6・転生ものぐさ王女と王族の義務
「……なぜ、だと?」
ジーンの喉からこぼれた声はなめらかだった。レシェフモートとカイレンが冷気を解除したおかげだ。にじみ出る殺気はまるでおさまっていないが。
「決まっている! 殿下は王家の血筋に生まれ、そうであるがゆえに王国で最も高貴な身分と待遇を与えられてきた。それはいざという時、その身を捧げるための見返りだ!」
「すでに捧げたではないか」
レシェフモートの声音が刃の鋭さを帯びた。
「本来務めを果たすべきだった破廉恥な姉王女の代わりに家族と引き離され、六歳の幼さで父親ほど歳の離れた皇帝の妃になった。夫の愛情も与えられず、ただ一生飼い殺しにされるだけの形ばかりの妃にな。……それは身を捧げたことにならぬのか?」
「……っ……」
「貴様が今、そうやってのうのうと生き延び、厚かましい御託を恥知らずにも並べ立てていられるのは、我が女神が尊い御身を捧げられたおかげだ。僭王の凶行を間近で目撃しながらすごすご逃げた、負け犬の分際で、我が女神にこれ以上の献身を強いる権利があるとでも?」
こんな時でさえ聞き惚れてしまうほど魅惑的なレシェフモートの声音には、一片の侮蔑も呵責も含まれていなかった。
お前に感情を割いてやるだけの価値はない。
どこまでも淡々とした口調から、徹底的な拒絶だけが伝わってくる。
「……王族の義務を果たせ、とほざいたな」
つうっとつり上がったカイレンの唇は、はるか高みから見下ろす者にしか許されない驕慢に彩られていた。
「ならばフローラ王女とやらには、王族の義務がないのか?」
「……なに……」
「妾の姫御子よりもずっと上の、子も成せるほどの年頃なのであろう? その恥知らずの女に、なぜ貴様は義務を果たせと言わぬ?」
ジーンは腹に力を入れ、タンザナイトの瞳を見返す。
「……フローラ殿下は、僭王の人質にされたのだ。そんな状況で義務を果たすなど……」
「そんな状況だからこそ、義務を果たせるであろう」
カイレンの唇が誘惑の艶を帯びた。
ごくん、とジーンが喉を鳴らしたのは無意識だろう。正気に返ったら激しい自己嫌悪に襲われそうだ。
「妃なれば僭王と閨を共にすることもあろう。いかなる勇者も、肌を重ねている間は無防備なもの。僭王が欲望を遂げる最も無防備な瞬間を狙い、首を掻いてやれば良い。万の軍を動かすまでもなく、たった一人で僭王を討ち取れようぞ」
天人のかき鳴らす琴の音色のごとき声音に反し、話の内容はかなりきわどい。つまりフローラ王女にオズワルドと……三人の姉の仇と行為に及び、オズワルドが果てる瞬間に殺せと言っているのだから。
レシェフモートはガートルードに聞かせたくなさそうに抱き締める力を強め、ヴォルフラムやリュディガー、ジークフリートも苦虫を噛み潰したような顔をするが、咎めないのはカイレンの主張にも理があるからだろう。
古今東西、色仕掛けは上手く嵌まれば非常に有効な戦法だ。前世、敵国アッシリアの司令官ホロフェルネスの酒席にはべり、その寝首を掻いてアッシリア軍を潰走に追い込んだ美しき未亡人ユディト然り、戦国武将が用いた歩き巫女然り。
「……フローラ殿下は、懐妊中であられるのだぞ」
かすれた声をやっと絞り出すジーンに、カイレンは容赦しない。
「だからなにか? 貴様の言う王族の義務とは、妊婦であれば免れるのか?」
「……、……っ……」
「かつて身ごもったことで義務を免れた王女に、再び妊婦であることを理由に義務を免れさせ、その王女の身代わりの生け贄となった幼き姫にさらなる義務を課すのか? ……妾にはわかるぞ。同じシルヴァーナの王女でありながら、貴様がなぜ、妾の姫御子にばかり王族の義務とやらを押しつけるのか」
カイレンは小袿の袖で蠱惑的な唇の輪郭を隠し、床を滑るように移動すると、ジーンの耳元でささやく。
「悟ってしまったのであろう? フローラ王女は自らの意志で僭王に従っているのだと」
「っ……」
「最初こそ姉たちを殺され、恐怖でがんじがらめにされ、従うしかなかったのやもしれぬ。だがフローラ王女が本当に王族の義務とやらをわきまえておるのなら、とうに僭王めの寝首を掻こうとしたはず。にもかかわらず、かような情報はいつまで経っても耳に入ってこない」
――だから、と。
カイレンが続ける前に、ジーンは顔をそむけた。だがカイレンのささやきはさざ波のごとく、ひたひたと打ち寄せる。
「貴様は信じざるを得なかった。フローラ王女にはもはや、いくら王族の義務を説いても無駄だと。ゆえに妾の姫御子に旗頭を押しつけようとした。幼い姫御子なら己の思い通りにできる、帝国の協力も取りつけられると踏んで。……怯懦よなあ」
ひたひた、ひたひた。
「貴様がしているのはただの八つ当たりだ。主君を見捨てて逃げざるを得なかった、取るに足らぬと侮られていた王配にしてやられた悲憤を、己より幼い姫御子にぶつけているのだから」
「……お前は……っ……!」
打ち寄せる毒のさざ波をはねのけるように、ジーンは右手をかざした。そこから魔力が放たれそうになった瞬間、二人の騎士が動く。
「動くな」
ジークフリートの低く寂びた声と、リュディガーの張り詰めてもなおどこか甘い声が重なり。
「うっ……」
左から繰り出された大剣と右から繰り出された長剣が、ジーンの首の下で交差した。翡翠とオパール、異なる色彩の宝玉のごとき双眸がかすかな殺気を宿し燃えている。
ガートルード以外の者たちも気づいただろう。
二人の騎士は職務上無言を貫いていただけで、内心は怒り狂っていたのだと。守られるべき姫君に対する、ジーンの一連の言動に。
「皇帝陛下と我が淑女の御前で攻撃魔法を使えば、その時点で貴殿を反逆者と断じ処分します」
「……なに……を、考えているんだ? そいつは、……ソレは、人間ではない……魔獣なんだぞ……!?」
リュディガーに冷たく警告され、ジーンはカイレンを指差す。やはりカイレンの正体に気づいていたらしい。皇宮内で気づいた者は今のところいないから、破邪魔法使いには魔獣を見極める特別な才能があるのかもしれない。
だがその才能は、ここではなんの意味もないけれど。
「だから、なにか?」
問うたのはジークフリートだった。
「今さら貴殿に教えられるまでもない。我らも、むろん陛下も、そこの御仁の素性は承知している」
「なっ……、んだと?」
「魔獣と人間は相容れぬ関係であることも、むろん承知している。……俺は長きにわたり、対魔騎士団団長として辺境に身を置いていたからな」
ジーンがはっと碧眼を見開く。帝国の対魔騎士団団長の勇名は、シルヴァーナ王国まで鳴り響いていたらしい。
「その上で、貴殿に関してはそこの御仁に同意する。目の前で主君を喪った不幸には同情するが、貴殿の言動は、己のやるせなさと憤りを『王族の義務』という名分のもと殿下にぶつけているようにしか見えん」
図星を指されたのか、魔獣との争いの最前線で戦い続けた男の言葉だから響いたのか。ジーンの美貌に目元のくまと一緒に刻まれていた焦燥が、ほんの少しだけ抜け落ちる。
「……私も同感だ」
ヴォルフラムがジーンを睥睨し、ガートルードを振り返る。優しい、けれどそれだけではない熱を秘めた眼差しに、ガートルードの心臓は跳ね上がる。
「殿下は我が帝国にとっても私にとっても大恩あるお方。たとえ殿下の姉君の遺志を託された者であろうと、殿下のお心を傷つけるのなら、貴様は私の敵だ」
ホロフェルネスとユディトは多くの画家の題材になっています。画家によって解釈が違って面白いので、検索してみるといいかもしれません(流血が苦手な方は要注意ですが)。私が好きなのはジェンティレスキ版です。




