13.
「あ、おかえりなさーい」
まだ曲は続いているが、踊る気にはなれない。仲間もひとしきり終えたのか、食事に手を伸ばしている。恵一が軽く迎えの言葉をくれた。
任務は終えたと麗華に伝えたいところだが、彼女は他の生徒と踊っていて伝えられそうにない。吹を信じようと思った幸である。
「なんか機嫌いいっすね」
いつも悪いように見えているわけではなく、この後輩は思ったことをするりと口に出す相手だ。それが嫌味に聞こえないのがすごい。だが幸自身、機嫌がいいとは思っていないからイエスともノーとも答えられない。隣で仲間がにこにこしているのがほんの少し癪に触るが、その話題に振れば楽しくないから無言に徹することにする。
誘ってほしいという雰囲気を宿らせてちらちらこちらを見てくる女性がいっぱいだ。でもこれ以上、とはいえ踊った相手は一人であり一曲だが、もう踊らないと心が決めている。他の仲間も踊らずに食事に手を伸ばし、ダンスを諦めた女性たちが話しかけてくる。
営業スマイルは難しいが、他人を相手にするときに不快にさせない表情は叩き込んでいる。全員でそれっぽく会話を交わし、やっと終わりの時間がやってきた。
「ではこれにて、パーティーを終了とする」
みな寮に戻るように、学校生徒は気を付けて帰るように、と学園長は伝えて、簡単な挨拶でまた去っていった。そう、こちらは夜のうちに学校へ戻るのだ。不平等だと言う者はいない。分は弁えているのが我らが通う秘書学校だ。土日と、本来学校が休みの日に働いた分は、まだ日程は決まっていないものの、後ほど振替休日となると聞いている。今日の分は、明日が休みだ。一日であれ休みをもらえるのは、正直執事を務めた男子生徒にとって嬉しいことだ。精神をすり減らした後にパーティーがあって、疲れもたまっている。もし秘書になったらこれが毎日になるとすると、今のうちにこの日常に慣れておく必要があるのだが。もしかして校長は、そのことも考えた上で今回の取り組みを行ったのかもしれない。
幸たちの高校は、東京にある。この学園と違い、寮はない。したがって、生徒は実家または貸家に住んでいる。一時間以上かけて通ってくる生徒がいるほどで、実は人気な高校だ。
ほとんどの生徒が、振替休日の月曜は誰とも連絡をとることはなかった。
火曜になり、登校。本当のいつもどおりの日常が戻ってきた。先取りの勉強をし、秘書としての勉強をし、行動し、時間があれば友人たちと遊ぶ。だが今日ばかりは、放課後に大きなイベントがあった。学園での成績が発表されるのだ。いつもなら勉学と秘書としての成績が別になって、学年別に貼り出される。しかも全員分だ。成績の順位が下のほうにいるのもまるわかり。それは意欲を出してもらうため、という教育方針からだそうだが、下のほうにいる者にとっては辛いだろう。転校に至った者もいると聞く。それを気にしていないのが校長で、耐えられない人は秘書に向いていないと入学式の際に言い切っていた。
火曜の放課後に貼り出された成績。幸たちの班は今まで全員、悪くとも五位以内を陣取ってきた。いつものことで、班はこれをもとに形成される。同じくらいの実力をまとめ班を構成し、先輩から後輩へ教えるのが方針だ。幸達の班は、優秀だといえるのだ。したがって成績によって班分けは変わってくる。しかし巧が入ってきてから、幸たちの班はメンバーが変わっていない。ちなみに吹を担当した全員が、以前より執事としての成績をアップさせていた。
しかし今回の結果は十位以内。十分優秀な成績だが、いつもは全員五位以内に入っているのだ。少し成績が落ちたのはひとり、幸。麗華の件があったため、幸の秘書として(今回は執事だが)の成績が五位に収まらなかったためだ。放課後にあったことは執事には関係ないとされていたが、起きてしまったことは起きてしまったこと。やはり成績に関係してしまったのだ。
「次は取り返すぞ」
ぽん、と肩を叩かれる。本人は順位については気にしていないが、麗華が攫われたことは気にしていたのだ。
「ああ」
珍しく声とともにうなずいた幸を見て、孝支はふっと笑う。いい経験になった、と。
成績が貼り出されたその後、五人は集まった。恵一からメッセージが届いたのだ。帰りに集まったのは、学校近くのファミリーレストラン。御用達にしているカフェではないためなにか怪しいと思いながらも全員集まった。
「れいかちゃんたちと遊ぶことになりました☆」
てへぺろ、と舌を出して事後報告をしてくる恵一は、楽しそうだ。
「待て、遊ぶことになったって」 巧がほんの少し焦ったが、
「決定事項でっす♪」 最後まで言わせず、有無も言わせない恵一。
おまえ…… と先輩二人の心の中。
「誘拐の件で、お礼をしたいんだってさ!」
「声が大きいですよ!」 今度こそ巧が止める。
それはたぶん、名目としてだ。ただお礼をするだけなら、神宮司家の本物の執事が麗華を連れて菓子折りでもなんでも持ってきている。ただ単に、五人に会いたいのだ。でなければ、“たち”はつかない。
「たちってことは、四人でですか?」
こいつまた勝手に、と巧の顔に書いてある。事実の受け入れは終わっていた。
「いや、五人だよ」
「吹さんも一緒だって」
仁志はこの件について知っていた様子だ。
「で、いつ?」
孝支は決定事項の変更は無理だとわかっていて、話を次に進める。リーダーの孝支がこう言うなら、巧も幸も反対はできない。
「振替休日でシルバーウィーク長いじゃん?」
そのシルバーウィークを長くして振替休日にすることになった。その休日中に会うことになったようだ。
詳しくは土曜日丸一日で、商店街を回るという。商店街というのは彼女たちの学校からバスで降りた駅近くにあるアーケード街で、廃れてきてはいるが、人気の店は現在も営んでいる。
全員、あああそこか、とわかった。執事として赴く際、まわりのことはしっかり調査済みだ。
「れいかちゃんが行きたいんだってさ」
お嬢様の麗華なら、行ってみたくても行けなかったのはわかる。きっと送迎の際に毎日見ていたのだろう。あそこは別の高校生も遊んでいる場所で、行ってみたいと思ってしまってもわかる気がする。そしてほかの三人が誘いにくいことも。
「ってわけで、予定空けといてね!」
はいはい、と全員二つ返事だ。
それから細かい話が始まる。
「どうまわります?」
こっちで行く場所を決定しようと相談を始める巧に、
「知らない。行くだけでいいって」
「はい?!」
どういうことかと話を詳しく聞いてみると、
「あっちが、オレたちと行きたいところに案内してくれるってさ」
立場が逆じゃないかと悩む巧だが、もうそろそろ慣れろとほかの三人は思っていた。
「だから身ぃひとつでレッツゴー! 楽しみっすね!」
商店街だから、ちょっと食べて、歩いて、を続けるくらいだろう。
「お嬢さんたちの身になにかあっては困る。それだけは気をつけろ」
「はい」
もう一度言うが、決定事項は変えられない。特に麗華からの提案で、とある馬鹿が引き受けてしまったのだ。
「ところで麗華様の連絡先、どうやって聞き出したんだよ」 孝支が尋ねると、
「オレからじゃねぇっす。向こうがこっそり、メッセージのID渡してきたんす」
パーティーのときのことだそうだ。恵一なら連絡くれると思ったのだろう。人選は間違っていない。あのときは知り合い、友人としての時間だったから、悪いことをしたとは言えなくもない。だけどよくもまぁ、お嬢様のもとへ軽々と連絡できたものだ。
「ほんとに五人ですかね?」
巧が首をかしげる。吹が来ない気がしている。たしかに、吹は団体行動から離れて歩く。
「別に四人でも五人でも問題ないよ」
仁志は本当に気にしていない様子で後輩をたしなめた。
「来るだろうな」
孝支は言い切った。ですよね! と恵一が賛成する。
「れいかちゃんに無理矢理にでも引っ張られてくるさ」 にかっと恵一が笑った。
その日がやってきた。
秋に入った良い天気で、うっすらと商店街の木々も色づき始めている。ここの木は公孫樹で、黄色に染まる準備中。緑と黄色が混ざり合った複雑な色味だ。
「ほらね」
ほら、というのは五人であることを意味する。吹も来ていたのだ。
「みなさん!」
麗華が大きく手を振る。流行にのっとったおしゃれなワンピース。でもこの商店街から浮かないように派手過ぎず、でも明るい色合いだ。たっぷりと揺れる髪はそのままに、秋の空からの光を反射させてきらめいている。
いづみはジャンバースカート。臙脂色の下には黒の薄手のセーターを着ている。すらりとした影がきれいに見える。短めの髪をくるりんぱでアレンジしていて、きれいにかわいいをプラス。
澄子は生成のブラウスワンピース。上に長い丈のニットベストを重ねている。長い髪は斜めに結ってあり、すらりと見える。
デニムのタイトスカートを履いているのは菜穂。膝くらいの丈だ。ブラウスは艶のある大きなリボンが特徴の花柄。短い髪はそのままに、元気さばつぐんだ。
吹もいる。彼女だけパンツルックだ。緑色のゆったりとしたサスペンドパンツ。下にはタートルネックの白いセーターで、とてもシンプルだ。肩につく髪も、いつもと同じくただハーフアップにしているだけだ。
「待った?」
「いえ、来たばかりですわ」
恵一と麗華の会話は、まるで恋人と待ち合わせをしたときのそのものだ。特になにも意味はないのだが、平和だなぁとしみじみ感じる。
「で、オレたち案内してくれるんでしょ?」
チョー楽しみにしてたんだ! と笑顔で見せる恵一に安心したらしく、最初は緊張していた麗華以外の三人の体から力が抜ける。
「こちらにいらしたときに、このあたりは歩いていないかと思いまして」
「麗華様、みなさんと会いたかったんですよ」
こそりと仁志に伝える菜穂の声は、しっかり麗華に届いていた。
「そんなこと! ……」
その無言と顔で、言いたいことはよくわかる。会いたくて理由をつけて呼んだのだ。それでもなければまずIDを渡したりしない。
シルバーウィークということもあり、けっこうな人が歩いている。もちろん高校生もだ。制服を着ている人もいる。彼女たちが制服を着ていないことに男たちは安心した。制服はどこの学校に通っているかがわかる。そうすると怪しい輩がなにを考えるかわからないからだ。
「では行きましょうか」
孝支が言うと、麗華が近づいた。すると麗華がぴしりと人差し指を立てる。
「今日は友人としての集まりですわ」
「麗華様、お出かけと表現したほうが」
いづみが指摘。お出かけ。集まりよりも親しみやすい感じがある。
「お出かけですわ」
言い直した麗華。
「だから執事としての話し方はおやめくださいませ」
「麗華様も十分お嬢様感出てるけど」
仁志がつっこむ。もう友人モードになっている。でも“様”付け。
「友人として過ごしたいのです!」
譲らない麗華。頑固なのか、意固地なのか、わがままなのか。わからないけれど、ここでなければこんな表情は見られないだろう。
「友達とのお出かけ、嬉しいんだねぇ」 菜穂がくすりと笑う。
何を言うにもつっこみが入り、もうっ! と顔を真っ赤にさせて、おだまりになって! と抵抗する麗華がかわいく思える。
「言い直そう」
かわいそうになったため、孝支は声をかけた。四人が振り返る。
「じゃ、行くか」
それでも手を差し伸べてくる孝支に、四人は頬を赤らませたのだった。
「まずはここです!」
最初は麗華の連れていきたい場所らしい。商店街の簡素で白黒の案内マップで指さしたのは、スポーツ用品店だった。男子が好きそうな場所を選んだのか。ここからは一番遠い場所だ。
「奥からこちらに帰ってくるのがいいって、麗華様が」
こそりと一言添えるのは、今度はいづみ。麗華も一生懸命考えたのだ。
ずっと歩いていく。巧は麗華たちが一年先輩だから敬語を使うが、それでも砕けてきている。二年の二人はまるでクラスメイトだ。三年には敬語で話しかける。部活のオフ会のような雰囲気で、目的地まで進んでいく。
「きれいですわ」
途中、子供でも手を出しやすい価格のアクセサリーを窓から展示している店の前で、麗華たちの足が止まる。吹も距離をあけながらも、離れすぎない間を保ってついてきている。声をかけられない限り話すことはないが、そのあたりは幸で慣れている男たちは無理に話しかけることはしないでおいた。
「れいかちゃんもこういうの好きなんだ」
「きれいなものはなんでも好きですわ」
恵一の言った意味とすると、安いものでもいいんだな、ということだが、麗華はアクセサリーと受け取ったらしい。学園では華美な飾りは避けられている。カバンにキーホルダーをつけたり、制服の一部に飾りボタンがついたり、髪飾りも見た目は一般的なシュシュだったり。金持ちだからと値段が高いだけで選ぶのではないのだと、偏見していた考えを改めた男五人だ。そしてどこに通っていても、普通の女子高生。
みんなガラス細工を見ていた。珍しく、吹も展示品を見つめていた。
「気になるならまた帰りに寄ろう」 菜穂が言った。
「先はまだ長いよ~」 仁志も先を促す。
背中を押して、スポーツ用品店に向かう足を進めた。
「ここね!」
到着。スポーツ用品と案内には書いてあったが、カジュアルな洋品店だ。
「わたくし、キャップが欲しいのです」
「なんで?」
「変装のためですわ!」
ぶっと、ほぼ全員が噴き出した。
「な、なんですの?」
女子たちも聞いていなかったらしく、笑っている。たとえ麗華がキャップをかぶったとしても、変装にはならないだろう。オーラが違うのだ。
「だって、ほら、幸さんもサングラスをしていますでしょう」
幸は今日もあのときと同じサングラスをかけている。すれ違う女性たちが見てきても、近づく前に麗華たちの放つ自分とは違うオーラに気圧されて引いていくのだが。
「まあ、先輩のサングラスは変装じゃないんですけどね……」
理由を知っている巧は難しく笑う。女子たちは不思議そうに思いながら店に入った。
「みなさんも美しいのですから、必要ではないかと思いまして」
麗華がここへ連れていきたいのは、そういう理由だったのか。キャップがほしいと言ったところで、自分のお買い物かと思ってしまったが違った。男たりは自分たちが変装が必要と思われるほど美しいと評されて嬉しいとともに、さてどうするかと悩んだのだった。
「これどう?」
恵一がどんどんキャップの候補を選んでいく。
「なにが普通なのかわかりませんわ」
「麗華様がなにをしても普通にはならないよ」 と、仁志。
「きれいだもんね」 菜穂がうっとり見つめる。
楽しそうな女子たち。結局洋服を買う女の子との集団デートのようになっている。でも楽しそうな彼女たちを見るので十分だった。追加で恵一が入っているし。
最終的に、恵一が今日の麗華のコーディネートに似合うと選んだものに決定。購入は本人。そしたら「オレも!」と色違いのものを嬉しそうにつけてきて、まぁ! と驚くことになった。他の男たちは購入しなかった。
「先輩、そういうのは麗華様、さん、の許可を得ないと」
「いいのです」 麗華が否定する。
「友達なら普通なのですよね?」
普通と言い切っていいものか難しいところだが、そうだとみんなが言うからそういうことになった。吹はずっと何も言わない。近いけど遠くから、みんなを見ている。たまに店の外に目をやって、また戻すを繰り返す。彼らは気になるところがあるのかと考えを巡らせる。
次は澄子が連れていきたい場所だった。本人は連れていきたい場所、というより好きな場所だけど、ともじもじしている。
「気にしないで、君の好きな場所、僕たちも知りたいから」
やわらかな笑顔でそう言われ、安心して入っていくのは本屋だ。ここは吹もよく使う場所だ。男五人も吹の担当をした彼らから聞いている。近くの学生のために文具も揃えているため、学生も多く見られた。
「見て! かわいいわ!」
なにを買おうとしたのを見ようとしたら、こっそり隠されたので追求しない。懐かしそうに絵本の棚を見る吹、新刊コーナーで解説する仁志と巧の話を聞く女子四人プラス恵一。三年二人はすっかり見守り役だ。
麗華はずっと、吹の様子をこっそり窺っている。でもどうやって一緒に楽しめばいいのかわからず、動けないようだ。男たちはそれをわかっているが麗華たちに任せている。これは彼女たちの問題だ。頼まれときは、きちんと仕事をしよう。
次は昼食になった。
「前を通るといっつもいいにおいがするの!」
気になっていたけど入れなかったのは、客が男性ばかりなのと、女子高生が軽く入れない雰囲気からだろう。レトロというより古めかしい雰囲気だ。なかは中年の男性と、それこそ食べ盛りの男子学生ばかりだ。でもここなら、男たちもごはんを食べるには喜ばしいと考えたのが菜穂だった。
「うお! 腹空く!」
恵一が吸い寄せられるように入り口へ近づく。提案者である菜穂は安心したように女の子たちを引っ張っていく。
そこで、吹がみんなに声をかけた。
「れいかさ、れいちゃん」
麗華がばっと振り返る。今日話しかけられたのは今が初めてなのだ。嬉しそうな顔。だが話の内容は想像と違った。
「あの、お手洗い、行ってきて、いい、ですか?」
こそっと言いながら、少し先のコンビニエンスストアを向く吹。みんなスポーツ用品店や他の途中で済ませていたが、吹はどこでも寄らなかった。この店でのお手洗いはちょっと気になるのが麗華にはわかり、ええ、と答えると吹は小走りでコンビニへ向かう。
「あれ? コンビニ?」 恵一が聞くと、
「お花摘みに行きましたわ」
秘書としての教育を受けている彼らにその意味はすぐに伝わり、そうか、とそれだけで終わる。
「それでは中でメニューを見ていましょう」
巧の一声で、全員が中に入った。外で待っていたら戻った吹が気まずいと考えたからである。反対する人はいずに、中へ。案内されたのはこの大人数なのにカウンターで、麗華はこんなの初めてと喜でいる。
吹はコンビニへ向かう。が、目的はお手洗いではなかった。一応事実は作らないとだから済ませるつもりだが、第一の目的はそうでない。
吹は商店街に入って間もなくしてから、とあることが気になっていた。いつものように、前の九人が会話を始めてから少しずつ離れたかったが、今日ばかりはそうはいかなかった。
公孫樹の木に背をもたらせかかっている中年の男性に声をかけた。
「わたしたちになにか御用ですか?」
男性はぎょっとした。さっと背中にスマートフォンを隠す。挙動不審とはまさにこれだ。
「な、なんのことかな?」
その様子でばればれだ。気になっていたのは、この人の視線。まとわりつくような嫌な視線が、いつも麗華たちと男五人たちへ向かっていたのだ。ガラスに映った影を確認したらこの人がいて、スマートフォンを構えているのを見た。公孫樹の葉を撮っているように見えなくもないが、レンズの方向は上ではなく麗華たち。下からカメラを向ける様子もあって、上手に撮るための方法ではあっても、これはどう考えても不埒な行動だ。
「そのスマートフォンのことです」
はっきり言い切る。隠し撮りしていたでしょう? と尋ねると、びくりと肩を震わせた。
「なにも。イチョウを撮っていたんだ」
そう言うと思った。
「ではなんの問題もありませんね」
吹の言葉に安堵する男。だが次の言葉で固まることになった。
「見せていただけますか?」
笑顔で詰め寄る。
「な、なんで」
「なにもなければ見せられますよね?」
それとも一緒に行きますか? と商店街にある駐在所に目を移すと、男は後ずさる。これでは逃げられてしまうと、すぐに男の手を掴んだ。男がスマートフォンを握っている手だ。
大事な写真が入っているスマートフォンを捕られたり、落として壊したりするわけにはいかないだろう。
「消して、ください」
男の人の手には、まだ嫌な思い出がある。こちらから掴むのも本当は怖かった。でももう隠し撮りを確信した吹は、男に言った。逃げずに、ただ消してくれればそれでいい。だが、ことは吹の思い通りに運ばなかった。
「君は撮ってないから!」
ぶん、と吹が握った手を思い切り引っ張ったのだ。そのまま逃げるつもりだ。引っ張られて前につんのめった吹は、そのまま煉瓦がはってある地面に顔をぶつけそうになる。
ぐっ
おなかになにかが当たる。顔は地面に落ちることなく、硬いなにかに引き寄せられて地面に立った。男のほうは腕をがっちりと掴まれて、いつの間にか奪われたスマートフォンをいじる孝支にデータを見られている状況だ。
首だけ動かすと、体を支えてくれたのは幸だった。どうしていつも。
「す、すみませ」
「なぜひとりで動く!」
怒気のこもった声。質問系ではなかった。
責められている。怒られている。叱られているのではない。
がしっとつかまれた両肩に、力がこもっている。目の前にあるが、前髪で見えにくい目。そこにはしっかりと怒りと叱責の色がある。
「なぜ! ……」
なぜ、のあとはもう聞こえなくなった。
なぜおまえは、……
なぜ、……
おまえのせいで! ……
今まで何度も言われ続けた言葉が、頭の中で再生される。
「ご、めんな、さ……」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
何度そう言ってきただろう。
わたしのせいで、何人もの人を不快にしてきた。不幸にしてきた。それをまた、繰り返している。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
「おまえ、さがれ」
幸ははっとした。目の前に、真下を向いたまま謝罪の言葉を出し続ける吹の震えた身体があった。
こっち任せる、とスマートフォンと捕まった男を押し付けられた幸の時間は一時止まっていたが、すぐに駐在所に男を連れて行った。そいつは何度も隠し撮りをしている野郎で、またかという顔をされて簡単に引き渡しが終わった。
幸が離れた後すぐに、吹は地面に膝と手をつき下を向いて、ずっと謝罪の言葉を繰り返した。
「もういい、もういいんだ」
吹の声が聞こえなくなるまで、そう言い続ける孝支。
何を言っても聞こえていない様子の吹。孝支は困っていた。体裁が悪いとかではない。流れる涙も、口から出る謝罪の言葉も、止まらない。
仕方ない。そっと顔に手を当てる。強引だが上を向かせた。
「泣かなくていい。吹ちゃんは悪くない」
ぎゅっと目を閉じて、小さくなる吹。しばらくすると、涙を自分でぬぐって、立ち上がった。
「ご、ご迷惑を、おかけしました」
お手洗いに行ってまいります! とぱっと顔を笑顔に、さらに敬礼をしてコンビニへ入っていく。涙で濡れた瞳のままで。女性がお手洗いに行くのにはついてはいけず、外で待っていることになった。
あの笑顔は笑っていない。泣いていた。
さて、どうしたものか。戻ってきた彼女はなにもなかったように振る舞うだろうが、幸と会わせたらまたさっきと同じようになるかもしれない。
考えていると、先に戻ってきたのは幸だった。
「おまえ、あんなに強く言う必要あったか」
何も答えない幸に、溜息しか出ない。
「他のお嬢さんもいるんだ、吹ちゃんからは距離とれ。遠くにいろ」
くい、と顎でさっきの食事処を合図すると、幸は無言で店に向かった。
すぐあとに吹も戻ってきて、二人で店に行く。入ると、まだ注文を終わらせていなかったようで、カウンターにはなにもない。
「先輩、注文いいっすか?」
恵一が女性陣になにか言う間を与えずに聞いてきた。なにか察したのは間違いない。もしかしたら麗華も気づいている。でもなにも言わずに元気な声で注文をはじめ、すぐに品物が出てきた。さすが丼もの。
「早いですわ!」
驚く彼女の声はいつもより高い。やはり気づいている。様子を確認していたら、他の三人の後ろから視線をとばしてきた。なにをしたの、と聞いてきているのと同時に、他の女性三人には気づかせるな、という意味も含まれている。
「食べたかったんだ~」
菜穂が嬉しそうに頬張っている。
「ちょっと、連れていきたい場所、のはずでしょ?」 澄子がつっこむ。
「行きたかった場所、になってんじゃん」 いづみが指摘。
「僕たちはかまわないよ、ん、おいしい!」
なにがあったかを詳しく知る人間は三人。それに気づいているのは男全員と麗華。この後は演技になりそうで、孝支は隠れた名店と調べてあったこの丼もののお店のおいしい豚丼の味が入ってこない。おいしいと言っているやつらにあとから味を詳しく説明させようと誓う。
「ごちそうさまでした」
こういった店での会計は個人ごとでは難しく、孝支がすべて支払い、ひとりひとりから小銭を預かる形となった。女性四人からぴったりの小銭を受け取る。
「麗華さんはてっきりカードしか使わないものかと思ってた」 仁志の言葉に、
「普段はカードがほとんどですわ。でも使えない場所もあることは知っているから、きちんと現金も持っていてよ」
重そうな小銭入れを見せられて、ぎゅっとバックにしまわせる。まだ警戒が足りないお嬢様だ。
「へい、おまえらも出せ」
「事後清算で!」
帰ったら渡します、の意味。だがこいつら、少なくとも恵一はちゃっかりごちそうになろうとしていることが丸見えだ。
「先輩に頼らないところ、かっこいいですわ」
麗華の言葉にかちっと固まる恵一。麗華はもう彼の心はお見通しのようで、わざとの言葉のだろう。ちらと孝支を見てくるあたり、詳しく聞かせるための貸だともわかる。
「少し休みますか?」
巧が食後の休憩を提案してくる。ずっと歩いていた。食事も長くない。足を休めるための気遣いだ。特にあまり出歩かないであろう麗華。
「あ、私が行きたいとこ、この先なの」
いづみの目的地。マップを見ると、すぐだった。ここか、と誰もがわかる場所だ。
「すぐですね」
「休憩はそこにしましょう」
歩いて五分もかからない場所に、ベンチがいくつも並んでいる。連れていきたいところ第四か所目は、フォトスポットだ。マップにカメラマークがついていた。公孫樹の木はまだ色づき始めだが、樹々がアーケード街の屋根の空いた部分に額縁を作り、青い空がそこから覗ける場所だ。映えると人気で、ちょこちょこ並べられていたベンチもこのあたりだけは数が多い。
「お、いいなここ!」
「お天気でよかったですね」
空は青い。
「みんなで見たくて」
ふふ、と笑う四人目のいづみは、連れていきたいところとしては一番合っている。ちょうどお昼の時間だからか人は少なく、空いているベンチを見つけて座る。空を仰いで、緑の残る黄色の葉と、青い空を見上げる。きれいだ。フォトスポットとしてマップに乗せるのは正解だ。ところどどころシャッターが下りている店があるが、広告次第でどうにか盛り返せる商店街だと思う。
普段からどんな勉強をしているのか、どうして学校に入ったのかなど、お互いに話していた。お互いにもう知っているだろう自己紹介を、詳しくもう一度した。宿では簡単に済ませた形。吹以外は、研修で全員の名前を漢字も含めて覚えていた。これまでは行きたい場所とか行った場所での会話しかなかったため、やっと個人的な話をしやすい環境になったのだ。盛り上がっているところ、
「どうぞ」
飲み物のカップが出された。透明のプラスチックのカップに、鮮やかできれいな色の液体が入っている。
「いただいていいんですの?」
「一度くらいかっこつけさせてくれる?」
仁志が笑うと、女性たちはありがとうと受け取った。仁志の笑みは相手の心をほぐすだけでなく、反対したい心を抑える力がある。
飲み物は果実ジュースだった。店ではなく、キッチンカーで販売していたもの。パイン、みかん、いちごミルク、梨、といろいろな味を買ってきてくれた。誰が指示したわけではない。誰かが必ずそうしていただろう。きれい、と飲む前に見惚れる麗華たちの眼は、鮮やかな色の飲み物と同じくらい、きらきらしている。
「そうだ! 写真撮ろう!」
ぴくっと吹の体が震えたのがわかる。あれからずっと、孝支は吹を自分の隣にいさせている。吹相手になると、似合わずなぜか感情的になる幸への牽制と、吹本人のため。吹の背をそっと、ぽんとする。大丈夫だ、と。
「記念写真ですわね!」
「あ、でもネットにアップだめだからね」
お嬢様たちは、写真はOKでもSNSのアップは禁じられている。
「はい、みなさん入ってー」
「いえーい!」
「失礼します」
スマホの自撮りに入るため、全員の距離が縮まる。せっかくの映えスポットで撮るのはジュースと自分たち。せっかくの公孫樹も空も入っていないが、楽しそうだからいいか、と思った。こちらも全員知っていることだから、もし写真が恵一に送られてきても、それは認識しているのでなにかするつもりはない。
パシャパシャパシャと連続で音がする。
「な、なんですの?!」 故障?! と慌てる麗華に、
「連写だって」
「れんしゃ?」
「たくさん撮ってるの。いいやつ送るからね」
きっと最後のほうは、お嬢様としては変顔のショットがあるだろう。良い思い出になるといい。
「よっしゃ! 最後だね」
「次は吹さんですね」
「はい」
声は小さいが、吹は嫌がらなかった。マップを出して、指を置いたのは集合場所に近い。五人で回り方を相談してきたのがわかる。
「なにがあるの?」
「行けばわかります」
仁志の問いに明確に答えず、ゆっくり歩きだした。女性たちのゆっくりした歩きに男性が合わせながら出入口のほうへ向かう。最初より遅い進み。もしかしたらこれのあとは解散かもしれない。
「お、油のにおい~」
恵一のそんな言葉に吹が小さく反応した。恵一はそれ気づいたのか気づかないのか、ふらふらと千鳥足のような足取りで先に行ってしまう。止めようとした巧に、
「合っているのでかまいません」 と吹が伝えた。
「あの、さっき食べたばかりですが、ここの揚げ物がおいしいので」
連れていきたいところ、食べ物第二弾。精肉店だ。
「揚げたてをいただけます。れいかさ、れいちゃんたち、おなか、入りますか?」
「もちろんですわ」
「あたしたちには別腹が存在するから!」
元気な答えに、吹は安心したようだ。そもそも相談してきたのだから、彼女たちは最初から食べる気まんまんだ。
「おすすめは?」
恵一に聞かれた吹は、コロッケとメンチカツと答える。全員で十人、五個ずつ注文する。
「あら~、今日は大所帯ね」
「はい」
「少し待ってね」
「ありがとうございます」
じゅわっと油にコロッケとメンチカツが入る音がする。この音もおなかをすかせてくる。吹はたまに、この商店街まで散歩にでも来ているのかもしれない。
「ふいちゃーん」
待っている間におしゃべり中、吹が店主らしきお母さんに呼ばれた。
「今日はなにかありそう?」
ショーウィンドウから手を出す店主。吹は少しお母さんの顔を見てから、そっとその手を握る。
「心配事があるなら、確認することをおすすめします」
そう聞こえてきた。
「そう……そうよね」
「そのほうが、安心につながります」
安心という単語を聞いた店主が、ゆったり笑う。
「揚がるわよ! メンチもコロッケと同じ値段にまけてあげる!」
「そんな、いけません」
焦って止める吹の言葉は店主に伝わらない。
「イケメンイケジョをこんなに見せてくれたお礼!」
苦笑する吹はちゃんと、見た目と同じ心の表情がある。結局コロッケ価格でメンチカツも購入した。
「あ、熱いので、気を付けて、どうぞ」
食べ歩き用の小さな紙袋に入ったコロッケとメンチカツは、ほかほかと湯気をたてている。
「おれメンチ!」
「先輩、レディーファーストですよ」
「わたくし決められないので最後にしますわ」
「麗華様も決められないことってあるんだ」
希望のものを渡していく吹。孝支はそれぞれひとつずつ残るようにふたつの袋をとった。直接の接触を避けたのか、その幸がいないのだ。
手元に残っているものを見た吹は、
「れいちゃん、その、はんぶんこ、する?」
「えっ」
「ごごごごめんなさい! なんでもありません!」
「しますわ!」
勢いのある返事に吹はまた驚く。
「こういうこと、してみたかったのですわ」
尻すぼみになっていく言葉は、彼女の本心を表していた。「で、では」とぱこっと半分に割ったコロッケとメンチカツをとりかえっこして、渡す吹。コロッケはほくほくのじゃがいもなのにしっとりとしていて、メンチカツはキャベツが入りでしゃきっと音を立てた。
「ソースがなくても、おいしい、のです」
「ほんとうまかった!」
「もう食べ終わったの?!」
平和な時間だ。吹もなんとなく笑って、熱そうにコロッケを食べている。はふはふ、と口から湯気を出す麗華を、また写真を撮っていた。
「麗華様かわいい!」
「二回目の食べ歩きね」
高校生なのに二回目か。お嬢様はこういう楽しみを知らずに生きていくのかと、男たちは思った。
「イケメンイケジョたちー」
それで振り返ってしまう数人をなんと言っていいのか。店主は笑った。
「おしぼりどうぞ」
手や口元を拭き、五人の連れていきたいリストは任務完了となる。
「あれ、幸さんどうしたんすか」
「さっきからいないですね」
コロッケを待っているあたりから消えてしまったのだ。孝支の手には、あつあつだった揚げ物がちょっと熱いくらいになってきたコロッケが残っている。
「幸さんもお花摘み?」
げし、と二人からふくらはぎに蹴りが入る恵一。女性の前で言うべきことではないが、そのやりとりが面白かったのか、女性たちは笑っていた。
「あ、戻ってきた」
仁志が見つけた。特になにをしていたふうには見えない。
「悪い、ちょっと寄り道」
「やっぱむぐっ」
口を塞がれた恵一を横目に、悪かったとコロッケを受け取り齧ると、あつっと痛そうな顔をした。またこれがかわいくて、女性に受けた。
「このあとはどうする?」
恵一がそう問うが、帰る時間も考えると、彼女たちは明るいうちに学校へ帰ってもらいたい。
「お付き合いいただいて、ありがとうございました」
麗華が、この後はありませんと遠回しに伝えてくる。寮生はたしか、門限があったはずだ。麗華は寮住まいではないが、迎えの時間はあるだろう。
「残念だが、解散にするか」
孝支が言うと、女性たちが残念そうな顔をする。まだ明るいのに、日が陰ったようだ。
「麗華様」
口を開いたのは、意外にも吹。
「あの、少々お時間を、その、ちょうだいしたい、の、ですが」
よろしくて? と首をかしげる麗華に、目を伏せてOKサインを出す孝支。こちらの予定も確認してくれる、しっかりとしたご令嬢。
「どうぞ」
「孝支さん!!」
麗華から了承を得た吹が呼んだのは、その孝支だった。
声が今までで一番大きくて、誰も想像していなかったため、みんな首をかしげたり目を丸くしたり点にしたりとなっているが、一番驚いたのは孝支本人だ。自分に冷静を言いつけて
「どうした」
冷静であったかはわからないが吹に聞く。
「幸さんをレンタルしたいのですが!!」
「へ?」「はい?」「ぶっ」とそれぞれの反応が上がる。レンタルされる本人はぽかんとしていて、馬鹿面とはこれのことだ。
「お好きにどうぞ」
「おい!」
「期間限定で無料です」
反論する隙を与えない速さで、吹は孝支たちから見えない場所へ幸の腕を引いていった。
「ぷっ」
姿が見えなくなった瞬間、恵一が抑えきれずに噴き出した。
「レンタルって! DVDかよ!」
「無料じゃなかったらいくらにしようか」
「わたくしだったらいくらかしら」
間を持たせる必要もなく、レンタルについてはあとで褒められることになる。
さて、幸の腕を引っ張った吹は、孝支たちから少し離れてすぐに、大きく頭を下げた。
「あの、その、さきほどは、失礼な態度を、その、とってしまい、申し訳、ありませんでした!」
謝罪のために呼ばれたのかと、やっと理解した幸はそれでも安堵した。強い口調になってしまい、そのせいで吹を怯えさせたとわかっていた。
「俺こそ、怯えさせて済まない」
「すまなくありません」
吹はサングラスの向こうの眼を見据える。
「悪いのは、わたし、です。不快な思い、を、させて、しまって、すみま」
「すまなくありません」
自分の台詞を返されて、ぽかんとした吹はレンタル呼ばわりされたときの幸と同じ顔になっている。
「お、お詫びの言葉は……受け取って、もらえません、か」
悲しそうにうつむく吹。どうしてもお詫びをしたいのか。
「もう、受け取った」
吹でないような勇気ある行動で。最初の言葉で。それでもう、十分だ。
吹の顔がほんの少し上がる。ぽん、と頭に手を乗せると、目は見えないが、口元がほんのり上がったのがわかった。
「俺からも受け取ってくれ」
「?」
吹の前に、大きな手がある。何度か「手」と言われた記憶があるが、今回はその上に、ガラスの玉が乗っている。ただの玉ではない。透明なガラス球に気泡が入ったものの下に、薄紅色の玉が垂れ下がる、イヤリングだ。パーツはアンティーク調のシックな色。
「これ」
あのアクセサリー屋で、吹が見ていたものだった。きれいだな、桜みたい。そう思って、自分には似合わないと目を逸らした品。
「見ていただろう」
ラッピングは時間をとるので省いてしまった、悪い、と付け加えられてしまう始末。
念押ししないでほしい。
「見て、は、いましたが、でも」
「ではこれで相殺だ」
吹の謝罪を受け取るかわりにこれを受け取る。それでプラマイゼロ、と言いたいのだと吹は受け取った。プラマイゼロではない。幸からも謝罪の言葉を聞いている。もしかして、受け取ったと思われていないのか。
「あの、でも」
きらりとガラスが光る。大きな手が耳に触れた。心臓が大きく跳ねる。この人、大胆というかなんというか、いつも強引だ。
大きな手なのにとても器用に、吹の耳にイヤリングが揺れた。カーキ色のパンツルックにかわいらしい薄紅色のガラス玉なんて、ぜんぜん似合わないのに。桜色と思ってしまったその色は、今の季節にも似合わない。
「よく似合う」
さわっと、公孫樹の葉が揺れて、一枚流れて落ちてきた。まだ緑色で、黄色になっていない、若い葉だった。
「戻るぞ」
今度は吹が引っ張られるようにして、みんなのもとへと戻った。
「相殺できていないと思ったか」
戻りながらそう聞く幸。そう、今のままだと吹がプラスなのだ。
「それなら連絡先を教えろ」
「はい?」
なぜそれがプラスになるのだろうか。
「ああいった場合の対処法をしっかり頭に入れてやる」
げ。
ううう。
「それで、相殺に、なる、なら……」
ううう、と嫌そうな吹を見て、幸はこっそりと笑ったのだった。
「あ、戻ってきましたわ」
「あれ」
「あれ?」
あれ、というのは最初との立場逆転と、あとは吹の耳もとに輝くガラス玉だ。
「あー!! 幸さん抜け駆けずるい!」
「これは抜け駆けではない」
詳しく話そうとしない幸に、むっとする恵一。なにかあったことだけは気づいている彼らは追及こそしないが、抜け駆けという単語に話を向けて女性たちになにがあったか言わせたくないためだ。
「そうですわ幸さん!!」
強く主張したのは麗華だ。怒っている口調。
「わたくしもお友だちにプレゼントをしたかったのに!!」
ずるいですわ! とハンカチでも噛みそうな勢いで悔しがる彼女は、他にもやってみたくてもできないことが多いのだろう。
「わたくし、行ってまいります」
待って! という前に速足で進んでしまう彼女を、自然に恵一が横を陣取ってついていった。
「ただいまもどりましたわ」
早い。満面の笑みの彼女は手に袋を持っている。
「みなさんどうぞ」
吹が今持っているものと同じデザインの色違いのイヤリングを、三人に渡す。
「ラッピングできなくてごめんなさいね」
受け取った三人は、じーんと幸せに浸っていた。
「双子コーデというのをやってみたかったのです」
またもじもじする麗華。隣の恵一が顔を抑えている。
「双子じゃなくて、これじゃ五つ子だねぇ!」
「嬉しい!」
「きれい」
「家宝にします!」
「それは重たいわ」
嬉しそうな様子を笑って見ている吹。その笑いは、ちゃんと笑っていて、孝支も幸も安心した。
「じゃーねー」
お別れは案外さらりとしていた。
「また会える気がしますの」
麗華が目を細めた。バスに乗った彼女たちを送ってくれた彼らが、だんだん小さくなっていく。
「鏡もないのに器用だね」 澄子が吹に話しかけた。
「あ、あの、これは、つけてくれて」 吹の返事に、
「つけてくれた?!」 菜穂が乗り出して勢いよく顔を近づける。
「詳しく!!」 いづみがさらに続く。
「?!」
四人と吹の距離はこれにより、より近くなったのだった。




