7・転生ものぐさ皇妃、たまには働く
(何よ、何なのよ!)
侯爵邸への帰りの馬車の中で、ティアナはいらいらと爪を噛んでいた。
幼いころからの癖だ。輿入れに際し、みっともないからと直したはずなのに、最近また復活してしまった。
(皇妃殿下、皇妃殿下って! 皇后陛下がお優しいのにつけあがって、いい気になっている小娘じゃないの!)
ティアナは別に皇后コンスタンツェを敬愛しているから怒っているわけではない。
年齢もあまり変わらず、アンドレアスを通して義理の従姉妹になり、同じ男の子の母親。ここまで条件が重なれば友人同士にならない方がおかしいのだが、ティアナはコンスタンツェが嫌いだった。
気に食わない、癪に触ると表現すべきかもしれない。
なぜならコンスタンツェは公爵令嬢だったティアナより出自の低い伯爵令嬢だったくせに、まんまと皇后の座におさまったから。
アンドレアスの元々の婚約者が病死した時、ティアナは次は自分ではないかと期待した。
アンドレアスに恋心があったわけではない。
帝国貴族家数千の中で、皇帝の后にふさわしい令嬢は自分しかおらず、ならば自分が選ばれるのは必然だと思っていたのだ。
なのに選ばれたのは卑しい伯爵令嬢のコンスタンツェであり、ティアナのプライドはずたずたにされてしまったのだ。その後ニクラスに出逢えなかったら、立ち直れなかったかもしれない。
愛する人と結ばれ、可愛く優秀な長男ヘルマンにもすぐに恵まれ……そのころのティアナは確かに幸せだった。コンスタンツェへの恨みつらみを忘れるくらいには。
だがコンスタンツェの産んだヴォルフラム皇子が生来虚弱な上、瘴気を集め蓄積してしまう体質だと知った時、ティアナの中の悪魔がささやいた。
――ヴォルフラムが死ねば、ヘルマンが皇太子になれるのでは?
アンドレアスはコンスタンツェを深く愛し、周囲の再三の勧めにもかかわらず新たな皇后を迎えようとしない。
だがコンスタンツェは難産でもはや新たな子を産めない身体だ。アンドレアスがコンスタンツェを皇后のままでいさせたければ、ヴォルフラムの死後、皇族の血を引く男子を養子に迎えるしかない。
つまりは、ティアナのヘルマンを!
公にはヘルマンは皇帝夫妻の子とされるが、生母はあくまでティアナだ。ティアナは実質上の国母として敬意を払われ、一生が安泰。あの姑にも一泡吹かせてやれるはずだったのに。
(皇妃殿下が来たせいで、全部が台無しだわ)
ヴォルフラムはガートルードに宿る破邪の力でたちまち回復し、近いうちに皇子としての教育も始められそうだという。
これではヘルマンはどうすればいいのか。
「母上、大丈夫ですか?」
隣に座ったティアナのスカートを掴み、ヘルマンが心配そうに見上げてくる。ティアナは母譲りの赤毛だが、ヘルマンは金髪だ。
皇族の血を引く者に多く出る色彩。兄リュディガーは当然のように持って生まれ、ティアナは持たなかったものを、ヘルマンは受け継いだ。
「心配してくれるの? ありがとう。ヘルマンは優しい子ね」
「母上を悲しませるやつは、この私がやっつけてやりますから。さっきもお祖父様の騎士と手合わせをして、私が勝ったのですよ」
ヘルマンは誇らしげに告げるが、たぶん騎士が主君の孫にだいぶ手加減をしてくれたにちがいない。
けれどヘルマンの身長は同年代に比べて高く、体格も大きい。これは父親譲りだろう。成長すれば皇族の色彩を持つ偉丈夫になるのに……ヴォルフラムなどよりずっと皇帝にふさわしいのに……。
(……生まれてからずっと寝ついていたヴォルフラム皇子は、貴族の支持を得られていない。今のままでは皇太子に任命されるのは難しい)
また悪魔がささやいた。
(もしもヘルマンがヴォルフラム皇子より優れていると認められれば……そう、皇妃殿下がヘルマンを気に入って、支持してくだされば……)
貴重な破邪魔法使いを独占し、ろくな功績もない皇子より、ガートルードの寵愛を得たヘルマンの方が皇太子に選ばれるにちがいない!
「は、……母上?」
茶色の瞳をぎらぎらさせるティアナから、ヘルマンが無意識に距離を取ろうとする。
その肩を掴み、ティアナはにこりと微笑んだ。見返してくるヘルマンの瞳も茶色だ。ティアナに似たのだろうが、どうせなら翡翠色なら良かったのに。
「ヘルマン、貴方はもうすぐヴォルフラム殿下の遊び相手として皇宮に上がるのよ」
「ええ? ヴォルフラム殿下の……?」
ヘルマンは嫌そうに眉をひそめる。帝国男子たるもの強くあれ、と物心ついたころから育てられてきたヘルマンにとって、ヴォルフラムは侮蔑の対象なのだ。
「これは貴方のためなのよ。いい? 皇宮に上がったら、迷ったふりをして……」
ささやくティアナの顔は、いつか国母になる喜びにゆがんでいた。
帝国に到着して一ヶ月が過ぎたころ、ガートルードは皇宮の奥宮殿――皇帝夫妻のプライベートエリアに向かっていた。これが実に初めての外出だ。
「たかが皇后の身で我が女神を呼びつけるとは、無礼極まりない」
ガートルードを抱いて歩きながら、レシェフモートは不機嫌なオーラをまき散らしている。
ガートルードの移動手段は基本的にこれだ。レシェフモートとの出逢い以来、よほどのことがない限り、こうして運ばれている。
「たかがって……わたしは皇妃なんだから、コンスタンツェ様の方が身分は高いのよ」
身分の高い者が低い者を呼びつけるのは、貴族の常識だ。ガートルードはちっとも気にしていないのに、レシェフモートの機嫌は下降するばかり。
「我が女神はお優しすぎる。お命じくださればこのレシェフモート、皇后を茶葉ごと海にでも叩き込み、盛大な茶会を開かせてやりましょうものを」
(なんかそんなの前世で習ったわね。ピンドン茶会事件とかなんとか……)
ピンドン入りましたー! と港町でアフタヌーンティーの三段スタンドを前にコールするホストがガートルードの頭に浮かぶ。前世の世界史教師が知ったら泣くだろう。
「そんなお茶会嫌すぎるわ。もう一月も休ませてもらったんだし、少しはお勤めもしなくちゃね」
三日前、皇后コンスタンツェから直筆の招待状が届いた。コンスタンツェが内々で開くお茶会に参加しないかという誘いだ。
ごく内輪の催しであり、招待客はコンスタンツェが特に信頼を寄せる貴婦人が少数であること、皇族専属の料理人が腕を振るうことが記されていた。
前半二つはどうでもいいが、ガートルードががぜん目を引きつけられたのは最後の一つだ。
(皇族専属料理人の作るお菓子!)
レシェフモートの作ってくれる料理もお菓子ももちろん極上の美味だ。前世の記憶にある、こちらの世界ではまだ一般的ではないメニューも作ってくれる。
しかし悲しいかな、前世のガートルードはありふれた家庭料理やテレビなどでたまたま見かけたスイーツしか知らない、ごく普通の主婦(独身)だった。ガートルードに転生してからもまだ三年しか経っていない。
すなわちガートルードはこちらの世界の高級料理に関してはほとんど知識がないのである。
知識のバリエーションが増えれば、レシェフモートのレパートリーも増える。それは食っちゃ寝ライフのさらなる充実を意味する。
(だったら、たまには働きますか!)
そうやる気を出せたのは、九割がたお菓子効果だが、残り一割は皇妃の務めを果たそうという気持ちだ。
前世からガートルードは基本的に勤勉で、だからこそ毒親に搾取され尽くした。食っちゃ寝以外何もしたくないと願うほどに。
だがガートルードに転生してからの三年、そして帝国に輿入れしてからの一ヶ月、ひたすら休み続けることで枯れていた魂の泉にほんの少しだけ活力の水が湧いたらしい。
「そんな顔しないで、レシェ」
ガートルードはレシェフモートの頬に手を伸ばした。そっと頬を押しつけてくるレシェフモートは、前世で飼いたかった大型犬みたいだ。
「一度顔出しすれば、ああ皇妃ってこんな顔なのかーってみんな納得して、わざわざお茶会に呼ぼうなんて思わなくなるわよ。それにわたしの目当てはあくまでお菓子なんだから」
「まことでございますか……?」
「まこと、まこと。レシェが作ってくれるお菓子のレパートリーが増えると思うと、それだけでわくわくしちゃう」
レシェフモートは金の瞳を愛おしそうに細め、ガートルードのてのひらに頬を擦りつける。
「茶会でも、私のお作りしたものだけを召し上がってくださいますか?」
「ええ」
「私の腕の中から出ないと、約束してくださいますか?」
「もちろんよ。ここが一番居心地がいいもの」
抱っこはさんざんしたが、抱いてもらった記憶がほとんどない前世を持つガートルードにとって、レシェフモートの腕の中ほど安らげる場所はない。出ろと言われても居座る所存である。
「ああ、我が女神ガートルード様……」
レシェフモートは美貌をとろかせる。
「茶会から帰られたら、さっそくおやつをお作りしましょうね。早く貴方のお腹を私で満たして差し上げたい」
「うん。レシェのおやつ、楽しみ!」
大切なところが噛み合っていない主従は、微笑み合いながらコンスタンツェのもとへ向かった。
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