11・三者三様の心(第三者視点)
「彼女、なのか……?」
馴染んだ自室のベッドに横たわり、彫刻の模様の数まで覚えてしまった天蓋をぼんやり見上げながら、ヴォルフラムは脳裏に思い浮かべる。つかの間の邂逅を果たした皇妃の面影を。
美しい少女だとは聞いていた。歓迎式典に参列した貴族たちがしばらくの間、夢にまで見てしまうほどに。
今でさえあれほどの美しさならば、成長されたあかつきには祖母君にも勝る美姫になられるにちがいない。なぜすでに人の妻なのかと、半ば本気で嘆く者も後をたたなかったという。
そんな話を従者の従兄から聞かされるたび、ヴォルフラムは罪悪感を覚えずにはいられなかった。
それほどの美少女、しかも王女の生まれならば、どんな良縁も思いのままだっただろう。政略結婚であってもガートルードを心から愛し、尽くしてくれる誠実な夫と幸福な家庭を築けたはずだ。
そのガートルードを父親より年上の男の、形ばかりの妃という日陰者に貶めてしまったのはヴォルフラムである。
ガートルードが帝国に現れたその日、降り注いだ銀色の光によって、ヴォルフラムを生まれてからずっとむしばんでいた瘴気は消え去った。浄化魔法使いが魔力枯渇寸前まで魔法を使っても、浄化しきれなかった分まで……きれいさっぱりと。
いつもなら浄化してもすぐ蓄積されていた瘴気は寄りつかず、ヴォルフラムは今世では初めて『病気の不安のない身体』を手に入れた。健康のありがたさをしみじみと噛み締めた。
『お前は人生をかけて皇妃に恩を返さなければならない。相愛の夫も子も持てずとも悪くはない人生だったと、皇妃が末期に思えるくらいにな』
父アンドレアスの言葉はその通りだと思ったが、同時にすさまじい重さを感じたのも事実だ。
前世では一生独身の女性も子を持たない女性もさほど珍しくなかったが、こちらの世界の女性は結婚し子を産んでこそ一人前、幸福だと思われている。ガートルードも当然そうだろう。
形ばかりの結婚で子を持てないガートルードは、一人前になる機会も女性としての幸福も六歳にして奪い取られてしまったのだ。……ヴォルフラムのせいで。
いつかは対面し、正式に礼を伝えなければならないだろう。その時はどんな恨み言も受け止めなければならないと覚悟していたのだが。
まさか。
『……助けて! ヴォルフラム殿下!』
まさか、あんなふうに出逢うなんて――。
ポニーテールを揺らし、涙目で懇願するガートルードに前世の忘れ得ぬ彼女が重なった。彼女があんな顔をするところなんて、見たこともないくせに。
彼女が本当につらい時、何もできなかったくせに。
……助けたい、と思ってしまった。
現実味がないほど綺麗な神使に殺されそうな目で睨まれても、たぶん殺されるなと思っても。
前世の医師としての矜持がまだ残っていたから……なんかじゃない。断じてない。
だってヴォルフラムが助けたかったのは明らかに窒息死寸前のヘルマンではなく、ガートルードだ。
ヘルマンがこのままくびり殺されれば、ガートルードはきっと悲しむ。ガートルードを泣かせたくない、その一心で、ヘルマンの首に絡みつく見るからにたちが悪そうな魔力の蛇に手を伸ばした。
するとなぜか蛇はあとかたもなく消え去った。奥の宮殿に戻ってから治癒魔法使いの診察も受けたが、どこも何ともないという。
(……あの蛇はきっと、神使が作り出したモノだ)
ガートルードに剣を向けるという大罪を犯したヘルマンに、命で償わせるために。それほどの憎悪と強い魔力が、あの蛇にはこめられていた。
生まれてからこちら、寝てばかりだったモヤシ皇子が指一本でも触れようものなら、たちまち全身ジュッと蒸発させられそうだったのに。
実際に蒸発したのは、蛇の方だった。
……それからはヘルマンを運んだり両親に事態を報告したり診察を受けたりと色々ありすぎたせいで、熱を出してしまった。父が謹慎を命じたのは、ヴォルフラムをゆっくり休ませるためでもあるのだろう。
ヘルマンから一方的な訓練を挑まれ、打ちのめされていた事実を両親には黙っていた。近衛騎士にも口止めをした。反省しなければならないのに、思い浮かぶのはガートルードばかりだ。
彼女とは少しも似ていない。年齢も、そもそも人種も違う。それを言うならヴォルフラムも前世の姿とは似ても似つかないのだが。
でも、なぜか重なる。
ヴォルフラムに助けを求めたガートルードが――彼女に。櫻井佳那に。
これは願望、いや、後悔なのだろうか。疲労で擦りきれるように亡くなってしまった彼女に、助けを求めて欲しかった……助けられなかったから。
馬鹿げた妄想だ、とは思う。
無念の死を遂げた人間が異世界に転生するなんて、身をもって体験したヴォルフラムでも嘘みたいだと思うのだ。いまだにヴォルフラムとして生きているこの日々は夢で、本当の自分は集中治療室で医療機器につながれているのではないかと疑うことがある。
それが彼女にも起きたかもしれないなんて……起きて欲しいなんて期待するのは、浅ましいにもほどがあるじゃないか。
「我が女神、我が女神、我が女神」
疲れ果て深い眠りについてしまった愛しい女神に、レシェフモートは飽かずささやきかける。とばりの下ろされたベッドの上、膝にのせた小さな身体を抱き込んで。
何をされても目覚めない女神が愛おしくも憎らしい。
やはり人間の身体はやわだ。ほんの短い間、愛を捧げられただけで昏睡してしまうのだから。
一日も早く、レシェフモートと同じになって頂かなければ。
心は急くが、焦ってはならない。
慎重に進めるのだ。無垢な女神が少しずつ自分に染まっていくのもまた、愉しいもの。
(あの皇子……)
再び女神に愛を注ぎながら、レシェフモートは昼間遭遇した幼い皇子を思い浮かべる。女神が貶められる元凶となった憎き皇子は、レシェフモートが女神と出逢うきっかけでもあった。
ヘルマンに放った蛇には、億分の一の魔力もこめていなかった。塵のごとき人間の子一匹、その程度でじゅうぶん始末できるはずだった。
だが億分の一とはいえ――あの皇子は消滅させてみせた。何のダメージも負わずに……。
(あの皇子は……我が女神と、同じ……?)
薄闇の中、皇帝は心の中で反芻する。シルヴァーナの王女が輿入れして以来、心身共にめきめきとたくましくなりつつある皇子の姿を。何も知らない皇后はただ純粋に喜んでいるようだが……。
(生まれてこのかた病床にあったのだから、身体はともかく、心はもっと弱っているかと思ったのだが)
「……弱いままで良かったものを」
皇帝はつぶやき、横で眠る皇后に気づかれないようベッドを出て隣の部屋に向かうと、壁にかけられた歴代皇帝の肖像画を見上げる。
威厳に満ちた彼らは一人の例外もなく、皇帝と同じ金髪に翡翠の瞳の主だった。もちろん帝国の祖たる初代皇帝も。
皇帝はてのひらに魔力をこめ、初代皇帝の肖像画の額に嵌め込まれたダイヤモンドに触れる。すると初代皇帝の肖像画の横に小さな絵が現れた。
初代皇帝に寄り添うようなそれに描かれているのは、華麗な鎧に身を包んだ女性の姿だった。




