10・事件の影響(第三者視点)
「な、なぜですの!? ヘルマンはたった六歳の子どもなのですよ。親元で療養するのが当然ですわ!」
「罪人だからだ」
リュディガーの冷ややかな声音からは、情のかけらも感じ取れなかった。
ヘルマンはリュディガーの甥なのに。
「罪人? ……ヘルマンは神使様に許されたのでしょう?」
幼い子どもが殺される恐怖を味わわされたのだ。罰ならそれでじゅうぶんではないか。
「命で償わせることを思いとどまってくださっただけだ。許すとは一言もおっしゃっていない。皇妃殿下もな」
「そんな……」
「仮に皇妃殿下がその場でお許しくださったとしても、甘えるわけにはいかない」
ガートルードはシルヴァーナの王女だ。ソベリオンの皇族がガートルードに剣を向ければ、最悪、帝国がシルヴァーナ王国に対し宣戦布告したとみなされる可能性がある。
むろん実際は事故であり、ガートルードには怪我一つなかったのだから、普通はそんなことにはならないだろう。
だが今のソベリオンとシルヴァーナの関係は普通ではない。国力は圧倒的にソベリオンが上だが、ガートルードに輿入れしてもらい、大きな借りをシルヴァーナに作ってしまっている。
戦争まではいかずとも、ソベリオンから相当に大きな償いをしない限り、ガートルードの姉女王は納得しない。ヘルマンのような者のいる皇宮には置いておけない、離婚して故国に帰せと要求されるかもしれない。
神使を授かり、魔獣を浄化するほどの直系王女だ。姉女王とすれば、機会があればぜひとも取り戻したいだろう。
「交渉の次第によっては、ヘルマンの身柄を引き渡すことになるかもしれない。罪人として」
「こ、……子どものしたことではありませんか! なぜヘルマンがそこまで責められなければなりませんの!?」
「子ども……か」
リュディガーの華やかな美貌が痛ましそうにゆがめられ、ティアナは希望を見いだす。
口では厳しいことばかり言っているが、やはり本音では甥が可愛いのだ。救ってやりたいと思っているのだ。
ティアナがそんなふうに心を浮き立たせていられたのは、わずかな間だった。
「子どもというなら皇妃殿下もそうだ。ヘルマンと同じお歳なのだからな」
リュディガーが情を注ぐのは、ヘルマンではなかった。
初対面で剣を捧げたという、小さな皇妃。
「神使様がお守りくださったとはいえ、さぞ恐ろしい思いをなさっただろう。お輿入れからずっと宮殿に引きこもられて、やっと外に出る勇気を出されたというのに……」
この人は、誰?
ティアナは本気で疑い始めた。目の前の男は偽者の兄ではないかと。
「おいたわしい……」
だってティアナの知る兄は誰かを思ってこんな切なく声を震わせることはなかった。ただの一度も。
「きっと今ごろ、嵐に怯える小鳩のように震えておいでにちがいない。誰よりも幸福と安寧に包まれていなければならない、尊きお方が……」
女性のために翡翠の瞳を潤ませることもなかった。兄にとって女性はいかなる美姫も自分に心をときめかせる存在であり、自分がときめく女性などいないはずだった。
「わかるか、ティアナ」
すっと熱を失った目がティアナを睥睨する。
「そんな皇妃殿下を、皇帝陛下の大恩人でもあられるお方のか弱きお心を、ヘルマンは傷つけたのだ。子どもだからと許されることはない」
「で、では、どうすればいいのですか? どうすればヘルマンは助かるのですか? あの子は、……わたくしの唯一の救いなのに!」
夫さえ冷たい婚家で、ティアナを無条件に愛し慕ってくれるのはヘルマンだけだ。ヘルマンがいてくれるからティアナは夫や姑の仕打ちも耐えられるのに。
さすがに妹が哀れになったのか、リュディガーはつぶやいた。
「……皇妃殿下がヘルマンをお許しくださり、神使様と姉女王陛下のお怒りをなだめてくだされば、あるいは……」
「助けて頂けるのですねっ!?」
食いつくように尋ねれば、リュディガーはゆるゆると首を振る。
「理屈ではそうだ。被害者であられる皇妃殿下がヘルマンを許して欲しいと望まれれば、殿下をことのほか可愛がっておられた姉女王陛下も、殿下を最も大切になさる神使様も許さざるを得ないだろう」
「で、では、皇妃殿下にお願いを」
「お願いして、聞いてくださると思うか? ……お前なら、皇妃殿下と同じ目に遭って、全部水に流そうと言えるのか?」
(そんなの、言えるわけがない)
もしもティアナがガートルードと同じ目に遭わされたら、ヘルマンは処刑されて当然だし、他にもあらゆる償いを望むだろう。相手が子どもでも許さない。
なのに立場が逆になれば許しを乞うなんて、おこがましいにもほどがある。リュディガーはそう言いたいのだろう。
わかっている。
わかっている、けれど――!
「ヘルマンは、まだ六歳ですのよ……まだ成人もしていなくて、これからという時ですのに……」
「そう思うのなら、なぜお前はヘルマンをきちんと躾けなかった? 私は何度も忠告したはずだぞ。ヘルマンの増上慢は目に余る、礼儀をわきまえさせなければいつか必ず痛い目を見ると」
そうだ、両親はヘルマンが何をしてもニコニコと誉めてくれるけれど、兄は手厳しいことばかり言っていた。
まだ身体ができあがっていないのに剣を振るのは早すぎるだの、基礎をおろそかにすれば身体を損ねるだの、お前より才能に恵まれた者は山ほどいるだの、魔力も磨かなければ実戦ではものの役に立たないだの、常に他人に敬意を忘れてはならないだの……だからヘルマンは実家に連れていっても、口うるさい伯父には寄りつかなかったのだが。
「そもそも指導役の騎士を押しのけ、病み上がりのヴォルフラム殿下と打ち合ったことが過ちなのだ。あれだけでもアッヘンヴァル侯爵家の謀反を疑われかねないというのに。……皇帝陛下も皇后陛下も、憤っていらっしゃる」
「両陛下、が……」
ないも同然だった血の気がまた引いていく。
そう、問題はガートルードだけではなかったのだ。
兄の言う通り、ヴォルフラムに本気で攻撃を仕掛けたヘルマンは謀反を疑われても仕方ない。
そしてアッヘンヴァル侯爵の孫であるヘルマンの行動は、すべて舅アッヘンヴァル侯爵が責を負う。皇帝夫妻の怒りは、侯爵家に向かう。
「わかったか? ヘルマンがどれほど愚かな真似をしたか、なぜ帰すことができないのか」
「……はい」
「今は侯爵家に帰れ。何かあればまた使者を送る」
兄のもとを去ると、馬車までまた罪人のように連れて行かれたが、もう腹は立たなかった。怒る気力もなかったし、罪人なのは事実だから。
(……そう、わたくしは、いえ、わたくしたちは罪人なのだわ)
馬車は魔法道具で暖められているはずなのに、寒気が止まらない。嫌な予感も。
帰ったらきっと姑はそれ見たことかとばかりに小言をぶつけてくるのだろう。夫も舅もかばってくれない。
(……皇妃殿下さえ、許してくだされば……)
ガートルードはアンドレアスに多大な貸しのある身だ。そのガートルードがとりなしてくれれば、きっとアンドレアスもヘルマンを罰せない。
(そうよ……皇妃殿下さえ……)
訪れた時の勢いが嘘のように消沈した妹を見送り、リュディガーは椅子の背もたれに背中を預けた。話していた時間はさほど長くないはずなのに、騎士団の訓練の後より疲れている。
(あれで少しは身を慎んでくれればいいが……無理かもしれないな……)
ティアナには厳しく言ったが、たぶんアンドレアスとコンスタンツェはヘルマンに厳しい処分を下さないだろう。
ヘルマンがヴォルフラムに訓練を挑んだのは、実は今日が初めてではない。十日ほど前、遊び相手として皇宮に上がってから何度も行われていた。
本来なら、指導役として付いていた近衛騎士がアンドレアスに報告すべきだった。そうすれば今回の事件は起こらなかっただろう。
だが他ならぬヴォルフラムが騎士に懇願したのだそうだ。両親には報告しないで欲しいと。
帝国の男、それも最も強さを求められる皇子が一方的に打ちのめされたなんて、両親に知られたくなかっただろう。その気持ちはよくわかる。皇子の懇願を断りきれなかった騎士の心情も。
だが結果としてヘルマンを増長させ、今回の事件を招いてしまった。その責はヴォルフラムにもある。
『……そうか。ヴォルフラムも帝国の男であったか』
報告を受けたアンドレアスはどこか嬉しそうでもあった。父親としては、息子のせいいっぱいの虚勢が愛おしいのだろう。それは成長の証でもあるのだから。
しかし皇帝としては、我が子といえど……いや、我が子だからこそ、厳正な処罰を与えなければ示しがつかない。
病み上がりの体調も考慮し、ヴォルフラムには当面の間謹慎が命じられるだろう。
我が子の過失もある以上、ヘルマンをそこまで強く責めるわけにはいかない。成人までの間、皇宮主催の公式行事への参加禁止が妥当なところか。貴族の男としては死んだも同然なので、じゅうぶん厳しくはあるが。
しかしこれはあくまで帝国内の処分であり、対シルヴァーナ王国は別の話である。
今後帝国からの報告を受けたガートルードの姉女王は、必ず糾弾の使者を送り込むはずだ。ガートルードの離婚と帰国を求める女王をいかになだめ、譲歩を引き出すかが帝国の勝負どころになるだろう。
ガートルードは絶対に失うわけにはいかない。ヴォルフラムのため、……いや……。
「私も……」
傷ついたガートルードの心を思うと、リュディガーの胸はずきずきと痛んだ。




