表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/217

6・転生ものぐさ王女の旅立ちと出逢い

 出立までには少なくとも三ヶ月はかかるだろうと思っていたが、帝国が提示してきた出立の日はフローラの妊娠発覚からわずか一月後だった。

 ヴォルフラムの容態は相当悪いらしい。いや、今度こそ王女を確保するためか。



『姫様の婚礼のお支度に、一月しか与えないなんて!』



 セシリーは泣き、姉たちは怒り狂ったが、ガートルードとしては願ったり叶ったりだった。夢の食っちゃ寝ライフのスタートが早まるのだから。



『きっとヴォルフラム皇子のお体が悪いのよ。早く行ってあげなければかわいそうだわ』



 内心の喜びを隠しつつはかなげに微笑めば、『けなげなガートルード姫』の株は爆上がり、ストップ高を記録しそうな勢いだ。王国中の貴族はもちろん、民からも餞別の贈り物が殺到し、ガートルードの宮には入りきらず王宮の倉庫を借りている状態である。



 逆にストップ安を記録しそうなのがフローラだ。

 フローラからガートルードへの花嫁変更を伝えられても、帝国は責任を追及しなかった。ガートルードという身代わりを確保できたからだろうが、皇帝アンドレアスはフローラの身体をいたわりさえしたのだ。



 ガートルード自身もフローラに対し含むところはない。むしろ食っちゃ寝ライフに協力してくれてありがとうとすら思っている。



 なのにシルヴァーナの人々はガートルードがとまどうくらい厳しかった。



 フローラに下される罰としては、せいぜいお相手の侯爵子息に適当な下級貴族の地位を与え、結婚させるくらいだと思っていた。王女が下級貴族の妻になるのだから、華やかな生活を満喫していたフローラにはじゅうぶんな罰だろうと。



 しかしクローディア女王は侯爵子息を廃嫡させ、貴族籍からも外させると、罪人として開拓地での労役を課した。向こう十年の期限付きだが、温室育ちの子息が過酷な開拓地で十年も生き延びられる可能性は低い。



 フローラは出産までは王宮での暮らしを許されるが、出産後は修道院に送られ、生涯独身を強いられることになった。生まれた子は女王に引き取られ、養育される。



 二人とも命以外のすべてを奪われるようなものだ。ドン引きしたガートルードがもう少し罰を軽くして欲しいと願っても、女王は決して頷いてくれなかった。



『貴方の優しい心は尊いですが、ここで手心を加えては示しがつきません』

『で、でも、生まれてくる赤ちゃんにお母様もお父様もいないのはかわいそうです。せめて家族いっしょに過ごせるようにしてあげたら』



 ガートルードとしては食っちゃ寝ライフの陰で不幸のどん底に沈む者がいては後味が悪すぎるだけなのだが、女王はいっそう末妹がふびんになったようだ。



『赤ちゃんは私が責任を持って育てますから、何の心配も要りません。貴方は自分のことだけ考えればいいのよ。聖ブリュンヒルデ勲章まで授けられた貴方を害する愚か者は、帝国にはいないと思うけれど……』



 六歳の王女を生け贄にすることにさすがの皇帝も良心の呵責を覚えたのか、最高位の勲章だという聖ブリュンヒルデ勲章を授けると宣言した。帝国でも一人しか授けられなかったそうで、その報せを持ち帰った急使は驚愕で倒れそうになったらしい。



 女王もひどく驚きながら、聖ブリュンヒルデ勲章がどれだけすごい勲章なのかを教えてくれた。残念ながら食っちゃ寝ライフしか眼中にないガートルードは右から左へ聞き流したが、食っちゃ寝ライフをより手厚く保護してもらえそうだということだけは理解した。



 王女の輿入れとして恥ずかしくない支度を調えるうちに、一ヶ月はまたたく間に過ぎ去っていった。



 そして、今日。

 ガートルードはいよいよ帝国へ出発する。





「皇帝陛下より道中の案内と警護を命じられました、近衛騎士団第一騎士団長のリュディガー・フォルトナーと申します。一命を賭して王女殿下をお守りし、帝国にお連れすると誓います」



 王宮前広場に現れた軍団を率いる青年は、さっそうと軍馬を下り、居並ぶ女王や王女たちの前にひざまずいた。

 幼い王女を奪う不埒者の顔を拝んでやろうと待ち構えていた貴族たち――特にご婦人や令嬢がたの表情が少し緩む。



 帝国の男性は良く言えば筋骨たくましい、悪く言えばごつくてむさ苦しい者が多く、貴族は特にその傾向が強いのだが、リュディガーは洗練された物腰の貴公子と言って通る青年だった。幼い王女を怯えさせないようにという配慮かもしれない。



 鷹のように鋭い眼差しも、微笑みにまなじりが下がれば優しげで甘いそれに変化する。アンドレアスと同じ金髪と翡翠の瞳は、皇帝の親族であることを示していた。



「はるばる帝都よりよくぞ参られました。聞きしに勝る帝国軍の精強さをこの場で見られようとは思わず、感動しております」



 リュディガーの背後に整列する百名は下らない騎士たちを見やる女王の目は冷ややかだ。王女の輿入れには華やかに装った儀仗兵や金銀で飾り立てられた馬車などが付き物だが、騎士たちはいずれも実戦さながらの装備の屈強そうな者ばかり。



 ガートルードを乗せる馬車も四頭立ての格式高いものではあっても、防御力と走破性を優先した武骨なデザインだ。無駄は省き、一秒でも速くガートルードをヴォルフラムのもとへ連れて行きたいという願望が透けて見える。



「我が陛下はガートルード殿下の慈悲深きお心にいたく感謝され、殿下の御ためならば帝国軍全軍を動かすことも辞さないと仰せになりました。我らが参りましたのは、その証にございます」



 品のいい笑顔で断言するリュディガーはなかなかの食わせ物だと、女王は警戒した。リュディガーの言葉は、裏を返せば『ガートルードを大人しく差し出さないのなら、帝国軍全軍をシルヴァーナに差し向ける』という意味なのだから。

 もっともこの重要な役目を任される者が、腹芸のできない者であるわけがないのだが。



「……ガートルードは幼く、繊細な子です。軍人と接したこともほとんどありません」

「むろんじゅうぶんな配慮はさせて頂きます」



 さすがに神妙な顔になったリュディガーが合図を送ると、馬車から数人の女性が降りてきた。淑女の礼を取るが、少々ぎこちない。体格からして女騎士なのだろう。



「道中はこの者たちが殿下のお世話役を務めます。我らは可能な限り殿下の目に触れぬよう行動いたしますので」

「……ガートルードの移動は輿でと伝えたはずだ。輿はどこにある?」



 女王の脇に控えたドローレスがぎろりとリュディガーを睨んだ。エメラインも刺々しい眼差しを突き刺す。

 ガートルードは馬車ごと崖に転落し、両親を喪った。以来、自身の宮に閉じこもり、めったに外出しようとはしない。



 きっと馬車がトラウマになってしまったのだろうと、周囲は判断した。実際は異世界の女が転生し、ひたすら食っちゃ寝を満喫していただけだとは思いもしない。

 だから帝国にも、馬車ではなく輿を用いるよう要請しておいたはずなのだが――。



「申し訳ございません。どうしても輿では踏破不能な悪路が何ヵ所か存在しますので、馬車にお乗り頂きたく思います」

「それは貴様たちが最短距離優先で選んだルートだからだろう。平地を進めば輿でもじゅうぶん帝都までたどり着けるはずだ」



 ドローレスは譲らない。女王は無言だが、それ自体ドローレスの言動を支持している証だ。



 貴族たちも非難の視線をリュディガーたちにぶつける。そちらの勝手で幼い姫を連れ去ろうというのに、姫への配慮すらしないとは何という冷血漢か。帝国などと名乗っていても、しょせんは小国の蛮族上がりよ。



「わたしは構いません。馬車で参りましょう」



 さしものリュディガーや騎士たちもたじろいだ時、幼い、だが凛とした声が響いた。



 侍女に手を引かれ、エントランスからしずしずと進み出てきたのは小さな姫君だ。将来の美貌の片鱗を覗かせる可憐な姿に、誰もが惹きつけられる。

 リュディガーや帝国の騎士たちさえも。



「ガートルード、ですが貴方は」

「わたしは少しの間なら耐えられます。でもヴォルフラム皇子は今も苦しんでいらっしゃるのですもの。早く行って差し上げなければ」



 ふわりと微笑むガートルードが、姉女王たちには天使に、リュディガーたち帝国人には救いの女神に見えた。



 シルヴァーナ国内に入ってからというもの、王都へ向かう帝国一行にシルヴァーナ人たちは冷たかった。道中は地方貴族の屋敷に宿を求めるのだが、どこの貴族からも『我が家のようなあばら家に偉大なる皇帝陛下の使者をお泊めするなどおそれ多い』と断られ、野宿の連続だった。

 リュディガーたちは騎士だから問題なかったが、普通の貴族子弟ならつらかっただろう。



 道中の民も帝国一行に冷ややかな目を向けた。大人はさすがに『あれが姫様を奪っていく極悪非道の皇帝の使いだ』と陰口を叩く程度だったが、『帝国の悪魔!』と叫んでは石を投げつける子どもたちを止めようとする者もいなかった。



 街中を進めば熱湯や汚物がしょっちゅう降ってきて、避けるのに難儀した。道中もっとも警戒しなければならないのは野盗のたぐいではなく、民だったのだ。



 普通なら各地の領主や女王に断固抗議すべき案件だが、リュディガーたちはひたすら堪え忍んだ。

 それだけのことをやっている自覚が、彼らにはあった。彼らに浴びせられる罵声は、皇帝アンドレアスに向けられたものでもある。



 近衛騎士に選ばれるのは皇家に忠義あつい者ばかり。ヴォルフラムのためシルヴァーナの王女を皇妃に迎える件については、王女への同情はあれど、みな賛同していた。

 ヴォルフラムさえ健康になってくれれば、アンドレアスの治世は盤石なものになる。



 しかしシルヴァーナの人々の憎悪をじかに浴びせられ、初めて彼らはその身でもって理解したのだ。幼い王女を連れ去る罪深さを。



 だから何をされても耐えてきたが、傷つかないわけではない。心は疲れはてていた。それでもようやく王女をヴォルフラムのもとへ連れて行けると思っていたのに、輿でのろのろと進んでいては予定の三倍以上の時間がかかってしまう。



 けれど馬車での移動を強行すれば、ドローレスあたりは本気で斬りかかってくるかもしれない。アンドレアスの評判は地に落ち、何よりガートルードの不興を買ってしまう。



 聖ブリュンヒルデ勲章を与えられたガートルードが馬車は絶対に嫌だ、輿でのんびり物見遊山しながら進みたいとごねれば、リュディガーたちは従わざるを得なかった。まさか当のガートルードに窮地を助けられようとは。



「姫君」

「ええと……貴方は?」



 進み出たリュディガーにガートルードが可愛らしく小首を傾げる。小鳥のような仕草に騎士たちが目尻を下げた。



 男女共に大柄な帝国人は、幼い者、小さな者、可愛いものに弱い。すべてを兼ね備えた姫君は、わずかな間にすっかり彼らの心を捕らえてしまったようだ。



「姫君をお守りするお役目を皇帝陛下より仰せつかりました、リュディガー・フォルトナーと申します。姫君の慈悲深きお心にこのリュディガー、感服いたしました。この旅を終えた後も、姫君の剣となり盾となることをどうかお許しください」



 周囲がざわめく。

 リュディガーは帝国ではその人ありと知られた騎士であり、皇帝の幼なじみであり側近でもある。帝国人らしからぬ貴公子然とした容姿ゆえ貴婦人からの人気も高いが、どれだけ求められても誰にも剣を捧げたことはなかったのに。



 幼い姫には、リュディガーに剣を捧げられる本当の意味などわからなかったかもしれないが。



「許します」



 黄金の散った碧眼を大きく見開いた後、ガートルードは小さな手を差し出す。



 ひざまずいたリュディガーが白い花びらのようなその手を取り、そっと唇を落とすさまはおとぎ話のようで、シルヴァーナの人々はつかの間怒りを忘れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「転生ものぐさ王女よ、食っちゃ寝ライフを目指せ!」第2巻が2026年2月10日に発売決定!
今回も三万字の大幅加筆、思わぬあの人の活躍あり、おみ足の冒険ありの一冊です。
早めに予約頂けるとたいへんありがたいです……!
予約ページ
第1巻も発売中!

ものぐさ王女表紙1巻
販売ページ
― 新着の感想 ―
これは後味が悪い。 フローラがどうなろうが知ったこっちゃないとか言ってた主人公だけど、なんだかんだでやっぱ良い子だな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ