16・怪物の恋(第三者視点)
「か、……んべ、くん……?」
ガートルードが大きく目を見開く。ヴォルフラムが大声を出したことに、よほど驚いたらしい。
ヴォルフラムは膝をつき、ガートルードの痛々しいまでに細い肩を掴んだ。
「間違えるな。君のお姉さんたちをあんな目に遭わせたのは、君じゃなくてオズワルドのクソ野郎だ。君にはなんの責任も因果関係もない」
「で、でも、わたし」
「自分のことしか考えない、そんなの人間なら当たり前じゃないか。なにがいけないの? 僕だって皇帝だけど、自分のことしか考えてないよ」
「……神部くんが?」
「そう。今すぐクソ野郎に尿管結石と胆石と心筋梗塞と三叉神経痛と痛風と腹膜炎と腸閉塞と帯状疱疹を同時発症させてやりたいなあって思ってる」
どれ一つ取っても、大の大人が泣き叫びながらのたうち回るほどの激痛を伴う病気である。同時に発症すれば常人はショック死間違いなしだろうが、前世の知識に治癒魔法という武器を得たヴォルフラムならぎりぎり死なないラインを見極め、可能な限り長時間激痛に苦悶させてやれる。
(……なんだろう。今、『貴様もやるな……』って言いたげなあいつらの顔が思い浮かんだんだけど……)
なぜかレシェフモートとカイレンが脳裏に浮かび、げんなりするヴォルフラムに、ガートルードは恐々と尋ねる。
「……そんなことしたら、死んじゃうんじゃない?」
「死なないよ。僕が死なせない。ありとあらゆる手段を尽くして生かす。君を悲しませたことをあのクソ野郎が心の底から後悔して、お願いですから死なせてくださいって懇願するまで、ずっと」
想像してしまったのか、青ざめるガートルードが哀れで……愛おしかった。こんなことで衝撃を受けるくせに、悪い女だなんてよくも言えたものだ。
可愛いなあ。
心からそう思う。
「人間って……いや、人間に限らず、生き物は自分のことだけしか考えないんだよ。それが普通の生存本能。本気で自分より他人を優先し始めたら、その人は生物としておかしいんだと僕は思う」
ごく稀にそういう人間は実在する。その狂気の向かう先によって聖人とか、犯罪者とか呼ばれるようになるのだろう。
(だとすれば、僕や彼らはなんて呼ばれるのかな)
レシェフモート、カイレン、モルガン、リュディガー、ジークフリート……形は違えど、彼女に魂を焼かれた者たち。
ヴォルフラムも彼らも、彼女の笑顔のためならなんでも迷わず差し出すだろう。たとえ己の命であっても。
そう。
愛は狂気だ。
ならば骨の髄まで狂気に染められた、ヴォルフラムたちは。
(……『怪物』……、かな)
生粋の人間であるモルガンやリュディガー、ジークフリートはともかく、魔獣の核を取り込んだ自分や魔獣の王であるレシェフモートとカイレンは元々怪物かもしれないけれど。
「だから櫻井さんはいたって正常、っていうのが僕の診断。ずるくも悪くもない」
「正、常」
「ずるくて悪いのはオズワルドのクソ野郎の方。異論は認めない。たとえ君であっても」
ガートルードは『正常、診断……』とつぶやき、ぱちぱちと碧眼をしばたたいた。
「神部くん、お医者さんみたいなこと言ってる」
「これでも前世は医者だったからね」
「『クソ野郎』って言った。元皇子で皇帝陛下なのに」
「皇子でも皇帝でも、それくらい言うよ。大切な人を傷つけられたんだから当たり前だろ?」
大切な人。
本当は、そんな言葉じゃ足りない。けれど胸に渦巻く思いを正直に告げたら、嵐に怯える蝶みたいに逃げられてしまいそうで。
「ねえ、櫻井さん。……僕は前世で、君のお母さんに会ったことがあるんだ」
「えっ……? い、いつ?」
「君のお葬式に参列する前、君の家を訪ねたら、君が亡くなったことを教えてくれたんだ」
『佳那ぁ? 死んだけど?』
娘の死を嘆くどころか、ひたすら面倒臭そうだったあの姿は今思い出しても腹立たしい。
ガートルードには絶対に伝えたくないけれど、前世の母親がどんな態度を取ったのか、薄々察してしまったのだろう。花びらのような唇をきゅっと引き結ぶ。
「だから君の親御さんがどんな人となりだったのかは想像がつくし、……君が亡くなるまで家族のためにどれだけ自分を犠牲にしたのかも、中学時代の同級生に聞いてる。実際に君が経験した苦労の、何万分の一にもならないだろうけど」
「そんなことを……」
「心も身体も限界まですり減らして亡くなって、思いがけず二度目の人生を与えられたんだ。今度はなにもしたくない、食っちゃ寝ライフを極めたいって思うのは当然だよ」
疲れたから休みたい。それは人間として当たり前の心理なのに、ガートルードの顔は曇ったままだ。ヴォルフラムの言葉を素直に受け止めていいのか迷っている。そこまで彼女を追い詰めた元凶を、地獄に叩き落としてやりたい。
「君は覚えていないかもしれないけど……前世の僕は、君に命を救われたんだよ」
「……っ、命?」
「僕の両親もひどい人たちだった。母親は弁護士、父親は医師で、失敗したことのないエリート。世間から見れば立派な人たちだったかもしれないけど、彼らは僕や僕の兄にも自分たちと同じ道を歩むよう強制した」
それに付いていけなくなった兄の挫折と暴走から、放課後のあの日、ガートルード……佳那の前で嘔吐してしまうまでの経緯を、ヴォルフラムは淡々と語った。家族について誰かに話すのは、前世でも現世でも初めてだ。
「……あの日、僕は家に帰ったら死ぬつもりだった。闇サイトから取り寄せた毒を飲んで」
両親は息子の自殺に『お前までドロップアウトするのか』と憤りはしても、悲しみはしなかっただろう。子が自分に従って当然と信じて疑わないところは、佳那の両親にそっくりだ。
「でも君が、この世につなぎとめてくれたから……生きたい、って思ったんだ」
「……、……っ……」
「君にしてみれば、なんでもないことをしただけたんだろうね。でも僕はあの時の君に救われた。聖女でも女神でも王女でもない、ただの櫻井佳那が僕を救ってくれた」
掴んでいた肩を離し、ひざまずいた瞬間、聞き覚えのない懐かしい声が頭の奥に響いた。
『ムカつくけどお前しかいないんだ。彼女を……』
ああそうだ、彼女にこんなことが言えるのは、きっとヴォルフラムだけだろう。……、を除いては。
ヴォルフラムは学生服の上着を脱ぎ、ガートルードの頭からふんわりとかぶせた。サージの上着はベールのように、幼い少女の上半身を覆い隠す。
「君の本当の望みは、なに?」
「……本当の……望み?」
「皇妃でも王女でもない、君の……ガートルードの望みは、なに? ここには君と僕以外、誰もいない。誰も見ていないから」
――教えて。
ささやきに、学生服に包まれた身体がびくんと震えた。




