1・惨劇の目撃者(第三者視点)
お待たせしました。第3章の始まりです。
「……王配オズワルド、謀反! クローディア女王陛下、ドローレス王太女殿下、エメライン王女殿下はオズワルドによって殺害され……オズワルドは幽閉中のフローラ王女を娶り、シルヴァーナ国王を僭称しました!」
――凶報がソベリオン皇宮にもたらされる、一月ほど前。
ガートルード王女を送り出して以来、明かりが消えたようだったシルヴァーナ王宮は、久しぶりに華やいだ空気に包まれていた。さらに半月前、ソベリオン帝国からもたらされた一報によって。
『皇禍』。
かつての第一皇子が野望を捨てきれずに起こした謀反とその顛末はシルヴァーナ王国を震撼させ、同時に沸き立たせた。
皇帝アンドレアスが弑逆され、ガートルードは六歳にして未亡人になってしまった。
嫁いですぐ夫を亡くすのは不幸にちがいないが、今回ばかりは喜ぶべきだ。なぜならヴォルフラム皇子がかの忌まわしい体質を克服した今、ガートルードを帝国につなぎとめるものはすべて消滅したのだから。
『今こそガートルード殿下にお戻り頂くべきだ!』
幼い王女の献身と誇り高さに涙した人々はこぞって声を上げ、クローディア女王をはじめとするガートルードの姉姫たちも賛同した。
帝国はガートルードを形ばかりの皇太后として自国に留めたいようだが、今度こそガートルードには最高の幸福を与えてやりたい。……そう、最高の貴公子と結ばれ、可愛い子どもを産み、家族に愛されて生きる、当たり前だが最高の幸福を……!
ガートルード本人が聞いたなら『やめてぇぇぇ!』と泣きながら叫んだだろうが、高貴な女性の幸福と言えば地位も財力もある包容力に満ち溢れた男性と結ばれ、温かな家庭を築くことと相場が決まっている。
王女の身分ではそこに政略が絡むことは避けられないが、ガートルードはすでにじゅうぶん義務を果たした。幸福だけを求めても許される。いや、そうでなければならない。
幼い末妹を遠い帝国へ嫁がせてしまい、無力感と罪悪感に苛まれ続けていたクローディア女王は、さっそく帝国に滞在中のモルガン・ブラックモア侯爵に宛てて書状をしたためた。なんとしてでもガートルードを王国へ連れ帰るように、と。
元々は皇族ヘルマンの無礼を糾弾するため派遣されたモルガンだが、ガートルードを連れ帰るという目的は変わらないのだ。皇帝アンドレアスがいなくなり、障害が激減した分、きっとうまく交渉を進めてくれる。
モルガンが交渉を成功させる、すなわち功績を立てることは、彼が新たな王配に決定することを意味する。そうなれば愛する夫オズワルドと別れ、二人の息子も王宮の外へ出され面会もままならなくなってしまうが、クローディア女王は覚悟を決めていた。
六歳のガートルードが王国のため、人生を犠牲にしたのだ。女王たる自分が愛する人と別れたくない、などとわがままを言うわけにはいかない。
きっと夫もわかってくれるはずだと、クローディア女王は信じていた。常に妻を気遣い、二人の息子の良き父親でもあるオズワルドなら、いさぎよく身を引いてくれると。
だから、その夜。
『久しぶりに家族揃って食事をしないか? こういう機会は、もう二度と持てなくなるだろうから』
オズワルドの誘いに、クローディア女王は一も二もなく頷いた。妹のドローレス王太女、エメライン王女も快く招きを受けた。みな、察していたのだ。これはオズワルドが最後の別れを告げるための席だと。重い悪阻に苦しむフローラ王女だけは不参加だったが。
よって晩餐の席に参加したのはオズワルドとクローディア女王、ドローレス王太女、エメライン王女の四人。幼い王子二人はまだ後宮から出ることを許されない年齢ゆえ、大人だけの集まりとなった。
秘蔵のワインが開けられ、和やかな空気で始まった晩餐は、乾杯からたったの数分で終わりを告げた。
『ぐ……っ……』
ワインを飲み干したドローレス王太女が、血を吐いて倒れたことによって。
『ドローレス!?』
『お姉様、……っ……』
青ざめたクローディア女王とエメライン王女が駆け寄ろうとしたが、エメライン王女もまた血を吐き、くずおれてしまった。
オズワルドが妻の腕を掴む。エメライン王女が細い背中を激しく震わせる間にドローレス王太女はまた大量の血を吐き、ただ一人冷静な……冷静すぎるオズワルドを睨んだ。
『……貴様……、なぜ、……毒など……』
『オズワルドっ……!?』
信じられない、とばかりにクローディア女王はオズワルドを見上げたが、オズワルドは一切弁解しなかった。それで女王も信じざるを得なかったのだろう。オズワルドが妹たちの杯に毒を盛ったのだと。
今宵の料理と酒の手配をしたのはオズワルドだ。実の兄同然のオズワルドの心尽くしに、ドローレス王太女もエメライン王女も毒見をさせなかった。そんな義妹たちの信頼を、オズワルドは最悪の形で裏切ったのだ。
『……普通の人間なら即死するはずなのに、これも破邪の力の恩恵……いや、呪いか』
オズワルドは哀れみをにじませ、懐から短剣を取り出した。成婚の際、女王から贈られたそれはシルヴァーナ王国に伝わる魔法道具の一つだ。魔力をこめればたちまち大振りの長剣に変化する。
今、オズワルドがそうしたように。
『あまりに苦しめるのは本意ではない。楽にしてやろう』
『オズワルド!』
すがるクローディア女王を追いやり、オズワルドは振り下ろした。王族を守るために与えられた長剣を、愛しい妻の妹であるドローレス王太女に向かって。
『ぐ、……あっ……!』
背中から心臓を貫かれ、ドローレス王太女は今度こそ絶命した。最期の瞬間、まだらに金の散った碧眼でオズワルドを睨んだのは恨みゆえか、それとも王族の矜持か。
動かなくなった義妹に一瞥もくれず、オズワルドは次の標的……エメライン王女に向き直った。ドローレス王太女から長剣を引き抜きながら。
『やめなさい!』
クローディア女王が必死の形相でオズワルドの腕にしがみついた。
『なぜ、なぜこのような真似を……ドローレスとエメラインがなにをしたというのですか!?』
『……』
『オズワルド……!』
オズワルドはつかの間、茶色の瞳を揺らした。惑うように、悼むように。
だが、次の瞬間――形容しがたい呻きを漏らしながら長身を震わせた。
『ヴ、あ、あ……ッ……』
『……オズワルド?』
『やめろ、……来るなっ!』
突き飛ばしたクローディア女王に、オズワルドは長身を斜めに振り下ろした。妹と同じ色彩の瞳を見開いた女王の脳裏によぎったのは怒りか、絶望か。
『……な……、ぜ……』
『……、……クローディア? ……クローディアッ!?』
血の海に沈んだ妻を抱き上げ、血まみれの身体を抱き締め号泣する。あまりに不合理で、理不尽な光景だった。自ら手にかけておきながら、裏切っておきながら。
だがオズワルドの慟哭は、虫の息のエメライン王女に最期の時間を与えた。
……後の王国の未来さえ変える、奇跡の数十秒を。
『……ジー、ン、……逃げて。そして……知らせて。ガートルードに……』
いつも嵌めている指輪を外し、託したのだ。供をしてきた助手の破邪魔法使いに……オズワルドの発する殺気に圧倒され、動けずにいた情けない男に。
『……お願、い……』
エメライン王女は最期の力を振り絞り、指輪に魔力を注いだ。魔法研究者でもある王女が特注し、王宮の宝物庫に眠っていた魔石をあしらって作らせたそれは、瞬間移動を可能にする魔法道具だ。
瞬間移動と言っても、ほんの数キロメートル程度の距離に限られるが、すべての障害物を無視して移動できるのは、この場において大きな恩恵だ。
トリガーとなる王女の魔力を注がれた指輪が効果を発揮する。
惨劇の場から転移する瞬間、助手の破邪魔法使いが見たのは、女王の亡骸を下ろし、エメライン王女に向かってくるオズワルドだった。




