43・転生ものぐさ皇妃、皇帝に頼み事をされる
同じ区画にあるとはいえ、皇帝一家が住まう奥の宮殿とガートルードの宮殿は独立した別の建物だ。
ガートルードの宮殿はレシェフモートの魔力で保護されている上、今はエルマが夜間も寝室の前で番をしている。誰にも見とがめられずここまでたどり着くなんて、不可能なはずなのに。
「隠し通路です。この寝室と皇帝の私室は、地下の隠し通路でつながっています」
レシェフモートが教えてくれた。いざという時に備え、王侯貴族の宮殿に設置される隠し通路は、前世の漫画や小説にも多く登場したから馴染みはあるが、こんな身近にあったとは驚きだ。
「神使は最初から気づいていたようだな」
「人間の考えることなど、いつの世も変わらぬ」
面白がるようなアンドレアスに、レシェフモートは苦々しげに答える。皇帝の私室と皇妃の寝室がつながっていることの意味を正確に理解しているのは、この二人だけだ。
「ならば前もって封鎖するか、俺を通さぬこともできただろう。なぜ通してくれた?」
「今の貴様は、貴様だけであるようだからな」
アンドレアスとレシェフモートのやり取りは、ガートルードには少々不可解だった。今のアンドレアスがアンドレアスだけ……一人であることくらい、見ればわかるだろうに。
(それに超アンドレアス、じゃなくて陛下、なんだかいつもとちょっと違わない?)
対面したのも、直接会話したのもごく短時間で、普段の彼を語れるほどの親交はなかった。
だが、そんなガートルードでも違和感を覚えずにはいられないほど今宵のアンドレアスはいつもと違う。皇帝らしい重々しさや取っつきにくさが和らぎ、どこかやんちゃで快活な空気を漂わせている。
「女神はなにもかもお見通し……というわけか」
ふっと翳りを帯びた表情を向けられ、ガートルードは焦る。なにやら一人で勝手に納得しているようだが、こちとらなにもお見通しではない。
いったい、なんのためにアンドレアスはこんな夜更けにやって来たのだろう。きっとここにつながる隠し通路のことは、コンスタンツェも知るまい。
相思相愛の妻にさえ秘密で、形ばかりの側室に会いに来なければならない理由――先日催されたという、皇帝夫妻とモルガンの交渉についてだろうか。経過はガートルードにも報告されると聞いているが、アンドレアスがわざわざこんなふうに訪問する必要はない。
「ガートルード皇妃。厚顔無恥は承知の上で、貴方にお願いしたいことがある」
アンドレアスは姿勢を正し、まっすぐにガートルードを見据えた。
「わたしに、お願いしたいこと……?」
「ああ。こんな真夜中に人目を忍んで来たのはそのためだ。もしもヴォルフラムを助けたいと思ってくれるのなら……」
ヴォルフラム。
その名がガートルードの心の中で特別な響きを帯びたのを悟ったのだろう。アンドレアスは左胸を押さえ、途切れた言葉を再び紡ぐ。
「俺と共に来て欲しい。……皇宮の地下にある、歴代の皇帝廟まで」
どくん、とガートルードの心臓が高く脈打った。レシェフモートがすかさず抱き締め、アンドレアスに殺気を放とうとするのをなんとか止める。
「皇帝廟とは……つまり歴代の皇帝陛下のお墓、ですよね」
「そうだ。初代皇帝から先代の俺の父まで、玉座に在った者の骸が『眠っている』場所だ」
少し皮肉の響きを帯びた口調にガートルードは首を傾げるが、追及する前にアンドレアスは言葉を続ける。
「廟へは皇帝の私室から地下通路でつながっている。つまりここからもたどり着ける」
「単なるお墓参り……、ではないですよね」
「むろん。そこでどうしても貴方にやってもらいたい……貴方でなければできないことがあるのだ」
皇帝の私室とつながった地下の墓所に、真夜中におもむく。ホラーゲームさながらのシチュエーションにも、普段と違いすぎるアンドレアスにも、嫌な予感しかしない。帝国へ輿入れしたばかりのガートルードなら、即座に断っていただろう。
(でも……)
「それが、ヴォルフラム殿下をお助けすることになるのですか。どうして?」
「わけは話せぬ。だが、その時になればわかるはずだ」
アンドレアスはそれ以上話さず、ガートルードの決断を待っている。だが翡翠色の瞳の奥には切実な光が灯り、彼が皇帝としてではなく一人の父親としてヴォルフラムを案じているのが伝わってくる。
前世のガートルードがどれだけ望んでも、絶対に与えられなかったもの。
無償の親の愛情。
「……わかりました。行きましょう」
「我が女神」
レシェフモートが抱き締める腕に力をこめる。
行って欲しくはないのだろう。けれどガートルードと約束したから、問答無用で阻んだりはしない。
この異形も少しずつ、だが確実に変化している。ならばガートルードも変わらなければ。
「大丈夫よ、レシェ。なにがあっても、わたしには貴方がいるもの」
「私、が?」
「レシェはなにがあってもわたしを守ってくれるわ。だからどこへだって安心して行ける。……そうでしょう?」
ひく、ひく、とレシェフモートは雷に打たれたかのように大きく身を震わせ、ガートルードに頬を擦り寄せた。甘い吐息が耳朶をくすぐる。
「はい……はい、我が女神……もちろんです。たとえ歴代皇帝の骸が起き上がり仇をなそうと、一瞬で消し炭にしてご覧に入れましょう」
「えっ、そんなことあるの?」
前世で人気だった傘のマークの大企業が暗躍するサバイバルホラーゲームを思い出してしまい、ぞっとしたガートルードに、アンドレアスが笑った。
「安心しろ。そのようなことは絶対にありえぬ」
「……本当に?」
「皇帝の名にかけて保証しよう。むろん貴方の身に絶対危険が及ばないことも」
魔獣や妖精やエルフが存在する世界なのだから、ゾンビがいてもおかしくないのだが、アンドレアスの口調は自信に満ちている。皇帝の墓所ゆえ、特殊な結界魔法でもかけられているのかもしれない。
「どうぞ、我が女神」
レシェフモートに手を取られ寝台から降り立った瞬間、ガートルードのまとう服は夜着からくるぶし丈の動きやすいワンピースに変化していた。
髪もポニーテールに結われ、ワンピースにあしらわれているのと同じリボンで結ばれている。仕上げにレースのショールをふんわりと羽織らせてもらったから、夜でも寒くない。
「ありがとう、レシェ」
「我が喜びにございます。……では皇帝よ、案内せよ」
尊大な命令にも気分を害した様子はなく、アンドレアスは頷き、歩き出した。
入り口の扉の真向かいに当たる壁の前で止まり、壁に描かれた花に手をかざす。よく見ればその花だけ他の花よりわずかに色が濃い。
がこん。
アンドレアスが魔力を注ぐと、壁がアーチ型に切り取られ、人一人が通り抜けられるほどの穴が開いた。冷たい空気が流れてくるそこへ、アンドレアスは迷わず進んでいく。
(こんな仕掛けがあったなんて)
毎日ここで寝ていたのに気づかなかった。いや、簡単に気づかれたら意味がないから、ある意味それでいいのかもしれないが。
(レシェは気づいていたのよね)
ガートルードに黙っていたのは、自分が付いていれば使う可能性などないという自信からだろうか。万が一にもアンドレアスがこの通路を『使う』ことがあれば問答無用で処分するつもりだった、などとはみじんも窺わせず、レシェフモートはガートルードの手を引く。
「参りましょう」
「ええ」
未知の領域でも、レシェフモートと一緒ならなにも怖くない。
隠された通路の奥へ、ガートルードは進んだ。大きな手をしっかりと握り締めて。
これにて連続更新はおしまい。お付き合いくださりありがとうございました。次回からまた一日置きの更新に戻ります。




