15・転生ものぐさ皇妃と越後屋と帝国の貴公子
(何言ってるの、このおっさん)
ガートルードの中で、ただでさえ低かったレヴィン伯爵への評価はどん底まで下降した。
あいつが許されたんだから俺も許せだなんて、いい歳をした大人の台詞ではない。しかもこの男は、仮にも外務大臣を務めていたはずなのだが。
「控えよ、レヴィン伯爵」
アッヘンヴァル侯爵もこれには気分を害したようだ。侯爵の場合は、伯爵に過ぎない者から皇妃に物申したことの方に立腹しているのだろうが。
「伯爵に過ぎぬ身、それも罰を受けた身が、皇妃殿下にご配慮を願うなど許されぬ。わきまえよ」
「お言葉ですが、閣下。罰を受けた身と申すならば閣下も同様にございましょう。皇妃殿下に衷心よりお詫びするよう、皇帝陛下から命じられたのも同じはず」
恥ずかしげもなくぺらぺらと並べ立てるレヴィン伯爵は、時代劇に登場する悪徳商人のようだ。武士っぽいアッヘンヴァル侯爵と並ぶとよけいにそう見える。
もちろんガートルードは『越後屋、そちも悪よのう』なんて山吹色のお菓子を要求する気はないが。
(お菓子ならやっぱりチョコレート色に限るわよね)
「それに皇妃殿下はどうやらこの私が皇后陛下の一族に連なることをご存知ないようだ。まだ帝国においでになったばかり、しかも幼い御身では仕方ないかもしれませんが」
やれやれ、とレヴィン伯爵は肩をすくめる。
「私は苦しんでおいでのヴォルフラム殿下をお救いしたい一心で、心苦しくも馬車を手配したに過ぎませぬ。皇妃殿下に酷な思いをさせてしまったのは大変申し訳なく、慚愧の念に堪えませぬが、殿下も皇族のお一人となられた身。ここは大人になられませ」
「……はっ?」
アッヘンヴァル侯爵とガートルードの声が重なった。こいつ何言ってるんだ、と侯爵の顔に書いてある。ガートルードの顔にもきっと書いてあるだろう。
「……大人になれとは、いかなる意味だ。レヴィン伯爵」
年の功か、先に我に返ったのは侯爵だった。
「言葉のままの意味でございますよ。皇后陛下は表向き皇帝陛下の下知に従い、この私めの処分に賛同なさいましたが、お心の中では早々に皇妃殿下をお連れした私に感謝しておいでのはず。皇妃殿下から私の処分を撤回するよう嘆願されれば皇帝陛下は受け入れられるでしょうし、皇妃殿下も皇后陛下の覚えがめでたくなられるのは間違いございません」
「……」
「むろん私も皇妃殿下に心より感謝し、大臣に返り咲いたあかつきには皇后陛下に次ぐ忠誠を捧げると誓います。他国より来られたお方こそ、お味方は多く持たれるべきでございますよ」
したり顔のレヴィン伯爵にもはやアッヘンヴァル侯爵は言葉もない。ガートルードも怒りを通り越し、呆れてしまう。
「ええと、つまりこの人は『俺を助ければお前も皇后陛下の覚えがめでたくなってWin-Winじゃよ』って言いたい……の?」
「そのようですね」
こそこそレシェフモートに確かめたら、あっさり同意されてしまった。そこは否定して欲しかったのに。
「レヴィン伯爵……貴様、正気か? 家督を譲らされるショックで狂ったのではないか?」
「むろん正気ですとも。狂人にこれほど素晴らしい提案ができるとお思いで?」
「そうか。ならば――」
侯爵が嵌めていた手袋を外そうとした時、凛とした声が割り込む。
「お待ちください、侯爵」
高い木の陰から現れたのは、帝国男性らしからぬ細身の貴公子だった。飾り気のない装いでありながら、咲き誇る白薔薇より華やかな姿を見るのは久しぶりだ。
「フォルトナー卿……? 君、なぜここに」
「申し訳ありません。元外務大臣の前に皇妃殿下がお出ましになったと聞いて不安になり、影を飛ばしておりました」
ひらひらと花壇から飛んできた白い蝶がリュディガーの肩にとまり、数度羽ばたいてから空気に溶けるように消えた。蝶とたわむれる貴公子。おとぎ話の一幕のようである。
「炎と風の混合魔法ですね」
レシェフモートがつぶやいた。たぶん炎の魔法で作り出した幻影を風魔法で飛ばし、空気を通じてここでのやりとりを聞き取っていたのだろう。
言うは易いが、実践は非常に難しい。人はたいてい一つの魔法適性しか持たず、まれに複数の適性を持って生まれても、一つのメイン属性以外はおまけ程度にしか扱えないのだ。
だがリュディガーは最低でも炎と風、二属性を持つ上、どちらも均等に使いこなせるということになる。騎士ではなく魔法使いとしてもじゅうぶん通用しそうだ。
もっともガートルードは繊細な魔力操作の妙よりも、作り出された蝶の美しさの方に目を奪われていたけれど。
「ご無沙汰しております、皇妃殿下、神使様。このような形ではございますが、麗しいお姿を拝し光栄に存じます」
リュディガーはガートルードの前でさっと片膝をついた。騎士の礼がこれほどさまになるのはこの男くらいだろう。
「フォルトナー卿……」
「畏れながら、こちらの二人とのやりとりはすべて聞かせて頂きました。侯爵への慈悲深きお申し出も……そこの愚物の卑賤なる言動も」
「な、愚物だと!?」
気色ばむレヴィン伯爵に、リュディガーはひざまずいたまま一瞥だけを投げた。なまじ整った顔立ちだけに、侮蔑をあらわにすると心臓が止まりそうなほど冷たく見える。
「愚物以外の何だと言うのですか。おそれ多くも皇妃殿下に対し奉り、己の罪を深謝するどころか、聞くに堪えぬ暴言ばかり。同じ帝国貴族と思うだけで虫酸が走る」
「貴様……、色事師のぶんざいで……」
レヴィン伯爵が口走ったのは、数あるリュディガーに対する陰口の中でも最悪のたぐいのものだった。
帝国において、女性に進んで秋波を送ったり、女性に囲まれ悦に入る男は軽蔑される。それを生業とする色事師呼ばわりは、帝国の貴族男性にとってこれ以上ない侮蔑である。
その場で決闘を申し込まれても仕方ないくらいには。
「レヴィン伯爵」
ぱしんっ!
リュディガーが立ち上がりざま嵌めていた革手袋を外し、レヴィン伯爵目がけて投げつけた。革手袋はメジャーリーガー顔負けのコントロールで伯爵の頬に命中し、ぽとりと地面に落ちる。
「帝国貴族の風上にも置けぬ貴様の言動、もはや看過できぬ。皇妃殿下に剣を捧げた騎士として、このリュディガー・フォルトナー、貴様に決闘を申し込む」
「……っ!」
息を呑んだのはレヴィン伯爵だけではなかった。アッヘンヴァル侯爵も、ガートルードもだ。
(な、なんでそうなっちゃうの!?)
この時のガートルードはまだ知らなかったが、女性の名誉を守るため決闘に挑むのは、帝国において貴族男性の美徳と称賛されることだった。
もちろん、いつでも誰でも決闘に及ぶわけではないし、匹夫の勇と嘲笑されることもある。だが今回の場合は。
「ならばこの私が立会人になろう。双方、存分に戦うがよい」
進んで名乗り出たアッヘンヴァル侯爵の顔は、明らかにリュディガーの男気を称えている。
「侯爵……いいのですか?」
「構わんよ。君がやらなければ、私が手袋を叩きつけるところだったからな」
そう言えば、さっき侯爵も手袋を外そうとしていた。リュディガーが登場しなければ、武士VS越後屋の掟破りの戦いが始まっていたのか。
(越後屋の必殺技はきっと小判投げ……って、そんなこと考えてる場合じゃない!)
「おやめください、フォルトナー卿。わたしは……」
「……皇妃殿下。何もおっしゃいますな」
リュディガーが静かに首を振った。何もかもわかっていますよ、という顔をしているが、たぶん何もわかっていない。
「優しく慈悲深き殿下は、下郎に傷つけられたお心さえ隠そうとなさるのでしょう。ですが我が剣は殿下の憂いを払うために存在するのです。どうかこのリュディガーに、殿下のお心をお守りする栄誉をお与えください」
「皇妃殿下、心配は無用です。フォルトナー卿は帝国随一の騎士。血筋と追従しか取り柄のない男に遅れは取りませぬ」
あろうことか侯爵までもしたり顔で加勢する。
(し、心配してるのは、そこじゃなーい!)
ガートルードは決闘なんて望んではいない。なるべくことを穏便に済ませ、波風立たぬ食っちゃ寝ライフを満喫したいのである。
だからレシェフモートとだらだら寝転がっていたいのも我慢し、わざわざ出向いたというのに、どうして誰も彼も荒立てる方へ進みたがるのか。
越後屋なレヴィン伯爵と近衛第一騎士団の団長であるリュディガーが戦えば、よほどのことがない限り勝つのはリュディガーだ。だがその後には必ず遺恨が残る。レヴィン伯爵にも家族はいるのだろうから。
人の心ほどやっかいなものはない。前世で曲がりなりにも三十歳まで生きたガートルードはよく知っている。
「ま、待ってくれ。私は断じて皇妃殿下を愚弄する気持ちなどなかったのだ。むしろ殿下が早く帝国になじまれるよう、心配りをしただけで」
レヴィン伯爵が必死に抗弁する。当然だが、リュディガーとの決闘は何がなんでも避けたいようだ。
「大人になれだの、味方を増やせだのとほざいておきながら、よく言うものだ」
ガートルードがひそかにレヴィン伯爵を応援しているとも知らず、リュディガーは嫌悪感たっぷりに吐き捨てた。アッヘンヴァル侯爵も頷いている。
「この私にも貴様の言葉は殿下に対する侮蔑としか聞こえなかったぞ、レヴィン伯爵」
「こ、侯爵閣下……」
「貴様も帝国貴族なら下手な言い訳などやめ、素直にフォルトナー卿の申し出に応じるのだな」
(こ、この人たち、どうしてそんなにやる気満々なのよ!?)
誰かに助けて欲しかった。
誰か――太陽みたいな、誰か――。
「そこで何をしているのだ」
奥の宮殿に続く回廊から高く澄んだ声が聞こえてきたのは、その時だった。




