ダンジョンに弾正を求めるのは間違っているのだろうか・1
新しい番外編がスタートです。
全四話の予定です。
ガタンゴトン……ガタンゴトン……。
頭上を通過する電車の騒音とかすかな揺れが妙に心地よく感じる、高架下の屋台で、ヴォルフラムはひっくり返したビールケースを椅子代わりにして座っていた。
『あいよ、お待ちどお』
ねじりハチマキの大将が、カウンターの奥からおでんの盛り合わせを出してくれた。よく出汁のしみた大根、玉子、白はんぺん、昆布。どれもヴォルフラムの好物だ。正確には、前世の好物だが。
一緒に出されたのは熱燗の日本酒……かと思いきや白湯だった。見た目は十代半ばのヴォルフラムに合わせたのか。
『なあ、神部……』
隣のビールケースに座った関先生……前世の社会科教師らしき人物が、哀愁を帯びた声でぽつりとつぶやいた。らしき、と付けたのは記憶に刻まれたぽっちゃりアラフィフではなく、まるまる太った二足歩行の大きな羊の姿だったからだ。声は懐かしい関先生のものなのだが。
『教育って……なんなんだろうな……』
ぼんやりと虚空を見上げながら、羊、もとい関先生は器用にスプーンを使い、クリームソーダのグラスからアイスクリームを掬った。
ぱくん、と食べた瞬間だけ目元が幸せそうに緩む。そう言えば無類の甘党だったな、とヴォルフラムは思い出した。毎年健康診断の結果に一喜一憂しつつ、職員室の机の引き出しにお菓子を常備していたのも。
よく見れば、カウンターはプリンアラモードだのチョコレートパフェだのパンケーキだのショートケーキだので埋め尽くされている。
『関先生……』
糖分と脂質は控えないと来年のHbA1cの値が恐ろしいことになりますよ、ついでに空腹時血糖値も尿酸値もLDLコレステロールも中性脂肪も……と忠告できなかったのは、後ろめたさのせいだ。
『……そっか。だったら、超アンドレアスでいいかな』
つい先日のお茶会で、ヴォルフラムはそう流してしまった。アンドレアス本人が認めているんだからいいじゃないかとか、彼女が笑ってくれるんだからとか色々理由をつけたが、要はガートルード可愛さに日和ったのである。
(いや、でも、小ピピンが超ピピンになっただけだし、そもそもこちらの世界でピピンの存在を知っているのは僕と櫻井さんだけだし……)
つるつる滑る玉子を箸で割れずにいると、ずずっ、と関先生はクリームソーダをストローですすった。
『小ピピンが超ピピンになっただけとか、そもそもピピンを知ってるのは自分たちだけ、とか考えているな?』
『っ……、なぜそれを……』
『四半世紀以上教師をやっていれば、生徒の考えることくらいわかるようになるさ』
羊の口をアンニュイな笑みが彩る。
『だがな、神部。お前は櫻井を甘く見すぎている。櫻井の周囲もな』
『……? それは、どういう意味ですか?』
『すぐにわかるよ。すぐにな……』
ぱくぱくぱく、もぐもぐもぐ。
大量のスイーツがすごい勢いで平らげられていく。
さすがに脂質異常症や肝機能障害や動脈硬化が気になってきた時、ねじりハチマキの大将が『あいよっ、お待ちどお!』とカウンターに置いたのは三段スタンドのアフタヌーンティーセットだ。
それぞれのプレートには小ぶりなケーキやフィンガーフードが見栄え要素ゼロでこんもりと盛られている。さすがにこれは前世循環器内科医師として見過ごすわけにはいかない。
『先生――』
声をかけようとしたとたん、ヴォルフラムの視界は真っ白に染まった。
スイーツだらけのカウンターもねじりハチマキの大将も、屋台すら消え去って……いや、違う。頬にふわふわと触れるこの感触は、羊の毛だ。ヴォルフラムは巨大化した関先生に押し潰されそうになっているのである。なのに不思議と息苦しくない。
『すぐにわかるよ。すぐにな……』
メエエエエエエエエ……。
悲しげな羊の鳴き声が真っ白な世界にこだまする。
ヴォルフラムは胸を押さえ……ふと気づけば、同じ体勢のまま寝室のベッドで目を覚ましていたのである。
あれは一種の予知夢だったのかもしれないと悟ったのは、数日後、ガートルードとのお茶会の席だった。
「松永ダンジョンって素敵よね」
毎度のごとく右側からレシェフモートにスフレチーズケーキを、左側からカイレンにイチジクのタルトを食べさせてもらい、ご満悦のガートルードがうっとりとつぶやいたのだ。
メエエエエ。
ああ櫻井さんは今日も可愛いなあ、この間のサイドシニヨンも可愛かったけどやっぱりポニーテールが一番可愛い、と見惚れていたヴォルフラムは、どこかから聞こえてきた羊の鳴き声で我に返った。もちろん皇宮の一室に羊なんて放し飼いにされているはずはないのだが。
「待って櫻井さん。今、『有明コロシアム』みたいな感じで言ったけど、松永ダンジョンって絶対に地名じゃないよね?」
「え? もちろん違うわよ。ダンジョンは戦国大名だもの」
神部くんも知ってるよね? と聞かれたが、もちろんヴォルフラムの記憶に松永ダンジョンなんて戦国大名の名前はない。
しかし、ある程度の推測はできる。
松永ダンジョンは戦国大名だという。ガートルードが知っているのなら、教科書に載る程度には有名な大名だ。これをヒントに、ガートルードこと櫻井佳那の変換パターン……カナペディアと照らし合わせる。
小ピピン→超ピピン。
小アンドレアス→超アンドレアス。
ならば、松永ダンジョンとは。
「……ひょっとして、松永弾正のことかな」
「松永弾正? それ、誰?」
「戦国大名の松永弾正久秀だよ。弾正っていうのは久秀が任官されていた官位のことで、正確には弾正少弼だね。単に弾正と名乗った場合は弾正台の職員という意味で……」
「我が女神!」
「妾の姫御子!」
ふらふらと揺れたガートルードの頭ががくんと項垂れ、左右の魔獣の王が支えながらヴォルフラムを射殺さんばかりに睨みつける。……激しい既視感を覚える展開である。
「あ……、ごめんなさい。なんだか……」
「うん、ダンジョンなの? 弾正なの? って考えていたらきっと頭がぼんやりしちゃったんだよね、きっと」
うんうんとヴォルフラムは頷いたが、ガートルードはこてんと首を傾げる。
「なに言ってるの、神部くん。松永ダンジョンはダンジョンに決まってるでしょう? だってダンジョンを造っていたんだから」
「はい? ……ダンジョン? …………戦国時代に?」
日本の戦国時代の話をしてるんだよな? 日本の戦国時代にダンジョンなんて存在しなかった……よな?
訳知り顔のまま硬直するヴォルフラムの耳に、メエエエエ、と悲しげな羊の鳴き声がまた聞こえてきた。
(いや、まだだ。まだ慌てるには早い)
もしかしたらヴォルフラムの知らない戦国時代の、知らない戦国大名の松永さんについて話しているのかもしれない。
「あの、櫻井さん。良かったら松永ダンジョンの経歴とか、教えてもらっていいかな……?」
「えっ、うん、もちろん」
ガートルードは戸惑いながらもとんとんと喉を叩き、咳払いをした。カイレンが差し出したレモン水で喉を潤し、レシェフモートが差し出したマイクに向かい滔々と話し始める。
「松永ダンジョンは戦国から安土桃山時代にかけて活躍した戦国大名です。三好長慶に仕え頭角を現した後、後継者の三好義継に室町幕府将軍足利義輝を殺害させ、権力を拡大させました。後に織田信長に降伏し許されましたが、再び背いて敗れ、自害しました」
「えっ……」
意外にもまともな解答(ただしダンジョンは除く)にヴォルフラムは心底驚いたが、やはり推測は当たっていた。ガートルードはピピンの時のように、松永弾正と松永ダンジョンを間違えて……。
「そして自害の際、立てこもった信貴山城を爆破し、ダンジョンを造ったのです」
……あれ? もしかして間違えてない……?




