4・転生ものぐさ王女の野望
王族は基本的に多忙だ。高い身分とぜいたくな暮らしと引き換えに、高貴な者の義務を果たさなければならない。
長女のクローディアは母の事故死によって、十九歳で女王に即位しなければならなかった。シルヴァーナ王国は他国と異なり、直系の女子が優先的に王位を受け継ぐ。建国の王が女神の血を与えられた乙女であったからだ。直系の女子は基本的に女神の血を受け継ぐ証、銀髪と黄金を散らした碧眼を持って生まれてくる。
男子にも王位継承権は与えられるが、彼らが王位につけるのは、直系の女子が一人もいなくなった場合である。今のところそうした事態は起きておらず、名目だけの王位継承権と言えるだろう。
即位してすぐクローディアは婚約者だった王配と結婚し、翌年、翌々年と立て続けに子に恵まれた。だがどちらも男子であったため、あの王配との間には男子しか生まれないのではと危惧され、新たな王配を迎える準備が進められている。
今の王配はクローディアの幼なじみでもあり、若き女王を心身共に支えてくれる存在なのに。
だがクローディアは嫌とは言えない。女王として世継ぎの王女を得るのは必須だからだ。
四人も妹がいても、我が子に王位を受け継がせられない女王は能力を疑われる。ドローレスもいつか姉が娘をもうければ、喜んで王太女の位を返上するつもりでいるだろう。
そのドローレスは王太女の義務として近衛の一軍を率いている。生まれつき武術を好むドローレスだから苦にもしていないが、武人の役割と王太女の政務を同時にこなすのは相当な負担だろう。ガートルードが大きくなっても絶対に王太女は務まらないと思う。
三女のエメラインは破邪の魔法使いとして、日々研究に明け暮れている。女神の血を引く直系の王族女子はそこにいるだけで邪悪なるものを寄せつけず、浄化する力を備えるが、それと同じ効果を魔力で発動させるのが破邪魔法だ。
しかし魔力さえあれば誰でも発動させられる地水火風の四大元素魔法や生活魔法と違い、破邪魔法はその適性がなければ決して使えるようにならない。破邪魔法の適性持ちは非常に少なく、かの大国ソベリオン帝国にすら三人しか破邪魔法使いは存在しない。シルヴァーナの王族が尊重される理由がわかろうというものだ。
エメラインはもちろん破邪魔法の適性持ちでもあるので、シルヴァーナ王族の血もあわせ、適性持ちを増やす研究や破邪魔法の新たな可能性を模索している。
適性持ちの増加はさすがにまだ実現していないが、新たな破邪魔法は編み出されており、大陸一の破邪魔法使いとうたわれる存在だ。
四女のフローラはガートルードが生まれるまでは末っ子として甘やかされたせいか、姉たちのようにこれといった特技はないが、姉妹でもっとも華やかな美貌にはあまたの取り巻きが群がっている。
フローラのためには命をなげうつことすら辞さないという、フローラガチ勢ばかりだ。あれはあれで一種の才能だろう。
まだ幼いガートルードもいずれは姉たちのように、何らかの形で国に尽くさなければならない。そして姉女王が決めた婚約者と結婚し、家庭を築くことになるのだろう。
想像するだけで泣きたくなった。
前世でさんざん労働させられたのに、なぜ今世でまであくせく働かなければならないのか。
それにガートルードは佳那の記憶から、結婚や家庭というものにまるで夢を抱けなかった。家庭は不幸と苦労とストレスの温床であり、結婚はそれを生み出す装置だ。
自分の産んだ子なら違うのかもしれないが、子育てももうまっぴらだった。
誰とも結婚せず、何の義務にも縛られず、死ぬまでのんびり食っちゃ寝食っちゃ寝して過ごしたい。怠惰のぬるま湯に首まで浸かって。
姉姫たちが聞けば卒倒しかねない願望を抱くガートルードにとって、ソベリオン帝国皇帝アンドレアスの申し出は福音だった。不謹慎だが、ヴォルフラムは女神シルヴァーナが遣わしてくださった天使ではないかとすら思えた。
形式だけの皇妃?
夫からは愛されない?
子どもを持てない?
政治にも関われない?
許されるのは贅沢だけ?
(それって、最高じゃない!)
姉姫たちが眉をひそめる全てが、ガートルードには歓喜をもたらした。夢の食っちゃ寝ライフを、大帝国の皇帝という太いスポンサーが保障してくれるのだ。しかも死ぬまでずっと。
帝国皇子のために人生を犠牲にした王女を、皇族はもちろん、貴族たちもおろそかには扱わないだろう。どんなにぐうたらなダメ王女であっても。王女に求められるのは直系女子なら誰でもデフォルトで備わっている破邪の力だけなのだから。
ただそこにいるだけで感謝され、貢がれる。
なんて素晴らしい生活だろう。
我こそが帝国へ、とガートルードは意気込んだ。
しかし選ばれたのは四女のフローラだった。幼く何の役目もない自分こそ選ばれると期待していたのだが、どうやらその幼さゆえ帝国へやるのは哀れだと思われたらしい。
けれど女神はガートルードを見捨てなかった。ある日ガートルードは目撃したのだ。人目を異様に気にしながら、フローラの宮へ入っていく若い男を。
見覚えのある顔だった。フローラの取り巻きの一人で、ある侯爵家の子息だ。ガートルードを遠巻きにしながら陰口を叩くメンバーの一人でもあるので、よく覚えている。
以来、注意してフローラの宮を観察していたら、その侯爵子息はたびたび姿を現した。フローラには取り巻きが多いので来客もめずらしくはないのだが、他の取り巻きたちが集団で訪れるのに対し、侯爵子息はいつも一人だ。そして二、三時間もすると満足そうな顔で帰っていく。
(おやおや、これはこれは)
ガートルードはぴんときた。侯爵子息はフローラと『お楽しみ』なのだと。
前世、子どもと同じ部屋でも平気で盛って行為に及ぶ両親のもとで育ったガートルードは、当人は経験ゼロにもかかわらず、その手の空気や情報にやたらと敏感だった。
フローラの目的は明らかだ。妊娠して帝国行きを逃れようというのだろう。形式だけとはいえ、他の男の子を孕んだ王女を皇妃に据えるわけにはいくまいから。
(お姉様、ナイス!)
フローラが首尾よく妊娠すれば、姉女王はいくら幼くともガートルードを差し出すしかなくなる。王太女のドローレスと破邪魔法の研究者であるエメラインは絶対に外へは出せないからだ。
そうとなったら、ガートルードも作戦開始である。名付けて『みんなの罪悪感を煽りまくって食っちゃ寝作戦』だ。
『何の罪もないのにわがまま姉王女の身代わりにされ、邪知暴虐の帝国皇帝に差し出されるかわいそうな幼い王女殿下』を目指したのである。周囲が罪悪感を覚えれば覚えるほど、ガートルードは帝国で手厚い庇護を受けられるはずだから。
だからフローラが帝国の生け贄になると知り、ガートルードに文句をつけに来た取り巻きたちのことは黙っておいたし、セシリーにも口止めしておいた。かわいそうだが彼らには食っちゃ寝ライフのための尊い犠牲になってもらう。
フローラが妊娠できるかどうかだけは運頼みの賭けだったが、幸運にもガートルードは賭けに勝ち、今日という晴れがましい日を迎えたわけである。
「女神様、ありがとうございます」
ガートルードは胸の上で小さな手を組み、祈りを捧げる。
狙い通り姉姫たちはガートルードにおおいに罪悪感を覚えてくれたようだ。すべては夢の食っちゃ寝ライフのためではあるが、姉女王クローディアに告げた言葉は真実である。
長女に生まれてしまったばかりに義務と責任を背負いこまなければならなかったクローディアに対し、ガートルードは強い共感と同情を感じていた。食っちゃ寝ライフのついでではあっても、クローディアを助けてあげられるのなら嬉しい。
ドローレスとエメラインも事故以来様子がおかしくなった妹を不気味がるでもなく、常に優しくいたわってくれたから、二人のためにもなると思えばより食っちゃ寝ライフに気合いが入ろうというものだ。
フローラはこれから針のむしろだろうが、自業自得なので強く生きて欲しい。さすがに命までは取られないはずだ。帝国もシルヴァーナの王女であればフローラでなくても構わないから、文句は言わないだろう。言えるような立場でもない。
まあ、フローラの処遇なんてどうでもいいのだ。大事なのはとうとう夢の食っちゃ寝ライフが始まるということ。帝国からの迎えが来るまでにはまだ間があるだろうから、念入りに支度をしておかなければ。
(愛用のお布団と枕は絶対に持っていくとして、着替えなんかは……最低限でいいか。どうせ公の場になんて出ないんだし。侍女やメイドも連れて行かなくていいわね。帝国の方で用意してくれるだろうし、二度と帰ってこられないのに連れて行くのはかわいそうだし、うちから連れてった侍女の前じゃだらだらしにくいし)
最後の理由が一番大きかったりする。
(帝国にもお世話役は最低限で、おいしいものを食べさせてくれて、だらだら寝かせてくれればいいって伝えておいた方がいいわよね。破邪の力はけっこう広範囲に届くから、ヴォルフラム皇子と毎日顔を合わせる必要もないわ。わたしが皇宮にいれば、勝手に健康になっていくでしょう)
ヴォルフラムは三歳だそうだから、ようやくイヤイヤ期が終わったころだろうか。
えらい人にはイヤイヤ期も反抗期もなさそうと思っていたが、クローディアの二人の息子は現在絶賛イヤイヤして周囲を困らせているので、ヴォルフラムもまだイヤイヤ期を引きずっている可能性はある。
イヤイヤ期に付き合うのは、十二人の弟妹でもうたくさんだ。きちんと分別がつくまではなるべく会いたくない。
(習い事も勉強もしなくていい。帝国には砂糖の産地があったはずだから、甘いお菓子がたくさん食べられるわよね。ひょっとしたらチョコレートなんかもあるかも)
こちらの世界では砂糖や香辛料のたぐいが前世とは比べ物にならないほど高価であり、王族といえどもそうふんだんには使えない。チョコレートはシルヴァーナには存在すらしていなかった。ここはあまたの植民地を所有し、南方諸国ともさかんに貿易している帝国の財力に賭けたい。
「うふ、うふふふふふ……」
お菓子をむさぼる自分を想像すると、とても人様には聞かせられない笑い声が出てしまう。
とっさにうつ伏せになったガートルードは、気づかなかった。細く開けられた扉の隙間から、セシリーが覗いていたことに。
「あんなに泣かれて……姉姫がたの前では気丈にふるまわれていたけれど、やはり本当は帝国になど行きたくないのだわ。ああ姫様、おいたわしい……」
『恐怖と孤独を必死にこらえ、王国のため自分を犠牲にする哀れでけなげなガートルード姫様』の評判が、どこまでも広まっていくことに――。