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カナペディア(番外編・ヴォルフラム)3

「超……、ピピン……?」



 呆然とつぶやくヴォルフラムに、ガートルードは首を傾げる。揺れる後れ毛すら可愛い、なんて思ってしまうのは現実逃避なのか。



「神部くんも社会の授業で習ったでしょう? 超ピピンのこと。忘れちゃったの?」

「社会の授業に……、超ピピン?」



 困惑するばかりのヴォルフラムをよそに、レシェフモートはガートルードの口にチョコマカロンを運んでやったり、カイレンは新しい紅茶を注いでやったりとマイペースを貫いている。

 レシェフモートが『我が女神を困らせるな』とばかりにこちらを睥睨するが、困らされているのはヴォルフラムの方である。



「そう、いたでしょう? 大ピピンと中ピピンと超ピピンが。同じ名前でややこしいから大中超って区別されてた王様たちが」

「ああうん、いたね、大中超……、超?」



 大、中、ときたら次は小では……どうして突然の超?

 困惑を深めつつも、ヴォルフラムはやっと彼女の言わんとするところを察する。



「超、ちょう、……しょう、小ピピンのことかな?」

「小ピピン? って誰?」



 またもや首を傾げるガートルードは花の妖精みたいで可愛い、花びらみたいな唇にトリュフチョコレートを食べさせてあげたい。

 ……ではなく。



「フランク王ピピン一世だよ。フランク王国第一王朝であるメロヴィング朝を廃して、第二王朝カロリング朝の始祖になった元宮宰」

「……キューサイ?」



 前世のまずくてもう一杯所望したくなる青い汁を連想させる発音で、ガートルードはおうむ返しにする。



「宮廷の長官、王の家来のまとめ役で、政治を実質的に担当する人のことだね。ピピン一世はメロヴィング朝で代々この宮宰の地位にあったんだ。祖父も父もピピンで宮宰だったから、宮宰としてはピピン三世だけどカロリング朝の王としてはピピン一世……」

「我が女神!」

わたくしの姫御子!」



 滔々(とうとう)と説明していると、ふらふら揺れたガートルードの首ががくんと項垂れた。血相を変えた魔獣の王二人が両側から小さな身体を支え、ヴォルフラムも身を乗り出す。



「櫻井さん!?」

「……、……あ、……ごめんなさい。ピピンは結局キューサイなの? 王様なの? って考えてたら、頭がぼんやりしちゃって……」



 それはおそらく単に眠くなっただけなのだが、過保護な魔獣の王たちは殺意に満ちた目をヴォルフラムに向ける。



「おのれ、皇子のぶんざいで我が女神を悩ませるとは……」

わたくしの姫御子を苦しませるなど、呪いをかけているも同然……かくなる上は返しの風を吹かせて……」



 レシェフモートはともかく、小ピピンは前世の世界の人物、しかも千年以上前に死亡しているので、返しの風は不発に終わる……はずだ。



 しかし海よりも深くガートルードを愛するカイレンのこと、千年の時も世界の隔てさえも乗り越え、本当に返しの風を吹かせてしまいそうな恐ろしさもある。……なにも悪くない小ピピンに。



「ピ、ピピンは王様だから! キューサイ、いや宮宰じゃないから!」



 正確には宮宰からフランク王に選出されたので、宮宰でもあったのだが、最終的な経歴は王なのだから間違っていない……ということにしたい。小ピピンのためにも。



「本当? 本当に王様なの?」

「うん、本当。本当に王様だよ。小王とは呼ばれても、偉大な王様だったんだ」



 フランク王国は後のドイツ、フランス、イタリアの基盤となったくらいの大国だ。その大国で新しい王朝を開いたというだけでも偉業だし、諸国を征服するための戦でも生涯無敗を誇るのだから相当優れた人物だったはずである。



「そう、すごい人だったのね。……なのにどうして『小』ピピンなのかしら?」

「祖父が大ピピン、父が中ピピンだから小ピピンになったんだよ。別に否定的な意味はなくて、単に区別しやすいよう、歳が上の方から大中小って付けただけ」



 おそらくガートルードも、初代皇帝のアンドレアスとヴォルフラムの父アンドレアスが同じ名前なので、区別しようと思ったのだろう。初代皇帝アンドレアスが大アンドレアスなら父アンドレアスは中アンドレアスになるはずなのだが、なぜかスルーされたのは、歴史の授業が色濃く脳に刻まれていたせいか。



(具体的になにをしたのかよくわからなくても名前だけは知ってる、ってパターンが多いからな、小ピピン……名前のインパクトの強さのせいだとは思うけど)



 そして小アンドレアスになるはずが、発音の似ている超になった。そういうところではないだろうか、とヴォルフラムは推測した。断片的な情報から真実を導き出す能力は、前世の外来で鍛えられている。



 だから父アンドレアスを初代皇帝と区別するなら中アンドレアス、あるいは小アンドレアスが正しい。そう続けようとした時、ガートルードが口を開いた。左右の魔獣の王たちの肩をぽんぽん叩きながら。



「すごい王様だったのなら、超ピピンの方が格好よくて素敵じゃない?」



 小さな手にぽんぽんされただけで怒れる魔獣の王たちから毒気が抜けていく。うらやましい、自分もぽんぽんされたい。

 ……ではなく。



「いや、歴史上の人物だから、格好いいとか素敵とかは関係なくてね」

「歴史上の人物ってことは、実在した人ってことでしょう? どうせなら格好いい呼び方をされたいんじゃない? わたしならされたいわ」



 女神だの姫御子だの淑女レディだの貴婦人だの女王だのおみ足だの呼ばれている少女が、うんうんとわかったように頷く。腕を組む仕草すら可愛い。わざと寄せた眉間のしわをつついてみたい。

 ……ではなく。



「それは……小ピピン本人に聞いてみないとわからないと思うけど……」

「ピピンだって人間だもの、きっと超の方が格好いいって喜んでくれるはずよ。それともピピンには、他になにかあだ名でもあるの?」



 ……実は、ある。

 ヴォルフラムは歴史の授業中、関先生から教わった豆知識を思い出した。



「……『短躯たんく王』、かな」

「タンク王?」

「タンクじゃなくて短躯、つまり背が低いって意味だよ」

「背が低い王……」



 ガートルードは長いまつげを悲しげに震わせた。



「死後千年以上経ってるのに、背が低かったって語り継がれるなんて悲しすぎない……?」

「……う……」



 正直、ヴォルフラムもそう思う。自分が『櫻井さんに見惚れて階段から転がり落ちた帝』なんてあだ名を語り継がれたら、やめてくれと泣きたくなるだろう。事実だとしても。



「だったらね、超ピピンの方がずっと素敵だし喜んでもらえると思うの。だから小アンドレアスより断然超アンドレアスよね」



 うんそうだね、と即答すれば、きっとガートルードは笑ってくれるのだろう。レシェフモートに魔力の蛇で絞め上げられることも、カイレンが無実の小ピピンに返しの風を吹かせることもなくなる。

 しかし……。



『駄目だ! お前がここで退いたら、彼女は間違った知識を身につけたままになるんだぞ。誤りを正せるのはお前だけだ……教育が負けてはいけないんだ!』



 必死に主張する理性を、鼻先で嘲笑うのは欲望だ。



『どうせ正解を知ってるのはお前だけなんだ。こっちの世界の人間にとっちゃ、小でも超でも大差ない。だったら彼女が笑ってくれる方でいいだろう?』



 ヴォルフラムがせめぎ合う両者に悩まされているとも知らず、ガートルードはなにかを思い出したようにてのひらを叩く。



「それにね、本人が許してくれたの。超アンドレアスと呼んでいい、って」

「……父上が?」

「そう、超アンドレアスが。楽しそうに笑っていたわ。……神部くんは、笑うと超アンドレアスに似てるよね」



 ふんわり笑う彼女が、あんまり可愛らしかったから。

 その笑顔を守りたいと、壊したくないと思ってしまったから。接点の少なかった父を思い出させてくれたから。



「……そっか。だったら、超アンドレアスでいいかな」



 理性をノックアウトした欲望が高々と拳を掲げた瞬間、メエエエエエエ、とまた悲しげな羊の鳴き声がどこかから聞こえたのだった。


カナペディアはこれにて完結です。お付き合い下さりありがとうございました。

ご同職の方は、関先生の肩をぽんと叩いてあげて下さい。

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― 新着の感想 ―
ダ…@(T◇T)@ メエエエエエエエエエエ!!
駄目だこのポンコツ歴女w
皆様、小が超になるくらいならまだ許容範囲(?)かもですが、加納さんの屈辱忘れてませんか? 国籍変わってますよ(哀) あと茶会とか…イロイロ もしヴォルフラムがその辺のこと知ったら羊の幻聴に悩まされる日…
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