16.
その日は結局、泊まりになってしまった。麗華が購入した今日のドレスを着る機会を見つけるための相談会を行うという。名目はそうなっているが、麗華はただ、五人で泊まりたかっただけ。今しかできない経験をしたい。いっこうに距離を縮めてくれないとある一人と近づきたかったのも大きい。
宿泊先は広くて高い場所にある絶景高級ホテルかと思いきや、ビジネスホテルよりひとつ格が上がるくらいで吹たちでもがんばれば泊まることのできる、そこそこのホテルだった。景色がよく、部屋の見た目は洋風。ラグジュアリーホテルとまではいかないが、自分へのご褒美に宿泊する人も多いという。
「一度、こういうところで寝転がりながらお話してみたかったのよ」
頬を赤らめて麗華にそう言われれば、誰もなにも言えない。いろいろな意味で麗華の力は大きい。もちろん、吹以外は断るという選択肢は最初からない。
試験対策という名のショーのあとはスーツのまま食事して、すぐ解散だった。彼らも勉強時間が必要だし、復習したいとのことだ。女性はみな別れが惜しそうだったが、全員が高校生。時間には限りがある。すべてを遊びに割けないのは仕方のないことだ。自分たちの今日の行いが力になるなら、とそう言い聞かせて別れたのだった。
そしてこのホテルへ。どうにか手を出せるが予算に足が出るそこそこのランク。夕食は予約制だが朝食はビュッフェが有名だ。予約をしたレストランで、夜景を楽しみながら食事かと思いきや、またもや意外にも、夜はカップラーメンが食べてみたいとコンビニでそれぞれ好きなものを買って食べることになり、ホテルの夕食は摂らなかった。普通の高校生を楽しんでいて、なによりだ。ちょっといいホテルではあるが、ホテルマンからしてもただの女子高生にしか見えない。
吹にとっては安心だが、みんなにとっては残念ながら大浴場はなく、順番に部屋のお風呂に入った。お風呂はシャワー室と別になっていて十分広い。一体型だったら使いこなせない人もいるのではと気になっていたが、大浴場がなくても問題ないくらいの大きさだった。
さて! とベッドに寝転がった麗華。部屋はツインと三人部屋だ。二対三で、くじで決めたら麗華と一緒になってしまった吹。隣の三人部屋にお邪魔して、相談が始まる。
「麗華様、あの」
「吹?」
笑顔で圧をかけられるときは、自分のしゃべり方が気に食わないとき。すなわち、様付けになっているか敬語になっているかだ。
「れいちゃん、あのね」
「なに?」
今度は嬉しそうな笑顔になる。
「あ、あの、わたしは、そのドレス、着なくていい、の」
遠回しに、機会があっても行かないよ、と伝える。着る機会などいらないのだ。
「だめですわ!」
思い切り反対、というか否定されてしまう。少し怒っている表情だ。
「あんなに時間をかけて選んでくださったのに、着ないなんて失礼ですわ」
しかしあれは、わたしたちをモデルにしただけで試験の練習だ。それに自ら希望して買ったわけではない。失礼ではないはずだ。多分。
「吹さん、買ってくれた麗華様に失礼よ」
こそりといづみが耳元でささやく。そうだ、あの服は麗華がすべて購入したのだ。財布が誰のものかはおいておくとして、お披露目しないわけにはいかない。でも買ってもらわない選択肢をもらえなかった吹としては、納得しがたい。いつかもしかしたらどこかで着る機会がある……かもしれない。
「学校で、なんかのパーティーのときに」
「吹さんいつも不参加でしょ」
最後まで言わせないよう言葉をかぶせてくる菜穂。なぜか全員が吹に麗華の誘いに乗るよう誘導してくる。これは逃れられないと溜息が出た。誘ったところで邪魔になるだけなのに、なぜだろう。
「というわけで、このあたりはいかが?」
スマートフォンでお誘いを受けているパーティーの日程を確認している。すべて入っているのか、見せられた画面には平日の夜も含め、休日もいっぱいに予定が入っている。すべてに参加するのではなく、ただ誘いを受けているだけだそうだがすごい件数。
どれがいいかしらと調べていく。たまにポップコーンに手を伸ばしたり、ジュースを飲んだりする姿は本当にただの高校生だ。
「これはどう?」
ただの懇親会というそれ。懇親会にふさわしい恰好で、とドレスコードの欄に書いてある。今日と同じような、選びにくいやつ。
「芸術一家の鑑賞会が目的のようよ」
芸術家として有名な一家がたまにギャラリーを開くという。作品を見てもらうのが一番の目的のため、そこまでお堅いかんじはない。友人を連れてきてもいいという。見てもらう人が多いほうが、招待する側としてもよいのだろう。評判を聞けるし、広めてもらえる。
今回は息子兄弟が準備しているらしい。親が招待者だったら尻ごみするが、大学生の兄弟が主にやっているとすると行きやすいといえば行きやすい。
絵、写真、音楽、ガラス細工など、とにかく芸術家の家なら、ただひとりで見ているだけでもどうにかなりそうで、敷居はそれほど高くはない。挨拶さえ終わればどうにかなるかもしれない。
この表情が安心に見えたのか、
「吹もここがいいみたいだし決定ね!」
麗華は連れていく人数を自分含めて五人として、参加ボタンを押してしまう。ここがいいのではない。もしも行くなら、を考えていただけだ。なのに決定と受け取られ、強制参加。こういうのを手紙ではなくスマートフォンでできてしまうのは便利だ。その便利さが今は悔しい。時代ってすごいが、困る。
というわけでもう決定してしまい、あとは彼女たちのくるくる変わる話題に耳を傾けながらただ相槌を打っていた。
九時頃になり、二人の部屋に戻る。ホテルの廊下でも誰かとすれ違うことはなかった。パジャマ姿でこそこそと移動したのでその点は安心だ。ホテルの備品のパジャマでも、麗華はセクシーだ。今日の吹のドレス姿より、ずっと。
二人でごろんとベッドに横になる。ダブルじゃなくてよかった。今日はとても疲れた。お風呂にも入ったし、このかんじは睡眠の流れかと思った。二人とも布団にきれいに入っているのだ。おやすみ、と言おうとしたときだった。
「とても素敵でしたわ」
麗華が言った。これはドレスのことを言っているのか。
「イチさんのコーディネート」
コーディネートのことだった。素敵ではあったが、吹以外の人が合っていると思うのかはわからない。
「えと、それは、ご本人に伝えて、ください」
「吹、言葉」
こう言うとき、麗華は少し怖い。
「本人に、直接、伝えて、ね」
「……そうね」
微妙な間が入る。このまま寝るかと思ったところに、
「わたくしと吹の担当が反対ならよかったのに」
小さく小さく、聞こえた。意図がわからない。
「恵一さんが、よ、よかった?」 そういう意味に受け取った吹。
「彼は奇抜な考えを持っているから……それに吹さんも幸さんがよいでしょう?」
麗華が恵一を望んでいたのはわかった。普段着ないものを、意外なものを用意してくれると思ったのだ。あのカフェオレみたいに。とすると、幸のコーディネートは想像の範囲内だったのだろう。でもなぜ、吹に幸がいいのだろうか。
「いえ、どなたでも、よかった、ので」
「そう?」
幸さんと仲がいいじゃない、と言われてしまう。なぜだろう。仲がいいわけない。人と距離はおいているし、この間は怒られてしまい喧嘩っぽくなってしまった始末だ。なぜそう思われているのかわからない。
「幸さん、サングラスを外さないのよ」
いきなりの話題変換だ。
研修で担当してくれた時のこと。人前に出るとき以外は、サングラスをしていたそうだ。もちろん麗華に許可をとってきた。
「SPみたいだったわ」
くすくす、と麗華は笑う。麗華にSPがついていてもおかしくない。
「なんで普段からかけているか聞いてみたの」
紫外線に弱かったり、視力の問題だったり、色付きの眼鏡をしている人は少なくない。
よくまぁはっきり尋ねられるなと思っていたら、麗華から答えをもらった。学校内は平等だ。気になることはまっすぐに聞いて、今後に活かせという父親のアドバイスだそうだ。相手が答えにくそうならすぐに謝って答えなくていいと伝えること。
「人目につかないためだそうよ」
どう考えても、あのサングラスをかけていたほうが人目を引く気がする。本人曰く、なぜか自分には人目だけでなく人そのものも、それ以外に嫌なことさえも集まってくるという。
「そうよね、きれいだもの」
麗華は言い切った。人は見た目や雰囲気で集まってくる。顔の整ったあの五人が揃っていれば、なおさらだ。
だが幸は、自分がいることで、そのせいで悪いことが起きると言ったそうだ。良い意味で人が集まってくる。だがその結果悪いことが起きる。そして自分がいないときは人がいてもなにも起こらない、と。
「考えすぎだとお伝えしたのだけど」
誘拐事件のあと、ご理解いただけたでしょう、と言われたらしい。なにも言葉を返せなかった。あなたのせいでないと伝えても、きっと意味がないと思って。
ただ、これをかけていると安心する、とサングラスを外して見つめながら彼は言ったそうだ。気持ちの問題かもしれない。
「それにおまじないをかけてもらったからって、幸さん笑ったの」
おまじない。
もしかして、お宿で会って、茶羽織を返したあのときの……あれ?
「嫉妬してしまうくらい、自然な笑顔でしたのよ」
今はむすっとしているのがわかる口調だ。
「まぁそんなことですの」
吹に幸がついたほうがよかったと思う理由についてはたくさん話してくれたが、自分のことは話してくれない。
吹にれいちゃんと呼べと宣言したその日、吹のことを知りたいと情報を出せと言ったら、いくらお嬢様のご要望でも個人情報は教えられませんと断られたことは内緒だ。麗華は吹のことを知らない。実はどこぞのお嬢さんなのか、憧れでの入学なのか。それにしてもパーティーに参加はしないし、自ら人に寄っていかないだけでなく距離をとるし、それなりの事情はありそうだと思っている。幸たちも吹のことはよくわかっていなかった。調べてもわからないのだ。それが不思議で、恵一はまた「不思議ちゃん」と言った。
「れいちゃんは、恵一さんが、いいんだね」
「いいわけではないわ。今回は、です」
コーディネートを言い訳にしているが、きっと気持ちが楽になるのだと吹は思う。あの軽さと、笑顔と、かしこまらずにそれでも礼儀正しい所作は、いつも周囲から持ち上げられる麗華にしては嬉しいことだ。
「これを恋バナというのね」
「え! れ、麗華様、恵一さんに?!」
つい声を上げてしまった。
「え?!」
驚いているのは麗華も同じだ。そして今の麗華様呼びには気づいていない。
「してないわ!」
「わたしもしてないよ」
「なんだか残念ですわ」
せっかく恋バナしてると思ったのに、と暗くなる。そういうのは向こうのお部屋の三人としてほしい。
「向こうでは女子トークをしたから、今度は恋バナだと思ったのに」
修学旅行の夜は恋の話で盛り上がるのが原則というのをどこかで耳にして、楽しみにしていたのに、混浴のところの話以外そういった話題はなかった。婚約者がいる人も、お見合いがたくさん寄せられる人も多いため、そういった話題は避けられたのだろう。残念そうな麗華にもお見合い話がたくさんあるだろうに。
「疲れてる、よ、ね? もう寝ましょう」
麗華は返事をしない。
「麗華様?」
「れいちゃんでしょ!」
「ごめんなさい」
すぐに謝る。でも慣れや癖はそう簡単には直らない。今まで話す機会は作ってこなかったが、脳内では麗華様でインプットされていたのだから。
「吹とせっかく近くになれたと思ったのに」
おやすみ、とひとこと言って、静まった夜はなんとなく重かった。
翌朝、目が覚めるともう八時を過ぎていた。休日も規則正しい生活をしているが、体内時計が昨日の疲れで狂ったのだ。隣を見ると、麗華がこちらに顔を傾けて気持ちよさそうに眠っている。寝顔もきれいだな、なんて思っていた。
たしか朝食のブッフェは十時まで。急がなくてもいいかと思い、音を立てないようにとても気を遣って着替えや片付けを済ませた。明るさで麗華を起こさないよう、布団のなかでメッセージを確認すると、まだ誰からも連絡はない。きっと自分が目覚ましになると思う。そのときに廊下に出られるよう、ゆっくり静かに準備を始めたのだった。
そして九時前に麗華を起こし、連絡し、やはり目覚ましとして活躍。
朝のビュッフェは人が少なくなっていて、そういう意味では遅くて正解だったかもしれない。
みんなで好きなものをとって、全員オムレツを目の前で作ってもらって、席に着く。窓側から見えるのはオフィス街だが、なぜかさみしいとは思わなかった。
「昨日考えたのだけど」
スープをいただいていたところ、麗華から話が始まる。
「あの五人もパーティーに呼びましょう!」
「いいねぇ」 いづみが賛成する。
「ご迷惑じゃない?」 澄子は心配そうだ。
麗華いわく、彼らにも練習になるし、参加人数がまだ少なめで人が多いほうがいいそうだ。
「たぶん主催者が兄弟だからですわね」
主催者が親だと、また反応も年齢層も人数も違うのだ。
彼らは付き人として来てもらうが、人数にカウントされるという。さすがに連絡はまだらしく、これから確認するという。
「一緒に行けるといいね」
みんなは一緒がいいらしい。迷惑だと思っているのは澄子や吹だけだろうか。
「その点はこれから連絡を取るので未定ですが」
ん? とサラダを咀嚼しながら麗華を見る。
「決定事項があります!」
ばん、と発表があるらしい。全員の手が止まる。
「吹」
「はい」
なにか悪いことでもしたか。心配になる。
「これから、様呼びと敬語を使ったら、ポイントをつけます!」
「はい?」
ポイントをつけるとすると、貯まった後にサービスをもらえるのが一般的だ。よくスーパーでもらう券や、電子決済でつくポイント。だが麗華は、
「五十たまったら、わたくしの言うことを何でも聞いていただきますわ」
「え?!」
驚く吹に、ほかの三人は楽しそうに食いついた。
「それじゃポイント管理、あたしするね!」 菜穂はのりのりだ。
「全員でノートを持ちましょ」 澄子が脳内で文房具を考えている。
それぞれで持って、合計するらしい。つまり麗華がいない場所でもカウントされてしまう。
「スタンプはどれにしよう? あとで候補もってくるね!」
いづみはきっと、商店街で探してくる。
「え、あの、待ってください。わたしの了承を、得てくれない、の、ですか?」
麗華がにっと笑った。
「菜穂、ノート作ったらはんこ二つね」
「はい!」
決定事項と言っていた。しかももう始まってしまっている。
「あのぉ」
なんでも聞いてもらう“なんでも”とは何か確認する。マナーを守っていやらしいことでなければ、なんでもらしい。なんだそれは。
「有効期限はなしよ」
「え!」
それは吹にとってあまりにも条件が悪すぎる。
「れい、ちゃん、なにさせる気? フェアじゃない、よね?」
「平等になるための処置です」
麗華のいう平等とは、吹と麗華で敬語なくため口でおしゃべりし、お互いに様をつけずに呼び合うというもの。それと吹のいうフェアは違うだろうが、もう麗華は変更のつもりはない。昨日のことで機嫌を悪くしまったか。自分が悪いとは言うつもりはない。だが麗華の機嫌をさらに悪くしたくないのもたしかで、仕方ないのでもうなにも言わない。ただもくもくと、オムレツを食べた。
話さなければいいんじゃないかと思ったが、これはだめだった。帰りの車の中でもどんどん話しかけてくるし、全員から監視されている気分。寮に到着するまでに十個以上のポイントがついてしまって、麗華からポイント上限を百個に変更にしてもらうことになったくらいだ。
いつもの四人になってから相談が始まる。
「吹はなんであんなにわたくしたちを避けるのかしら」
麗華がうつむいた。
「うーん、もともと人と関わらないタイプじゃない?」
菜穂が今まで見てきた吹から考えた。
「そうね、そういう人いるから、無理に関わらないほうがほんとはいいと思うんだけど」
「でもさ、ほんとにいやだったら、この間もなんとしても断ったと思います」
商店街のお散歩も、試験の手伝いも、と澄子は思った。
「そうよね」
人を慮る心はあるし、あからさまに避けることはない。自ら近づかないだけだ。必要最低限の会話はするし、挨拶などマナーとしての会話もある。
「もっと親密になりたいわ」
親友なんだもの! と意気込む麗華を見て、
「そんなふうに思ってもらえる吹さんに嫉妬しちゃう」 菜穂が眉間に皺を寄せた。
「ずるいよぉ」 いづみも口をとがらせている。
「私たちもですよ!」 親密になりたいのは、澄子も同じだ。みんなも。
そしてちょっとした文句は、麗華と親密になりたいのに、と受け取られ「あなたたちとはもう親友でしょ」とその一言で嫉妬心は吹き飛んだ。
「はぁ」
別れてから、部屋のベッドに体を放り出した。静まった部屋。ふかふかすぎないベッド。この二日間とは全然違う。これがいい、と思ってしまう。でもさみしい気持ちもあって、それを認めたくなくて、心の中はすっきりしない。
「いくら簡易なパーティーとはいえ、最低限の所作は練習しますわよ」
その言葉ですっきりしない心はさらに重くなった。
次の日から麗華のレッスンが始まった。主催者への挨拶に言動。夏休み明けのレッスンがまだ頭にかすかに残っていたため、そこまでしごかれることなく済んだのは幸いだ。あとはドレスでの歩き方くらい。当日は麗華のスタイリストが化粧やらなにやらをしてくれる。
付き人については、恵一に相談したらしい。
「なんでいつも恵一さんなの?」
菜穂が率直に聞く。すると、連絡先を聞いてから全員に同じような連絡をしていたら、いつも一番に恵一が返事をくれるので自然とそうなったという。軽い会話ができるのも嬉しいのだと思っている。
「OKくれたわよ」
「やったー!」
ずっと隣についているわけではなく、主催者の手伝いのような立場として参加してくれるという。どうやって話をつけたのかは謎だ。なにかあったときはまっさきにフォローしてくれるという点では嬉しい。向こうにとっても研修になるということで、校長からも許可を得ているから心配するなと言われている。
「挨拶はありますけれど、食事付きの美術館に行くと思ってちょうだい」
食事も食べられて、有名な作品を見られる。実はドレスのお披露目が目的だなんて知っているのは麗華たちとあの五人だけだから、そこまで気負わなくていいはずだ。作品も正式に発表しているものではないそうで、練習だったり没にしたりしたものを飾ってあるだけと主催者が言っており、感想がもらえると嬉しいということだ。
「楽しみましょう」
少し気持ちも楽になる。なるべく麗華とくっついていれば心配も減る。そういう意味では今回はひとりでいないほうがよさそうだ。言葉にだけ気を付ければいい。しゃべらないのが一番だ。
「ただ、他の参加者が声をかけてくる可能性は高いわ」 麗華が言った。
「あしらい方を学ばないとね」 まだ慣れていない菜穂は不安そうだ。
「美しく着飾っているんだものね」
そう、あのドレスを着るのだ。今回ばかりは、いづみも心配があるらしい。
「そういうときは、作品を楽しむからって流しましょう」
澄子はがんばって前向こうとしている。
しつこいようならあの五人が助けてくれるわ、と注意はそれだけだ。
「いざ、出陣!」
どこに戦いに行くのか、今回は軽い集まりと言っていたくせに、勢いがある出発だ。五人でドレスに身を包み、髪はあまり豪勢にならないようにしてもらった。イヤリングだけはあのときのものをおそろいでつけている。
「夜のお屋敷もすてきね」
大きな洋館だ。調べて最低限の情報は頭に入れておいたし、芸術家一家だから有名なため写真も見ていたが、本物を見たときの印象はもっと大きく豪勢だった。ステンドグラスが中の光できらきら光っている。きれいだ。
何度か来たことがあるという麗華はなにも感じていないようだが、他の四人は目を奪われている。最初からこれだと、中に入ったときも感動はより大きいだろう。置いてあるものすべてが芸術作品だ。壊さないよう気を付けようと思う。
「お待ちしておりました」
麗華の車を降りると、ナンバーを覚えているのか車種による判断なのか、すぐに彼らが出迎えた。なかまで案内があって、主催者に挨拶するまでは一緒にいてくれると聞いている。
「麗華さん、今日はありがとう」
すぐに声をかけてきたのはなんと主催者だった。こちらは兄のほうだろう。
「こちらこそお誘いありがとう。今日は友人と一緒なの」
振り返って、ね、と視線の合図があり、四人でお辞儀する。名前は麗華が紹介してくれた。
「みなさまありがとう。簡単な食事と練習中の作品ですが、楽しんでください」
今度は弟が頭を下げた。
先に向こうから挨拶に来てくれたのだから、こちらにとっては都合がいい。あとは見かけたときにご家族にご挨拶すればいい。
兄は絵画を専門としており、弟は写真だそうだ。弟が世界をとびまわって帰ってきたのを機会に開催したという。ご家族全員に紹介が終わると、麗華からあとは自由にまわりましょうと言われ、それぞれの部屋に並べてある作品を見て回る。音楽は父親の生演奏だ。
気が付けば外は真っ暗になっていた。十二月。冬至も近くなった今日、四時を超えればとっくに真っ暗だ。夜空がステンドグラスであたたかく照らされている。
「寒いことはない?」
参加が決定した後、菜穂は冬の温度を心配した。気慣れないドレスに身を包んでいる。しかし、それはないと麗華が言った。冬ではあるが、芸術作品の展示に温度湿度も管理は必須。そして人を招待するのだから心地よい程度にしてあるのが当然だ。ドレスコードからして、あの服装でちょうどいい。肩が出ている澄子だけショールをかけていくことにして、他はかわりない。外のテラスで食事を提供することもあるが、この季節ではそれもないだろう。
「よかった、寒くなくて」
澄子がふうと息を吐いた。白く空へのぼっていく。
「食事しながら見られるの、嬉しい」
壁側に写真や絵がたくさんかかっている。見てもらいたい作品はここに並んでいるのだろう。食事をしていれば目に入る場所にある。
この兄弟は動物が好きなのだろうか。絵も写真もほぼすべて、どこかに動物が入っている。吹も絵を見ていた。さっきまでの部屋には、自然をメインとしているがどこかに動物が入った写真が多く飾られていた。この壁には、兄が書いた絵が並んでいる。猫がモデルの絵。だが毛並みがカラフルで、不思議な格好で眠っていたりポーズだったりをしているものだ。猫はゴムのように伸びると聞くし、どんなポーズも可能なのかもしれない。
「新鮮な色合いの絵ですわ」 麗華が楽しそうに見ている。
「ねむそうなのがかわいい」 澄子もひとり呟いた。
「最近人気が出てきたんだ」
そんな感想を話し合う麗華と澄子、一歩下がって見ていた吹に後ろから声がかかる。振り返れば主催の兄のほうだ。
「わかりますわ。見ない絵ですもの」
猫ブームというのは言葉にしない。犬派もいるし、ブームに乗っているから売れていると受け取られては大変だ。
「麗華様とご友人のかた、よろしければもっと見ていただきたい。率直な感想を願えますか?」
大学生の兄がさっきとは変わって麗華に丁寧で敬語を使うのは、立場をわきまえているといっていいのだろうか。
どうしようと澄子と吹は二人で顔を合わせる。こういうとき、どうすべきか。簡単にあしらうのはたしか他の客人だ。
「もちろんですわ」
麗華はにっこりと笑う。こういうときは主催者を立てるらしい。他の二人は弟のほうから説明を受けている。男性五人は女性につかまりそうになってはいるが、服装が使用人なのでそれは避けられている。が、仕事を名目に声をかけられているものも。行ってくると目で合図する麗華を、五人はしっかり視認した。
通されたのは階を上がって別の客室だ。いかにも芸術っぽい応接セットと、ベッドも箪笥も置かれていて、これが豪華な高級調度品でなければ生活感漂うと思うだろう。
「素敵な装飾品ですわね」
「恐縮です」
ソファもローテーブルもベッドも、なにもかもがシックだが色合いが鮮やかなものだ。素材もいい。
「ところで、ご一緒されているのは」
客室には、先に男がひとり、入っていた。
「最近猫の絵を描くのにアドバイスをくれる、アシスタントみたいなものです」
「アシスタント? 師匠と言えよ」
あはは、と軽口を叩ける相手らしい。インスピレーションを与えてくれるのかもしれないし、猫好きで本当にアドバイスしているのかもしれない。
「最近描いたのは」
お茶を出してくれた使用人を下がらせて、五人で出された絵画を見る。やはり猫らしくない色の毛色と、ねむたいような顔。毛並みがきれいに表現されている。つい目に留まってしまう。誰か有名な人の眼につけば、すぐに広まって絵だけではなくなりそうだ。
いくつもの絵を出され、感想をたくさん訊かれて答えてを繰り返していたため、お茶のポットの中身はいつのまにかなくなっていた。
「おっと」
兄がぽんと手を叩くと、新しいポットが出てきた。
「そんなに長居はできませんわ」
主催者がいないのでは形にならない。
「いや、家族がいるから問題ありませんよ」
主催者は兄弟になっているが、家族全員の作品が集まっているため、誰かがいればいいというわけだ。
麗華はそろそろお暇したいところだったのだろうが、うまくいかずにもう一杯お茶を飲むことになる。
「まるで洋服の毛皮を着ているみたいですね」
澄子が言う。麗華の気持ちが伝わってきたからか、間を保とうとしたのだ。そこへ漂う香り。
「初めての香りだわ」
ふんわりと甘い。
「れいちゃん」
口をつけようとする麗華に、吹は声をかける。
「ドレスといえば、恵一さん、提案があるって、言ってた」
今じゃないと聞けないんじゃない? と続ける。小声で。
麗華が恵一のコーディネートの話をしたとき、少しだけメッセージのやりとりをしたのだ。
「お、それもいいインスピレーションになりそうだ」
そう言う兄。吹は今から聞いてきて、と言った。
「でも」
「わかりましたわ」
この場を離れることを不安に思った澄子を止める麗華。吹にもこういう場での実践を積んでもらいたい。そんな麗華の考え。
「澄子さん、一緒に、行ってきて、くれる? れいちゃん、捕まっちゃうから」
ひとりにしたらそっちのほうが心配だ。澄子はすぐに首を縦にふる。お茶は戻ったらいただきますわ、と二人はすぐに出ていった。主賓をひとりにするわけにはいかない。吹は留守番しながら感想や世間話だ。
「せっかくなので、熱いうちにいただきます」
甘い香り。少しぬるく飲みやすい温度だ。
「初めてのお味です」
どこのお茶ですか、と聞くと、特性のブレンドと返ってきた。兄ではなく、アシスタントのほうからだった。細かく教えてくれないところ、内緒なのだろうか。追及しない。
その後もいくつか絵が出てくる。
説明を受けている途中、ふわり、と湯気のように視界が揺れた。持っていたカップとソーサーをテーブルにおろす。
「すみません」
「お気になさらず。緊張がほどけてきたのでしょう」
それはない。今も緊張したままだ。特にこの状況。麗華がいるときのほうがよっぽど気が楽だ。
「おやすみになってはいかがですか?」
その声を最後まで聞くことはなかった。体から力が抜けて、ぐにゃりと視界が歪む。
そういうことか。
わかっても抵抗の術はない。
「ゆ…き……さ」
意識が、途切れた。




