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3・転生ものぐさ皇妃、初めてのチョコレートを堪能する

「つ……、つーかーれーたぁーーーー!」



 大人が五人は横たわれそうなベッドに倒れ込みながら、ガートルードは叫んだ。帝国の侍女は全員断ったし、レシェフモートが防音の魔法をかけてくれたのはわかっているから、何の気兼ねもいらない。



「お疲れ様でございました。皇帝の見栄と虚飾に付き合ってやるとは、我が女神はまことにお優しい」



 ここまでガートルードを抱きかかえてきた疲れなどみじんも見せずに微笑み、レシェフモートはガートルードの頬を撫でる。



 それだけでガートルードの小さな身体を包む白いドレスはゆったりとした部屋着のワンピースに変わり、装飾品もすべて外れていた。解放感と肌触りの良さにガートルードの表情もゆるむ。



「ありがと、レシェ」

「我が喜びにございます。お茶は召し上がりますか?」

「うん、お願いー」



 やわらかなマットをごろごろ転がりながら答えれば、空中にティーセットの載った銀のトレイが現れた。白磁のポットから湯気のたつ紅茶を注いでくれるレシェフモートの仕草は、見惚れてしまうほど優雅だ。



「執事喫茶みたい」

「……執事喫茶、でございますか?」

「うん。お客さんをお嬢様に見立てて、執事に扮したイケメン店員さんがお茶を淹れてくれるの」



 前世のガートルードの同級生の間で流行っていて、よくクラスでも話題になっていた。前世のガートルードも行きたかったけれど、そんなお金も時間もなく、行けないまま死んでしまったのだ。



 でも、断言できる。どんな人気の執事喫茶にも、レシェフモートほどのイケメンはいなかったと。



「それは、自宅でお茶を飲むのとは違うのですか?」

「前世のわたしが暮らしていた国……日本って言うんだけど、日本には執事のいる家なんてめったになかったの」



 あるにはあっただろうが、それはほんの一握りの超上流階級だけのはずだ。



「だからちょっとの間だけでも、お嬢様気分に浸りたくなるのよね。……おいしい」



 身を起こし、口元まで運んでもらったティーカップから紅茶を飲む。喉が潤えばお腹が空いてきて、すかさず差し出された一口サイズのサンドイッチに食いついた。



(ん~、こっちもおいしい!)



 具材はスモークサーモンとクリームチーズ、ローストビーフ、ポテトサラダなど、ガートルードの好きなものばかりだ。帝国までの長くはない道中で、レシェフモートはすっかりガートルードの好みを把握していた。



「……それにしても、豪華な部屋」



 空腹が満たされれば余裕が湧いてきて、ガートルードはベッドから部屋を見回す。



 皇子のため人生を差し出させられる形ばかりの皇妃のため、帝国が用意したのは真新しい宮殿だった。

 ガートルードの感覚では帝国の皇宮は華やかなお城というより巨大要塞だ。



 帝都アダマンは帝国の前身であるアダマン王国の王都でもあったのだが、不入の土地や敵国に囲まれていたため、王宮も要塞化されていた。その名残が今も息づいているようだ。



 東京ドーム何百個分かな、とガートルードが圧倒された皇宮の敷地の南方に、ガートルードのための宮殿は建てられていた。そう、わざわざ建てたのだ。大陸中から優秀な土魔法使いを集め、金に糸目をつけず高級な建材をつぎ込んで。



 もともと皇妃になるはずだったフローラのため、宮殿が造られていることは知っていた。



 大陸の多くの国には臣下が出入りする空間とは別に後宮が存在し、王の妃や幼い子どもたちはそちらで暮らす。後宮に入れる成人男性は基本的に王のみだ。

 ガートルードの祖国シルヴァーナにも後宮はあるが、そこで暮らしているのは王配とその子どもたちなのでやや変則的ではある。



 しかし歴史が浅く、一夫一妻を貫く皇帝がほとんどだったソベリオン帝国に、後宮と呼ばれる区域は存在しなかった。その必要がなかった、と言うべきか。



 だがシルヴァーナから王女を迎えるにあたり、皇帝アンドレアスはまっさきに新たな宮殿の建設を命じた。



 王女への感謝と償いのためであるのはもちろんだが、王女と皇后を遠ざけるのが最も大きな理由だ。皇后コンスタンツェは側室いびりをするような女性ではないが、鬱屈した王女が皇后と対立する可能性を案じたのだ。



 結果的にフローラではなくガートルードが来ることになり、アンドレアスは当初の何倍もの予算を追加した。

 ぎりぎり適齢期のフローラを迎えるのさえ非難を受けたのだ。まだ親元で過ごすべき幼い王女の住まいは、大陸一豪奢で居心地がよいものでなくてはならない。帝国の威信にかけて。



 そうして完成したのが、この宮殿である。



 案内された時、ガートルードは前世の有名テーマパークにあるお城を連想した。砂糖菓子のような愛らしいデザインだが、周りの要塞からは明らかに浮いている。



 ガートルードとしては皇宮のかたすみに小さなワンルームでももらい、誰にも構われず食っちゃ寝できれば良かったのに、現実は何十LDKなのかもわからない。



 もちろんアンドレアスはガートルードのために厳選された侍女とメイド、下働きを何百人も用意したのだが、そちらは断固拒んだ。人目は食っちゃ寝ライフの敵である。広大な宮殿の維持管理もガートルードの世話も、レシェフモート一人がいてくれれば事足りる。



「そうでしょうか。我が女神がお住まいになるには、少々みすぼらしく手狭かと思いますが」

「神基準じゃそうかもしれないけど、わたしは自分がごろごろできる空間さえあればじゅうぶんなのよ。皇帝陛下にも皇后陛下にもそう言ったのに」



 わたしなどに過分なお気遣いでございます、どうかわたしのことなど路傍の石とでもお思いになってお捨て置きくださいませ、と何度も訴えたのに、アンドレアスは聞き入れてくれなかった。コンスタンツェなどどんどん青ざめていった。



 気遣いを受け取ってもらえないので機嫌を損ねたのかもしれない。でもガートルードがこうして欲しいとお願いしたわけではないのに。



「……やっぱり、あれがいけなかったのかしら」



 ガートルードが帝国領内に入った瞬間、銀色の光が降り注ぎ、不入(いらず)の土地で暴れまわっていた魔獣を滅した――らしい。ガートルードはレシェフモートのお膝で絶賛食っちゃ寝中だったので自覚はない。



 きっとシルヴァーナ直系王女の破邪の力が発動したのだろう。驚くには値しない、と思ったのだが、直系の王女……たとえば姉ドローレスでも、剣を振るわなければ魔獣を滅することはできないそうだ。



 しかも銀色の光は、破邪魔法で浄化しなければ治らない魔獣による傷まで完璧に癒してしまったという。



『おそらく、私と出逢ったことで御身を流れる女神の血が活性化したのでしょう』



 レシェフモートはそう分析した。



 濃い神の血は互いに引かれ合い、響き合う。レシェフモートという濃い女神の血を持つ元魔獣の王に出逢い、ガートルードに流れるシルヴァーナの血が何倍にも力を増し、強烈な破邪の力を撒き散らした。そういう経緯のようだ。



 ……正しくは『女神の血を引くガートルードがレシェフモートと契約を結んだことにより神の力も魔力も飛躍的に上昇し、小さな身体に収まりきらなかった分があふれた』のだが、ガートルードに真実を教えてくれる者はいない。

 むろんレシェフモートも黙して語らない。



『ご安心を。抑える手段はございますゆえ』



 レシェフモートがそう言って手を打ってくれたので、同じような現象が起きる心配はなくなった。今のガートルードは他の姉王女たちと同程度の破邪の力しかない。



 しかし帝国の悩みの種である魔獣を一瞬で滅したことはインパクトが大きかったらしく、貴族たちがガートルードに向ける眼差しは燃え上がらんばかりに熱かった。皇帝夫妻が下にも置かぬ扱いをしてくれるのも、そのせいだろう。



 顔合わせの場となった謁見の間での歓迎式典の後、アンドレアスは大広間に移り、立食パーティーを開いてくれた。



 最高級の食材を惜しみなく用いた豪華な料理はどれもおいしそうで、しかも憧れのチョコレートを使ったとおぼしきお菓子まであった。しかし歓喜もつかの間、ガートルードはたちまち貴族たちに取りまかれ、ごちそうなどまったく口にできなかったのである。



 一時間もすればガートルードはへとへとになっており、レシェフモートも心配しだしたので、さっさと会場を引き上げてしまったのだ。アンドレアスもコンスタンツェも主役が早々に退出するのにはいい顔をしなかったが、レシェフモートが必殺技『女神シルヴァーナ様の思し召し』をくり出してくれたおかげで引き留められずに済んだ。



 そうして今、やっとガートルードの宮殿の一室でくつろいでいるわけだが……。



「うう~、チョコレート食べたかった……」



 夢にまで見たチョコレートがすぐ目の前にあったのに、手も出せなかった。それが心残りでならない。



「チョコレートとは、こちらでしょうか」

「それ……!」



 レシェフモートがどこからか取り出した、直径二十センチほどのホールケーキ。前世ならザッハトルテと呼ばれるそれに、ガートルードはぎらんと目を輝かせる。



「それよ、それ! わたしのチョコレート! どうしてわかったの?」

「我が女神のお心を推し量れぬ者に、下僕の資格などございませんゆえ」



 ガートルードがあまりに切なそうな顔をしていたので、原因とおぼしきケーキを確保しておいてくれたのだという。



「良かった。これが我が女神がお好みのチョコレートなのですね」

「あっ!?」



 微笑んだレシェフモートの手の上でケーキはみるまに灰と化し、跡形もなく消えていった。

 見開かれたガートルードの目元に触れた唇を、レシェフモートは耳朶にすべらせる。



「お忘れですか、我が女神。貴方の愛らしいお口に入るものはすべてこの私が作り、捧げるということを」

「で……、でも、チョコレート……」

「ご安心を」



 レシェフモートは軽く耳朶を食んでから離れ、ひらりと手をひらめかせた。



 すると虚空に銀のトレイに載せられたザッハトルテが現れる。さっきと同じ……いや、もっとつやつやとしておいしそうだ。

 飴細工の花や蝶々まであしらわれ、前世の高級パティスリーで売られていてもおかしくなさそうな出来映えである。



「こ、これは!?」

「先ほどのケーキを参考に、私が作りました。お召し上がりになりますか?」

「なるなる、食べる!」



 ガートルードはこくこくと頷いた。こんなの、絶対おいしいに決まっている。



 レシェフモートは甘く微笑み、さっそく切り分けたケーキをフォークに取ってガートルードの口へ運んでくれた。

 想像通り……いや、それ以上だ。こってりと濃厚な、それでいてまろやかな甘さも、口に入れたとたんとろける生地も、懐かしいカカオの風味も。



 実のところ、前世でもそうたびたびチョコレートを食べていたわけではない。



 両親はいつもギリギリの生活費しか与えてくれず、足りない分を前世のガートルードのパート代でどうにか補う日々だった。そんなありさまでは幼い弟妹を飢えさせないのがせいいっぱいで、お菓子なんてめったに買えない贅沢品だったのだ。



(最後に食べたのは、そう……死ぬ前の日だった)



 やっと実家を出て、今までの自分をねぎらおうと、コンビニでチョコレートケーキを買った。一人でケーキを食べるのは生まれて初めてだった。



 うっとりするほどおいしくて、もったいないから半分は明日のために取っておいた。

 でも食べる前に母から電話があり……そのまま死んでしまったのだ。



「……おい、しい……」



 ガートルードのまなじりから涙があふれる。

 レシェフモートは小さな身体を膝に乗せ、涙が止まるまでずっと抱き締めてくれていた。


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「転生ものぐさ王女よ、食っちゃ寝ライフを目指せ!」第1巻が9月15日にTOブックスさんより発売されました。
大量に加筆し、リュディガーの出番が増えてガートルードも大活躍しておりますので、ぜひお手に取って下さいね!
ものぐさ王女表紙1巻
販売ページ
― 新着の感想 ―
いちいち不幸だったんだなキミ(目頭を押さえながら)
・一番差し障りがないのはヴォルフラムの婚約者になってもらうことだが、いつはかなくなるかもわからない、しかもまだ三歳の皇子の婚約者など、いくら帝国が強者であろうと無理強いできるわけがない。大陸全土の信仰…
チョコケーキ食べられてよかったね…!これからもずっと甘やかされて生きていったらいいと思います。 レシェフモートが作った物しか食べさせてもらえないということは、茶会や食事会に参加出来ない?まあ皇帝夫婦…
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