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2・小さな王女の大きな申し出(第三者視点)

 女王は急ぎ内密で乳母を呼び寄せ、フローラの身体を診察させた。治癒魔法使いの妻として医療知識もある乳母なら、初期の妊娠でも確実に診断できる。



『……第四王女フローラ殿下は、ご懐妊なさっておいでです』



 フローラの嘘であって欲しかったが、診察を終えた乳母はそう告げた。

 名目だけとはいえ、フローラは皇妃になるため帝国へ輿入れするのだ。その肉体は純潔であることが求められる。



 アンドレアスは瘴気を浄化してくれさえすればフローラが純潔であろうとなかろうと気にしないだろうが、周囲はそうはいかない。他の男の種を宿した妊婦を皇妃に迎えれば、帝国は大混乱におちいるだろう。ヴォルフラムのために堕胎せよ、とまではさすがのアンドレアスも言えまい。



 つまり、フローラは帝国に差し出せなくなった。

 にもかかわらず悲嘆はしても絶望してはいないのは、フローラの他にもう一人いるからだ。冷静に計算する自分に吐き気を覚えながら、女王は置物のごとく控える腹心の侍女に命じる。



「フローラを、ここへ」



 すぐさま連れてこられたフローラは、診察のためいつもとは比べ物にならないほど質素なワンピースをまとっていたが、十五歳という年齢よりもおとなびた蘭の花のごとき美貌と色香は隠しきれていなかった。

 まだ腹はあまりふくらんでいない。つんとむくれた頬を見れば、なぐさめてやりたくなる男は山ほどいるだろう。



 むろんここには非難のまなざしを突き刺す者しかいなかったが。



「フローラ。貴方は自分のしたことがわかっているのですか?」



 常にない厳しい口調から、姉女王の怒りを感じ取ったのだろう。フローラはびくっと肩を震わせたが、すぐさま不敵な笑みを浮かべた。



「ええ。お姉様がたと同じ、好きなことをしただけですわ」

「何だと?」



 無言を貫いていた第二王女ドローレスが眉を跳ね上げた。若くして王位を継いだ姉の苦労を目の当たりにしてきた王太女は、フローラの愚行に姉妹の誰よりも憤っている。



「女王になられたクローディアお姉様はともかく、ドローレスお姉様はお好きな剣を振り回して、エメラインお姉様は研究に没頭されているではありませんか」

「……近衛を率いるのは王太女の義務だ。エメラインが破邪魔法を研究するのも国のためだぞ」

「ですが剣も研究も、お姉様がたがお好きなことですわよね。それにお二人とも、婚約者もいらっしゃいますわ」

「っ……」



 いつものドローレスなら、王族の義務を何と心得るのかと一喝しただろう。そしてエメラインは激昂する姉をなだめ、お姉様に謝りなさい、とフローラに優しく促したにちがいない。



 なのに今日に限って二人ともばつが悪そうに黙ってしまったのは、フローラに負い目があるせいだ。

 フローラの言うとおり、ドローレスは幼いころから武術を、エメラインは魔法を好んでいた。二人の資質を見抜いた亡き先代女王が良き師を与えてくれたおかげで伸ばした才能が、たまたま国に貢献できたに過ぎない。



 王族の常に漏れず政略結婚ではあるが、夫を持ち、子を産むことも許される。帝国の皇子のため何もかも諦めなければならないフローラから見れば、不公平極まりないだろう。



 エメラインが引き結んでいた唇を開いた。



「……お姉様、ここはもはや私が」

「いけません」



 参ります、と言い出す前に女王は却下する。



「貴方の魔法技術と知識は、国外に出すわけにはいきません。ソベリオン帝国などもってのほか」

「ですが、それではあの子が」

「そうよ! あの子を差し出せばいいのよ!」



 フローラがにやりと笑った。姉たちの美貌がゆがむのを、愉快そうに見やりながら。



「お父様とお母様を殺しておいてのうのうと生きているあの子こそ、帝国の生け贄になるべきだったのだわ。みな、そう申しておりますもの!」

「……フローラ、何てことを!」



 女王が悲鳴のような声で糾弾し、今度こそ怒りを抑えきれなかったドローレスがフローラの頬を張った。ぱんっ、と高い音が鳴り、エメラインが顔をてのひらで覆う。



 打たれたことが信じられないのか、フローラは痛む頬を押さえ、きっとドローレスを睨んだ。



「本当のことを申し上げただけなのに、なぜ打たれなければなりませんの!?」

「それが誤りだからに決まっている! お父様とお母様は事故で亡くなったのだ。断じてあの子のせいではない!」



 姉妹の母である先代女王ブリジットと父である王配は三年前、女神の神殿に参拝した帰りに事故死した。とつぜん起きた地震により、乗っていた馬車が崖へ放り出されてしまったのだ。

 破邪の力は、自然現象には意味をなさない。崖下に叩きつけられ、ぐしゃぐしゃに潰れた馬車の中で、奇跡的に生き延びたのはたった一人――三歳の第五王女ガートルードだけだった。

 先代女王と王配が小さな娘を全身でかばい、その命を守ったのである。



 ブリジットの急逝により、クローディア女王は予定よりかなり早く王位を継がなければならなくなった。姉妹は優しく愛情深かった両親の死を嘆き悲しんだが、命がけで娘を守った二人を誇りに思いこそすれ、ガートルードを責めたことは一度もない。

 両親の分もガートルードに愛情を注がなければと、そう思っていた。それはフローラとて同じではなかったのか。



「……みんな、あの子ばっかり」



 赤くなりかけた頬を撫で、フローラはぽつりとつぶやいた。さみしげな表情は、子を宿しているとは思えないほど幼い。



「あの子はかわいそうな子だから可愛がって、優しくして……でもわたくしは? わたくしはかわいそうな子ではないから、帝国へやられるの?」

「フローラ……」



 姉妹で最も華やかな美貌に恵まれ、あまたの取り巻きを侍らせていた妹の思いがけない告白に、姉たちは胸を痛めた。姉妹も周囲の人々もまず心に傷を負った幼いガートルードを気遣ったが、フローラとて十三歳の少女にすぎなかったのだ。

 女王夫妻の死による混乱と多忙に襲われていたとはいえ、フローラにももっと心を砕いてやるべきだったのではないか。

 そうすればフローラも、こんな愚行には走らなかったのでは……?



 女王とドローレスとエメラインの胸に罪悪感と後悔がよぎる。しかしどんなに悔いたところで、時間は過去には戻らない。



 前に進むには、フローラ以外の王女を差し出さなければならない。幼すぎるがゆえ除外された末の王女――六歳の第五王女ガートルードを、二十歳以上年長の皇帝の側室に。

 だがあの幼い娘に、どう伝えたらいいのか。女王の子どもとさして変わらぬ歳で、頼れる身内のいない帝国へたった一人でおもむけ、なんて――。



 こん、こん。



 思い悩んでいると、部屋の扉が叩かれた。女王が返事を返す前に扉は細く開き、小さな顔がひょこっと覗く。



「お邪魔をしてごめんなさい、お姉様」

「ガートルード……!?」

「入っても、いいですか?」



 女王がとまどいながら許せば、小さな身体はするりと入ってきた。

 ゆるく波打つ銀髪は、深更の海原に降り注ぐ月光を紡いだかのよう。少し垂れぎみの大きな碧眼は金色の光をちりばめ、どんな冷血漢でも我を忘れ見入らずにはいられない魅惑の輝きを放つ。

 ふっくらとしたミルク色の頬に触れたくならない者はいないだろう。まだ幼さが前面に出ている小さな顔は、その麗容ゆえあまたの男たちに奪い合われたという祖母の先々代女王を知る者たちを『おばあ様のお小さいころにそっくり』と驚かせる。今は蕾でも、十年後には大輪の花を咲かせるはずだ。



 ガートルード・シルヴァーナ。

 姉妹の末っ子にして、最も強く女神の血を引くとささやかれる第五王女は、スカートの裾をちょんとつまみ上げて覚えたばかりの淑女の礼をした。愛らしい仕草に、姉たちは思わず頬を緩める。



「どうしたのです、ガートルード。貴方は今、お昼寝の時間のはずでしょう」



 ちら、と女王は扉に目をやった。開いたままの扉の陰で、ガートルード付きの侍女が縮こまっている。



「ごめんなさい、お姉様。どうしても眠れなくて、お姉様たちに会いたくて来てしまったの。そうしたら、なんだかフローラお姉様の大きなお声が聞こえたものだから……」

「……まさか」



 女王は青ざめ、妹王女たちと顔を見合わせた。フローラも唇を震わせる。


 まさか、聞いてしまったのか。両親を殺したのはガートルードだという、あの心ない罵倒を。



 硬直する姉たちの前をとことこと横切り、ガートルードはフローラの前で頭を下げた。



「ごめんなさい、フローラお姉様。お父様とお母様を殺してしまって、わたしだけ生き残って」

「ガートルードっ!」



 女王とドローレス、エメラインが悲鳴を上げ、フローラはわなわなと首を振る。



「ち、違う……違うの……」



 そう、フローラは決して本気でガートルードが両親を殺したなんて思っているわけではない。アンドレアスのありえない申し出のせいで追い詰められた末、つい心にもないことが口から飛び出してしまったのだ。



 けれどそれは、大人だから汲み取れること。

 まだ幼いガートルードに人の心の裏側まで読み取れというのは、無理な話だ。



「だからわたし、フローラお姉様の代わりに帝国へ参ります」

「……ッ!」



 たまらずエメラインが駆け寄り、ガートルードを抱き締めた。



「何を言うの、ガートルード。お父様とお母様が亡くなったのは絶対に貴方のせいではないわ」

「そうだぞ、ガートルード。私の可愛い妖精。お前だけでも生き残ってくれたことに、どれだけ私たちがなぐさめられたか」



 ドローレスも反対側からガートルードを抱き締める。歳が近い二人は正反対の性格ながら、姉妹の中でも特に仲が良い。



「……でも、みんな言うの。お父様とお母様は、わたしを連れて神殿になんか行かなければ亡くならなかったって……わたしが殺したようなものだって……」



 ガートルードが二人の姉の腕の中で小さな肩を落とす。

 フローラ以外の姉たちはこめかみをひきつらせた。両親の死後、二人を慕うあまりガートルードに恨みの矛先を向ける者がいたことは、彼女たちも知っている。だがそういう輩は丁寧に取り除き、ガートルードには身分より気立ての良さを優先した使用人だけを付けたはずなのに。



「恐れながら、申し上げますっ!」



 ガートルードの侍女がたまりかねたように室内に飛び込み、女王の前にひざまずいた。名はセシリー。女王の乳母の親族で、ガートルードが物心つく前から仕える姉のような存在だ。



「前々からフローラ殿下のご友人がたは、ガートルード姫様を見かけるたび、ご両親を殺した姫だと聞こえよがしにささやき合われておりました」

「何ですって……」

「それだけでも姫様は悲しまれていたのに、フローラ殿下の側室入りが決まってからは、わざわざ姫様の宮まで押しかけて、お、お前が帝国へ行けばいいと……」

「……し、知らないわ! わたくし、そのようなことなどやらせていません!」



 涙ぐみながら訴えるセシリーに、フローラが叫ぶ。

 だが女王も姉王女たちも、強ばった表情を緩めなかった。フローラの指示ではないというのは、おそらく本当だろう。フローラはそこまで底意地の悪い娘ではない。フローラを慕う取り巻きたちが勝手にやったことにちがいない。



 しかし取り巻きたちの行動を知りながら、見て見ぬふりを決め込む程度ならやりかねない。フローラの取り巻きはほとんどが彼女の美貌に魅せられた貴族の子息だ。恋い焦がれる王女の歓心を買うためなら何でもやる。

 フローラを妊娠させた侯爵子息も、フローラに懇願された末に純潔を奪ったのだろう。フローラが皇帝の側室になれなくなるように。



「……なぜ、今まで黙っていたのですか。そうと知らせてくれれば、すぐにでも対処したものを」

「お姉様のおっしゃる通りだ。そのような輩、我が剣で叩き斬ってやったものを」



 ドローレスが腰に手をやりながら女王に賛同する。

 セシリーは悲しげにうつむいた。



「姫様が……、姉姫がたには決して告げぬようにと」

「ガートルードが?」

「はい。姉姫がたはどなたも大切なお役目で忙しい。自分のことで悩ませてはならないからと……わたしが我慢すればいいだけだからと、そう、おっしゃって……」

「……ああ、ガートルード!」



 二人の妹たちごと、女王は末の妹を抱擁する。

 我が子とさして変わらぬ小さな身体が悲しかった。母親代わりにこの妹を育て、いつかは花嫁として送り出す日を夢見ていたのに、その日は絶対に訪れないのだ。

 もちろん、フローラだったら良かったのにと思うわけではないけれど……。



「私は貴方の母親代わりなのですよ。そのような遠慮など、せずとも良かったのです」

「でもお姉様、いつも頑張っていらっしゃるもの。わたしはなにもできないけれど、少しでもお姉様の力になりたかったの」



 つんと目の奥が痛む。無邪気だった末の妹は、あの事故から一気に大人びてしまった。フローラよりも年長に思えることも多い。

 予定より早く女王になった長姉をいつも気遣い、ねぎらってくれた。そのたびに女王はどれだけなぐさめられ、幼い妹を子どものままでいさせてやれなかった自分に不甲斐なさを覚えたことか。



「だからね、お姉様。わたしは帝国へ参ります」

「ガートルード……」

「そうすれば、お姉様をたくさんお助けできるのでしょう? それに帝国の皇子様は、わたしよりも小さいと聞きました。生まれてからずっと苦しんでいらっしゃるなんて、かわいそうだわ」

「ガートルード……!」



 女王の、そしてドローレスとエメラインの瞳から大粒の涙があふれた。姫様、とセシリーも泣き崩れる。

 誰も恨まず、女王や元凶の皇子までも思いやれるガートルードの心の何と広く深いことか。成長すれば素晴らしい王女になっただろうに、みすみす帝国へ行かせなければならないなんて。



「わたくしは……わたくしは、そんな……」



 ただ一人、姉妹の輪から外れたフローラがへなへなとくずおれるが、心配する者はいなかった。

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ほんのりざまぁかなと、いい意味で思います。 あらすじ読んでるから余計にw
>深更の海原に降り注ぐ月光を紡いだかのよう この表現めっちゃ良いですね、大好きです。情景が想像しやすい故に髪の美しさが思い浮かぶようです。 フローラも一般的な感性をしてて共感できるからあんまり嫌いに…
〉 女王夫妻の死による混乱と多忙に襲われていたとはいえ、フローラにももっと心を砕いてやるべきだったのではないか。 っと書いておいて、最後にフローラを心配するものがいなかったってのは王家のメンツ無能の集…
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