にそんな吹を楽しそうに、細めた目で見ている男がいる。


 怖い。


 あのとき、麗華もこんな怖さがあったのではないか。直接的に尋ねた自分を恥じる。

 そうだ、あのときの麗華は、しっかりと自分を維持していた。強い、揺るがない目があった。自分も、そうしなければ。


 おなかのあたりを締め付けていたものが緩んでいく。今度はしゅるしゅると音がする。楽しそうにこちらを見てくる目。睨まずに、目を合わせる。強く、堂々としろ。揺るがずに。楽しいなんて、思わせない。隙なんて、与えない。


 冷たいなにかが肌に触れる。体は勝手に反応する。それでも、絶対に目は逸らさなかった。


「ちっ」


 手を添えられていた肌の上から、重さが消えた。両手の拘束もとける。

「つまんねぇ。興がそがれた」

 徳人は立ち上がる。

「初めての夜は、式の当日にする」

 楽しみに待っておけ、と捨て台詞のように言い放って、彼は出ていった。



 出ていったあと、ふうふうと大きな息が出て入ってを繰り返した。

 苦しい。苦しい。

 過呼吸になっていると気づいたのはずいぶんあとのことだった。近くにビニール袋などない。布団に顔を入れて、どうにか抑え込んだ。


 身体を丸めて、再び布団にうずくまる。初めての社交界の夜を思い出す。怖い怖い怖い。そのときは救いがあった。

 今は耐えられずに、涙を流しながら一夜を過ごした。一睡もできなかった。そして、電話が鳴ることもなかった。



 朝、朝食を持ってきた親族は、吹の乱れた姿を見て厭らしそうに笑った。もうなんとでも言え。どうにでも見ればいい。食べたくないが、食べなければ生きていけない。もう生きなくてもいいのでは、と夜に思った。が、自分が生きていなければ、みんなが元気かどうか、たしかめられない。止められない。


 いつしか白無垢の準備に連れ出されたり勝手に風呂に入れられたりしていた。吹は人形になっていた。虚ろな目。命のない、人形になっていく。誰も感情を吹き込んでくれない、人形に。




 式のその日はいつのまにかやってきた。大きな和室にぐるりと親戚が並んでいる。上座の高い場所へ当主が控えている。吹は白無垢の姿になっていた。いつのまに。されるがままに過ごしてきたのか。生きていないとみんなの無事を確かめられないと思っていたが、心は本当に殺していたのか。


「これから婚姻の儀を始める」


 人形から生きた人間に、このときだけは意識が戻った。

 ぱちぱちぱち、と拍手が起こる。角隠しで目を隠せてよかった、と思ったのは一瞬だ。向けられる目線は、恨めしい、嬉しい、悔しい、とどろどろしている。勢力争いだ。徳人がいた分家だけは誇らしそうにしている。しばらくはここの分家が力を持つことになるのだろう。

 婚姻の儀の流れにそって、ことは進められている。そして、

「やれ」

 その声に、盃を持ち上げ、飲む徳人。

 もちろん未成年のため酒は相当薄めてある。が、これは契約。特別な力を当主が与えたもの。飲んでしまえばもう戻れない。


 無言で渡された盃。吹は震える手でどうにか受け取ったが、それを口にすることができなかった。当主が睨んでいるのが見なくてもわかる。手を持ち上げる。口を端につける。


 覚悟しろ。


 傾けると、中身が近くまで寄ってきたのが感じ取れる。


 みんな、わたしが守るから。

 守られるのではない、今度は、わたしが守るから。



「みなさん、侵入者です!」


 その声で傾けていた盃が止まった。ざわつく屋敷。

「おちつけ、何奴だ」

「はい、離れにある骨董品を盗もうと、屋敷へ入ったものと思われます」

「そんなことできるはずがなかろう!」

 この大切なときに、と当主が怒る。


 この屋敷は、塀と周りの堀により、結界がなされている。忍び返しまである。徒人(ただびと)はそう簡単に入れない。これは、昔に本物の術使いが作ったものであるという。そしてなにも知らない吹が、両親を守るためだとうそぶかれて、悪いものが入らぬよう強化したものでもあった。


「侵入者はあとだ。さきに飲め、吹」

 止まったと思った。助かったと思った。すこしでも遅くしたかった。だがそううまくは運ばない。

「吹!」

 怒鳴り声。もう一度、盃を持ち上げる。


「おっとー、ここにも骨董品が!!」


 手の上が軽くなった。顔を上げると、にやりと笑った見覚えのある顔があったのだった。





 ときは遡り、一週間前の吹、退学の日。

「藤原なんて、聞いたことありませんわ」

 父親に電話をかけはじめる麗華。正しくは、藤原という苗字は知っていても、徳人にいきつかない。

「聞いたことないですって」

 困りましたわ、と息をつくのではなく眉間に皺をよせる麗華。

「あのさ、あたし、ちょっと聞いたことあるの」 菜穂が言う。

「すっごいコンサルがいるんだって。富寿(ふじ)なんとかっていう」

「ふじ、なんとか?」

「“ふじ”しか合ってないけど」

「それがさ、お告げが当たるっていう」

「お告げ? なにかしら、占い?」


 そんな会話をしたあと、退学してから二日後のこと、水曜日だ。グループ電話があった。恵一から発せられたのは、藤原の話。

「幸さんはいないのね」

 ぼそりと口をとがらせる麗華に、誰も答えなかった。


 藤原家っていう一族がいるんだ。その家は未来がわかるとかで、高貴な藤の名を得た。分家も多いんだって。戦後はコンサルティングや株で儲けてる。小さな会社みたい。知らなくて当然だと思う。ただ、おかしいのは大きな会社であってもその名が知られていないこと。一気にのしあがった小さな会社を調べて、どんな手使ったのか吐かせた。口留めされている、とだけは聞けた。もしなにかしらの怪しい力があるとしたら、口にすれば悪いことがあるのかもしれない。


『で、その会社、富寿相談所って言うんだ』

 菜穂がそれだと声を張り上げる。

「お父さんが、お酒の席でそれっぽい話聞いたみたいで、酔ったまま話してた」

 当たりの可能性が高いと、もっと調べることになった。

「これから古い冊子を見てきます」

「わたくしも図書館へ」

『必要ない』

 どん、と音がしたのは男たちのほうからだ。

『関係性がありそうなもの、すみからすみまで借りてきた』

 そこには、声だけの電話では見えないが幸が立っていた。

「幸さん」

 背筋が凍るような声は、麗華だ。

「遅いわよ」

『申し訳ありません』

 幸は謝る。

「ほかにいうことは?」

『俺も、いれてください』

 覚悟はできてます、そう続ける幸に、しかたないわね、と麗華は笑った。

『役者はそろった! 始めるぞ!』


 今日は水曜。彼らはまだ知らないが、月曜日に式は待っていた。


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