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5・帝国の反応(第三者視点)

 シルヴァーナ王国からの急使がソベリオン帝国の帝都アダマンに到着したのは、フローラの妊娠が発覚した五日後のことだった。



 シルヴァーナとソベリオンは地理的には隣国ではあるが、それぞれの王都と帝都は国土の中央にあり、帝国の領土はシルヴァーナの十倍を誇るため、王都から帝都までは訓練された軍馬でも通常七日はかかる。急使は道中何度も馬を換え、夜を徹して駆け抜けてきたのだろう。



 それも無理のない話だった。勧められた休息も入浴も断った急使は、くたびれ汚れた旅装のまま謁見を願い、皇帝アンドレアスに告げたのだ。



「第四王女フローラ殿下はご懐妊のため、皇帝陛下のおそばには上がれぬ身になられました」

「何と……!」



 居合わせた貴族たちがどよめく。半分は未婚の身で妊婦となったフローラをふしだらだと責めているが、残り半分はさもありなんと同情ぎみに頷いている。



「フローラ王女は、アンドレアス陛下の皇妃になられることを承知してくださったのではないのですか?」



 硬い声で問うのは、アンドレアスの隣の席に座る皇后コンスタンツェだ。



 アンドレアスの幼なじみであり、伯爵令嬢と身分は低いが皇后の座を射止めた帝国一幸運な女性とうたわれている。女性にしてはすらりと背が高く、ドレスに包まれた細身も引き締まっており、凛々しい空気を漂わせていた。ガートルードが見たら『宝塚の男役スターみたい』と感激しただろう。



 もっともいつもはきりりと引き締まっている横顔は、今は真っ青だったけれど。



「女王陛下や姉王女殿下がたに因果を含められ、一度は王族の義務を果たそうと決意されたご様子でした。しかし皇帝陛下、皇后陛下もよくご存知の通り、人の心は何者にも縛られぬものでございますから」



 皇帝夫妻と高位貴族に囲まれ、敵地にたった一人にもかかわらず、急使の聡明そうな顔には焦りも恐怖もなかった。さらりと皮肉まで口にする余裕まで見せる。



 人の心は何者にも縛られない。

 シルヴァーナの人間にそう当てこすられてしまえば、アンドレアスもコンスタンツェも黙るしかない。



 コンスタンツェは元々、アンドレアスの婚約者ではなかった。アンドレアスの本来の婚約者である公爵令嬢の、乳母の娘だったのだ。

 幼い時分にアンドレアスと公爵令嬢の婚約は取り決められ、たびたび交流の機会がもうけられた。公爵令嬢の遊び相手兼侍女として同行していたコンスタンツェとアンドレアスも、自然と幼なじみとして仲良くなっていったのだ。



 時が流れ、剣の才能があったコンスタンツェは公爵令嬢を守る護衛の女騎士になった。その凛々しい姿とさっぱりした気丈な性格に、アンドレアスは楚々とした公爵令嬢より惹かれていたけれど、思いをあらわにすることはなかった。



 コンスタンツェもまた、アンドレアスに対する恋心を胸に封印していた。アンドレアスと公爵令嬢の結婚はアンドレアスの父、当時の皇帝の命令だったのだから。



 だが病弱だった公爵令嬢は婚礼を目前にして亡くなってしまった。接点であった公爵令嬢がいなくなれば、アンドレアスとコンスタンツェももう二度と会うことはない。



 それは耐えきれず、アンドレアスはコンスタンツェに愛を告白した。仕えていたお嬢様が亡くなったばかりなのに、とコンスタンツェは葛藤したが、このまま離れ離れになりたくないのはコンスタンツェも同じだ。紆余曲折の末、アンドレアスの思いを受け入れた。



 しかしアンドレアスがコンスタンツェを皇后にすることには、反対の意見が相次いだ。

 コンスタンツェの実家は高名な騎士を多く輩出したとはいえ、伯爵家。皇后は侯爵以上の家格の令嬢であるべき、というのが暗黙の掟だった。



 それ以上に大きな問題は、コンスタンツェが前の婚約者の護衛騎士であったことだ。



 主人を守るべき騎士が主人の死後、まんまとその後釜におさまった。外聞の悪い事実と使用人に婚約者を奪われた格好の公爵令嬢への憐憫が、あまたの人々の眉をひそめさせた。



 だが公爵令嬢は病で死んだのだ。アンドレアスやコンスタンツェが何かしたわけではない。むしろ誰よりも彼女の死を悼んでいる。



 人の心は何者にも縛られないと、アンドレアスは反対の声をねじ伏せ、コンスタンツェと結婚した。アンドレアスが帝国の領土を拡げ、コンスタンツェが良く補佐し、世継ぎの皇子を授かったことで一度は貴族たちも二人の仲を祝福したのだが。



 ヴォルフラムが瘴気を取り込み、蓄積してしまう体質だと判明したとたん、皇帝夫妻を疑問視する者が続出した。



 しかもコンスタンツェはすさまじい難産により、日常生活に問題はないものの、二人目の子を望めない身体になってしまった。きっとこれは亡き公爵令嬢の怨念のせいにちがいない。



 皇帝夫妻は呪われているのでは?



 彼らの声を鎮めるためにも、コンスタンツェのためにも、アンドレアスはヴォルフラムに生きてもらわなければならなかった。

 ヴォルフラムが死んでしまえば、もう子を産めないコンスタンツェは皇后の座を下りざるを得なくなる。

 愛する妻をつなぎとめるため、可愛い我が子を生かすため、アンドレアスはなりふりなど構わなくなった。新たな皇后に新たな世継ぎを産ませるのが皇帝としては正しいのだと、わかっていても。



 貴重な破邪魔法使いを皇宮に常駐させ、ヴォルフラムを浄化させ続けた。それが追いつかなくなれば、女神の血を引く神聖なるシルヴァーナの王女を形ばかりの皇妃に求めた。

 ヴォルフラムを助けさせるためだけに。



 この暴挙を非難する貴族は多かった。

 彼らからすれば、世継ぎの皇子がヴォルフラムである必要はないのだ。罪のない王女の人生を犠牲にするまでもない。

 コンスタンツェを廃し、新たな皇后に健康な世継ぎを産んでもらえばいいだけだ。年ごろの娘や姉妹を持つ貴族は特にそう考えた。



 賛成する者も少なくはない。

 シルヴァーナの王女が皇宮に在れば、破邪の力の恩恵にあずかれるのはヴォルフラムだけではないのだ。少なくとも帝都やその周辺が魔獣の被害を受けることはなくなるだろう。

 必然的に、賛成者は帝都付近に領地を持つ貴族や軍閥貴族になる。



 しかし彼らとて、シルヴァーナの王女には同情しているのだ。王女はいわばアンドレアスとコンスタンツェのわがままで人生を台無しにされるのだから。



 帝国貴族ですらそんなありさまなのだから、シルヴァーナ王国の貴族である急使が皇帝夫妻に苛立ちを抱かないわけがなかった。

 フローラの行動は王女として絶対に許されないが、そもそも彼女をそこまで思い詰めさせたのはアンドレアスたちだ。



 はあ、と急使は息を吐いた。

 叶うならこのまま帰ってしまいたい。けなげな姫を追い詰めた者たちを喜ばせるような真似は、したくない。

 けれど役目は果たさなければならない。



「……フローラ殿下の代わりに、第五王女ガートルード殿下が帝国へ輿入れされることになりました」



 急使がしぶしぶ告げた瞬間、貴族たちはさらにどよめき、アンドレアスは翡翠の目を見開いた。獅子のたてがみに似た豪奢な金髪とたくましい体躯の主である彼は、獅子帝とも称される。



「待て。……ガートルード王女といえば末の姫で、まだ六歳と聞いたが」

「フローラ殿下がこのような仕儀となられた以上、我が国に帝国へ輿入れできる姫君はガートルード殿下しかおられませぬ」



 答える急使の顔には、非難がありありと浮かんでいた。



 十五歳のフローラでも、二十代半ばのアンドレアスとは名目だけでも夫婦とみなせるぎりぎりの年齢差だったのだ。政略結婚に年の差は付き物であり、祖父と孫ほど離れた『新婚夫婦』もないわけではないが、さすがにそれは他にどうしようもないほど必要に迫られた場合に限る。



 アンドレアスとガートルードでは、完全に親子だ。しかも本来の政略結婚なら花嫁側にも何らかの旨味があり、だからこそ花嫁は祖父ほど歳の離れた男でも我慢して嫁ぐのだが、今回の場合は完全にアンドレアスの一方的な要望によるものだ。



 シルヴァーナは王女と引き換えに与えられる莫大な謝礼や領土など最初から求めていなかったし、ガートルードにいたっては故郷と家族から無理やり引き離され、姉女王を脅した男の形ばかりの側室にされ、その男の息子のために一生を捧げさせられるのである。しかも姉の身代わりで。



 三歳の息子を救うため、他国の六歳の王女が犠牲になるのだ。

 残酷なその事実はアンドレアスの心に冷や水を浴びせかけた。



 そして気づき、恥じ入る。ヴォルフラムは必死に命をつなぎながらフローラの到着を待ちわびているのに、どうして裏切ったのかと立腹していた己に――きっと、隣のコンスタンツェも。



 フローラに憤る資格など、そもそもアンドレアスにもコンスタンツェにもなかったのだ。ヴォルフラムは二人の愛する息子であり、どんなことをしてでも救ってやりたいが、フローラにとっては赤の他人。自分の人生を狂わせた張本人なのだから。



 どんなことをしてでも逃げたいと願うのは当たり前だ。もしもヴォルフラムが他人のために人生を捧げさせられそうになったら、アンドレアスは猛反対し、全力で阻止するだろう。



 そんなふうに理性でものを考えられるのは、フローラの身代わりが来てくれるとわかっているからなのだが。



「……ガートルード殿下は、納得しておられるのでしょうか」



 コンスタンツェが痛ましそうに尋ねる。

 息子とさほど変わらぬ歳の幼女が身代わりにされ、息子は助かる。後ろめたさと罪悪感、そして隠しきれない歓喜が入り交じった複雑そうな表情を、きっとアンドレアスも浮かべているのだろう。



「納得なさっていないと、泣いて嫌がっておいでだと申し上げれば、こたびの話をなかったことにして頂けるのでしょうか?」

「……心ないことを言いました」



 コンスタンツェは恥じ入ってうつむいた。殴った者が殴られた者相手に痛くないのかと問うも同然の、己の発言の無神経さに気づいたらしい。



「ガートルード殿下はご自分の役割をどなたよりもよく理解なさっておいでです。帝国へ行くと、殿下から申し出られたのですから」

「何……!?」

「ガートルード殿下が!?」



 アンドレアスとコンスタンツェのみならず、貴族たちも大きくどよめいた。



 フローラは周囲からさんざん説得されても聞き入れず、最終的にはほとんど強制的に押しつけたそうだが、たった六歳の王女が自ら生け贄を買って出るなどありうるのだろうか。

 何もわからない幼女に、ことの重大さを告げぬまま行くと言わせただけなのでは?



「ガートルード殿下はすべてをご承知の上でお引き受けになりました。いつも苦労なさっているお姉様を助けたい、自分が帝国へ行けばお姉様をお助けできるのでしょうと、女王陛下におっしゃったそうですから」

「何と……」



 幼い王女のけなげさにアンドレアスもコンスタンツェも、貴族たちも胸を打たれる。

 罪悪感とない交ぜになった感動は、急使の次の言葉で決定的なものになった。



「ガートルード殿下はこうもおっしゃったそうです。帝国の皇子様はわたしよりも小さいのに、生まれてからずっと苦しんでいるなんてかわいそうだわ、と」

「ああっ……!」



 コンスタンツェが両手で顔を覆った。

 生きることすら難しいヴォルフラムに、周囲はずっと冷ややかだった。欠陥品皇子とののしる声さえある。

 そんなヴォルフラムに両親や親族以外で初めて優しい言葉をかけてくれたのは、ヴォルフラムのために人生を台無しにされる他国の六歳の王女だった。



 恥を知れ。

 うわべだけは慇懃な急使の顔には、そう記されていた。



 自分の力で生きられないヴォルフラムなどコンスタンツェごとさっさと見捨て、新たな皇后を迎えれば良かったのだ。他国の王族なら迷わずそうする。シルヴァーナのクローディア女王が娘を得るため、新たな王配を迎えようとしているように。



 アンドレアスやコンスタンツェ自身が何かを犠牲にするのならまだいい。でも二人のわがままに人生ごと巻き込まれるのはガートルードだ。



 アンドレアスとコンスタンツェは改めて己の罪深さを知った。それでもガートルードにすがらずにはいられない愚かさも。



「――クローディア女王の英断とガートルード王女の真心に、このアンドレアス、心より感謝する。我が命ある限り、受けた恩と慈悲は忘れないだろう」

「では?」

「フローラ王女に責を求めるつもりはない。御身大切にと伝えて欲しい」



 この言葉を引き出せた時点で、急使の役目は半分終わったと言っていい。アンドレアスたちのわがままが元凶だったとしても、フローラの行為は政治的には非難されて然るべきだ。



 アンドレアスが己の暴挙を棚に上げ賠償や謝罪、シルヴァーナに支払う謝礼の減額などを求めてきたら、極めてやっかいな事態になるところだった。むろんそんなことになれば、アンドレアスには非難が集中するだろうが。



「ガートルード王女には聖ブリュンヒルデ勲章を与えよう。勲章そのものは帝国へ参られてから授けることになるだろうが、その地位は今この瞬間より有効とする」

「――ッ……!」



 急使の息を呑む音が、静まり返った空間に大きく響いた。



 この事態に帝国への使者に選ばれた急使は、当然、シルヴァーナきっての帝国通だ。だからもちろん知っている。聖ブリュンヒルデ勲章が皇族女性に与えられる、最高位の勲章であることを。



 そう、『皇族女性』だ。他国の者には王族であっても決して与えられない。いや、与えられなかった。



 なぜなら聖ブリュンヒルデ勲章を授けられた者にはあらゆる特権が与えられる。最たるものが、皇帝以外の何者に対しても従わないことを許される不服従の特権だ。皇帝以外であれば誰でも、皇后や皇太子の命令であっても、無視して良いのである。



 ゆえにこの勲章を与えられるのは長年にわたり帝国に多大な貢献をした皇族女性に限られる。

 今まで与えられたのはたった一人、初代皇帝の妹ブリュンヒルデだけだ。聖ブリュンヒルデ勲章は魔獣の大攻勢の最前線で戦い、勝利と引き換えに四肢を失った彼女の余生を安らかにするため、創設された勲章なのである。



 それをガートルードに与えようというのだから、貴族たちに動揺が走るのは当然だった。皇妃となり皇族の一員となってからならまだしも、たった六歳の、それもまだ他国の王族に!



「ガートルード王女の献身にはまだまだ報いきれてはおらぬだろうが、ひとまずはこれをもって我が感謝の印としたい。クローディア女王にはそう伝えて欲しい」

「はっ……」



 大きくなっていくざわめきの中、急使は全身の震えを鎮めながら深くこうべを垂れた。

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大量に加筆し、リュディガーの出番が増えてガートルードも大活躍しておりますので、よろしければご予約お願いします!
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― 新着の感想 ―
勲章を与えることで王女に同情ではなく妬みが集まって皇后と息子への批判が下火になるか、皇后と息子のためだけに今までほぼ与えられていなかった勲章を与えることで火に油を注ぐようにさらに批判が集まるか、微妙な…
[一言] 本人の心境とは乖離して、素晴らしい王女像が走り出していくのがとても面白いです。 この先、どんな展開が待っているのか楽しみにしています。
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