22.
次の授業を吹は休んでいた。
「なにがあったのかしら……」
麗華たちは心配していた。突然ひとりで帰ってしまったその後は連絡もつかず。自分たちは動くこともできなくて。会って話を聞けるはずの今朝、吹はいない。
「麗華様」
声をかけたのは、クラスメイトだ。
「お耳に入れたいことがあるのですが」
「なにかしら」
なるべく周りに聞こえないよう小さい声で、その生徒は話した。
「なんですって?!」
大きな声を出す麗華に視線が集中する。一時、教室はしんと静まった。「失礼」とこほんと咳払いをした麗華は浮かした腰をもとに戻した。その子はそそくさと離れていく。
「なにが?」
「吹さんが、退学なさるらしいわ」
三人ははっと息をのむ。
伝えてくれた生徒は、忘れ物をして寮に戻った。すると、吹の部屋からものが運ばれているところだったそうだ。近くには先生もいて、こっそりと尋ねたところ、退学するとのことを教えてくれた。先生の言葉とその状況だ。信じるしかない。
「なぜ?」
「そこに、同年齢の男の人がいたそうよ」
「!」
「もしかして昨日の?」
「可能性が高いわね」
距離が近く、仲睦まじく見えたという。本来入れないはずの寮に入れるくらいの理由があるのだ。
直接聞きに行く。絶対に、事情を話してもらう。
四人は昼休みに寮へ走った。人目なんて気にしない。先生に捕まったとしても逃げてやる。マナーなんて関係ない。急がないと、吹がいつ消えてしまう気がして。
「吹!」
吹は部屋にいた。ドアが開いたままだったのだ。もともと少なかった私物がすっかりなくなって、がらんとしている。ベッドと勉強机しか残っていない。
「詳しく話しなさい!」
なんの前置きもなく息を荒くする麗華に、
「それなら僕から」
寄り添っていた男が口を開いた。この男だ。吹にあんな顔をさせた、あの男。
「僕は藤原徳人と申します」
「藤原……?」
復唱する麗華に、徳人はわからないくらいに口角を上げる。
「この度は申し訳ありませんでした」
頭を下げた徳人。
「僕が容易に声をかけたばかりに」
悲しそうな目が作られた。会えたのが嬉しくて、ついぺらぺらしゃべってしまった、と説明した。
「婚約のことを誰かに知られたら、彼女は退学という契約になっていたのです」
ね、と徳人は吹のほうを見るが、吹の表情はわからない。背を向けたまま、顔をそむけてこちらを見ようともしない。
「このように吹も怒ってしまって」
まともに会話もしてくれないんです、と困ったように笑う。
「どうぞお許しを」
もう一度しっかりと頭を下げる彼は、まるで演技をしているようだった。麗華はこういった人たちを何度も見てきた。わかる。本心でないことを話していると。
「僕としては早く一緒なれて嬉しいんだけど、吹にとっては嬉しくなかったよね」
またも吹に話かけるが、反応はない。
「困ったなぁ」
子供をあやすようにぽんと手を頭にのせても、振り払われるだけだ。
「吹はわたくしたちと一緒に卒業するのよ。それくらい待てないのかしら?」
怒りをこめた声で、麗華が対立する。
「いくら神宮司家のお嬢様のお願いでも、そのお願いは聞けません」
今度はまるで馬鹿にするような笑い方だ。顔は穏やかに、困ったような顔を作っている。が、心はそうではない。今までたくさんの人と出会い、話してきた麗華には、それが手に取るようにわかるのだ。
「勘のいいお嬢様だ」
ぼそりと呟いたのを、誰も聞き逃さなかった。
「では、まだ準備がありますので」
部屋から追い払われてしまう。
「たいへんだわ」
「もしかして、もう、今日、出発?」
「ええ」
彼は吹を今日にも連れていく気だ。
「すぐ彼らに連絡して」
「吹、そろそろ機嫌直してよ」
吹は返事をしない。
「まったく、かわいくないな」
触るな、という目で睨まれて、徳人は降参と両手を上げた。
「夕方、この学校の終業時刻の前に出るからね」
吹はまたも返事をしない。
すべて引き払われた部屋の荷物。入ってきたときと同じ状態。あたたかみの欠片もない。
「行くよ」
手を差し出される。後ろに手を隠し抵抗するが、無理やり取られてしまう。この手を払うことはできない。そのまま引かれて歩くしかなかった。
「おや」
足を止め、振り返る徳人。
「お友だちが、引き留めにきたよ」
うれしいねぇ、と言いながら笑う。
「お別れ、してきたら?」
そうだ。きちんとお別れをしよう。
さすがに車までは中に入れてもらえなかったのか、門の外で、これから乗る車が待っていた。
「吹! 待ちなさい!」
足を止める。お別れだ。
「なに?」
びくりと四人が震えた。吹の眼は、凍るような冷たさで、なにも映していなかった。
「なぜ退学なの? その人でいいの?」
麗華はその冷たさにもめげずに話しかける。
「わたしたちになんで話してくれないの? 相談してよ!」
「友達でしょ!」
「いえ、親友よ!」
それを聞いた吹はぷっと噴き出した。
「親友? そんなの、あなたたちが勝手に言ってたことでしょう?」
「え」
抑揚のない声。冷たい物言い。言葉。流れるように出てくる。四人は驚くより、怯えさせられた。
「わたしは一度も、友達と思ったことなんてないですよ?」
「一緒に出掛けて、食べて、過ごしているのですから、もう友達です」
「わたくしを助けてくれたじゃないの!!」
「それは自分のためです、お嬢様方」
嘲笑が浮かんでいる。
「昨日、この方と会えてよかったです。おかげで胸糞悪いこの学園から、去ることができるのですから」
「なっ」
「お友だちごっこ、案外楽しかったですよ」
にやりと笑う吹。笑っている顔でも、笑っていない。
「さような」
「吹さん!!」
今度は門の外から声がかかる。
「退学ってどういうこと?」
なぜかあの五人が集まっている。
「あら、お見送りですか?」
相当暇なんですね、さすが成績トップの方々はなにをするのも早くていらっしゃる。くすくすと嫌味を言う。
「どういうことって、そのままです。退学して、この人についていきます」
まだ信じられないのか、五人は茫然としている。恵一が近づこうと足を踏み出したとたん、がたいのいい男が捕まえた。近づかせはしない、と。
「離してあげて」
吹の言葉に、仕方なく恵一を離す、というより押しやった。
「お伝えします」
吹は誰にも目を合わさない目で、どこかを見る。
「これ以上わたし関わったら、どうなるか」
全員がぞくっとした。背筋に走るなにかを感じ取る。
「よくお考え下さいね」
吹の顔は、もう笑っていない。脅しの表情。
「そろそろいいかい?」
徳人がしびれを切らしたようだ。また手をとられ、吹は扉を開けられた車へ向かう。
「吹!」
麗華が叫ぶが、吹は振り返らない。が、足を止めて。
「少し残念なのは、結婚式の着物が白無垢なことですね」
婚約者が苦笑いだ。突然になんの話だか、止めにきた人間にはすぐには理解できなかった。
「決まっているしきたりだ。我慢して」
「わたし、黒引き振袖がよかったのに」
最後に一瞬だけ、ひとりに目をやって、そのあとはもう振り返らずに車に乗った。
そのまま、車は出ていった。
「吹さん……」
「どうして」
「お友だちごっこって」
男たちも、会話を最初から聞いていた。
「そんなはずないでしょう! 理由があるのよ! あなたたち、秘書になるのでしょう?執事でしょう? 吹の言葉を理解できないの?!」
麗華が叫ぶ。二人が出ていった門が、閉まってきた。吹と麗華たちの間に、隔たりが、本物の壁ができる。
「昨日、吹はあの男に怯えていましたわ! なにか話していましたわ!」
見たでしょう! 麗華が冷静を失っている。
「本当は行きたくないのよ! でも!」
行くしかない理由があった。それは、麗華たちだ。
「関わるな、と言っていたわ。それはわたくしたちへの注意です。関わると悪いことになるという、彼女の警告です!!」
「吹は!!」
「わたくしたちを守るために退学して、婚約者を騙る男についていって、結婚するのよ!!」
そんなこともわからないの? と女たちから睨まれる。涙をたたえた、流した顔で。
「どうして止めなかったのよ!」
「あなたたちなら、できたでしょう?!」
門の内側にいる彼女たち。たとえ開いていても、女三人で護衛の男たちにかなうはずもない。吹の意図を知ってしまったあと、目の前でなにか手を出すことはできなかった。
だが、彼らは違う。混乱のせいか、さっき残されたメッセージを理解できていなかった。なのに、誰も止めない。恵一も一度振り払われただけで、動かなくなったざまだ。体術も仕込まれている彼らなら、できたことはあるはずだ。
「幸!」
麗華が指定して呼び捨てる。
「あなた、なぜ一歩も動かないのよ!!」
もう麗華の顔はぼろぼろだ。お嬢様とはいいがたい。あるべき顔ではない。
「なぜ、俺が」
「なぜって!」
「そんなこともわからないの?!」
「最後の吹の言葉、聞いてなかったの? 誰を見てあの子が言っていたかも?!」
幸の表情はいつもわからない。サングラスの下には、無表情しかないのだろう。
「麗華様、こんな人にそこまで言う必要ありません」 いづみが言った。
「そうだよ」 菜穂も。澄子もうなずいている。
「もういいですわ」
ぱん、と麗華は手を叩く。
「みなさん、行きましょう」
「そうね」
「吹きを助け出すわよ」
「もちろん!」
背を向けて校舎へ戻る四人。後ろから、「オレも仲間に入るから!」と聞こえた。麗華は足をとめた。
「覚悟はあるの?」
「なければ言わない」
警告を受けても、動くことを決めた。歓迎するわ、と麗華は答える。
全員が見えなくなった。
「おまえは?」
「聞く必要、ある?」
仁志が黒い瞳で笑う。ないな、と恵一は笑った。
「僕もやります」 巧もたくましい顔だ。
「おう!」
「俺は入れてくれないのか?」 孝支が問う。
「歓迎するわ」
麗華のまねをした恵一。孝支は少しだけ笑う。頼もしいやつ、と。
「やめたほうがいい」
ひとりだけ反対意見を出したのは、そう言ったのは、幸だった。
「警告があったのに無駄に動けば、なにかあったときに吹が傷つく」
幸だけは、違う意見だ。と、いきなり胸ぐらを掴まれた。恵一だ。
「なぜ捕まえなかったんだよ!」
先輩に対する物言いでも態度でもない。が、誰も彼を止めない。
「あんたが一番そうすべき人間だったのに!」
無言の睨み合いが続く。しばらくしてやっと止めに入ったのは、仁志だ。
「恵一、行こう」
まだやりたりない恵一。だが仕方なく、手の力を抜く。
「あんたにはがっかりだ」
行こう、時間の無駄だ、と来た道へ戻り始める。
「僕も同意見です」
仁志は曇った目を向けている。
「こんなに根性なしだとは思いませんでした」
巧は残念そうに言うが、でも目じりを上げている。
後輩たちから軽蔑の眼をさらされる幸。彼らは去っていった。それを遠くから見ていたら、
ばしん!
頬に痛みが走る。いつもなら避けられるはずなのに、同期からの拳はよけられないのか。
「あの子の痛みはこんなんじゃねぇぞ」
頬を抑える幸に、孝支が続ける。
「変わりに俺が教えてやる」
なんのことか、幸にはわからなかった。
「白無垢は、あなたの色に染まります、という意味がある。黒引き振袖は、あなた以外の色には染まりません、という意味がある」
そんなことは知っている。
「それを、誰を見ていった?」
吹は、誰を見ていたか。サングラス越しに見た、あの子の眼が脳内でよみがえる。
「あのうさんくさい男には染まりたくない、お前意外の人はいやだ、そう訴えてたんだよ!」
孝支が怒鳴った。
「どうするかは自分で決めろ」
さっきまでの怒りはすっと収まったが、吐き捨てるように言ってから孝支も前の三人を追った。
幸は一人、残された。そして、動けずにいた。
「君、女優になれるよ」
車で徳人がからから笑う。
「いい学校生活だったんじゃない? お友達できてさぁ。あ、お友達じゃないんだったね」
あはは、と下品に笑う男は、さっきの紳士的な男と同一人物とは思えない。
「これから本家に行って、契約書に名前、書いてもらうからね?」
なにも言わずに外向きでうつむいている吹は、やはりなにも言わなかった。
本家に到着する。そう遠くないとはいえ、二時間ほどたっただろうか。ものすごく長く思えた。
久々に見る、純和風の門構え。この門を超えれば、世界が変わる。もう、今のままではいられない。
「あ、お邪魔しますはいらないから」
ただいまでいいんだよ、とへらへら笑う。いくつの笑い方を持っているのだろう。
「これから、仲良くしようね?」
吹にはもう、この男の声は入ってこなかった。それよりも、これから会うことになっている人のことが、頭を占めていた。




