27・転生ものぐさ皇妃と魂の召喚
レシェフモートが食後に用意してくれたホットチョコレートはミルクと生クリームがたっぷりで、前世のパートの給料日、帰り道でこっそり買って飲んだココア缶に迫る美味しさだった。
糖分を大量に摂取したおかげでその後も読書ははかどり、なんと分厚い歴史書を夕方までに読破できてしまったのである。
「……さすがに、おかしくない?」
結局、あのまま抱かれていたレシェフモートの膝で、ガートルードは首をひねる。
「おかしい、とは?」
「確かにわたしは前世でも歴史とか古典が好きで、学校に通っていたころは歴女って言われていたけど、すごく頭がいいってわけじゃなかったもの」
家事と育児から解放される唯一の場所なのもあり、前世のガートルードは熱心に授業を受けていた。特に歴史系の授業は楽しみだった。
だが、だからと言って成績が良いわけではなかったし、理解力も人並み。入学以来トップの座を譲ったことがないという完璧くんの知能がダイヤなら、ガートルードはそのへんに落ちている小石程度だっただろう。
転生してからは『とても子どもとは思えない』と賛嘆される日々だったけれど、それは前世での三十年があったからだ。
この歴史書はガートルードがある程度成長してから読むことを想定しているのか、そこそこ難しい用語や言い回しも使われていた。前世のガートルードなら途中で放り投げていたにちがいないが、今日は一読するだけでするすると内容が頭に入ってきた。
そして得た知識は、しっかり刻み込まれている。一言一句、たがえず暗唱できるほどに。
前世の歴女の才能が、今になって花開いたのだろうか?
「我が女神はもともとたいへん聡明なお方と存じますが、そうですね……そのようにお感じならば、女神の血と魔力の影響かもしれません。魔力は人体の機能を飛躍的に上昇させますから」
むむむ、とうなっていると、レシェフモートがガートルードの左胸にてのひらをかざした。ちょうど心臓の真上あたりだ。
「人間の場合、魔力の保有量は生まれた瞬間に決まり、基本的に死ぬまで変化することはありません。そして魔力保有量は遺伝の要素が強く、魔力の高い両親からは魔力の高い子が、魔力の低い両親からは魔力の低い子が生まれます」
「ええ、そうね」
ガートルードは頷いた。シルヴァーナ王国で正式に魔法を学び始めるのは八歳以降だが、それまでの間も、王侯貴族の子は魔力について家庭教師から習うのが普通だ。
貴族は魔力が高いと言われるが、正確には『魔力の高い者が戦功を立てて叙爵されていった結果、貴族は高魔力保持者だらけになった』と言うべきだろう。貴族は貴族としか結婚しない。魔力の高い者同士が結ばれれば、子孫の魔力が高くなるのは当たり前だ。
だから基本的に貴族界では魔力の高い者、魔力操作に長けた者が尊ばれる。シルヴァーナ王国ではそうだった。
しかし帝国ではリュディガーのように高い魔力と魔法技能の主は実力を認められこそすれ、『自らの手で戦わないのは男らしくない』と謎の後ろ指を指されることもあるので、それぞれの国によって事情は異なるのだろうが。
「ですがごくまれに、後天的に魔力量が増加することがあります。より高位の存在から力を……すなわち血を与えられた場合です」
「より高位の存在……女神シルヴァーナのことね」
「……、……仰せの通りです」
レシェフモートが応じるまでの間はごくわずかだったので、ガートルードはなにも不思議には思わない。
「女神の血は、すなわち高度に濃縮された純粋な魔力です。それを体内に取り込むだけでも魔力量が増加するのは自明の理ですが、魔力はより強い魔力に惹かれ、共鳴し合って増幅する特徴があります」
「そうだったの?」
それは初耳だった。
四人の姉たちも女神の血を引いているのに、そんな話を聞いた覚えはないのはなぜだろう。単にガートルードが幼いから伝えられなかっただけなのだろうか。
ガートルードの疑問に、レシェフモートは首を振った。
「共鳴を起こすほど濃く女神の血を引く者は、私の知る限り、我が女神ガートルード様だけでいらっしゃいます」
「わたし、だけ?」
『始まりの乙女』が王国を創ってから七百年。あまたの王女が生まれたというのに、ガートルードだけがそれほど濃く女神の血を引いて生まれたというのは、やはり……。
「……わたしが異世界から転生した魂だから、ね」
それ以外に思い当たるふしはない。
しかしレシェフモートは思案げに眉を寄せる。
「転生……、正しくは召喚と呼ぶべきかもしれません」
「召喚?」
「人間の魂は、基本的に生まれ落ちたその世界の輪廻から外れることはありません。命を終えれば輪廻の輪に戻り、冥府の水に洗われ、再び同じ世界に生まれ変わります。数少ない例外が、神々による召喚です。……覚えていらっしゃいますか? 女神とは異なる世界から降臨した異質な存在だと、私が申し上げたことを」
『少なくともこの世界において女神とは、神々の世界……すなわち異なる世界より降臨した異質な存在を指しますから』
帝国への道中、レシェフモートと出逢った時のことだ。忘れるわけがない。
「ええ、もちろん」
「界を越え、人間の魂を召喚することが可能なのは神々だけ。よって貴方の魂は、女神シルヴァーナの血を引くガートルード王女の肉体に、女神シルヴァーナの手によって転生させられたと考えるべきでしょう。その瞬間女神の魔力が注がれ、もともと濃かった血がさらに濃くなった」
自分の転生に女神シルヴァーナが関わっていたことは、薄々察していたから驚きはない。魔力が人体の機能を飛躍的に上昇させるのならば、前世ではありえなかった高い記憶力や理解力も女神の血の恩恵なのだろう。
けれど、疑問はある。
「女神シルヴァーナは、何のためにわたしを召喚したの? ……自分と同じ存在を増やすため?」
異なる世界より降臨した異質な存在がこの世界における女神ならば、転生した魂はガートルードを含め、みな女神ということになる。
それと、もうひとつ。
「異なる世界から来た魂が女神だというのなら、女神シルヴァーナもどこかの世界から呼ばれた魂だったってことにならない?」
聡明な獣はどちらの疑問も想定していたのだろう。あるいは彼もまた同じ疑問を抱き、長い間思考し続けていたのかもしれない。
そうして出た答えは。
「……女神シルヴァーナが我が女神ガートルード様を召喚した理由は、残念ながら私にもわかりません」
紡がれた言葉にはかすかなぎこちなさがにじみ、ガートルードは不審を感じたが、続く発言の衝撃にかき消されてしまった。
「しかし、かの女神もまた異なる世界から召喚された存在である可能性は高いと思います」
「……! それは、どうして?」
「たった一度ですが、私はかの女神に会いました。その時、奇妙な違和感を覚えたのです」
まるでそこにいるのに存在自体が世界と馴染んでいないような、女神シルヴァーナだけが周囲から浮かび上がっているような、奇妙としか言いようのない感覚だったという。
「当時の私は、女神という高次の存在ゆえだと考えていました。世界の方が女神の存在を受け止めきれていないのだろうと」
「……」
前世の知識に当てはめて考えるなら、高解像度の動画配信を低いスペックのマシンと回線で無理やり再生するようなものだろうか。
「ですが同じく異なる世界からいらしたはずの我が女神の魂は、なんの違和感もなくその肉体になじみ、安定している。ゆえに私は考えを改めました。……かの女神の方が、世界に存在を認めさせるだけの力を失いつつある。つまりは弱体化しつつあったのではないか、と」
「弱体化……」
ガートルードは再び前世の知識に当てはめる。
動画がなかなか再生されないのがマシンと回線のせいだと思っていたら、実は動画そのものに問題があった、ということか。なんだか女神シルヴァーナが駄目配信者に思えてきてしまう。
「でも、女神様が弱体化することなんてあるの?」
「我が女神が思われるほど、神は完璧な存在ではないのですよ。人間や魔獣を凌駕する高い魔力を持ち、それが高次の存在たらしめていますが、言い換えれば、その魔力が衰えれば神も衰えるということですから」




