24・転生ものぐさ皇妃と愛の告白
「好きだけど、受け入れられない……?」
それはレシェフモートにとって、理解しがたい感情のようだった。
「……私は我が女神を心よりお慕い申し上げております。受け入れられないことなど、あるはずがございません」
断言するレシェフモートにはみじんの迷いもなかった。嘘などついていないと確信できるのは、吸い込まれそうなほど澄んだ金色の瞳のせいか。
「その気持ちは嬉しい、けど……わたし以外にはないの? 同じ魔獣の知り合いとかお友達とかで、仲良しだけどここだけは許せない、みたいなことが」
「オトモダチ? ナカヨシ?」
妙な発音で繰り返し、レシェフモートはこてんと首を傾げた。
聞けば、魔獣同士に友情など成立せず、敵か下僕かの二択だという。下僕と言っても人間のような忠義や主従関係とは無縁で、なんの見返りもなくただ支配されるだけの関係らしい。
弱者が強者に従うのが当然、というのが魔獣の常識なので、それでなんの問題も起こらない。嫌なら強くなればいいだけだ。
どうしても従いたくなければ敵対し、どちらかが滅するまで戦う。そうやって生き残り続けた者が『王』になるが、たいていの者は道なかばで斃れてしまう。
魔獣の王とは、その支配領域において一度も負けなかった者のことなのだ。北の王と呼ばれたレシェフモートが、友情を理解できないのも無理はない。
ならば王同士なら友情が成立する可能性もあるのでは、と期待したガートルードだが、王同士は顔を合わせることすら皆無らしい。王とて魔獣の衝動には抗えず、出くわせばよほどの事情がない限りは雌雄を決するべく戦い始めてしまう。
魔獣の王同士が争えば互いの下僕たちまで参戦し、人間同士の戦など比較にならないほど甚大な被害が生じることになる。もちろん人間も無事では済むまい。
本能的にそんな事態を避けているのかもしれない、とレシェフモートは語るが。
(それが事実だとしたら、魔獣には『人間を殺しすぎるのはまずい』って意識がある……ということ?)
ガートルードの知識では『魔獣は無差別に人間を襲う存在。目の前に人間の集団がいれば迷わず全滅させる』という認識だっただけに、意外な情報だった。
レシェフモートのように知性を持ち、意志疎通の叶う魔獣は稀だ。王クラスになれば自然の魔力を吸収するだけでじゅうぶん生きていけるそうだが、ほとんどの魔獣は食料として魔力ある生物を求める。
この世界には妖精やエルフといった魔力の塊のような種族も存在するらしい。だが彼らは絶対数が少なく、魔獣さえたどり着けない秘境に住まう種族だから、最も手っ取り早く狩れる人間が主な食料になる。
貴重な食料が全滅してしまっては自分たちも飢えるから、殺しすぎないよう配慮するということだろうか。いや、しかしそれは本能とは少し違うような……。
「……と、ともかく」
ガートルードはこほんと咳払いをした。今は考え事に耽っているような場合ではない。
「レシェには理解できなくても、わたしにはそういう感情があるの。わたしは人間だから」
「……」
レシェフモートは否定も肯定もしない。その沈黙がなにを意味するのか、ガートルードにはまだわからない。
「だからレシェも、理解できなくてもいいから、理解しようとして欲しいの。わたしとずっと一緒にいたいと思ってくれるのなら」
「……理解できなくても、いいのですか?」
レシェフモートが意外そうに目をしばたたく。
「理解したくても、絶対にできないことってあるもの。それは仕方ないわ」
ガートルードだって、何度も必死に理解しようとしたけれどできなかった。育てられもしない子どもを増やし続ける前世の両親も、同じ両親の子である姉に当たり前のように母親の役割を求める弟妹たちも。
「でも理解しようとすることで、わかってくることもあると思うの。わたしも考えるから、貴方にも考えて欲しい。……駄目?」
しばしの沈黙の後、レシェフモートは口を開いた。
「それが我が女神ガートルード様の望みなら、否やなどない……いえ」
澄んだ金色の瞳がまっすぐにガートルードを見つめる。サイズダウンしているとはいえ、人間バージョンより大きさも威圧感も倍増しているはずなのに、少しも怖くない。
「私も……貴方を理解したい。そう思います」
「レシェ……!」
ガートルードは破顔し、モフモフふわふわの毛皮に抱きついた。その極上の感触を堪能する間もなく、異形の獣は麗しい人間の男に変じる。
「……我が、女神」
紡がれる極上の声も、ガートルードを抱き上げる腕も少し震えている。
思わずなめらかな頬に触れれば、レシェフモートは長いまつげに縁取られたまぶたを伏せ、頬を擦り寄せてきた。
「もう、……触れることは許されないかと思いました」
ガートルードに『降ろして』と命じられたことが、レシェフモートにとっては己の存在意義が崩壊しかねないほどの衝撃だったのだ。
思春期の中学生男子みたい、とガートルードは思った。相手の言動の裏にひそむ感情や事情を汲み取れず、たった一度の行動ですべてを判断してしまう。それは人生経験の少なさが主な原因なのだが。
(ううん、『みたい』じゃなくて本当にそうなのかも)
レシェフモートは長い長い間、誰ともつるまず魔獣を狩り続けてきた。女神シルヴァーナが約束を果たす日を待ちわびながら。
そんな環境では、仮にレシェフモートが人間であっても、情緒が育たなくて当然だ。
見た目は極上の美形なのに、中身は中学生男子。そう思うとおかしくて、ガートルードはもう一方の手で長い銀髪を撫でてやる。
「わたしはレシェに抱いてもらうの、好きよ。また何度だって抱いて欲しいと思うわ」
酷使され傷つき、擦りきれかけていたガートルードの魂を癒してくれたのは、間違いなくレシェフモートだ。この異形の濃厚すぎる愛情と奉仕が癒してくれたから、ガートルードはまた自分の意志を主張してみようと思えるようになったのだ。
「…………」
その瞬間のレシェフモートといったら見物だった。薄暗がりでもそうとわかるほど顔を真っ赤に染め、置物のように固まってしまったのだから。
これにはガートルードもあぜんとする。いつも余裕たっぷりのレシェフモートがこんなに無防備な姿をさらすなんて、初めてだ。
「レ、レシェ、どうしたの? 大丈夫?」
もしや泣きすぎて体調を崩してしまったのだろうか。魔獣と人間の肉体構造はまるで違う。人間は泣いてもせいぜい疲れるだけだが、魔獣の肉体には深刻な影響を及ぼすのかもしれない。
やがてハングアップからどうにか復活した低スペックパソコンのようなぎこちなさで、レシェフモートは尋ねてくる。
「……我が、女神……その、我が女神は、前世で、恋人など、は……」
「恋人?」
まったくの予想外の質問だった。どうして今、そんなことを聞かれるのだろうか。
まるでわからなかったが、レシェフモートは神妙に答えを待っている。
「いなかったわよ、恋人なんて」
来る日も来る日も家事と弟妹たちの世話に追われていた。幸運にも空き時間ができれば、ひたすら仮眠を取っていた。そんな毎日で、恋人なんてできるわけがない。レシェフモートだってそれくらい想像がつくだろうに。
「……、で、ですが、我が女神に思いを寄せる不埒者はあまた存在したのでしょう? 四肢を切断し、煮えたぎる油に頭から沈めてやりたいくらいに」
なぜか焦ったレシェフモートがさらりと恐ろしいことを口走る。
どんなサイコパスだ、とドン引きしつつもガートルードは首を振った。
「いるわけないでしょう。わたしは弟妹たちの行事か買い物かパートくらいしか出かけなかったし、見た目にもまるで気を使ってなかったもの」
享年は三十歳だが、見た目はアラフォーだったと思う。すぐ下の妹の佐那にはトリートメントとパックくらいしなよ、と何度も言われたが、そんな暇があれば少しでも休みたかった。
「見た目など」
ふっ、とレシェフモートは笑った。いや、嘲笑った。外見だけしか見ない者すべてを。
「たかが器にいかほどの価値があるというのでしょう。最も大切なのは魂の階級だというのに」
「……階級? 魂に階級があるの?」
比喩かと思ったが、レシェフモートによれば、人間の魂は生まれたばかりの状態はみな等しくまっさらだが、その後歩んだ人生によって大きく形を変えるのだという。
他人のために己を犠牲にし、善行を積み、あまたの苦難を乗り越えた者ほど魂は磨かれて澄み、内側から光を放つ。その光が清らかで美しいほど、高い階級の魂ということになる。
反対に他人を踏みつけにし、悪行を働き、楽な方にばかり流される。そういう者の魂はよどみ、穢れ、まがまがしく耐えがたい腐臭を放つ。
穢れがひどいほど魂の階級は低いそうだ。ならばすべての条件を兼ね備えた前世の両親の魂は、さぞ低い階級だろう。
「我が女神。貴方の魂は傷つき、よどみ、ゆがんでいながら、私のような獣すら魅了するほど清らかな光を放っていらっしゃる。まるで真珠のような」
レシェフモートは甘くささやいた。
真珠は貝が吐き出せなくなってしまった異物を、自分を守るために貝殻の成分で必死に覆っていった結果、できたものだと前世で聞いたことがある。
貝の苦痛と自己防衛で作り上げられた清らかな輝き。ガートルードの魂をたとえるには、ぴったりかもしれない。
「これほど美しい貴方に惹かれないなんて、前世の世界の男どもは虫けら揃いですね。……おかげで我が女神を誰にも汚されずに済みましたが、しかし……」
金色の瞳が悩ましげにガートルードを見つめる。
「無垢な状態でこれとは……今後はさらに守りを固めなければ……」
「レシェ?」
きょとんとするガートルードにレシェフモートは甘く微笑んだ。さっきまでの思春期中学生男子の面影は、もうどこにもない。
「私も、愛しておりますよ」
「っ……」
ささやく声音が鼓膜の奥でとろける。
息を呑むガートルードにレシェフモートはさらに告げた。
「我が女神を抱いて差し上げるのが。……どうか、これからも貴方を抱くのは私だけにしてくださいね」
「え、ええ、も、もちろんよ」
たちこめる色香にむせそうになりながら、ガートルードは壊れた人形のように何度も頷いた。




